第十二話 祭事

 シャラン。

 仄暗い殿内に朱い袴が鮮烈に浮かび上がると、繊細ながらも張り詰めた空気を切り裂くが如き力強い鈴音が礼拝殿に響き渡った。


 シャン、シャン、シャラン。

 龍笛や小太鼓と調和させつつ、その存在を示すようにリズミカルに神楽鈴が振るわれていく。


 シャン、シャン、シャラン。

 その腕はすらりと伸ばされ、指先まで力が入っている事が窺えた。白い頭巾で視界を閉ざされているはずなのに、その動きに惑いなどない。


 シャン、シャン、シャン、シャン。

 ただ、柔らかく優しいその動きは強弱をつけて心地よい音を届け続ける。無心で祈るように、捧げられる舞。

 内親王の姿はそこには無いのに、誰もを魅了する美しい金糸と碧眼を彷彿すらさせていた。


 シャラン、シャラン、シャラン。

 龍笛と小太鼓が鳴り終わるのも共に、少し余韻を残しながら鈴の音も止む。閑寂の殿内を、まるで見えているかのように躊躇いなく鈴を定置に戻すと、内親王は王の御前へと進み出た。王は一つ、礼手らいしゅを打ち盃を持ち上げる。


 厳かに、黙々と、呼吸音さえ潜められる中、王は注がれた御神酒を拝戴した。三度みたびに分けて飲み干し、手前から三指で飲み口を拭う。その時、ほんの一瞬だけ顰められた顔に気付いたのは内親王だけだっただろう。


 しかし、内親王は何事も無かったかのように国王に玉串を手渡した。王も何事も無かったように、それを受け取ると神饌の隣に奉納する。一寸のち、官吏達の方へゆっくりと振り返った。


「諸々の禍事、罪穢あらむをば払え給え、清め給えともうす事を聞し召せとかしこみ申し上げる」


 王がまず口にしたのは、はらえことばだ。殿内によく、声が通る。

 どのような祭事でも、凰都国では禍い事や罪穢れがあれば払い清めてくださいと願うことから始まる。また名ばかりの神祇官の地位はあれど、実際に祭祀がいるわけではないので総て国王によって執り行われる。

 大麻おおぬさは内親王によって振られた。二度の礼手。


あしたゆうべに勤しみ務むる家の産業なりわいを緩めることなく怠ることなく奨め給い、いや助けに助け賜ひて家門いえかど高く吹きおこし賜ひ子孫やその続きに至るまで立ちさかえしめ賜え。夜のもり日の守に守り、幸へ賜へと恐み申す」


 続けて、目の醒めるような鋭い声で、さりとて唄でも歌うように独特なリズムで刻まれていくのは祈り詞だ。国家国民の繁栄の為に五穀豊穣を祈る唄。

 二礼からシャラランと忙しなく鈴が鳴らされ、止める合図も兼ねて一度の礼手。最後の一礼では、官吏達も更に深々と平伏した。


「皆々にも、神酒を」

「御心のままに」


 短く告げて、王は内親王の頭巾をそっと引退ける。

 内親王はその一瞬、その碧眼を王に向けたが王が同じ碧眼を内親王に向ける事はない。寧ろ、わざと逸らしたと言っても過言ではないくらい不自然に判官へと身体ごと向けていた。


「伯判官、我は一旦席を外すが司召徐目つかさめしのじもくの準備を」

「承知つかまつりました」


 そして、そう囁くように告げると王は判官をも見ることなくそそくさと拝殿を出て行った。


「……陛下? 如何なさいました」

「しくじった。薬師くすしを」

「なっ!? すぐに呼んで参ります」


 予定外の王の登場に驚いて駆けてきた、待機を命じていた側近に王はぶっきらぼうに手を差し出す。盃を拭った中指に、じんわり血が滲んでいた。

 王の短い言葉に、懸想を変えて側近は走り出す。王は疲れた表情で溜息をついた。


「珍しーっスね、陛下が大人しいの」

「いくら我でも式典の最中に騒ぎ立てるわけにもいかないだろう」

「まっ、それもそーか」


 そこに顔を出したのは、紋波国からの使者だ。いきなりの登場でも、そこにいるのが当然だとばかりに王は対応する。苦笑を浮かべる使者は、で、ダイジョーブなんすかと首を傾げた。


「陰湿には慣れている、が陽華に気付かれたのは失敗だった……少し、仕置をせねばな」

「おーこわっ、陛下、その笑顔怖いっす。今にも人を殺せそうっス」


 唇の、片端だけを上げて王は目を細める。その言葉に込められた感情を読み取った使者は身を震わせた。


「アハハ、朱鳥は面白い事を言うね? 笑顔で人を殺せるわけないだろう?」


 王はそう言うが、使者は殺意すら感じさせる笑顔を国王が浮かべている時の、王のお付きの対応を知っていた。それはつまり、対象者の排除だ。


 たとえ王の命がなくても、王がそこまで望んでいるわけではなくても、ソレが王に少しでも害を為すモノならば実行されうる。


「陛下、ろう先生をお連れ致しました」

「お手を失礼致します、陛下」


 王は促されるまま側近が持ってきた椅子に腰をかけ、膝をついた薬師に手を差し出した。出血自体は既に止まっている。薬師は濡れたタオルで傷口を拭い、丁寧に観察し始めた。ある程度耐性があるとはいえ毒でも仕込まれていたら一大事だからだ。


 薬師はうーんと眉を潜めながら、重い口を開いた。


「指の方は、傷も深くは無さそうですので大きな問題はないかと。ただ、中指をお切りになられたというのは些か奇妙、と言わざるを得ません」

「と、おっしゃいますと?」

「中指の触れるところは盃の内側。そのようなところだけが自然に欠けたとは考えにくい。また唇にお怪我をされたわけでもないので縦の亀裂ではない……陛下、ご体調の程は如何でございましょう」

「今のところは何とも無いが……」

「何、それってやっぱり、毒仕込まれてるかもってハナシっすか?」

「可能性の話になりますが。指には化膿止めの薬草を塗布させて頂きます。解毒薬には何を」

「……最終確認は、国妃の仕事だったな」


 ものすごく引き気味の使者にも表情一つ変えない薬師の問いには答えず、王は少し考えたのちポツリと呟いた。確認するように投げた薬師の視線に、側近は首を縦に振る。


 安堵の溜息が漏れた。


「成程、お母君様でしたら薬は不要でございましょう。一応、お話は伺いたく思いますが」

「許す。この件については一任する」

「畏まりました」


 薬師は丁重に礼を取って、音もなくその場を後にする。王は再度大きな溜息をついた。側近と使者も、それに倣うように息を吐く。


「直前でお妃様から変更しておいてようございました」

「全く……母上には頭が上がらないな。こんな風に仕返して下さるとは」

「仕返し、ですか?」

「あぁ。どうやら我が母上は、暁を失脚させたい者を炙り出す為に、宮中行事を再開させた事がお気に召さないらしい」


 王は大袈裟に肩を竦め投げやりに言いながらも、どこか擽ったそうに微笑んだ。大切そうに、たおやかに、抱きしめるように。

 その表情に、使者は目を見張った。凰都国と紋波国は長年の付き合いがあり、王と使者もそれなりにもかかわらず今のような顔は見たことが無かったのだ。


「で、へーか戻んなくていーの? おじいちゃん達、ご立腹なんでない?」

「……確かに、騒ぎ立てたら立てたで面倒だな、戻るとするか。右京、最大限の警備をひいておけ」

「承知致しました」


 王はいつでも、総てに置いて無関心を決め込んでいたから。常に面倒くさいと口にして、己を切り離すように。


 ゆっくりとした足取りで、別の場所へ行くべく足が動かされ始めた。その三者の表情もまた、別々の感情を抱いている。一人は憂い、一人は疲弊、一人は快活、といった具合に。


 南高くに昇っていた太陽が、いつのまにかもう西へと傾いてきていた。

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