やり直すオークショニア
岩沢まめのき
第1章 やり直すオークショニア
001 第1章 やり直すオークショニア
「100万円! 100万円! 723番から110万円のビッド! 現在110万円!」
客席よりも高い位置に設けられた
客席の埋まり具合は7~8割といったところ。200人には届かないくらいだろうか。
会場に並べられた椅子には、ビッド札を手にした老若男女の客たちがそれぞれの
集まった人々の目的。それは、オークションに出品された美術品の数々。
今回は絵画中心のオークションだった。
客席中央あたりから『1215番』のビッド札があがった。
競り台の俺は即座に札を指し、声を上げる。
「120万円! 120万円は、客席中央1215番の方からのビッド! 現在120万円っ!」
会場では複数の札が順調にあがり続ける。
130、140、150万円――と、俺はオークションを進行しながら値段を刻んでいく。
やがて、ビッド札をあげているのは、三人に絞られた。
細身のスーツをきっちり着込んだ目つきの鋭い若い男。神経質なミュージシャンみたいな雰囲気だ。
競うように華やかな衣装で着飾った女性同士のグループの中の一人。髪が紫色のいちばん派手なご婦人だ。
和服姿の品のある年配の男。お供らしき若者を何人か連れている。
会場で競うように上下していたビッド札たちだったが、とうとう『928番』をひとつだけ残し、完全に沈黙した。
これにて勝負がついたのである。
「落札します」
競り台でそう宣言すると、俺はハンマーを打ち鳴らした。
カンっ――と乾いた音が会場に響く。
大好きな音だ。心地の良い音。昔、携帯電話のメール着信音にしていた。友人にもそうするよう勧めたことがある。彼とはもう音信不通だ。
「928番のお客様、190万円で落札っ!」
俺のその声を合図に、競り台の脇に設置されたモニターには次の出品物が表示される。
このLOTはこれで終わり、すぐに次のLOTに移るのだ。
ゆっくりしている暇はない。今回のオークションは、朝から晩までかけておおよそ800LOT以上の競りを、たった一日で成立させなくてはいけないのだから。
美術品を専門とする『ライブ型オークション』としては、取り扱い点数は国内でも上位の方である。はじめて目にした人は、スピード感に驚く。
何十万円、何百万円の値がつく美術品でも、わずか30秒~1分ほどの競りで、あっさりと落札者が決まることだって珍しくないのだから。
スピードと正確さを求められる職業は、世の中にいくつもあるだろう。オークショニアもそのひとつだと思う。
そんな、『スピードと正確さに神経をとがらせているオークショニア』の俺でも、圧倒的な敗北感をおぼえたことがある。『生たまごを割り続ける業務用機械』の動画を目にしたときだ。
あのスピードと正確さにはさすがに負けを認めたけれど、そもそもあれは機械だった。こちらがそれほど落ち込む必要もない。
会場では、優秀な仲間たちがオークションの進行をサポートしてくれる。
彼らの働きに負けないよう、俺も休むことなく次々と競りをはじめては、ハンマーを打ち鳴らす。
入札者がたくさん重なって長引く競りもある。
逆に会場で一度も札があがらず、事前の入札もなくて不落札に終わる競りもある。
うちのオークションの落札率は『90%』を下回ることがほとんどない。
今回は800LOT以上の作品を扱っているから、いつも通りの落札率ならば、少なくとも720LOT以上は買い手がつくだろう。
それでも、残念ながら不落札が0になることはないのだ。
たまに出品物が2LOT続けて不落札に終わることもあった。
そんなとき俺は、気持ちを落ち着かせるために自分の
そして、今回のオークションで自分が担当する最後の出品物となった。
「LOTナンバー680。こちらは、50万円から参りましょう。50万円スタート! 50万円っ!」
LOTナンバー680が終わると、俺の出番は終わりだ。次のオークショニアにバトンタッチすることになっていた。
うちの会社にはオークショニアが三人いる。今回は800LOT以上の競りを三人で交代しながら行う。
昼休み前の前半の競りで一度、俺は競り台に立っていた。後半の競りが終われば、合計300LOTほどを担当したことになる。
その最終LOTとなる『LOTナンバー680』
ありがたいことに会場のビッド札のあがり具合がすばらしい。
いくつもあがるビッド札。胸がおどる。
「50万円! 55万円! 60万円! 65万円! 現在65万円は、会場後方315番からのビッド! 65万円!」
次々とビッド札を指しながら、俺は入札価格を刻み続ける。
やがて――。
会場では『315番』のビッド札がひとつだけ残った。これで俺の出番も終わりを迎える。
今回も最後まで無事にオークショニアを務められたことを、俺は心のなかで感謝した。
――ああ、オークションの神様。
どうかこの先も、ずっと何年経っても、俺にオークショニアをやらせてください!
大学卒業後、22歳で美術品オークション会社に就職した。
国内では業界3位~4位あたりを毎年ウロウロしている会社だ。
営業職として採用され、2年目には早くもオークショニアをやらせてもらえるチャンスが転がり込んできた。前任のオークショニアが退職したのだ。
新しいオークショニアの候補は社内で三人。
俺がそのチャンスをものにした。
勝ち取ったオークショニアのポジションを、今日までずっと守り続けている。
33歳になった今でも、俺はこの仕事が大好きだ。
オークショニアが会場をコントロールし、出品物の値段を競り上げる。仕上げにハンマーを打ち鳴らす。
この瞬間が、本当にたまらないっ!
「落札します」
そう宣言するとハンマーを打ち鳴らした。
カンっ――と乾いた音が響く。
俺が担当する最後のLOTが終わる。
「315番のお客様、85万円で落札っ!」
そう口にした
目の前が真っ暗になった。
会場の照明が一斉に落ちるトラブルでも発生したのかと勘違いした。
しかし……どうやら異変が起きたのは、会場ではなくて俺の身体の方だった。
* * *
意識が飛んでいたのかもしれない。
正直、色々と理解できない状況だった。
気がつくと俺は、車の運転席に座っていたのだから。
よく知っている運転席だった。いつも乗り慣れている会社の車だ。
貨物運搬用の白いワゴン。後部に座席はひとつもない。
車の後部はすべて荷台として使われている。そこには、絵画や美術品を傷つけずに運ぶための道具が――毛布や
フロントガラスの向こうに見える景色は……おそらく千代田区・神田のあたりだと思う。
オークションをよく利用してくれる
ワゴン車は、俺がよく利用するコインパーキングに駐められていた。
俺はどうしてここにいるのだろうか?
オークションの真っ最中じゃなかったか?
「あ、あの……
女性のそんな声が聞こえてきた。助手席からだ。
ぽかんと口を開けながらフロントガラスの向こうに広がる景色を眺めていた俺だったが、慌ててそちらに視線を向ける。
助手席には、知らない女性が座っていた。
俺と目が合った瞬間、彼女はすぐにうつむいた。だから、顔はよく見えなかった。
一瞬目にした感じでは、20代前半の大学生らしき女の子に思えた。
服装は黒色のリクルートスーツ姿。ほんのりと
助手席の黒髪の女性は、ものすごくうつむいていた。
頭のつむじがよく見えるくらいに。
毛量が多いのか、黒髪がなんだかもっさりとしていて……彼女は髪型に
「大沼さん……そのぉ、わ、わたし、な、な、何かやってしまいましたか……?」
女性はうつむいたまま、そう言った。
小さな声で、恐るおそるといった雰囲気だった。両肩も少し震えている気がする。
こちらに対して
俺が黙っていると、彼女が再び口を開いた。
「そのぉ……さ、先ほどからこれは、何かのテストなんでしょうか? ちょっと正解がわからなくて……どうしていいのか……す、すみません」
テスト? テストってなんだ?
彼女の言っている意味がわからなかった。
それに、戸惑っているのは彼女だけではないのだ。変な話だが、俺だってきちんと戸惑っている。だから彼女の質問には答えられなかった。
むしろ、こちらからいくつか質問をぶつけたいくらいだ。
しかし謎の女性は、先ほどから俺のことを『大沼さん』と呼んでいる。
彼女は俺のことを――少なくとも名字くらいは
もしかしたら、彼女は知っているだろうか?
あの後、オークションがどうなったのかを――。
オークションは、まだ終わっていないだろうか?
俺がオークショニアを終えてから、いったいどのくらい時間が経っただろうか?
今はいったい何時なんだ?
車の時計に目を向ける。午前11時だった。
はあ? そんなわけがない!
午前中からオークションをスタートして、680LOT消化したところで午前11時なんてことは絶対にあり得ないっ!
この車の時計、狂ってやがる!
俺は上着のポケットに手を突っ込んだ。スマホを取り出して、きちんと時間を確認しようと思ったのだ。
けれど、上着のポケットから出てきたのはスマホではなかった。
俺が数年前まで使っていた古い携帯電話が出てきたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます