The night was so dark...

斑鳩彩/:p

深夜三時のレンガ街

 真夜中。

 街の生気が闇に消え、魔物達が動き出す時間。つい数刻前までは、可愛らしい仮想をした子供たちと、『トリックオアトリート!』の声が響いていたのがまるで嘘のように思える。

 先ほどまで道を照らしていた紅の月は、天の気まぐれで分厚い雲に隠されてしまってしまったようだ。夜露の落ちる時分、じっとりと黒い空気が通りに纏わりつき、淀んだ流れが通りにわだかまっている。あまつさえ一寸先すら見通せない闇に覆われている状況は、街一の豪傑ごうけつでもない限り、風の一吹きで全身が総毛立つような気味の悪さがあった。

 太陽が一度死ぬこの日、深淵を支配する悪霊たちが一斉に下界へと押し寄せる。人間には姿を見ることは出来ないが、それらは確かにそこにいる。軒先の裏、植木鉢の影、あるいはあなたの背後にも。その証拠に、通りを往く数少ない人間たちは四方から奇妙な視線を受けて、背を小さくして、首をちょこちょこ動かしながら道を急いていた。

 ハロウィンを楽しむ人も、そんなものに興味は無い人も、あるいはその存在自体を知らない人も、無意識に感じ取るのだ。

 〝今日は何かが違う〟と。

 ――――さて、そんな夜の街の、ある通りに面した塀の上に、一匹の黒猫が居た。

 黒猫はその艶やかな毛を闇に溶かし、瞬きすることなくじっと一つの方向のみを見つめている。視線の先には一つの家。傍から見ればごく普通に佇んでいる一軒家だが、黒猫は黄色い目を光らせてそこから視線を逸らそうとしない。

 その家では何が起きているのだろうか?

 気になるのなら黒猫に聞いてみようではないか。きっと黒猫はニタリと笑って答えるだろう。それはそれは楽し気に。


                ◇


 男は血染めのナイフを引き抜いた。

 刹那、血が噴き出して男のレザージャケットを赤黒く汚す。その量は明らかに致死量を超えていて、刺された人間が既に息をしていないのは、確かめずとも分かった。

 恐ろしく暗い部屋の中で、男が血に濡れた無骨なナイフを掲げると、その鈍色の輝きのみが部屋の中に浮かび上がった。男は暗闇に輝く流線型の波紋をうっとりと眺め、冷たい微笑みを湛えた後に、鞘の中へと収めた。今しがた己の手で殺した人間に向かって十字を切ると、満足そうに手を打つ。そして、仕事も終わり部屋を出ようとドアに視線を向けた。

 ――――瞬間、男は雰囲気を一変させて、収めたナイフを引き抜き、逆手に構える。視線の先、ドアを丁度塞ぐようにして、小さなシルエットが立っている。タイミングよく群雲の隙から零れた月光が、カーテンの間を縫って差し込み、部屋の中の様子が薄っすらと明らかになった。

 シルエットの正体を知った男はすぐに脱力して、自然な口調で話しかける。

「これはこれはお嬢さんフロライン。こんなところでどんな御用ですか?」

「――――っ!」

 話しかけられたシルエット――――まだ齢十歳ほどの少女は、男の場違いな軽い言動に息を呑んで後ずさる。つい先ほどまで寝ていたのであろう、薄い寝間着に跳ねまわる金髪という様相で、左手には小さなテディベアを抱いている。髪の毛からはお菓子の甘い香りがしていて、どうやら彼女も楽しいハロウィンを満喫したらしい。だが、一つだけ少女にそぐわないものがあるとするならば………

「宜しければを下ろしてくれるといいんだけどなぁ。君にそれは似合わない」

「――――嫌、嫌だ! パパとママに何したの………」

 男が一歩詰め寄ると、少女は一歩後ずさる。

 少女の手に握られた果物ナイフは切っ先が震え、少女がどれだけの恐怖を抱いているのかを暗示させる。しかし、その翡翠の双眸に宿る不屈の光だけは本物で、対照的に、全くぶれることなく男を睨みつけている。あくまで可愛らしい少女の抵抗に、凄味や殺気は感じ取れない。ただ、その瞳にはそれに相当しうるだけのエネルギーが込められているのが分かった。

 男はそれを見て思う。例え自分がこの子を刺し殺したとしたら、彼女は死ぬその今際いまわきわまで自分をその眼で睨み続けるのだろうと。いや、死んだその後も、その抉りだしたいまでに美しい瞳で、自分の事を睨みつけるのだろうと。

 男は、大したものだと口の端を獰猛に引きつらせ、一歩一歩距離を縮めていく。少女はもう廊下の隅まで後退り、床にうずくまって、震えるナイフだけを前に突き出している。男はそんなものに臆することなく、自然体でその前まで歩く。

 少女はあまりの恐怖に悲鳴も出せないのか震える手でナイフを弱々しく振り回しながら、掠れた声をあげる。

「いや――――、来ないで――――」

 男は暫くナイフの動きを読んでから、容易に少女の手首を掴んで、ナイフだけを奪い取る。そして、子供をあやすかのような、穏やかな声で、

「君みたいな可愛い子供に、こんな物騒な光り物は似合わないだろう」

 そう言いながら奪ったナイフを遠くへ投げ捨てると、開いた素手を少女の下へ伸ばす。少女はあからさまに怖がった様子でその手を凝視するが、男は優しく、ポンと彼女の金髪の上に手を乗せた。

「私は君みたいな、純粋で美しく、強いものは傷つけないと決めているんだ。だから、さっきみたいに汚れたナイフを振り回すような真似はしないように」

 少女は荒い呼吸を抑えて男を見上げる。薄暗くて分かりずらいが、男は確かに笑っていた。それも、今までの狂人じみた冷たい笑いではなく、本気で少女の事を思っての、温かみのある笑みだった。

「それでは、お嬢さんフロライン。ハッピーハロウィン――――とはいえませんね」

 男は最後にそう言い残すと、悠々と家のドアを開ける。通りに出た男の影は、すぐに遠くへ消え去った。

 静まり返った通りには、笑う黒猫が一匹残るのみだった。

 

 

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