第三十話  繃子

 白くなり過ぎない程度に、肌に白粉がまぶされていく。頬には軽く朱色を、まあるく描いて。唇には、薬指によって紅色が引かれた。


 細く輝かしい金糸は真ん中から五分わけにされ、耳より上へ編み上げ小さいお団子に纏めあげられる。飾りにつけられた蝶々結びのリボンも、金色に映える赤。


 その身を包み隠すは、ドレス様になった薄緑のチューブトップ。肌心地のいい同じ色の絹手袋で、前腕までするりと覆われる。二の腕にはアイボリーの長いアームベールが絡んだ。


「いつも思うけど、すごいとしか言えないな」

「そ? 慣れちゃえば平気だよ。陛下だってこの衣装を着れば人には分からないよ」


 くるり、と振り返ると裾がひらりと舞う。


 どんなに着飾った娘よりも華麗で美しく、それでいてどこか妖艶だ。到底男性には見えない姿に、驚きを隠せない王は王宮へ戻ってきた間なしだった。王と同席するために身仕度を整えた内親王は、そう言って悪戯な笑みを浮かべる。


 同じ色の髪に、同じ色の瞳。顔の作りも体型も、身長までほぼ同じであるのに。今、内親王宮から王宮へと半歩差で並び歩く二人は全く異なる姿をしている。

 王と内親王。妹と兄。女と男。心の内に抱える矛盾など、一欠片も見せることはない。だからこそ二人は、入れ替わったことなど一度もなかった。


「そういえば、身体、問題ない?」

出雲いずも先生がすぐに気付いたから、無傷。壁側の書物は全焼って聞いたけど。それより陛下はもう知ってるんだよね、怪者の正体」

「……うん。だけど、心配しなくていい。約束を、違えることはしないから」

「じゃ、正念場だね」


 少しばかり振れていた手と手がぶつかれば、一度だけぎゅっと握りしめられて、すっと離れる。碧眼の一方は少し憂いを帯びているが、もう一方はどこか愉しげで正反対だ。

 それでも前だけを向いていることに変わりはなく、止まることのない歩みで王の執務室へと辿り着く。それを察知したかのように、扉が開け放たれた。


「……準備は整っている、といわんばかりの顔ぶれだな」


 部屋に入った王は、中に集まった面々を見て自虐的な笑みを浮かべた。

 国妃、薬師に側近。隠密と囚われた怪者。そして判官。

 一人を除いて国家機密を知る者が揃いも揃っている。まるでこれから糾弾されるのは王と内親王であると錯覚すらさせるような、険しい顔を携えて。


「お疲れのところ大変恐縮でございますが、事は内親王殿下暗殺未遂につき早急に手を打つ必要があると思い馳せ参じた次第にございます。陛下にはどうぞご容赦して頂きたく」

「あぁ、話は聞いている。第一書庫にいた内親王を狙った、犯行だと」


 しかし、実際はそんな訳もなく、それらの険しい表情は勿論この事態に向けられたものだ。

 王に向けて頭を垂れ恭しく告げる判官に、王は物々しく答える。その低い声音に手足、さらに同じ縄で首をも縛られ、隠密に囚われている女性がビクッと身体を震わせた。布に覆われていて瞳は見えないが、緩いウエーブの金にも近い栗色の長い髪が特徴的だ。


、我の声は聞こえていますね? 何故このような事態になっているのか問うまでもないのですが、申し開かれることがあるならば伺いましょう」


 何の感情も一切含まない、冷たい声に場が凍りつく。国妃の顔から血色がなくなり、男達が息を呑んだ。

 無理もない。

 今、王が口にした代名詞はそれだけの衝撃を与えるに相応しい言葉なのだから。王の手によって外された目隠しの下から露わになったのは、焦点を失ってなお美しい碧眼。


「あぁ……琉璃るり姫様、貴女が……」


 凰都国第三王女の顔が明かされた瞬間、悲痛な面持ちの国妃が譫言のように声を漏らす。その言葉はその場の全員の注目を集めることになった。それは王女も例外ではない。


「どうやら我が母上は何かご存知のご様子……母上か姉上、どちらでも構いませんがどうぞ我を納得させる説明を」


 優しい笑みを浮かべているはずなのに、そう言って腕を組む王のそれは更に周りの空気をブリザードの如く凍てつかせていった。薬師や側近はともかく、国妃でさえ目を合わせられないほど王の視線は鋭く、声も冷たい。


 国妃と王女の視線が一瞬だけ合わさった。けれど、両者とも口を開こうとはしない。その沈黙に、漏れた大袈裟な溜息に王女は再び肩を揺らした。我は気が長い方ではないのですが……と、ソレを見逃すはずも無くそう言う王の手が腰に吊られている長剣の柄にかかる。


 その丁寧な物言いこそが、機嫌の傾きを著明に表していた。


「……では、私の方から少しばかりご説明を。私が陛下を孕っている時、琉璃姫様のお母君もまた孕っておられました。けれど、陛下がお生まれになった後すぐ姫様のお母君のお子は亡くなられてしまったのです」

「なるほど、王の子を亡くした妃は流刑でしたね。けれど、先に生まれた王女にまでその罪はない故、王族のまま残られた。つまり母君を奪われた恨み——にしても、刃を向ける相手の選択はどうも解せませんが?」


 さすがにこれ以上沈黙を引き延ばせないと悟って口を割った国妃に、脳内に納めてある国の法典の条項の一つからもたらされた推測を口にして、王は首を傾げる。

 その角度は、計算されている仕草にすら思えるほど実に王女を糾弾していた。


「お、お母様の流刑は……はっ、嵌められたのですっ! あれは、子を亡くすように仕組まれたと思わざるを得ませんっ! きっと毒を飲まされたのですわ」


 交わされた会話に納得がいかなかったのか、ただ非難の視線に晒され続けることに耐えかねたのか。開かれた口からは悲鳴に近い、勢いのついた叫びが溢れ出た。長々と声を発したわけでもないのに、はぁ、はぁと息を切らしている。いきなりの告白に王は眉をひそめた。


「もしそれが誠でも、生まれる前であれば王の子暗殺にならないことはご存知の通りですが……何故その結論に至ったのか説明を」

「え、ええっと、経過は順調と侍医から伺っておりましたし……その、侍医も亡くなった理由に首を傾げておりました故」

「つまり、証明は出来ない……と」


 怯むことのない強い口調にか、訴えに力を使い果たしたらしい王女は怯え、語尾が消えかけてゆく。そのオロオロとした態度に、言葉にすることはなかったが、話にならないと呆れた表情で王は薬師に尋ねた。子を流せるような毒はあるのか、と。


鶏冠子けいかんし半夏はんげといった下品げひんを多用した結果そうなる可能性は大いにありましょう。ただ、身重の方でなくとも慎重を期しますので、そのような下品を多用投与することは無いかと」

「とのことですが、姉上、何かお言葉はおありになりますか?」

「あ、貴方は確か、帝国から来られたと仰られていたはず……何かこの国にはない方法もご存知なのでは?」

「まぁ一理ある、な。さて、意見を」


 毒を以って、症状を制す。そんなやり方が存在する以上、薬師は完全には否定しなかった。

 思いつきにも似た王女の反論に、出雲を告発するとはなかなか面白いと軽く笑って王は話を薬師へと差し戻す。


「あるにはありますが……吾はこの国で認められているものしか使用は致しませぬ。それに姫様のお母君様は、確か独自で薬草を取り入れられていたかと。様々な効能が相乗すればそれはそれで毒になり得ることもあるかと存じます。また、そもそも出産はお子がお生まれになるまで何が起こるか分からぬもの。経過が順調でも、予期せぬことが起こることもあると」

「では、何の証明も不可能、と」

「陛下っ!? それはどういう……」

「お分かりになりませんか? 姉上の母上の件は、毒を飲んでいなくても子が流れる可能性を完全否定出来ないということです。それは逆に、仮に毒を飲んでいても流れなかった可能性もあるということ」


 つまり、これ以上は水掛け論ということですね、と結論を口にせずにまとめた王の視線を受けた判官が、争論に終止符を打った。


 王女はそんな……と絶望的な顔で呟きうなだれたが、元より勝算などあるわけがないのだ。毒を飲まされた或いは飲んだ薬湯が毒に成り代わった、という証明が出来るわけでもなければ確固たる証拠があるわけでもないのだから。王にしてみれば、話を聞いた方だろう。しかも、内親王を襲った理由とは些かズレた話を。


「ところで、今のお話のどのあたりに私は関係するのでございましょう?」


 王と同じく、恨みの矛先が己に向いた理由に全く心当たりがない、という表情を王の背から少し覗かせた内親王が話を修正しつつ問う。

 結果的に無傷で済んだとはいえ、不安を煽られたことに変わりなく、王のマントを握りしめた手を微かに震わせていた。


「お、お母様から聞いたのです。国妃様は双子を孕られたはずだ、と。お母様が利用されたのも、お母様の親戚の方がお一人、姿を消すことになったのもその事を知ってしまったせいだと。そしてそれはきっと国妃様が命じたのだと」

「なかなか興味深いお話ですね……それが第一書庫を灰にした理由、というわけですか。記録が失くなれば双子でないという証明も出来なくなる——悪魔の証明、というわけですね」


 王女の訴えは核心をついているというのに、王はそう言ってただ昏く哂っただけだった。


 悪魔の証明。ない事をない、と証明するのは事実上不可能なのだ。そして、ある事はあると主張した方が証明しなければならない。


 この場合、双子であると主張した王女の方がその証明をしなくてはならないので、当時の記録を先に処分する必要があったのだ。法典上、双子であるという記録などされているはずもないので、双子でないという証明など出来なくする為に。それが、王女の目的。王にとっては、内親王と双子であるかもしれないという噂がたつことすら命取りになるのだから。


 けれども、既に手は打たれている。


「では、お姉様はあくまでも内親王わたしを狙ったわけではない、と主張されるのですか?」

「も、勿論ですわ。内親王殿下がアソコにいらっしゃることは、存じ上げませんでしたもの。けれど、そんなことは関係無いですわね。不敬罪は、故意も過失も罰されるのですから」

「王宮で騒ぎを起こし内親王を危険な目に合わせた上、国王にまで有らぬ嫌疑をかけた瑠璃姫様の行動は到底許されるものではありません」


 そう、何もかも、王の手の内なのだ。これは、王家の罪を知る者を炙り出す為の、いわば罠。己が宮を空ければ内親王ならば必ず探りを入れる為に動くということを見越した、王の計画に過ぎないのだ。


「お母様は、何か夢でも見られたのでしょう。だって陛下と陽華姫様は、全く似ておられませんもの」

「……連れて行け」


 国妃に引導を渡された王女は、その碧眼に涙を溜めながら、それでもふわりと微笑んだ。残すことなどもう何もない、というかのように。その笑顔にすら動じることなく、王は短く命ずる。コクリと頷いてみせた隠密は、王女を抱えて去って行った。


「兄上、この件の後始末は僕と母上にお任せ頂きとうございます」

「……あのような事、噂すら立たぬよう徹底的に根絶せよ」

「お任せください」

「我は少々疲れたゆえ、一度部屋へ戻る。右京、事の一通りを我が后へ。杞莉と出雲は後ほど、我の部屋へ来い」

「畏まりました」


 自ら申し出た内親王に釘をさすと共に、王はそれぞれに命じて部屋を後にする。内親王と国妃も王の後に続き、部屋に張り詰めていた緊張の糸が一気に切れる。


 残された三名はどっど疲れた顔で暫く溢れ出る冷や汗を拭っていたのだった。

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