彼について

三角海域

第1話

 彼はまじめでおとなしく、そして無能だった。

 勤勉な人間が崇高たるのは、それが実力に繋がっているからだ。どれだけ真面目であろうと、実力がなければ不真面目な者と評価は変わらない。あいつはいい奴だけど、仕事はからっきしだなと裏でささやかれるだろう。当然だ。彼の仕事が遅いため、他の人間がその分動くことになる。

 問題と言えば、彼があまりにまじめであることだ。

 遅刻もしない。早退もしない。与えられた仕事はこなす。ただ、自分に課せられた仕事だけをこなすだけで勤務時間が終わる。毎日自分のためだけに働き、退社する彼は、勤務当初こそまじめであるので今後に期待をされていたが、勤務三年目あたりにその期待は完全に消え、厄介者のひとりとなった。

 休憩の際、恥ずかしそうに喋る彼をかわいいと言っていたパートの女性たちも、みな彼から離れて休憩している。

 彼はいつも同じ人と休憩をともにし、またその人と一緒に帰宅する。

 彼が仲良くしているのは、同じく真面目で一生懸命に働く無能者であった。常に全力で動き回り、与えられた仕事に全身全霊で取り組み、そして失敗する。

 彼は仕事が遅いが失敗することはあまりないので、この人のように責められることは少ないが、目を小さくして何度も頭を下げているこの人に使えない使えないと言葉を吐く人々なのだから、自分も同じように汚い言葉で謗られているのだろうと考える。

 ある時、彼が仕事をしている際、突然上司に呼び出しを受けた。仕事の手順を説明してみろというものだった。彼は正解を答えたが、上司は冷たい目でじゃあ気を付けてねと言い、仕事に戻った。

 効率よく効率よくと上司は言う。ではその意味もない確認は効率の阻害なのではないか。

 気を付けてほしいなら仕事を中断させずにここはこうだから気を付けろと声がけすればすむ話であろう。

 つまり、無能な人間に指導してやっているということなのだろう。

 彼に対する上司の態度は日に日に厳しくなっていく。周りに響き渡るように怒鳴り、注意と言うより姑の小言のような言葉を浴びせる。

 だが、そんな状況においても彼の心は冷めていた。

 彼は現実に興味がない。彼にとっては創作の世界が真実であり、現実のそれらはどこか遠い世界の言語のようにしか感じていなかった。

 現実に変化を感じたことはなかった。どんな事実も彼の心を動かさない。楽しいことも悲しいこともただの事実だった。

 大好きな祖父が死んだ時も、彼はなぜか泣けなかった。思い出が去来するが、なぜか冷めている。

 祖父への別れの手紙を祖母が読み上げている時、ようやく涙が出てきたが、それは本好きの祖母が書いた手紙が素晴らしい掌編小説のような美しさに満ちていて、それに感動したからというだけだった。

 彼は息を吸うように物語を取り込む。息を吸うことに対し、何故そんなことをするのかと考えたりはしないだろう。生きるために息を吸うのだ。そして、彼は生きるために創作物に触れる。

 仕事からの帰り道。彼は歩きながら、目や耳に入る景色や人、言葉を頭の中で映画のように変換し、ひとり笑う。

自分の靴音がフィルムのまわるカラカラという音に変わる。

 彼が歩くたび、フィルムはまわり続ける。現実の無色で無味な世界が、少し色の褪せた映画に変わっていくのが彼は好きだった。

 家に帰ると、彼は部屋にあふれる無数のソフトと本の中から気分にあったものを選び、ひたすらにそれを読み、観る。

 食事と風呂以外の時間をすべて読書と映画鑑賞に費やしていた。

 映画を観ている時だけが幸せだった。

 本を読んでいる時だけが幸せだった。

 彼は彼の周りの人間が言うように不幸なのであろう。安い給料、職場における信用のなさ。将来は暗く、未来は閉ざされている。だが彼は幸せだった。

 退廃的なアメリカンニューシネマ。

 アーティスティックでハードボイルドなフレンチノワール。

 情緒と芸術が混ざり合ったかつての日本映画。

 映画に触れる度、彼は心を動かし、涙を流した。自分が生きているのは、映画を観るためであり、本を読むためであると本気で思っていた。

 哀れなのだ。彼はあまりにも哀れだった。

 彼には虚実の境がもうわからなくなっていた。何が正しく何が間違っているのか。

 映画を観るためだけに生き、本を読むためだけに生きる。年齢を重ねれば重ねるほど、その生活には綻びが出てくる。

 足元から凍り付いていくような感覚に彼は陥った。このままではいけない。もっと観なければ、もっと読まなければ。

 彼は物語を取り込むことにさらに没頭した。だが、仕事から帰るとあまりの眠気に倒れるようにして眠ってしまう。その内、休日に物語に接し、仕事の日は映画を一本と短編を数本読んだら眠るという日々に変わった。

 彼はおびえた。当たり前の生活を過ごしていく中で、自分が普通の人間に変わってしまっていることに。

 彼は世界の誰よりも映画や本を愛していると思っていた。だから、現実はただの空間と物であり、何も感じなかった。

 だが、どうだろう。最近彼は上司の嫌味な怒鳴り声を聞くたび、怯えていた。怒られないようにもっとスピードをあげたほうがいいのではと考え始めた。

 だが、彼が一番驚き、また落胆したのは、もうひとりの無能者が失敗し上司に怒鳴られている時に、下卑た笑みを浮かべ、安心したことだった。

 本当の現実が自分にとっての現実になっている。

 彼にとって感情を割くのは映画や本の中だけだったはずなのに。

 そうして、私が生まれた。

 私という存在は、映画と本を愛することを美徳とする彼の感情が人格として形を成したものだ。

 彼があのような恐怖を感じた際、私は映画や小説の一節を囁き、彼を安心させる。

 このような喋り方なのも、彼が触れてきた作品の影響を受けているからだ。

 彼の中の虚実の境は、もはや完全に溶け合い、歪んだ形となっている。

 私が囁くたび、彼の中の彼は消えていく。

 私が彼になるのも近いだろう。

 だが、彼が私に変わる時。それは彼の破滅を意味する。何故なら、私はアメリカンニューシネマの登場人物であり、フレンチノワールの登場人物であり、ヌーベルバーグ作品の登場人物である。

 私の居場所は彼が生きる現実にはない。

 だから、私が彼となった時、私は映画の世界に帰ることになるのだ。

 今日も仕事が終わる。彼は職場を出て、帰宅する。

 彼は家のドアを開け、ソフトと本の山を呆けた様にじっと見つめる。

 そうして、私はルイ・マルの鬼火を手に取った。

 彼は私になった。

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