監獄車輛脱出劇
吟野慶隆
第一話 檻猿籠鳥
目が覚めた。しかし瞼は開けなかった。外側から、何かに押さえつけられているのだ。
「んんっ?!」
驚き、思わず声を出した。しかし口は開けなかった。これもまた、外側から、何かに押さえつけられているのだ。
改めて、全身に意識を集中させる。両腕は背後に回され、両手首は腰の後ろでくっつき、動かなくなっていた。両足首もくっついている。結束バンドかなにかで拘束されているに違いなかった。
(どっ……どういう状況だ、これは?!)常陸(ひたち)梅平(うめへい)は、混乱した。(ついさっきまで、自宅近くの裏山にいて、デジカメで市のコンテストに送る用の写真を撮っていたってのに……高校の写真部全員で応募するやつの……)
彼は、全身に力を入れた。手首や足首をずらそうとし、口や瞼を開こうとする。しかし、ずらすことも、開くこともできなかった。
(クソっ……!)
「んんーっ! んんーっ!」
梅平は数十秒間、力の限り叫んでみた。その後耳を澄ませてみたが、誰かが返事してくれるようなことはなかった。
(ちくしょう……っていうか、どこだよここ? 空調の動作音がするし、今日は真夏日なのに涼しいから……屋内か? 床が傾いているが……)
しばらくの間、「ここはどこなのか」という疑問について考え続けたが、やめた。
(とにもかくにも、この拘束を何とかしないと……)
梅平は、右手の中指を限界まで折り曲げ、拘束具を触った。つるつるした、独特の触感を覚える。
(ガムテっぽいな……あっ、そうだ、あれを使えば!)
心の中でそう叫ぶと、梅平はズボンの右後ろにあるポケットを弄り、そこからキーケースを取り出した。開き、中から鍵を出して握る。
(こいつを、鋸みたいにして……)
梅平は、鍵のぎざぎざとした部分をテープの端に当てると、前後に動かし始めた。ざりざりざりざり、という耳障りな音が響く。
しばらく作業してから、テープを触った。わずかだが、切れ目が入っている。
思い切り力を込め、右手首を奥に、左手首を手前に引っ張ってみた。最初こそびくともしなかったが、数秒後、びりびりびりびり、という清々しい音がして、両手首が離れていき、最終的に自由になった。
梅平はその後も、足首、口、目の順でガムテープを外した。自分の置かれている状況を確認する。
彼は、停止したリムジンの車内にいた。坂に駐車されていて、運転席・助手席のあるほうを上にしている。
目の前には、二回ほど湾曲した輪郭を持つ台座が、壁に沿って設けられていた。その上には、ロックグラスやシャンパングラスが逆さまに置かれている。丸い穴も空いており、中には氷が敷き詰められていて、オレンジジュースの瓶が入っていた。
台座は、車の進行方向に向かって右側にあった。左側と、梅平の背後には、シートが続いていて、L字型になっていた。リアウインドウの手前には、もう一つ座席がある。その椅子の左側の壁には、スライド式らしいドアが設置されていた。あちこちに、モニターやスピーカーがついている。
リアウインドウからは、閑静そうな住宅街の景色が見えていた。だが、何より目を引いたのは、その下のシートに寝かされている、セーラー服姿の女子高生だった。先程までの梅平と同じく、ガムテープで両手両足を縛られ、目と口を塞がれている。
「おっおいっ……大丈夫かっ?!」
女子高生の体を揺り動かした。何の反応もない。
女子高生の鼻孔に指を当てた。息をしていない。
女子高生の胸を強く押さえた。心臓が動いていない。
「うわっ!」
梅平は思わず叫び、飛び退いて、尻餅をついた。どすん、と音がして、リムジンが揺れる。
しばらく呆然とした後、「そうだ、運転手は?!」という一文が、頭の中に浮かんだ。
後ろを振り返る。L字型のシートの上は、壁になっており、運転席・助手席と客席を隔てていた。しかし、真ん中に細長い長方形の穴が空いており、そこから向こう側の席が見えるようになっていた。
おそるおそる、覗く。しかし、どちらの席にも、人は座っていなかった。
(なんだよ……運転手に訊けば、事情がわかるかと思ったのに……)
そう、心の中で呟いてから、はっ、とした。
(状況から考えるに、俺と、あの女子高生は、リムジンで誘拐される途中……理由はわからねえが)
では、いったい誰が攫ったのか?
(決まっている。運転手だ)
むしろ、ドライバーがいなくてよかったのだ。
梅平はリムジンの周囲を見回した。先程と同じ、閑静そうな住宅街の景色が目に入った。近くにトイレつきの公園があり、入り口横の看板には「一号公園」と書かれている。運転手らしき人物はいない。車が停まっているのは、アスファルトが綺麗に舗装されている坂で、その下の、傾斜が終わり平坦になった道には、交番が建っており、さらにそれの奥に、踏切が設置されていた。
(どこに行ったのか知らねえが……これはチャンスだ。今のうちに、脱出しねえと)
梅平は、リムジンの一番後ろへ移動した。体を動かすたび、あちこちがずきんずきんと痛む。運転手が自分を気絶させる時、スタンガンでも使ったのかもしれない。
スライドドアの取っ手に手をかけ、引っ張る。しかし、扉はびくともしなかった。
(ああ?! なんだよ、これっ!)
近くのシートの背凭れを両足で踏みつけ、全体重をドアの開くはずの方向にかける。しかし、扉はびくともしなかった。
(ちっ……ロックされているのか……? 仮に俺たちが目覚めたとしても、逃げられねえように……)
何か、ここから脱出するのに役立つ、道具はないだろうか。そう考え、梅平は自分と女子高生の服のポケットを弄った。結果、サインペンを手に入れた。辺りの床を探したところ、コードの長いイヤホンとデジタルカメラも取得することができた。カメラ以外は女子高生のものだ。
(うーん……あと何かあるとしたら、運転席か助手席か……)
壁の、それらの席に通じる穴の前に移動し、手を突っ込んでみる。しかし、シートの座面には届かず、何も触れなかった。穴が小さすぎて、何かが置いてあるのか、見て確認することもできない。
(クソが……せめて何があるかだけでも把握してえ……そうだ!)
梅平は、デジタルカメラを取り出した。それを手に持った腕を穴の中に入れ、レンズをシートの座面に向け、シャッターを切る。撮影した画像を確認した。
運転席には、何もなかった。しかし、助手席には、いろいろなものが置いてあった。まず、歪な円筒形をした鞄があり、その上にスタンガンと開封済みの下痢止めの市販薬、彼のスマートホン、ピンクの二つ折りのフィーチャーホンが載せられていた。下痢止めがあるということは、ドライバーはトイレに行ったのかもしれない。
バッグと桃色の携帯電話には、プリクラの貼られたキーホルダーが一つずつついている。写真には、死んだ女子高生とその友人らしき女子が、「水戸雲雀」(みとひばり)という男性アイドルの顔写真入りのうちわを持った状態で写っていた。おそらく、鞄もフィーチャーホンも彼女のものだろう。
(俺のスマホ……! あれさえありゃあ、110番して、助けにきてもらえる!)
しかし、どうやって取ればいいのか。梅平は、しばらくの間考えた結果、一つのアイデアを思い付いた。
まず、イヤホンのコードの先端に靴を結びつける。次に、シューズの裏に、剥がしたガムテープをくっつけた。テープは、粘着面を外側にし、輪っか状になるようにした。
(後は、釣りの要領で、スマホをくっつけ、持ち上げるだけだ……!)
梅平は、穴の中に腕を伸ばし、靴を下ろした。何かの上に載ったところで、引き上げる。
見事、スマートホンがくっついていた。剥がし、カバーを開いて、本体のスリープ状態を解除する。
(早く110番しねえと、運転手が戻ってきちまうかも……)
念のためと思い、梅平は公衆トイレに目を遣った。
口から心臓が飛び出るかと思った。入り口付近に設けられた洗面台で、濃紺の帽子を被り白いワイシャツと黒いスラックスを着た、運転手然とした男が、手を洗っていた。
(まずい、今から110番しても、助けられる前に戻ってきちまう……!)
まだ気絶しているフリをすれば、もう梅平が目覚めたとは気づかれないだろう。しかし、その先はどうするのか。ずっとフリを続けるのか。それとも、不意をついて運転手を襲うか。けれども、こんな痛む体でまともな格闘ができるのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます