47話 俺


 喜んではいけない。そう自分に言い聞かせる。俺にとっての幸せとはなんなのか自問自答する。やはり、答えはその一つしか出ない。




 電話がかかってきた。啓太からだ。


「練二......今までありがとうね」


 第一声がそれだった。疲れきった声は、あたかも永遠の別れを彷彿させるような一言。その声の後ろには謎のざわめきが聞こえる。


「何言ってんだよ。感謝するにはまだ早いと思うけど?」


 慎重に言葉を選び、啓太の本心を探ろうとした。下手に刺激するのはよくないだろうから。


「練二にとってはそうかもな。でも、僕は誰からも必要とされていなかった。だから......。じゃあ」


「あっ! おい! 待て!」


 以降、啓太の声は聞こえなくなった。


 まずい......。とりあえず南原さんに電話を。


 思うよりも先に指は連絡先から彼女の名前を探していた。


「はーい」


 彼女はすぐ電話に出てきてくれた。


「――啓太が! 啓太が自殺するみたいなんだ! 何か......」


 混乱しすぎて何を話せばいいかわからなくなった。それに、彼女に電話したところで何が変わるだろう。せめて、啓太の居場所がわからないと何も......。


「嘘っ......。あ、啓太ね、坂上病院のA0ーI室に入院してるらしいの。だから、そこにいるかも! 私、今そこに向かってるから」


「本当か! 俺もすぐ向かう。じゃあ、後で」


 何故彼女が啓太の居場所を知っているかなんて気にならなかった。一刻も早く坂上病院へ行かなければ。幸いなことに、坂上病院は近い。走って5分というところか。


 俺は電話を切ると同時に病院へ向かった。


 アスファルトを蹴り、歩行者を追い越し、風を切る。病院に着く頃には息が苦しくて仕方がなかった。それでも、もう一踏ん張り。真っ赤に染まった病院が心配を煽る。


 自殺するとしたら、おそらく屋上からの飛び降り。もしくは、部屋で何かしらするか。もしかして......。


 啓太と電話している時のことを思い出した。後ろで聞こえたガサガサ音は風の音ではないのかと思い始めた。


 ということは屋上? だとしたらもう落ちている可能性が。いや、まだ諦めるわけにはいかない。


 残った気力を振り絞って屋上である5階へ。エレベーターよりも階段が早いため、1段飛ばしで段差を駆け上がる。体中熱い。息が詰まる。汗が雨のように滴り落ちる。足が脱力気味。目は道を認識せることで精一杯。踊り場でのターンでは手汗で滑らないか気にする余裕もない。ただ、1秒でも早く行かなければ、間に合わないような気がした。


 間に合ってくれ!


 何度その言葉を心中で叫んだことか。啓太は大事な友達だ。それだけではない。俺の野望を果たすことのできる唯一の人物なのだ。死んでもらうわけにはいかない。絶対に引き止める。


 5階へ到着し、屋上へ出るための扉が見えた。走っている勢いで扉を開く。すると、フェンスの向こう側に誰かが立っている。彼は地上を見つめ、いつ飛び立ってもおかしくない様子だ。


「啓太!」


 彼は少しビクッとし、ゆっくりと振り返った。その目に色は無かった。この世の全てに絶望し、疲れ果てたような目をしている。顔は一目で病人だとわかるほどに青白い。数週間前の啓太とは思えないほど激変していた。

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