4-5
リルに腕を引かれ、慣れない下駄でつっかかりそうになりながら、ライルは歩く。草履を履いたリルは、東国の衣装など初めてだろうに、着物の裾もまとわりつかぬまま、すたすたと先を進んだ。
やがて、屋敷の外れに来たところで、リルはようやく立ち止まり、琥珀色の瞳でじろっとライルを見上げた。
凪音の時もそうだったが、普段化粧もしていない相手が着飾ると、変な意識をしてしまう。着物をまとって薄化粧を施したリルは、普段の不遜な『
(いや待てちょっと待てほんと待て。こいつは性悪始祖竜だ。見た目に騙されるな)
ライルがどぎまぎしている間に、リルはふいっと目をそらし、その視線を上空に馳せた。薄桃色の髪は、青白い月光に照らされて、ほんのり紫色にも見える。憂いを帯びた横顔は外見の年相応には見えず、長い時を経て、人生に飽いた大人の女性のようにも見えた。いや、きちんと目をこらすまでもなく、その姿は七、八歳の幼女なのだが。
「お前の悔いている失態を話せ」
「は?」
唐突に、リルが口を開いたので、間抜けな返事をしてしまう。いつもなら、ここで「一度で聴き取れこの筋肉ダルマ」と返って来るところが、今夜はその口撃が飛んで来ない。訝しげに首を傾げると、少女は特段気を悪くした様子も無く、付け足した。
「貴様と契約を結び、力を貸す為に繋がっているからかの。貴様の心の奥底に、黒く沈殿している嫌な思い出があるのがわかった」
ライルが目を真ん丸くする間に、リルはふっと一旦言葉を切り、視線を地面に下ろしてから続ける。
「相当隠したい記憶なのはわかる。だが、貴様に力を貸す為には、気持ちに障害があると、上手く繋がれんのじゃ。だから話せ。解決できるならそれに越した事は無いが、解決できなくとも、わらわが知っておく事で、不測の事態に対応できる」
不測の事態とは、その『嫌な思い出』が障害になって、リルの『真白』としての力がライルに送り込めなくなった時か。それを頭では理解しつつも、心の奥の重石を動かしてその思い出を引きずり出そうとすると、手が震える。冷汗が出る。勝てない相手はもういないと謳われたライルの、唯一の汚点で、最大の
だが、密かに世界の命運がかかったこの状況で、がきんちょのように嫌だ嫌だと地面に寝っ転がってじたばたする訳にもいくまい。
気を抜けば遠ざかりそうな意識を呼び戻して、深呼吸する。じっとり汗をかいた掌を、拳を握り込む事で包み隠す。すーはーすーはー何度か息を出し入れしてから、ライルはリルの瞳を見つめ、
「俺が一人前の
と話の口火を切った。
「竜の出る森に薬草を採りに行って帰って来ない姉妹がいるから、探して来てくれ、っていう依頼だった。その時、
今でも思い出せる。暗い森のじっとりとした空気。木々のにおい、踏み締めた土の感触。
そして、真っ赤な記憶。
「手遅れだった」
姉だろう娘は竜の手の下で赤い海を生み出し、妹の身体下半分は竜の口からはみ出て、紺色のスカートと、赤く染まった元は白いエプロンがやたらはらはらと揺れていた。
その時の竜は、今ライルが相手にしている野生竜と変わらないか、もっと小さな個体だったかもしれない。だが、予想以上の衝撃を受けた少年には、とてつもなく巨大な化け物に見えた。
「俺は情けない悲鳴をあげながら、二人を助ける事もせずに逃げた。みっともねえほど慌てふためいて、どうやって生き延びたかも覚えてないくらいにな」
いや、竜を倒して助け出した所で結果は変わらなかっただろう。二人は既に息絶えていたのだ。
竜退治は失敗したが、ライルがまだ少年だった事、二人の安否を確認しただけで充分だと姉妹の両親が涙ながらに感謝を述べてくれた事で、この件はライルの経歴には傷をつけなかった。だが、目の当たりにしたあまりにも鮮烈な血の記憶は、重い蓋をしない限り蘇って、悪夢としてライルを追いかけて来たのだ。
「姉はアリス、妹はタリアといった」
救えなかった命の分まで竜を狩る、その為に強くなろうと決意した。だが、記憶を封じ込めて過ごし、百戦錬磨の狩竜士と讃えられる内に、調子に乗って初心を忘れていたのもたしかなのだ。
「俺はまだまだ未熟だよ。こんなのがお前の
自嘲気味に洩らして、ライルの話は終わった。リルは地面から視線を上げ、しばらくライルをじっと見つめていたが、唐突に着物の袖を翻して背を向けると、
「正直に話したその真摯さに免じて、ひとつ、昔話をしてやる」
こほん、とひとつ咳払いし、謡うように語り出した。
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