21話 見て見ぬ振り


 とりあえず先生のプロジェクターを物置に置く。寒さを掻き分けて体育館裏から出て花壇へ出た。運動場の方ではサッカーの試合が繰り広げられている。


「ねぇ、旧型のやつではあるけどプロジェクターとパソコン家にあるんだけど。借りてくる?」


 亜子が呟いた。


「ほんとに? じゃあお願いしてもいい?」


 もっと早く言ってくれていれば、あんな恥ずかしい姿を見せずに済んだのに......と心の中で苦笑いした。


「そのかわり一緒に家までついてきてくれない?」


「もちろんいいよ」


「じゃあ早速行こうか」


 それから一旦学校を後にして、亜子の家へ向おうとしたその時だった。


「あっ、中松先生!」


 目の前にプロジェクターを貸してくれた中松先生がいたのだ。たしか、中松先生はサッカー部の顧問であった。相変わらず頭は光り輝いている。


「おや、啓太さんですか。休日に学校来て、どうしたのかね」


「あ、いえ、少しやることがありまして。それよりも、プロジェクターがウイルスにかかったみたいで......。本当にすみません」


 頭を下げ、謝った。ウイルスに感染したということは、このプロジェクターが使い物にならなくなったことを示している。それなのに先生は一切動揺せず、いつものように冷静だ。


「あれは、私がプログラムしたのです」


 何を言っているのか理解できなかった。僕たちを置いて先生は話を続ける。


「あのプログラムを解除する方法もありますが、それは独自の研究で得たことなので、教えるわけにはいきませんが。本当は明日発動するように仕組んだつもりだったのですが、やはり上手くいかなかったようですね」


 ここまで言ってやっと理解した。先生があのウイルスを仕掛けたのだ。味方だと思っていたから、余計に辛い。


「どうしてわかったんですか?」


「長年の経験と勘ですかね。まぁ、私だっていじめを見て見ぬ振りするのは辛いです。しかし、私にだって妻や子供を養うためのお金が必要不可欠なんですよ。啓太さんなら理解できるでしょう?」


「......そう、ですよね。では、プロジェクターはすぐに返しますので」


「物置にあるのは分かってます。自分で取るので心配しなくていいですよ。それから、あなたには期待してますので。では」


 先生はサッカー部の元へ戻っていった。たしかに、先生にも事情があり、思うように動けないことは考えれば分かることである。


「何の話してたの?」


「大丈夫、何でもない。とにかく亜子の家に行こうか」


 亜子は会話の内容を理解できていなかったらしいので、歩いている間に説明した。彼女は「大人も大変なんだね」とコメントして、寂しげな表情を浮かべる。


 一般的な二階建ての住居が連なっている道のど真ん中に亜子の家はある。正直、この辺にあるほとんどの家は似たような見た目をしていて見分けがつかない。


「いつもながらどれが亜子の家か見分けつかないな......」


 そう言って苦笑いした。すると、亜子も苦笑いする。


「私の場合、慣れてるから感覚で分かるんだけど、たまにボーっとしてると間違える時もあるんだよ」


「そっかぁ、やっぱ、毎日見るような家でも、ここまで似てると間違えてもおかしくないね」


「ほら、ここ」


 表札に南原と書かれている家の前まで来ると亜子は立ち止まった。彼女がインターホンを鳴らすと、父親らしき人物がドアを開く。


「おかえり。あれ、その子は友達?」


「あ、うん。えっと......」


 亜子が戸惑った様子でこちらを見てきた。多分、自己紹介してという意味なのだろう。


「こんにちは、和田啓太です」


「おぉ、君が啓太くんか。話は亜子聞いてるぞ。たしか、亜子がいうには......」


「ちょっと、お父さんやめて!」


 急に亜子が父親の話を中断させた。


「あー、すまないすまない。まぁ、入ってくれ」


 父親はニヤニヤしながら亜子の顔を覗こうとするが、亜子はそれを嫌がるように顔を伏せる。そして、彼女は僕を玄関まで案内した。


「ねーお父さん、プロジェクター貸してほしいんだけど。いいかな?」


「プロジェクター? 何に使うんだよ」


「その、啓太が使いたいって......」


 父親は『啓太』という言葉に反応して「わかった」と言い、2階へ上がっていった。すぐにプロジェクターを抱えて降りてくる。それは新型の物で、パソコン要らずの物であった。


「ほれ、壊さないように気をつけてな」


「ありがとうございます! よし、じゃあ......どうしよう。どこに隠すか考えないと」


 プロジェクターを確保することはできた。しかし、隠す場所がしっかりしてなければこの作戦は失敗になる確率が高くなる。物置は小道具置き場になってるし......。


「小道具置き場......? そういや、関崎がそんなことを言ってたような。何で知ってたんだろ」


「関崎? えっと、前に話してた不思議な人?」


「うん。彼が『そこは小道具置き場になってるぞ』って言ってた。そういやあの時、2階にもトイレあるって指摘されたな......トイレに隠す?」


 もしかしたら案外良い方法かもしれない。


「トイレ? 本気で言ってるの?」


「あぁ、トイレに机ごと置けば大丈夫だろう。どうせ今日から本番までトレイを出入りしたり、ましてや掃除用具入れの場所を確認することなんてないと思う」


「なるほど......たしかに」


「よし、早速行くか」


 そう言って家を出ようとした。


「まぁ、待て。ちょうど昼飯出来上がったところだから、啓太くんも食べて行くといい」


 亜子の父親がリビングから顔を出し、呼びかけた。


「そ、そんな。いいんですか?」


「まぁ、いいってことよ。だって、将来、亜子の――」


「あー! 私も準備手伝う」


 亜子はまた、父親の話を遮るように大声を張り上げた。なんかその様子を見ていると笑えてくる。亜子は何か言われたくないことがあるが、父親がそれを言おうとしているのだろう。


 家族っていいな。僕の父はとにかく力が強く、それなり体力もあり、よく肩車してもらっていた。父と同じ高さから眺める景色は色鮮やかで、遠くまで見えるし、何度見ても飽きないほど素晴らしいものであった。


「お邪魔します」


 食事の準備がされているテーブルの席に座った。亜子が残りの食器を運んでくる。テーブルに食器を置く彼女の横顔に目が行った。いつも見ている横顔とは違った美しさがあり、つい見とれてしまうほどの繊細な雰囲気がある。


「ど、どうしたの? 顔になんなついてる?」


 こちらの目線に気がついた亜子は不安げに問う。


「いや、何もついてない、大丈夫だよ」


「ならいいんだけど」


 彼女はそう言いながら僕の向かいに座った。その隣には亜子の父親が座る。目の前に並べられた料理は野菜たっぷりのカレーライス。カレーのルーに映るのは過去のくだらない話と、邪魔でしかない固定観念だった。


「じゃあ、いただきます」


「いただきます」


 亜子に続いて僕も手を合わせる。野菜はご飯をスプーンですくって口に運ぶ。その作業を何回か繰り返す。途中の何気ない会話のおかげで、楽しい食事の時間を過ごすことができた。


 食事を食べ終え、食器を片付けようとすると、「置いといて」と亜子の父親に言われ、何も触らないことにした。


「亜子、2階にある母さんの仕事道具持ってきてもらっていい?」


「わかった。ちょっと待っててね」


 父親は亜子が最後の一口を飲み込むのを見計らって頼んだ。亜子はすぐに2階へ上って行った。


「手短に話す。変なことを思い出させてしまうだろうが、津久田蒼馬(つくだ そうま)って知ってるか?」


「はい。知ってます。どうしてその名前を......」


 津久田蒼馬という名前を聞いただけで、吐き気、恐怖、憎しみ、怒り......たくさんの感情が渦を巻きながら現れる。


「それは俺の職業に関する話になるから直接的なことは言えないが、一昔前の刑事と思ってくれればいい。それよりも、津久田のことで知ってることを教えてほしい」


 亜子の父親は真剣な表情で頭を下げる。どうして津久田のことを知りたがっているのか、わからない。しかし、何故か訊けば職業の話をする必要があるだろうから、何も質問はしないことにした。


「えっと......」

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