第十四話 乱宴

 夜の帳が下りた。


 それでも、宮廷内はゆらゆらと揺れる無数の燭台の炎に照らされ煌々としている。あらゆる扉が開け放たれ、宮庭に植えられた夜来香イエライシャンが鼻腔を甘く擽った。


 玉座に座していた王は、静寂の中すっと立ち上がる。頭に乗せた冕冠べんかんの組紐がぷらぷらと揺れた。


「この良き日に、三国揃って顔を合わせられた事を嬉しく思う。皆に行き渡らせたのは、呉越公国から友国の証として献上してきた清酒だ。ここに三国の安穏と更なる発展を所期してーー乾杯」


 幾分か柔らかい声で述べられる祝辞。

 王は樢魏の王子、次いで呉越の公子と碧眼だけを動かし見て、飲酒器を高らかに掲げる。その場にいる全員が、王に倣い飲酒器を掲げた。皆々が、クッと酒を煽る。

 と、同時に古琴、二胡、月琴、洞蕭どうしょうなど管楽による演奏が始まり料理や果実が次々に運ばれてきた。王は玉座に座す。隣は空席のまま。場内は和やかに騒めく。


 王がその様子を静かに眺めていると陛下、と控えめに声がかかった。今度は首から動く。樢魏の王子だ。


「昼間は市中を見回ったと聞いた、どうであった久々の我が国は」

「美しい情景がとても懐かしゅうございました。そして国王が変わっても安定したまま、寧ろ以前より活気あるように感じます」

「王都だけをみるとそうだが、地方の格差は我が国もまだまだ大きい。故、後の事業の成功を期待しているところだ」

「その事業を形に成す事が出来たのも、一重に陛下のご尽力のお陰でございましょう。陛下と共に学べた時間が、ほんの僅かしかなかったのが残念でなりません」


 呉越の公子御自ら官吏達に酒を注ぎに回り、ザワザワと盛り上がる中、互いにしか聞こえないくらいの音量で言葉を交わす。まるでこの場には二人しかいないかのように。取り戻せない時間に、どこか寂しげな微笑を浮かべて。


麴水きくすいにそのような顔をさせるのならば、我も留学生として他国に滞在してみたかったな」

「……出過ぎたことを申し上げてしまいました。他国の王族を留学生として受け入れるというのは、当時ででなくても確かに新たな試みですね」


 王もまた当時を惜しむような声音で苦笑を浮かべる。細めた瞳に、少しばかり陰りを落として。その碧眼を見た瞬間、樢魏の王子は己の失言を急速に理解した。


 どの国でも留学制度自体は珍しいものでない。しかし、その対象は官吏あるいは役人、その志望者に限られており王族などは以ての外だ。特に王位継承者など論外だった。他国へ行けば帰ってこられる保障など、一切ないからだ。継承権のない王子とは、立場が違う。


「気にするな。父上は少し変わり者であったし……そもそも国外に行けぬ我の為でもあっただろうから。前例のない試みに対応してくれて感謝している」

「慈悲深いお言葉、感謝致します」

「陛下、公国の清酒は如何でございますか?」


 額が床につく勢いで頭を下げる樢魏の王子を王が手を軽く上げて制していると、近く寄る影があった。呉越の公子だ。人当たりのいい笑みを浮かべて、酒器を軽く揺さぶる。


「口当たりが良く、飲みやすい。もう少し貰えるか」

「お気に召して頂けたのであれば、幸いにございます」

弥凪やなぎ、大公はまだご機嫌ななめかな」


 持ち上げられた飲酒器に並々注がれた。まるで水のように透明度の高い其れは、蝋燭の炎で煌めく。王は先の話題を流し込むかの如く器をグイっと傾けて、言葉を続けた。差し出されるままにもう一杯、酒を煽る。


「正直申し上げますと、まだ……けれど父上も心の片隅では理解していると思います。閉じていても、国は育たないと」

「同感だ……我は貴国に自らの足で立ち、進んで行く事を強く望む。たとえどれだけ時間かかろうとも」

「必ずや父上にお伝え致します。時に陛下、即位と同時にお妃様を迎えられたとお聞きしましたが」


 緩く頭を下げた公子の目がちらり、と空の席へ向いた。同じく、軽く頭をもたげた王子の目も空席へと向く。


 凰都国では本来、王以外の王族で必ず宴席が設けられるのは王位継承者を子に持つ国妃及び王の正妃、そして王太子のみである。但し、王に正妃がいない場合は第一妃の出席が認められる。


「耳が早いな、大々的に公表したわけでもないのだが」

「喜ばしいことでございますので。しかしこの国でも、陛下以外に誰も拝顔叶っていないとか」

「アレは我のものだ。我以外の目に触れる必要などない、と思っている。まぁ、そうも言ってられなくなったのが現状だがな」


 あからさまに不服、というのを隠そうともしない王に王子も公子も苦笑いするしかない。


 来訪者以外、王の側に近寄ることなどないまま、ふと賑やかな調べが鳴り止んだ。次いで、突風が翔ける。下座側から殆どの蝋燭が吹き消え、宮廷内が一気に仄暗くなる。


 一体何事かと騒めいた瞬間、その時を待ち望んでいたように、すーーっと雲が晴れていき姿を現した満月の光が差し込んできた。併せて、宮廷内の中央に今までなかった人影が浮かび上がる。静寂が急激に場を配した。一寸おいて、先程より夜来香が強く漂う静まり返った宮廷内に、けんによる笛音が響き始める。


「あぁ、やはり美しいな、我が后は」


 うっとり。


 そう形容するのが一番相応しい表情で、王はほぅと息を吐き出した。その一言に、宮廷内にどよめく。


 今までにない、斬新的な登場の仕方。妃は宴場の吃驚などお構いなしに、調べに合わせて舞い踊る。射抜くようなその紫暗を、王に捧げたまま。


 細く長い手足がすらりと伸ばされると、アームベールがひらひらと揺れる。散りばめられた宝石が、月明かりにキラキラと輝いた。女性的なしなやかな動きに反して、男性的な力強さは見る者を魅了していく。


 誰かが、嘆感の吐息を漏らした。鮮烈だった。


 カッキーーン!!


 皆が妃の舞に釘付けになる中、突如妃の動きがおかしくなった。と同時に、耳障りな金属音が鳴り響く。その一瞬に、いつのまにか玉座が空になり妃を背に庇うようにして中央で長剣を構えていた。


「我がものに触れるな」


 今まで和やかに談笑していた人物と同じとは到底思えない、身体の芯から凍えさせるような冷たい声が轟く。月に照らされた白銀の刃がキラリと光った。

 鮮やかな二度目の剣さばきは、視界不良などものともしない。目にも留まらぬ速さで、再び高音が鳴り響く。刺客の持つナイフが振り払われた音だ。いとも簡単に。


 騒然となった場内で、慌ただしく蝋燭に火が点けられていく。その中央には仮面をつけた男が右腕を押さえて跪いていた。


「やはり敵いませんな、陛下には」

「なんだ、もう終いか? 今宵は気分がいい故、もっと遊んでくれても良いぞ?」

「……こちらから仕掛けたのに恐縮ですが、ご勘弁を」


 仮面に刃を当てて王は、冷えた碧眼で射抜いたまま余裕たっぷりの声音で告げた。その下の表情こそは見えないものの、苦渋に歪んでいるに違いなく掠れた声で許しを乞う。


「つまらんな。酒の席の戯言にもならん……が、まぁいい。今生の見納めに仕切り直すといいだろう」


 興味は失せた、とばかりに鼻を鳴らして王は剣を鞘に収めると顔を明かさせる事すらなく妃を背にしたままその場を後にした。

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