ブレザーを着ていた頃の自分達は (k)
担任で日本史の担当である新田泰輔先生は、明らかに自分をセーブしている。
昨年の授業のことを気にしているのだろうか。法隆寺の内容に触れたときにスイッチが入ってしまい、世界遺産の話に発展してしまったことを。
俺はその話が面白いと思ったのに、他の人達には不評だった。
世界遺産の話になると堂々とする新田先生は、まるで学者のようで、恰好良い大人に見えたのに。
今日もスイッチが入りかけていた。
伊豆韮山の反射炉の説明のときだった。
新田先生を良く思わない人が「こんなのが世界遺産に?」と鼻で笑ったのだ。
その呟きを聞いた新田先生は、穏やかに頷く。多分、焚きつけようとした悪意を感じても、話に乗ってあげようとしている。
「確かに、韮山反射炉は、単体では弱いですね。他の物件とまとめられて『明治日本の産業革命遺産』という扱いになってはじめて、世界文化遺産としての価値があると言われ始めたようなものです。世界遺産だけはありません。内容、経緯、事情等を知らなければ、価値は正しく評価されないこともあります。しかし、価値を理解されても、その価値が最優先されるとは限りません。例えば、ドイツの――」
授業を続けて下さい、と野次され、新田先生は物足りなそうに授業を再開した。
“ドイツの”何と言いたかったのだろう。
帰りのホームルームの後、図書室のカウンターにいた新田先生をつかまえて訊いてみる。
「ドイツの、ドレスデンエルベ渓谷、です」
書架から『新版・ヨーロッパの景観』という写真集を出して教えてくれた。
ドレスデンエルベ渓谷は、かつて世界文化遺産に登録されていた物件である。
渓谷が都市の一部である、自然の河岸の一部であることを評価され、平成16年に登録された。
しかし、以前より渋滞緩和を目的とした橋の建設が決まっており、ユネスコの警告もむなしく、橋の建設は進められた。
平成21年に世界遺産リストから削除されている。
「誤解してほしくないのは、ドレスデンエルベ渓谷が歴史的価値のある場所であることに変わりはない、ということです。世界文化遺産でなくなったからドレスデンエルベ渓谷そのものの価値もなくなったとは考えないで欲しいのです」
人にも置き換えられそうな話ですね、と言おうとしたが、やめた。
新田先生を追い詰めることになってしまうから。
新田先生は、顔が似ている若手俳優の役柄のイメージから「テロリスト」と陰口を叩かれることがある。
でも、良い人だし、笑った顔は普通だ。
人の価値は、正しく理解されるべきだ。
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