017 わざわざ手伝いにきたんですか?

 すべての用事を済ませると俺たちは会社に戻った。

 集荷した絵画を、高見さんと二人で社内の倉庫スペースへ運び込む。


 手押し台車を使って、車から移動させること3往復――。

 運び終えるころには、定時まで残り10分という時刻になっていた。

 残業タイムのはじまりが近い。


「高見さん、今日はありがとうございました。すっかり遅くなってしまいすみません」


 倉庫スペースで俺は、高見さんに頭を下げた。

 周囲には誰もいない。二人きりである。


 エプロンにスーツ姿の高見さんも、ミルクティー色の髪を揺らしながら俺に頭を下げた。


「大沼さん、こちらこそ、ありがとうございました。エプロン、洗濯してから返しますね」

「いやいや、わざわざ洗濯しなくてもいいですよ」


 俺がそう言うと高見さんは、つり目気味の両目を細めながらにやにや笑いはじめた。


「あれぇ? もしかして、大沼さん。アタシみたいな可愛い女の子が身につけたエプロンを、そのまま欲しがっているとかですかぁ? 洗濯しちゃったら価値が下がっちゃいますもんね、ふふっ」


 ふいに彼女がイタズラっぽい声色でそんな冗談を口にした。

 突然のことで俺は、上手く反応できずに身体を硬直させ黙ってしまう。

 高見さんはこちらのそんな様子に、少し動揺したみたいだ。


「じょ、冗談ですよ。も、もう、大沼さんは真面目まじめな人だなぁ。エプロン、ちゃんと洗濯しますからね」

「あ、ああ、えっと、ごめんなさい。俺、この会社で女性から、こういうからかわれ方をされたことがなかったので咄嗟とっさに反応できなくて。今のは笑うところでしたよね、あははっ」

「そ、そうですよ。笑うところですよ、ふっ……ふふっ……」


 高見さんは笑顔をつくろうとしたが上手くいかなかったという感じの中途半端な表情で、小さく笑い声を漏らした。

 きっと俺の方も、ぎこちない笑顔を浮かべていたことだろう。


 高見さんはそれから、原稿書きをすると言い出した。


『オークションカタログに記載される作品データを、専用の原稿用紙に記録する仕事』


 それを、うちの会社では『原稿書き』という。

 集めてきた作品の原稿を書いて、カタログ制作班に提出するまでが営業部の仕事だった。


 原稿書きといっても、豊かな表現力を駆使くしして出品作品をめちぎるような文章を書いたりする仕事ではない。

 ほとんどは作品のサイズを測ったり、コンディションなどを確認して記録したりするだけの単純作業だ。

 うちの会社の場合、カタログの原稿書きに文章力などほぼ必要ないのである。


「アタシ、昨日集荷されてきたワイングラスのサイズを、これから測りまくらなきゃいけないんですよ。たぶん2時間もあれば絶対に終わりますから。大沼さんは気にしないでください」


 どうやら高見さんは自分の原稿書きがあることを黙ったまま、俺の集荷と納品に付き合っていたようだ。


「高見さん、原稿書きのノルマがあったんですか? 新入社員だから仕事はそれほど抱えていないって言っていませんでしたっけ?」


 俺がそう尋ねると高見さんは、今度はきちんと笑顔を成功させてから言った。


「ふふっ。まあ、大沼さんの仕事のやり方を、この目で見て盗んでやろうと思いましてね。だから今日一日は、『若手の中で一番のやり手』と言われている大沼さんのそばにいたいなと。それで原稿書きのことは秘密にしていました」

「そ、そうですか」


 俺がうなずくと、高見さんはエプロンをするすると脱ぎだした。

 彼女は脱いだエプロンを手早く器用にたたみながら言った。


「その……。大沼さんを見ていたら、オークション会社の営業って、ほとんど運送業に近い仕事だということがよくわかりましたよ。物流ぶつりゅうですね」

「まあ、それはうちのオークション会社だけかも」

「ふふっ。これからは、アタシもエプロンを持ち歩きますよ」


 彼女は畳み終えたエプロンをポンポンっと軽く叩いた。


 俺たちはそれから、営業部のデスクがあるフロアへと移動した。

 高見さんは2課の先輩社員に本日の報告をしに行くと、続いて2課の課長の元へと向かった。

 おそらく残業の許可をもらいにいったのだろう。

 仮配属中の新入社員は、自分の判断で残業することが許されていないのだ。


 やがて高見さんは必要な道具を用意すると、西洋美術工芸品の倉庫スペースへと移動していった。

 原稿書きをはじめるのだ。


 俺の方は自分の身の回りのことを終えると、2課の課長の元へと向かった。

 俺からも高見さんのことを報告しておく必要がある。こちらの集荷と納品のせいで、2課の彼女を連れまわすことになってしまったのだ。謝っておかなくてはいけない。


 そんなわけで2課の課長と仕事の話をし、しばらく雑談を交わしていたのだけど……。

 ふと、高見さんの原稿書きを手伝ってみようか、という気持ちになった。


 これまでの俺だったら、そんなことは思いつきもしなかっただろう。

 さっさと自分の仕事に戻ったと思う。今週中に終わらせなくてはいけない仕事が、まだいくらかあるのだ。


 けれど、今の俺は違った。

 この7年前の世界では、辞めていった新入社員たちとの関係をやり直せるチャンスがせっかくあるのだから――。


 俺は高見さんの元へと向かった。




 西洋の美術工芸品が集められている倉庫スペースで、高見さんが原稿書きをはじめていた。

 作業用の茶色い木製テーブルには、たくさんのワイングラスがガラスの兵隊みたいな感じで綺麗に整列している。

 その相手をしているのは高見さん一人だけだ。倉庫スペースには他に誰もいなかった。


 さて、後輩の力になれるチャンスである。

 よし! 精一杯フレンドリーに振る舞おう。

 高見さんに近づくと、俺は笑顔を浮かべながら言った。


「原稿書き、手伝わせてもらってもいいですか?」


 高見さんは原稿から顔を上げると、ぽかんとした表情を浮かべた。


 あれ……?

 なんだ、この反応?


 数秒間の沈黙の後。彼女は「えっ?」と驚いたような声を一度出してから説明してくれる。


「……い、いや、まさか大沼さんがアタシの手伝いにくるとは思っていなかったんで。ちょっと、びっくりしてました」

「そ、そうですか……」

「だって、大沼さんは1課で、アタシは2課だし。集荷でいっしょになることはあっても、いっしょに原稿書きをやることはないと思っていたんです」


 彼女はそう話しながらミルクティー色の長い髪を揺らした。

 今度はこちらが説明する番だ。

 2課の課長に原稿書きを手伝ってもいいかと尋ね、事前に許可はもらっていることを高見さんに伝えた。


「勉強のために、あえて一人で原稿書きをやらせている可能性も考えたんですけど、どうやらそうではないみたいだったので」


 2課の課長は、今日だけと言わず明日からも高見さんをどんどん手伝ってくれと俺に言った。

 集荷で高見さんを振り回してしまったので、『今日だけ』はその埋め合わせをしたいという感じで、俺は2課の課長に話を持ちかけたのだけど……。


 俺の説明を聞いた高見さんは、


「わかりました。お手伝い、よろしくお願いします」


 と頭を下げてくれた。

 それから、こんな質問をしてくる。


「それで、大沼さんはどうして、顔をひきつらせていたんですか?」

「へっ?」

「ほら、さっきアタシに声をかけてきたとき、変な顔してたじゃないですか。虫歯? 奥歯でも痛かったんですか?」

「どういうことですか?」


 高見さんの言っている意味がわからなかった。

 けれど、彼女の説明を聞いているうちに俺は理解した。

 彼女に声をかけたとき、俺は『フレンドリーな笑顔』で後輩に接していたつもりだったのだけど、どうやらその笑顔が、顔をひきつらせているようにしか見えなかったらしい。


 高見さんは、つり目気味の両目を細めると大きな声で笑った。


「あははははっ! 大沼さん、あれ、笑顔だったんスか?」

「ぬ、ぬう……」

「ん~、言っちゃってもいいのかなあ? 大沼さんって笑顔めちゃくちゃ変ですね! あははははっ!」

「緊張していたんですよ」

「緊張? なんで?」


 後頭部をポリポリ掻きながら俺は打ち明けた。


「実は俺、学生の頃から、後輩と接するのがなんとなく苦手でして……」

「へえ。それならどうして後輩のアタシを、わざわざ手伝いにきたんですか?」

「それはそのぉ……せっかくだから、俺も少し変わろうかなと思ったんですよ」

「んっ? せっかくだから? せっかくだからって、何が?」


 7年前に戻ってきて、辞めていった新入社員たちとの関係をやり直せるチャンスがせっかくあるのだから――という意味なのだけど。

 まあ、7年前うんぬんの説明をすることはできない。

 そこで――。


「今年は新入社員が三人もいるので、せっかくだから後輩と積極的に接してみようかなという意味です。苦手を克服したいといいますか……」


 高見さんは両手をポンッと打ち鳴らして言った。


「なるほど。アタシみたいな可愛い新入社員と他2名がいるから、せっかくだから仲良くなりたいってことですね?」

「まあ、可愛いとは言っていないんですけどね」


 俺の訂正を無視して、高見さんはこんな忠告をしてくる。


「でも、大沼さん。アタシ以外の新入社員には、笑顔で接しちゃダメですよ」

「えっ?」


 俺が小首をかしげると、高見さんは話を続ける。


「だって、アタシは大沼さんのことを手先が不器用で、そのうえ不器用な笑顔しか作れない人だって知っています」

「はあ……」

「けれど他の二人はそれを知らないんですよ? だから、あんな笑顔で先輩が近づいてきたら、あの二人は絶対に警戒しますって」


 高見さんはそう言った後、くすくす笑った。

 その後、彼女は「原稿書きに入る前に、大沼さんのあの笑顔がもう一度見たいです」と俺にリクエストしてきた。


 俺は――しぶしぶだけれど――笑顔を浮かべる。

 高見さんは、


「うわぁ……。さっきよりひどい顔ッスねぇ~」


 と、うれしそうに感想を口にした。

 笑顔をリクエストされたことで俺は、余計に緊張して顔がひきつってしまったのだ。

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