ブレトワルダに祝福を

甲源太

第1話 亡国の王子

主が受肉し復活なされてから数百年。


血涙と苦痛によって伝え導かれた福音が世界を照らし、邪教は滅ぼされつつあった。


しかし、数々の奇跡が示された約束の地から遥か北方の島々、かつてローマ皇帝の財源ともなったこの豊穣の大地には、異教の神々が居座り続けている。


血が・・・。

死が・・・。

いまだ足りなかった。




 肉塊から剣を抜くと黒々とした血が噴出した。それは泥と混ざり、怒りと混ざり、麗しき金色の御髪(おぐし)を汚して行く。闇夜の中で松明に照らされた黄金の花が妖しく揺れた。


「勇ましき、デイラの戦士達よ!おれに続け!」

 返り血を浴びつつ少年は吼えた。まだ大人になりきれていない中性的な声が戦場に響く。


「図に乗るなっ!」

 臣下に鼓舞したその一瞬の隙。上段に振りかぶられた敵の剣が少年を襲う。


「ふんっ」

 しかし、少年を襲いかけた敵兵は強かな呼気音と共に大斧で吹っ飛ばされた。がら空きになった敵兵の胴を薙いだのは老兵バルドである。鉈を振るわれて飛んでいった麦の穂のようになった兵士は傷口から顔をだした臓物を手で抱えながら失神している。痛みを感じずにいるだけ運がいい。


「助かったぞ」

 祖父の代から仕える忠臣に礼を述べると、少年は再びその刃を敵に向けようとした。

「お待ちくだされっ!」

 飛び出して行こうとする少年の腕を折れてしまいそうになるほどの力でバルドは掴んだ。

「っつ、なんだ?」

「向こうに馬を用意してござる」

「逃げよと申すか!」

「この戦、若が生き延びれば。それ即ち勝利」

「しかしっ」

 ガツっ!少年の頭に突然の衝撃。


「失礼仕った」

 バルドが少年を殴ったのだ。普段ならばこのようなことは決してしないが老兵には時間がない。

「若を逃がすために多くの兵が逝きました、生き恥を晒すのも王たるものの勤め!」


 気迫に圧倒された少年は黙って指示に従わざるをえなかった。襲い来る敵兵に2人で対処しつつ馬を繋いである木に向かったものの、少年はそこで愕然とした。


「馬が一頭?バルドはどうするのだ?」

 少年が言うと、やれやれといった顔をしてバルドは鎧をずらした。すると器をひっくり返したように足元へと血が音を立てた。よくみればその鎧は穴が空き、裂けている。戦の趨勢を物語るように既にボロボロである。

「もう長くはもちますまい」

 少年は涙を堪えて馬に跨った。


「若、先にヴァルハラにてお待ちしております。父君、祖父君と共にラグナロクで暴れましょうぞ」

 ドンっと尻をバルドに叩かれた馬は嘶いて走り出した。


 バルドの最後の言葉はその中身に反して優しい口調で少年の耳に残った。しかし、すぐさま戦場には雷のような雄叫びが木霊する。


「バーニシアの痴れ者どもがっ!エドウィン王子は既に海を渡り遠くフランク王国に逃げおおせたわいっ!手柄を立てたくばこの首をとってみよ!」


 デイラ王国にこの人ありと勇名を馳せた戦士バルドの最期の戦働き。智勇を兼ね備えたブリタニア随一の猛将は散った。後に北海からアイリッシュ海に跨り平和をもたらす偉大なるブレトワルダ~覇王~の命をつないで・・・。





 バーニシア軍が蹂躙しているデイラの地から遥か南のケント王国。この国には他の国々にはないローマの遺産や、ドーバー海峡を渡りフランク王国からもたらされた珍品、逸品に溢れている。なかでも最大にして至高の宝、それはキリスト教である。


 カンタベリー大聖堂。首都において王宮をも凌ぐ洗練された建築物であり、ブリタニアにおける布教の中心地。


 外の雑音から隔絶されたその祭壇に独りの少女が跪き祈っていた。明るい栗色の髪を真っ直ぐに下ろし、質素ながらも綺麗に洗濯された衣服は決して低くないであろうその少女の身分を伺わせるが、ただ他の少女と大きく違うところは女だてらに乗馬用のズボンをはいているところである。


「お祈りはもうお済で?」

 髪を後ろに束ねた少年従士が長椅子に控えていた。

「ええ、とても清々しい気持ちです」

 立ち上がり、祭壇を後にして身廊を歩いてきた少女が微笑みながら従士に返答した。

 深い森にひっそりと湧き出る泉のように清浄でありながら、この年頃の少女に特有な熱気が奥底で潜んでいる瞳。


 領民はみなこの少女を愛し、また少女も領民を愛した。


 ケント王エゼルベルトの娘にして、フランクのパリ王カリベルトの孫娘。名をベルガという。ブリタニアにおいて並び立つ者のいない貴種である。


「ライラ、遠乗りに行きますよ」

「イエス、ユアハイネス」

 従士ライラがさざ波の様な声で応えた。





「もうすぐ海岸に着きますっ!」

 ベルガ姫の声が道々に響く。農場を断ち割るようにウィットステーブル湾へと続く道を走る馬と従者。


 農作業中やすれ違う領民達は王女の姿を見ることができただけでも僥倖。

道を明けて跪き、通りすぎた後はその幸運に酔って歌う。


「あなたより先に馬の息があがってしまいましたね」

「私のように学の無いものでもひとつくらい長所はあるものですから」

 馬がバテたのに気づいてベルガは襲歩から常足に変えた。小一時間走り続けた馬は明らかに疲れているが、走ってついてきたライラは汗をかいているものの息一つ乱さずベルガと談笑している。


 最初はその脅威的な身体能力に驚いたベルガも今は慣れたものだった。


 少しづつだが、水面に照り返された日の光が見えてきた。

 ベルガは海が好きなのである。母の故郷であるフランク王国、古典文献の研究が盛んなアイルランド。海を隔てた魅力の地。年相応の夢見がちな少女の憧憬。


 しかし、ベルガは領民を愛するが故に夢に執心することなくこのケント王国もまた大事に思っている。そしてできれば神の教えをブリタニア全土に広めたい。そう常々思っている。


「人が・・・人が倒れています!」

 叫ぶとベルガは馬を下りて走り出した。乱反射する日光によって確認できなかったが、海岸全体を見渡せるようになると波打ち際にそれは横たわっていた。


 ライラはベルガが乗っていた馬を近くの木に繋ごうと引いていった。


「あなた、聞こえますか?」

 返事はなかった。

「体を動かしますっ」

 ベルガは腹這いになっているそれを起こして、仰向けにした。


「・・・・」

 ベルガは息を呑んだ。


 鮮やかな金髪に眉目秀麗な相貌。獅子のように雄々しく、鷲のように気高く、梟のように賢い。もちろんベルガの一方的な妄想に過ぎないのだが。


 その少年の顔を見たときにベルガは胸の中をぎゅっと掴まれたような気がしたが、初めて体の奥底から湧き上るその熱が恋と呼ばれることを少女はまだ知らない。


「うぅぅぅ」

日光が顔に当たると、目の前の少年は呻いた。


「息があるのですね、私の声が聞こえますか?」


「生きて、いるのか・・・おれは」


 徐々に少年の眼が開いて行く。日差しが眩しいというより痛い、そう慮ったベルガは少年の顔に影をつくろうと思い、彼の瞳を覗き込んだ。男の子の顔をこんなに近くで見たのは初めてである。


「よかった、話せるほどの元気はあるのですね」

 少年の意識がはっきりとし始めて、ベルガが胸を撫で下ろした。その瞬間。


「誰だっ!」

 少年はベルガを突き飛ばした。


「きゃっ」

 驚き目を丸くするベルガ。


「顔を見たのか、おれの!」

 そう言って少年は顔を手で隠した。

「くっ」

 少年は懐からダガーを抜いた。


 対して、ベルガは声を出すこともできない。


「すまないっ」

 少年は一息に少女の喉目掛けて突いた。


 ガキィイン。


 金属同士がぶつかり合う高い音が波音に突き刺さる。

「させねえ・・・させねえよ、この人だけは」

 ライラがナイフで少年のダガーを弾き受けた。彼はベルガが突き飛ばされた時点で走りだしていたのだ。

「この命に代えてもなっ!」

 叫びながらライラが腹を思いっきり蹴ると、力なく少年は後ろに転がった。


 倒れながらも少年はなんとか顔を上げて二人を見た。朦朧とする意識、目がかすれ行くなかで。

「お前らを・・・殺す」

 そうつぶやいて再び気を失った。


「全く、どんな事情でこんなことになったのか」

 ナイフを収めながらライラは一息ついた。


「お嬢様、親切も考え物ですよ・・・って、なにやってるんです!」

「助けないと、まだ息があるんですから」

 ベルガが再び少年のもとに駆け寄ったのを見るとライラはうろたえた。


「錯乱していただけでしょう、それに右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、ですよ」

「打たれたらって・・・刺されかかったんですぜ!」

 ライラは呆れてしまった。


「へいへい、お嬢様は大変立派な聖人君主様であらせられますよっ」

 頭を掻きながらライラも介抱を手伝い始め、一応、腕と脚を縛って近くの民家に運び込むこととなった。





 夕日が海を赤く染め上げる。

「綺麗ね」

 と言うベルガ。

「ええ、ホントに」

 血の色のようだなと思ったライラは余計なことを言う前に口を閉じた。二人は先の騒動の場へと戻って来ていた。


 気を失ったままの少年は教会で面倒を見ることになり、カンタベリーに使いをだして人を呼んだ。もうすぐ来るはずだ。少年の介抱を手伝わせた近所の婦人に礼を出そうとライラは申し出たが、その婦人は固く固辞した。


 ベルガが行き倒れの者を救った。その慈悲深い御心に自分もあやかることができた。それだけで十分だそうだ。


夕日を見ていると穏やかな気分と侘しい気分が交錯する。ライラは過去を思い出していた。


 奴隷だったが、たまたまベルガに救われたライラ。自分はあとどれくらい生きられるだろうか、そんなことばかり考えていたあの頃。お嬢様がいなければ、おれは今何をやっていたのだろうか?


 あの馬鹿な少年と自分は同じようなものだな。


 忠義と恋慕の狭間で悩むことはもうとっくに辞めた。辞めたはずだがあの馬鹿のせいで昔のことを思い出しちまった、昔の感情とともに。


 お嬢様が幸せであれば、笑顔であればそれでいい。そう思えるようになるまで時間はそうかからなかった。それほどまでにお嬢様はあまりに美しく神々しかった。身分が違うとかそういう話ではなく、自分がどうこうしていいような人ではないのだと。


「ん?」

「どうしました。、ライラ」

「そういやアイツのダガーはどこに飛ばされましたかね?」

 キョロキョロと辺りを見回すライラはすぐにそれを見つけた。

「名前が書いてあるかもしれませんね、盗んではいけませんよ」

 小言を言いながらベルガはダガーを拾うライラに近づいた。


「ん、どこかで聞いた名だな」

「何という名です?」


 ライラはダガーの柄に刻印された名前を読み上げる。

「エドウィン・・・だそうです」



次回予告

レドワルド

「偶然のボーイミーツガール、麗しき姫君と悲劇の美少年、七王国の戦乱と勃興。甲源太郎が贈る王道まさに王道のブリティッシュ・スペクタクル!『ブレトワルダに祝福を』、略して『ブレ福』ここに誕生。

祖国を奪われた王子エドウィンは、一目惚れしてしまった王女ベルガは一体今後どうなるのか?

信仰と戦争、揺れ動く乙女心にエドウィンの言葉が突き刺さる。

次回、『旅のドルイド』・・・・・・え、私が誰かって?次回まで待て!」

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