三
第1話
「大丈夫ですか? リンコ」
慌ててドゥルラナはリンコの脇をとって抱き起こした。
「大丈夫じゃない!」
気絶したかに見えたリンコが、ドゥルラナに向かって大声を張り上げた。動転しているように、彼には見えた。
「子供って何よ!? 第一無理じゃない! だって、その、麒麟と人間だよ!? 無理だよ、それに、子供なんて無理無理無理無理! わたし、まだ十七歳だよ!? こんな、わけのわからないところに呼び出されて、いきなり、子供を生むとか、はっきり言って、無理! だって、わたし……、好きな人もできてないのに、いきなり子供とか、わけがわかんないよ!」
ドゥルラナは腕の中で喚くリンコを気の毒に感じた。確かになれない場所に呼び出されて、いきなり子供を生むのだと言われたら、どんな雌も拒否するだろう。しかし、リンコに同情しても、ドゥルラナにはなすすべもない。おとなしく、リンコをリョダリに渡すしかないのだ。あのリョダリだと、リンコになにをするか分からない。無理強いをするだろう。雄が雌に無理強いするなど、言語道断だ。雄は雌を喜ばせるべきだった。それをリョダリは拒絶したのだ。ディヴァナシーが怒って後宮に閉じこもっても仕方ないのだ。
腕のなかのリンコは柔らかくて小さくて愛おしい。大事にしなくてはならない宝のように、ドゥルラナは感じていた。できたら、リョダリから逃がしてやりたい。彼は命令と同情心の間で揺れた。腕のなかのリンコの発情した香りを嗅いだだけで、命令への忠誠心が揺らいだ。それは当たり前のことだ。発情した雌雄は本能で行動する。いっそ、昔のようにリョダリと角競り合いをして、リンコを奪ってしまおうか、とも考えてしまう。ドゥルラナは気持ちを落ち着かせるために、頭を振った。髪が角と擦れあい、少し落ち着いた。
リンコはドゥルラナに抱きしめられてから静かになっていた。リンコも彼の発情した香りを嗅いでいる。これ以上二人がふれあい続ければ、番う気分になってしまう。ドゥルラナは冷静になって、リンコを離した。
ドゥルラナを見上げるリンコの頬が赤く染まっている。リンコも発情してしまったようだった。番い相手を彼に決めてしまわないように、彼は、一時的にリンコを雌に預けようと考えた。そうすれば、彼がリンコの心を奪うことがないかもしれない。
「リンコ、あなたを一時的に雌のいる後宮に連れて行きます。そこで待っていてください。番うことに関しては、雌が教えてくれるでしょう。雌は争いを嫌いますから、あなたが脅かされることはありません」
「でも……、でも、長のところに行くときは一人なの? どうせ無理やり連れて行くんでしょ?」
「リンコ……」
泣きそうなリンコの顔を見下ろしているうちに、ドゥルラナは、言ってはいけない言葉を口にした。
「わたしがリンコの
「本当に?」
リンコの顔が明るくなった。ドゥルラナはまずい事を宣誓してしまったと自覚していた。ガーディアンになる。それは一生を通じての誓いだ。何よりも雌を優先し、守り、雌を脅かすすべてと闘う。通常は番う相手がその役目を果たす。番えない雄が雌のためにガーディアンを名乗ることもあるが稀だ。なぜなら、雌が番った相手を嫌えば、相手がどれほど強かろうと闘わねばならない。雄からしてみれば、非常に利益のないことだ。だが、雌の少ない部族では、一頭の雌に何頭ものガーディアンが付くという。ただ、イスキア族では珍しいだけだ。問題なのは、ガーディアンを担う雄なのだ。雌の番う相手が族長ならば、角競り合いでは済まない。長に命じられた他の雄たちから一斉に攻撃されてしまうだろう。
ガーディアンになると言った時点で、ドゥルラナは、どちらを選ぼうと命をかけることになってしまったわけだ。なんて馬鹿なことを口走ってしまったのだろう、と彼は額に手を当てた。しかし、後悔しても遅い。口にしたことは守るべきだ。この小さな愛らしい雌のために、彼は、不利益を甘んじて受ける覚悟を決めた。
「ずっとこの小屋にいることはないです。今から、後宮に案内しましょう」
ドゥルラナの言葉に、リンコが首を傾げた。
「後宮? 大奥みたいに女性しかいない場所?」
「大奥がどんなところか知りませんが、雌の居住区になります。雄は後宮の周囲に小屋や家を作ります。長の家も、後宮の近くにありますよ」
「ここから後宮は近いの?」
「ええ、呪いは雌がよく行いますから」
リンコはドゥルラナにつづいて暖簾をくぐった。ぱあっと明るい世界がひらける。太陽が天上にあり、今が昼間だと分かった。リンコの背後に藁葺きの小屋がある。これがドゥルラナの小屋だ。粗末な小屋で、壁は木板で出来ている。屋根も同じように木板で覆われていて、その上からわらを葺いているようだ。周囲には腰ほどの草原が広がっている。かと思えば、その隣には茶色い地面にところどころ葉が茂っていたりする。どうも畑のようだ。
「あれは何?」
リンコは目のまえに広がる畑を指した。
「あれはヒヨです。炊いて食べます。その隣の畑にはタンガが植えてあります。炒ってもいいし、蒸かしても美味しいですよ。イスキア族は穀物を中心に食べているのです。興味ありますか?」
穀物には特に興味を持たなかったリンコは話を元に戻した。
「さっき言ってた、雌がよく呪いをするって、占いが好きなの?」
先立って歩きながら、ドゥルラナが説明した。
「ええ、今年の実りや天気を占ったり、祈願したりするのは雌の役割です」
「雄は何をするの?」
「主に畑を耕して収穫したり、家を建てたりしますね。闘うのも雄です。雌は雄を使う立場にあるのです」
「雌のほうが偉いの?」
「そうなりますね」
そう言いながら、土を重ねて作った塀をくぐり、石を組んで作った屋敷の前に立った。
「ここが後宮です」
リンコは平屋造りの質素な石の小屋を眺めた。
「意外に目立たないね。もっときらびやかだと思った」
「どういう意味ですか?」
ドゥルラナはリンコの言葉に首を傾げて尋ねた。
「だって、あなたの腰や胸には宝石の帯がたくさん巻いてあるじゃない」
確かに、ドゥルラナの体には銀と宝石でできた帯が巻いてある。
「これは地位を表すもので、銀はシャーマンだけが身につけます。金は雌と長。他のものは革や蔓で出来た帯を巻いてますね」
「思った以上に質素だった……」
複雑そうに眉をしかめるリンコを見て、笑った。
「あなたも金の飾りをつけられますよ。花嫁になるのですから」
すると、リンコが反発した。
「まだ、花嫁になるなんて決めてないよ」
「しかし、長の命です。あなたはそのために召喚されたのですから」
「納得出来ない」
顔をしかめたリンコをドゥルラナは困ったように見つめた。
「さぁ、ここに立っていては埒があきません。細かなことは雌から聞いてください」
ドゥルラナに案内されて、リンコは屋敷のなかに入っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます