2-4

 ノインらが車で出発して一時間弱。

 三人の体は、既にノース三番街のはずれにあるカリーナの店の中にあった。

 この店とスキューアの距離は道のりにして五キロほど。まだほとんど交通のないこの時間ならば、ゆっくり車を運転しても十分少々で到着する。車は明らかに定員オーバーだったが、途中、巡回中の公安官などに出くわすこともなかったため、移動は実に平和でスムーズであった。夜明け直後だったが、魔法使いとも遭遇せずにも済んでいる。

 しかし到着してからかれこれ四十分以上、ノインは店の玄関近くの椅子でぼーっと待つ羽目になっていた。


「暇だ……」


 呟いて、ノインは手に抱えた自分のコートを持ち直し、木製椅子の背もたれに思いっきり体重を預ける。店の奥からはカリーナとリリの会話――もとい、カリーナの独り言が断続的に聞こえていた。ノインが待っているのは、もちろんリリの着替えである。


「おい、まだか?」


 待ちくたびれたノインはカリーナに問う。さっきまでリリを風呂に入れていたようだが、そこからがまた長い。ノインとしてはそろそろ家に帰って休みたい時間なのだが、カリーナは残酷にも言ったものだった。


「女の子の身支度は時間のかかるものなの。おとなしく待ってなさい」

「……はぁ」


 店の奥の部屋から返ってきた答えに、ノインはため息をつく。なにやらひじょーに楽しそうに着せ替えをしているようなので、リリをわざわざ連れて来たのは、カリーナ自身が楽しむためという理由が八割ぐらいあるのではと訝るノインである。

 しかし、服を格安で見繕ってもらう身なのであまり文句は言えない。女の身支度というものの長さに久しぶりにうんざりしながら、ノインは何度目になるか、店をぼんやりと見回す。

 この店の内装はスキューアによく似ていた。

 カウンターの位置や、陳列棚の位置、空間の面積に至るまで実にそっくりだ。ただ大きく違うのは、スキューアより小奇麗で明るく、置かれている調度品の格式などにも雲泥の差があるということだった。おまけにストーブも置いてあるため、店の中は程よく暖かい。

 これには『副業』含めて、儲けている額の違いが露骨に出ているといえるが、それと合わせて、店主が女性であるというのも大きいように思えた。自分やボスウィットではたとえ金があってもこんな上品な部屋を作ることはできないだろう。

 尚、内装がスキューアと似通っている理由については、昔カリーナがこの店を持つ際に、ボスウィットがあれこれ面倒を見た影響だと聞いている。


「うーん。これだとなんか足りないわねぇ……」


 もう何度目かになる、カリーナの独り言。


(……なんかソフィアも似たよーなこと言ってたよなぁ)


 そんなことを思いながら、ノインは小さく細く息を吐く。

 ソフィアとは、スキューアに飾ってあった写真に写っている赤髪の女性の名前だ。彼女も討伐屋であり、ソフィアとカリーナは親友同士。そして彼女は、ノインにとってスキューアに所属していたたった一人の先輩、相棒であり、また、恋人であったのだった。


「……もう、五年か」


 呟いたノインの言葉は消え入るように小さかった。

 ソフィアは五年前、魔法使いに襲われて死んでいる。

 踏ん切りはつけたつもりなのだが、ノインの胸中には拭いきれぬあの日の光景が淀んでいた。

 今もこんな仕事を続けているあたり、まだ自分は断ち切ってはいないのかもしれない。自分のパートナーを救えなかった贖罪を、未だに続けているのかもしれなかった。

 ふと目を閉じ、ノインはしばし物思いにふける。

 だがある時、足音がふたつ、近づいてきた。目を開けてそちらを見ると、そこにはカリーナと、着替えを終えたリリが立っていた。


「どう?」


 得意げに胸を張って、カリーナはリリをぐいっと自分の前に押し出す。

 リリの服装は、濃紺のタートルネックと明るい茶色のショートパンツ、カジュアルなデザインのエンジニアブーツに変わっていた。上着は、丈が短めの黒いムートンコート。頭には赤色のハンチング帽子まで乗せている。そしてさっき風呂に入れてもらったおかげか、リリの肌も髪も艶やかさを増しており、彼女の見た目は年相応の少女のものへと変わっていた。


「帽子やら靴までいいのか」

「そりゃ靴なしってわけにもいかないでしょ。帽子はオマケ。可愛いでしょ?」


 言ってカリーナは、得意げにウィンクしてみせる。


「へぇ。そりゃどうも」


 しかしノインのその返事を聞いて、カリーナは笑顔をに変えて軽く首をかしげて見せた。声には出さないが、カリーナの顔には『それで?』なんて一言が書いてあるように思える。だが彼女の意図が全く察せなかったノインは、素で彼女に問うた。


「なんだ?」

「なんだ? じゃない。この子の服の感想はどうなのよ?」

「はぁ……」


 所感の表現を求められたノインは再びリリに視線を移す。

 そして上から下まで彼女をさっと眺めて、一言。


「あったかくて動きやすそうだな。いい服だ」

「……もうちょっと何かないわけ?」

「いや、別に」

「…………」


 カリーナは腰に手を当て、やれやれってな感じに首を振る。

 懸念していた安全性も問題なさそうであるし、見たまんまの感想を述べたつもりだったのだが、何やら彼女は気に入らなかったようである。

 するとそんな中、リリがカリーナを見上げた。


「ありがと。カリーナ。これ、あったかい」


 言ってリリは、少しだけ頬を緩めてみせる。やはり欠落しているのは記憶だけで、こうした感情や良識はちゃんとあるようだ。


「どういたしまして」


 カリーナは嬉しそうに微笑み返し、リリの頭をなでなでする。彼女の言葉と手の感触に、リリも心地よさそうに顔を綻ばせた。

 だがリリのその顔を見たノインは、思わずぎょっとした。原因は例の既視感だったが――今感じたのはもっとはっきりした感覚だ。しかもとんでもない違和感を伴っている。


「? どうしたの?」


 ノインの様子を怪訝に思ったカリーナが尋ねてくる。

 が、ノインは軽くかぶりを振って、頭から事実を追い出すように思考を切り替えた。


「ああ、なんでもない。……じゃ、世話になったな」


 ノインは言うと支払いを済ませるべく、手に持っていたコートのポケットをまさぐる。

 そして、車の中で聞いていた値段ちょうどの紙幣をカリーナに差し出した。


「毎度」


 カリーナは紙幣を受け取り、計算する。

 しかし彼女は受け取ったゴルト紙幣のうち数枚をつまむと、それをノインに差し返した。


「リリちゃんの可愛さで気分がいいの。これで何か買ってあげて」

「……珍しいな」

「人の好意はさっさと受け取る」

「へいへい。どーも」

「あくまでリリちゃんのために使うこと。あなたの生活費にしたら怒るわよ」

「わーってるよ」


 ノインは紙幣を受け取ってスラックスのポケットにしまう。そしてコートを羽織り、帰り支度を始めた。

 帰りは、スキューアでカリーナが言った通り路線車を使うつもりだ。この時間は運行本数が少ないが、リリのことを考えると、少し待ってでも路線車で帰るしかない。金はかかるが、片道の運賃ぐらいなら二人分でもなんとかなる。

 だがそこで唐突に、カリーナは軽く両手を打ち鳴らした。

 そしてリリの着替えをしていた奥の部屋に戻ると、一抱えほどの大きさの紙袋を持って出てきて、それをノインに向かって差し出す。

 見ると中には、いくつか服が入っていた。


「なんだこれ?」

「あのね。女の子が着替えないわけにはいかないでしょ。これの代金はいらないから」

「……お前、今日大丈夫か?」


 やけに気前の良いカリーナの様子に、ノインは恐ろしいものでも見るかのように聞き返す。

 が、彼女の表情の変化を察し、ノインは咳払いとともに失言を訂正して紙袋を受け取った。


「一応、リリちゃんが着てた服は保管しとくわ。まぁ、いらないとは思うけど」

「おう。サンキュ」


 ノインはそう言って、片手でドアを引く。


「またね」


 背中にかかるカリーナの声に手を挙げて答え、ノインは店を出る。

 路線車の停留所はここからそう遠くはない。リリもとてとてとノインの後に続き、二人は朝の街へと消えていった。

 店に残るカリーナの、物憂げな表情に気づくこともないままに。

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