ストレイシープ

モイラ

第1話

「マスター、山崎十二年の・・・・水割りください。」

「水割り?はいよ」

 マスターは返事を返すと、素早くコップを取り出して氷を投入していく。慣れた手つきで氷がかき回されてコップがカラカラと鳴った。

「珍しいな水割りなんて」

「結構飲んだので小休止です」

 マスターはコースターに水割りを置いてから僕に話しかけてきた。もう12時も回っているからか、僕とマスターの二人きりだ。8時から来ているから相当な量を飲んでいる。

 この店に初めて来たのは何年前だっただろう。初めて来たその日の内に気に入ってしまって、もう8年ほど通い詰めている。初めて来たのは学生時代に友人に連れられてきたのがきっかけだ。

 15人くらいのカウンターに、オレンジ色の光源が和紙傘を差して五つほど吊り下がっている。店内は薄暗いのだが、明るい雰囲気を作り出すオレンジの光が穏やかな落ち着きを与えてくれて堪らなく好きだ。

 15席程度のカウンターしかないこの店は、満席で入店不可と言う事が屡々起こる。そうなると、周辺にあるバーで時間をつぶしてから向かう事になるのだが、それも苦にならないほどにこの店に入れ込んでいる。変わらない場所で、変わらなくうまい酒を変わらないマスターが出してくれる場所は安心感を与えてくれるかけがえのない場所だ。

 マスターはこの町で20年店を持っているベテランバーテンで、この町のバーテンの中心人物らしい。一昔前にあった、町おこし用にどのバーでも出すメニューの考案会議もこの店を使ったと他のお客さんから聞いた。雰囲気も古株然としていてそれっぽい。単純に歳を取ったら誰しもが醸し出す雰囲気なのかもしれないが。

 僕はたばこを一本取りだして火をつけ、マスターにかからない様に煙を頭上に吐き出す。

「吸い過ぎやて、一箱吸いきってまっとるやろ」

 マスターは空になったたばこの箱を握りつぶしながら、呆れた顔をこちらに向ける。グラスを洗っていたのに、空だと言う事をしっかり見てたのかと驚いた。

「酒を飲むと止まらないんですよね。一日一箱程度なのに、飲むとそれだけで一箱吸っちゃって。」

 最近は、本数を減らすために職場にたばこを持っていくのを控える程度には減煙している。健康のためと言う訳でもなく、単純に節約志向で始めたことだけれど大分と本数は減っている。なので、このバーに来た時くらいしか数時間で一箱と言うのはない。酔いに任せて吸っていると言うのもあるが、ここに来たんだからいいだろうと言う特別感と言うのもあるだろう。

 僕とマスターは、客が入ってないのをいいことに雑談に花を咲かせた。最近の仕事から、客の入り、政治小話に景気の話と、取り上げるほどの事ではない他愛ものない話だ。

「それで、いつになったら君は女性を連れて二人で来るんだね」

 幾分かおちゃらけてマスターは言った。二人きりになると必ず出る話題に様式すら感じてしまう。僕はいつものように、色々ありましてと言って曖昧に笑ってごまかすと言う様式を返す。仕事の話、最近人気の芸能人、だれだれは美人だ、歌がうまいと言うような絵にかいたような雑談様式を何度も繰り返すうち、僕は一時を回っていたことに気づいた。

「あ、マスターもうこんな時間ですし、チェックお願いします。」

「チェック?別にこの時間やし、閉店まで残れば送ったるぞ。」

「いや、流石に毎月毎月送ってもらう訳にはいきませんよ・・・・・」

 僕は申し訳なさで言葉を詰まらせた。酔いつぶれて毎月の様にマスターに家まで送ってもらっている。こんな情けない話も、迷惑な客もないだろう。どうせ家がそっちの方だから構わないと言われているけど、どう考えても遠回りな方角だ。そう何度も厚意に甘えるわけにはいかない。―――実際は甘えてるんだけれど、意識して避けなければいけないと思う。常連が迷惑な客と言うのは何としても避けなければ。

「ほい、12000円。結構飲んだなぁ。」

 マスターは少しあきれたような口ぶりで、鉛筆で書かれた料金表をテーブルに置いた。料金の計算から請求まで、よどみなく行われる動作にほれぼれする。

 財布からお金を取り出しマスターに渡す。正直ここまで酔ってると、ちゃんと払えているか不安になる。

「おう、ちょうど12000円。気をつけてな。」

「はい、ありがとうござました。」

 僕は軽く一礼すると外に出た。季節は真冬、酒を飲んでいても寒さが染みる。余りの寒さに耐えかねて袖の中に手を避難させた。

 1分も歩けば大通りにでる。そこに出れば、後は駅前の大通り沿いにある商店街を真っ直ぐ歩けばタクシー乗り場だ。

 地方都市の名を冠する中核駅と言っても、その駅前商店街は活気ある物とは言えない。もう長年降り続けているシャッター、薄暗く町を照らすには数が少なすぎる街灯、ボロボロに黒ずんで窓も割れたままの背の低いビル。寒さと、日に日に衰えて死んでいく街が酔いも相まって強い寂寥の念を抱かせる。

 とは言え、このまま衰えて死んでいく街にただ一つ最近できた、頭一つ高く、ひと際白いビルがある。再開発にしては小ぶりだが何ができるのかとワクワクしていた。この町にも新しい命が芽生えるのかと詩的な事を考えたりしたものだった。

 しかし、商業ビルになると思っていたそのビルには朝鮮人会館と金色のプレートが掲げられた。その朝鮮人会館のビルは、死臭すらしそうな澱んだ町に違和感がベッタリと張り付いた様に感じられる。

「場違いだよなぁ。」そう僕はつぶやいた。すっかりと夜が更けているのに、金色に輝く文字は生き生きとしているように見えて、薄暗い街には似つかわしいとはお世辞にも言えない。寂れた街に突如現れたそれは、死肉を貪りに現れた異形の怪物のような感じがしてどうも身構えてしまう。若さを啜る吸血鬼とも言えるかもしれない。

 「いまどき朝鮮人会館ねぇ。金はあるっちゅうことか。」

 寒さも手伝ってか僕は所々ひび割れ、穴すら開いた道をいつもより心なしか早く歩を進める。怪物の近くから早く立ち去りたいと言う心理もあったかもしれない。

 数分も歩けば、駅前のロータリーにあるタクシー乗り場に着く。寂れた地方都市と言っても、1時になれば人は並ぶ。と言っても二桁はそうそういかない。8人程度並べばいい方だ。

 僕はいつものように列に並び、スマホを取り出す。暇つぶしにSNSはもってこいだと思う。適当に弄っていれば人の列も消えていく。これがない時には、いったい何をして時間をつぶしていたか分からなくなるほどに便利だ。

 ふと、あと何人並んでいるかと思い顔を上げると、並んでいる人間全員が一様に眩しい光を放つ板切れを懸命に眺めていた。一様に衰退する街に、一様に板切れにかじりつく人間かと思い何故か苦々しい気持ちになった。一種の醜悪さまで感じていたかもしれない。自分もその中の一人だと言うのに。こういった感情は、酔いが回ると頭をもたげて来る。望んでもなければ嬉しくもない感情だ。酒で訳の分からなくなった思考に、生来の性格の悪さがそうさせているんだろう。

 そんなことを考えているうちに目の前の列はなくなり、目の前に来たタクシーに乗り込んだ。そして、運転手に行き先を告げると僕は深い眠りに落ちた。

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