套路

     ★☆★☆★


 ヘリコプターから飛びおりたダニエルは、腕に装着した射出器から撃ちだしたアンカーでマウントマンダラの尖塔せんとうを構成する鉄骨をとらえると、落下速度を調整しながら音もなく屋上におりたった。遠ざかっていくヘリに手をふった彼を塔の基底部からみおろして、ファンの体にピヴォットしたクレアがいう。

「随分なれてるのね」

「アカデミーでやらなかったかな?」

「いいえ。強襲部隊くらいよ、そんな訓練をするのは」

「さえない親父の過去を詮索せんさくしてもいいことなんかないぞ?」

「約束をわすれないで。すべて話してもらうわ、シュリをたすけたら」

「もちろんだ。ところでお嬢ちゃん、くだんのプログラムはできたかな?」

「私自身のデータを参考にして一応つくってはみたけど、もっとゆっくりでよかったんじゃないの?」

「好事要趁熱打鐵。

 いいことには早く取りかかれ、という箴言アフォリズムがある。じゃあいこうか。お嬢ちゃん」

 うやうやしく差しだされた左腕にクレアが舞いおりた。ダニエルは自分たちの方をむいた防犯カメラを気にする様子もなく歩きだす。彼女に侵入された屋上の警備システムは、ふたりの存在の痕跡こんせきを丁寧に抹消しながら動作をつづけ、忠実なドアマンのように屋内へいたる扉を開放した。

 無人の非常階段をくだりながら、ダニエルがクレアに問いかける。

「プレゼンテーション・ルームはどんな風だろう」

「盛況のようね」

 拡張現実にプレゼンテーション・ルームから放映されている映像がながれた。大勢の聴衆をまえに、新製品の紹介をおこなうパトリック・ベネットのととのった容姿と堂々たる態度は、人目をひきつけて離さないものがあった。プロトタイプであるシュリのアーキテクチャを汎用はんようがたにした最新版のアンドロイドの男女が、清潔感にみちたたたずまいで傍らにひかえている。

「結構な人数が入っているようだが、本当にいけるか?」

「たかだか数百人よ。私としてはあなたの方が心配だけれど」

「もっともだ。まかせてくれとまでは言えないが、まあ、どうにかなるんじゃないか」

 無骨な非常口の扉のまえで立ちどまったダニエルは、だるそうに首をならしてから、背筋をのばして直立した。

 しばらく宙空をみつめてから、鳳をのせた左腕は胸の高さにとどめたまま、おろしていた右腕をゆっくりとひらき、大気中から何かを体の正面にあつめるような仕草を繰りかえした。三度目でひざをまげて体を沈みこませると、右足を一歩まえにおくりながら右掌をまゆの高さにかかげ、上体を右方向にむけた半身に構えてぴたりと静止する。

 まとった空気を一変させた彼がつげた。

「こちらは準備完了だ。バディ殿、よろしくたのむ」

「ええ」

 次の瞬間、共有レイヤーにクレアの歌声が響きわたる。かろやかに、たからかに。紡ぎだされた旋律の余韻がきえた直後、電脳空間に返答があった。クレアの侵入によってあらかじめ構築されていた、数千の奏者ノードからなる交響楽団コンピューター クラスターだ。

 扉のむこうがわにいる警備員や報道関係者、一般招待客たちばかりか、フロアにいる数百名の拡張現実のセキュリティーを一瞬のうちに突破したうえで、任意の操作を可能な状態におく。つづいて無数の防犯カメラを通じてすべての個人を特定して過去の全記録を取得、特徴量の算出を開始させた。数百の人間それぞれ行動の傾向をもとに、このフロアにおける数分後の未来を、正確に予測する。すさまじい技量を有するソリストの独唱に、オーケストラが、コーラスが、懸命に食らいつく。間もなくダニエルの拡張現実に、廊下をへてプレゼンテーション・ルームを通過し、ヴィマーナへの直通エレベーターにいたる、ミリ秒単位での通過時間がしるされた詳細な経路が表示された。

 クレアから合図ザッツがだされる。非常口の扉がひらき、ダニエルが廊下にでる。警備員の注意は通りがかった女性にむけられており、侵入者にきづかない。周辺の人間の聴覚に正反対の位相をもつ音が送りこまれ、打ちけしあってドアの開閉音がきえる。コンマ数秒後に警備員の視線がもどったとき、すでにふたりの姿はなかった。

 プレゼンテーション・ルームへとつづく廊下は、大勢の人と無数の声であふれている。興奮気味に言葉をかわすものたちや、急ぎ足で会場をめざすもの、そして来客の対応をする係員たち。彼らから漏れだした、間もなくおこなわれる世紀の瞬間に立ちあっているのだという高揚した空気のなかを、くたびれたスーツをきた中年男が、緋色ひいろの鳥を左腕にとまらせて進んでいく。

 その動きは、舞踏をおもわせた。右掌で不意に背後を払う右撩掌についで、上段へのりを放つ左側踹、転進をまじえた伸びやかな並歩上穿につづき、ひくく身体をしずめた摟肩下僕の姿勢から、弓歩撩掌で前方をうち、まうえを突く丁步上穿、そして片膝をあげて構える提膝右劈掌。

 しなやかに、そしてちからづよく行われるそれは、招式とよばれる個々の技の連続によって構成された武術における身体動作の形式、套路とうろである。こめられた理合、招法にちかづくほどに洗練され、流麗なものへと昇華していく套路において、ダニエルの所作は、見たものすべての心をうばうほどの完成度であった。

 ところが場違いな闖入ちんにゅうしゃに目をむけるものは、だれひとりとしていない。その場にいあわせたすべての人間の注意がむけられていない、一瞬だけうまれるわずかな場所、あるいは拡張現実に些細ささいな情報を差しこむことでうまれる刹那せつな隙間すきまへと、クレアがダニエルをみちびく。算出された未来はちかづくほどに信頼性をまし、経路にこまかな修正がくわえられていく。平行に地をはなれた足が平行なまま着地する機敏な歩みが、ながれる水をおもわせる変幻自在の動きが、その経路を実現していく。

 急な連絡に応じるため、ひとりの記者がプレゼンテーション・ルームをでた。あけたドアがとじる直前に滑りこむ。ひしめきあう人波のわずかな隙間を擦りぬける。壇上では、パトリック・ベネットがふたりのアンドロイドを聴衆に紹介した。拍手が巻きおこる。スポットライトがむけられる。

 その喝采かっさいのかげで、極上の歌声をもつ浄土にすむ鳥は、くたびれた老犬のような男にその身をあずけ、数千の奏者たちをみちびき、ひたすらに未来の道筋を切りひらく。くたびれた老犬のような男は、極上の歌声をもつ浄土にすむ鳥が切りひらく未来の道筋に全神経をむけ、己のすべてをもって渡っていく。

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