王子の贖罪

箕園 のぞみ

第一話  虚偽

「……随分と、騒がしいな」


 碧眼へきがんが、すっと細められた。


 大自然に囲まれた凰都おうと国。王都は緑翠ろくすい親王宮しんのうぐう

 王太子とその側近ほか数名が出仕するだけのその場所は、王宮に併設しているものの常に静々としている。しかし、今、いつもの平静な雰囲気は痛いほど緊迫していた。


「確認を?」

「……いや、いい。待つ」

「御意」


 側近の問いに対して王太子は、一寸置いた後短く告げる。ざわついている外側を遮断するように、目は閉ざされた。その机下では、腰に吊り下げられた短剣がキツく握りしめられている。何事にも、すぐさま対処出来る様にと、叩き込まれた賜物だ。


「失礼致しますっ! 急ぎ王太子殿下に申し上げます。国王陛下、ご崩御にございますっ!!」

「なっ、父上がっ⁈ 右京うきょう、至急王宮へ行くぞ」

「はっ」


 けれど、彼の元に届けられたのは、彼の予想を大幅に超えたものであったようだ。みるみるうちに蒼白になっていく王太子は、慌てて部屋を飛び出した。


 大股、今にも走り出しそうに、脇目も振らず肩で風を切って進んでいく。併設されている、親王宮から王宮までのその短い距離すら今は忌々しいことこの上なかった。

 幸いだったのは、王の子の、ただならぬ様子に王宮に出仕している官吏かんり達が自ら進んで道をあけていくことであろうか。


「父上っ!!」

「殿下」


 酷く取り乱したまま、王太子は乱暴にトビラを開け放つ。バーンッと鳴り響いた音は内の人々の視線を一斉に集めたが、構わず寝台まで駆け寄ろうとした。けれど、王太子のその行動は御前ごぜんにスッと立ちはだかった武官によってすぐさま抑えられる。


「殿下の焦慮しょうりょはご尤も。ですが、ここは王宮。どうかお納め下さい」

左京さきょう、貴様っ……そこを退けっ」


 ゆるり、と頭は下げられるものの不敬ともとれる言動は許される筈もなく、険しい表情から譴責けんせきが飛ぶ。多くの人目があるとはいえ、一国の王が、急死したのだ。己の、父が。どうしたって寧静ねいせいでいられるものではない。


「一体何があった⁉︎ 今朝方は元気でいらしたではないかっ。状況を説明せよっ!」

「恐れながら申し上げます、殿下」


 それでも、辛うじて王太子は歩みを止めた。微動だにしない、変わり果てた国王の姿を遠目に肩で息をして咆哮する。すると、王の傍に控えていた医官が姿勢を低くしたまま、恐る恐る御前へと進み出てきた。


「原因は……病死、にございます。陛下は、以前より病を患い、このところ伏せ気味でおいででした故」

「なっ、病だとっ⁉︎ そのような報告受けておらぬぞ」

「その、誰にも、特に殿下にはお知らせせぬよう、とのご意向でしたので」

「……だとしても、何故、このようになる前にわたししらせなかった? 答えよっ‼︎」


 当然といえば当然だが、憤慨した王太子の、すぐにでも人すら殺せそうな眼光がその場をてつかせる。地を這うような低い声に、蛇に睨まれた蛙の如く身をすくませる医官は、手荒に胸倉を掴まれて尚、恐怖に震え上がり口を開く事が出来ない。


「それすら答えられぬ、というのなら首と胴を切り離すしかないぞ? そもそも、王を助けられぬ医官など必要あるまいな? 答えよ、父上はに……っ!」

「国王は、に崩御した。この者を責めるよりも、まずこの現実を受け止められよ。今この時より、殿下あなたがこの国の王なのだから」

「っ、……左京」


 空いている方の手が本日二度目の短剣に触れそうになるその直前で、その動作を遮ったのはやはり武官だった。粗雑な行動だと、咎めるように向けられる青眼せいがんに王太子は眉間に縦皺を刻む。けれど、その相対も束の間、王太子はいささか雑に医官を解放すると、武官の腕も払いのけ背を向けた。


「……すぐに戴冠式を執り行う。我は急ぎ沐浴もくよくへ……右京も来い」

「「仰せのままに」」


 踵を返した王太子の言葉に、その場に居た者達は臣下の礼をとった。


 武官の言う通り、現状、この凰都国で王位継承権を持つ者は王太子ただ一人だった。故に、この王子は時を進める命を下す必要があるのだ。

 言動と心情の矛盾は噛み締められた唇と握り締められた拳に震えとして表されているが、それでもこの王子は立ち止まってる時間も、父の死を悲しむ暇も持てることがない。たとえどんな時間に王が崩御しようと、王座を空位しておけないのだ。


「覚悟は出来ていた、とはいえやはりキツイな。左京がいて、助かったが」

華月かげつ様……」


 詰めていた息を吐き出すように滑り出た声も、どうにか湯殿に向かう足取りも、どうしようもなく重苦しい。御歳十六の、哀傷に蝕まれた心には一国は大きすぎるといえた。全く覇気の感じられない声音に、側近は沈痛な面持ちであるじを窺う。


王宮ここは、親王宮あそこよりも様々に思惑が入り混じる。要らぬ事は口走らない方が身の為、か……だが、有耶無耶にするわけにはいかぬ。つぶさに調べろ」

「お望みのままに」

「神殿にあかつきを呼べ。後、式が終わればすぐ国議を行う、官吏を集めておけ。それから、今この時だけは」

「ご存分に」


 あの一報からまだ十数分しか経っていないのだから、感情がついてきている筈もないのに既に冷静な思考で命を下す主に側近は、その場にスッと膝をつき礼を尽くした。


 王宮にある神殿は、即位する新王と神官のみが立ち入りを許される場所だ。戴冠式前に行う沐浴の為の湯殿も然り。言い換えれば、王になる前に最後に一人きりになれる場所。

 但し、一度踏み入れたが刹那、未来は決まることになるのだが。力を取り戻した神殿へと運ぶ足と、かの碧眼には、迷いなどない。


「……用意のいいことだな」


 湯殿に既に準備されていた五色ごしき大袖おおそで上衣下裳じょういかしょうを横目に思わず言葉が溢れ落ちる。


 王太子は着衣を脱ぎ捨てると、努めて頭を空にしてぬるま湯に身を沈ませた。見事な金糸と、すらりと伸びた手足がゆっくりと水面に広がっていく。まだまだ幼い顔立ちに似合わぬ、冷たい碧眼は伏せられていた。

 まるで、滲み出る落胆の色を隠すかのように。脱力したその身は、すぐさま浮力が浮上を助ける。


「——何故、だろうな」


 けれど王太子の努力を嘲笑うが如く、思考は勝手に回転しだした。考えてしまうのは、人の性といえるだろう。その内容が国王のことであり、父の事でもあるだから尚更だ。とはいえ、呟いた疑問への返答など有りはしないのだが。


 医官は言った。国王は、元々病に伏せっていたと。しかし、もしそれが本当なら、王太子が知らないというのは有り得ない。王位の代替わりが近いと分かっているのに、その継承者に秘密にするなど話が通らないからだ。たとえ、隠さねばならない程の理由があったとして、崩御まであっという間だったとしても、息を引き取ってからしか報せが来ないというのも有り得ない。別宮とはいえ、往復するのに三分もかからないのだから。

 つまるところ、医官の言葉は全てが真実ではないのだ。王太子の問いに、若干躊躇したのがいい証拠。恐ろしいことだが、王族に対して放たれる刺客などごまんといる。


「牽制か、威嚇か……何にせよ、面倒だな」


 雑念を払うように頭を強く振れば、しっとりと濡れた金糸から水飛沫が飛び散る。

 誰にも届く事のない言の葉は、簡単に宙に消え失せた。

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