クリスマス・スプリング

小野 大介

第一節

 天気が崩れたのは昼過ぎのことだった。

 下校の時刻となり、生徒たちが学校を後にするのだが、その誰もが肩をすぼめ、両手を上着やコートのポケットに突っ込んでいる。

「わっ、寒い……!」

 出てきたばかりの彼も、寒風に頬を撫でられて、思わず身震いした。

「持ってきておいてよかった」

 持参していたマフラーをカバンから引っ張りだし、首や口の周りを覆い隠した。

「いいなぁ……しっかし、すっげぇ曇ってるなぁ」

 隣にいるクラスメイトの男子が、空を見上げて言った。

「雪でも降るかもね」

 彼もつられて空をうかがう。

「こんなに寒いんだから、雪ぐらい降ってくんねぇと割に合わねぇし」

「降ったら余計に寒くなるけどね」

「くそっ、等価交換というわけか……」

「いやいや、気象現象ですよ」

 そんなことを言いながら、二人は校門前を後にした。


 大通りに出たところで、最寄駅へ向かうクラスメイトと別れた。反対方向に歩きだした彼は、カバンからデジタルオーディオプレイヤーを取りだし、絡まないように巻きつけてあったイヤホンを解いた。

「あれ?」

 すぐに気づいたが、イヤホンの片方にカバーが付いていない。耳孔に挿入する部分だ。

「あれ、なんで? ………………無いし」

 カバンの中を探してみたが、カバーは見つからなかった。

「どこで落としたんだろう? そういえば、取れやすくなってたっけ。もう古いもんなぁ。どうしようかな……あ、そういえば、ポイント貯まってたっけ」

 独り言を呟いていた彼は、ふいに歩みを止めた。小刻みに頷いたかと思えば、デジタルオーディオプレイヤー、略してデジプレを制服の上に羽織るコートのポケットにしまい、そして踵を返した。

 クラスメイトの後を追うように、足早に歩きだした。


 駅前にある大型の家電量販店を訪れた彼は、一階の奥にある、携帯できるタイプのオーディオのコーナーに向かった。

 ズラリと並んだ様々な種類や各メーカーのイヤホンを前にし、どれにしようかと物色。

 なるべく安いほうがいいけど、安過ぎるのもいかがなものか。ここは無難に、ひいきにしているメーカーのものにしようかな。

 そんなことをアレコレ考え、ふと良さげなものを見つけたので手を伸ばした。

「色は……」

 カラーが数種類あるので、どれにしようかとまた迷う。最初に取ろうとしたのは白だったが、「あ……」と何かに気づいたような、思い出したような反応を見せると、隣にあった赤を手に取った。

「……これでいいや」

 彼はくすりと微笑み、レジへ向かった。


 小さなビニール袋を手に下げ、店を後にした彼。

 すぐに付け替えたいと思って、ちょうどいい場所は無いかと辺りを見回す。

 真っ先に目に留まったのは、見上げるほど大きなクリスマスツリーだった。雪化粧などの飾り付けがされていて、派手だが美しい。

 そういえば、ツリーがそびえる広場にはベンチがあった。

 思い出した彼は、すぐにそちらへと足を進めた。

「でっかっ」

 ベンチはツリーを眺められる位置にあった。ゆえに人気があり、たいていは先客がいるのだが、寒いなどの理由からか、一つが偶然にも空いていて座ることが出来た。

 椅子の冷たさを我慢しつつ、手にしたままのビニール袋から中身を取り出す。指がかじかんでしまって、少々手間取った。

 箱や説明書、デジプレに装着したままだった古いイヤホンなどの不要なものは、ビニール袋ともどもカバンの中へ押し込んだ。

「せっかくだし、ここはクリスマスソングで……」

 早速、取り付けた新品を耳に装着し、先日ダウンロードした流行りのクリスマスソングを選んで、席を立った。頭の中に、この場に相応しい音楽が流れ始めた。

「……そういえば、今年も一緒にパーティーするのかなぁ」

 そんなことを呟きながら、ツリーを横目に歩きだす。曲のテンポに合わせて、ゆったりと駅前を後にした。


 人も車も頻繁に行き交う、スクランブル交差点。

 横断歩道の手前までやってきたところで、青信号が点滅をやめて赤に変わった。

 彼はすぐに立ち止まり、点字ブロックの内側にまで下がった。

「さむぅ……」

 車が運んでくる強風に身を強張らせながら、音楽に耳を傾け、クリスマスの色に染まる街並みを眺めて時間を潰す。

 ランダム再生にしているのに好きな曲が流れてちょっぴり嬉しかったり、有名な高級車を見つけてつい目を奪われたり、帰ったら何をしようかと思い浮かべたり、喉が渇いたのでジュースでも買おうかと考えたり……。

 そろそろ信号が青に変わるかな。

 そう思い、右手に見える車両用信号機をうかがった、そのときだった。

 首に氷が張りついた。

「うひゃうっ!」

 飛び上がらんばかりの冷たさに襲われ、彼は思わず声を上げた。

 すぐに気づいたが、それは氷ではなく、人間の手だった。誰かが、わざわざマフラーの下に両手を忍ばせて、包み込むように首を触ってきたのだ。それが氷のように冷たかった。

 突然の奇声に驚いたのか、信号待ちをしている人たちが一斉に振り返り、怪訝な視線を向けてきた。

 恥ずかしさに顔を赤らめた彼は、その羞恥心を怒りに変えた。

 未だに首を触り続ける両手を振り解くべく、逃げるように前へ出た。そして素早く振り返り、自分を辱めた相手をキッと睨みつける。

 どこのどいつかと思いきや、背後に立っていたのは一人の女子高生だった。

「やっぱり! もう、やめろよ!」

 それが誰の仕業であるかを、彼は薄々感づいていた。

 それもそのはず、この時期になると必ずやられるのだ、幼い頃からずっと。もはや風物詩と言ってもいいだろう。

「エッヘッヘッ。だってぇ、アンタってあったかいんだも~ん」

 振り返った際にイヤホンの片方が外れ、彼女の声や都会の喧騒が、軽快な音楽に入り混じって聞こえてきた。

「もうちょっと温めさせてよぉ」

 彼女は悪びれもせずヘラヘラとし、両手の指をわきわきと小刻みに動かしながら、ゆっくりと近づいてきた。

「嫌だ!」

 彼は拒み、距離を取ろうとした。けれど、信号という制限があってそれ以上は下がれず、首を守ることしか出来なかった。

「あ、信号変わったよ」

 すると、彼女が様相を変え、いずこを指差した。彼は反射的に振り返り、信号が青になっていることを確かめた。信号待ちをしていた人たちもすでに歩きだしている。

「隙あり!」

 信号に気を取られたその一瞬に、彼女がまたもやマフラーの内側に両手を入れてきた。首に絡みつくそれは、まるで蛇のようだ。

「きぃやぁーっ!」

 冷たいのも然ることながら、他人に首元を触られるのが大の苦手な彼にとって、それは拷問に等しかった。ゆえに人前にもかかわらず悲鳴を上げ、激しく身悶えた。

「あは~、あったか~い」

「うひぃーっ!」

 信号が再び赤に変わるまで、地獄は続いた……。

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