第2話 反乱期
自分のやりたい意思を持ったのが
25前半だった。
それまでは母親の遺伝を受け継いで
しまい毎日頭の中では
【安定、安心、将来性】
馬鹿みたいにクソ真面目に
生きてきたのである。
時を18歳まで戻そう。
私は18で就職をした。
総合商社の事務職だった。
別にやりたい仕事でもなく
最初は死ぬほどつまらなく
一生これで生きるのかとか
噂通り、商社の支店ってのは
運悪さもあったのか
大晦日、元旦休みすらなかった。
何故この職についたのかは単純に母に
【事務職は将来性もあり安定している。】
と、まるで名言のように言われた。
母はバブル期の元区役所公務員だ。
時代は違う。
本当は専門学校へ行きたかった。
イラストやアート、デザインなどの
職種に就きたかった。
だが母からは
「絵なんか世の中に役に立たない」と
散々言い聞かされてしまったので、
経済力もない家庭だったもん
だから就職先は華やかに見える
アパレルか雑貨販売にしようとした。
就職口はアルバイトと比べると
魅力的な求人が余りない、と
学生時代の自分は感じ取った。
世間体な母にはフリーターは許さないと
断言されていたので、アパレルにする。
と言えば安定も将来性もない。
と否定されてしまった。
学生時代は親から嫌われたくない
臆病な子供だった為にひたすら
【いいこ】を演じ続けていた。
事務職なんて興味はないが、せめて
東京に出たい。
という信念はあった。
親の言う通りに事務職で探すが
勤務地や本社は
東京都で探し続けた。
こんな田舎でいつまでも
言う事しか聞かない
操り人形なんかやってられない。
無事就職は内定したものの、
究極の社畜状態だった。
毎月親に三万渡しているから辞めれない。
この18から25の間がまた色々複雑だった。
ザックリ言えば19から24まで
男とお付き合いして
24で婚約破棄に合う。
20で男のしつこい言い分で折半同棲開始。
男のDVが原因でうつ病になりかけて
22の4年目で会社を退職する。
その後、実家に引き取られたが
男が実家に押し寄せて来て
22から24まで主婦みたいな
パートと毎日ご飯を作るという生活。
結果、男が浮気相手に
子供を作り婚約破棄に至る。
ここまで来ると大抵は
会社も失い時間も失い計画も失いで
中々立ち直れない現状だが
私は3カ月うつ状態にはなったものの
YouTubeでくだらない動画などを
繰り返し観ているうちに、
たった一人の人間の為に
相手は家庭を持ち幸せで
自分だけ落下とかやってらんねーと
思い、ゼロから会社員になった。
履歴書の空白やうつ時代は田舎の
実家だった為、中々良い会社がなかった。
でも片っ端から受けて24で再就職から
半年で役職になることが出来た。
別れてたった1年でこんなにも
人生が変わるとは、むしろ会社では
善い方ばかりで5年も付き合ったのに
別れた男の存在すら風化していた。
そんなある日のことだった。
役職になってから会社の
色んな部分が見えてきた。
理不尽さ、仕事が円滑に
回らない理由、阿保な上司。
朝7時に出社から0時に
帰宅することもあったが
残業代稼げるのと商社時代を
比べたらちょろかった。
ただ阿保な上司のお陰で
取引先には迷惑ばかり。
結果、ブチ切れから残業途中に
勝手に帰宅して別の会社へ電話し、
面接して貯蓄があったので
飛び込むかのように引っ越して
一週間後は新横浜の会社でOLをやっていた。
切れたときの行動力の早さは
光並みかもしれない。
そんな矢先、突発的に見つけた
会社だったせいか
よくありがちな求人詐欺にあった。
仕事と求人内容がまるで違い過ぎる。
ほぼクレームとイレギュラー処理だった。
会社側には引き止められたが、
イレギュラーにより
他の社員に迷惑を掛けたくない。と
仕事には責任感強い自分は僅か
短い期間で退職。
さぁどうする。
一人暮らし家賃もある、貯蓄五万。
親は頼れない。
切羽詰まり出してきて、昼間に就活を
していきたいから夜働ける
ダーツバーでバイトを始めた。
夜8時から朝の5時まで、
時給も良いが昼間働いていた
自分からすれば夜寝たかった。
店から出れば繁華街な為に
ゴミだらけでカラスが飛んでるは
酔っ払いが転がっているわ
夏なせいか蝉は鳴いていてやかましかった。
帰宅してもボロアパートな為に
光は入り蝉はうるさく眠れず、
さっさと夜のバイトなんか
やめてやる。とタウンワークを
開き就活をした。
ダーツバーのバイトは二週間で終わった。
すぐ内定された。
理由は超ブラック企業だったからだ。
自分でもわかっていたが、
それでも昼間働いて夜は眠りたかった。
ブラック企業はまさに典型的だった。
パワハラ、セクハラ、過労、
休憩なし、休みなし、飯食う暇も
なくリポビタンDで冷蔵庫は埋まる。
終電がなくなる。
入社二週目にして出張。
人間のマインドコントロールは
恐ろしいほどにマイコンされていた。
ただ私は一度きりの人生、
好きな事もやらずに
こんなんで良いのか。
と感じて、暴言吐きまくりな
上司を目の前にシフト表の
自分の名前を定規で消して渡した。
案の定、輩のような切れ具合だったが
録音しといて勝手にやめた。
これからどうする。
社畜にまた戻るの。
いや、25歳、人生一回だぞ。
私は絶対に手を付けない求人に手を付けた。
キャバクラの求人だった。
何故キャバクラ求人に目を向けたって?
それは昼間は役職ついても
たかがしれた額な上に責任重大だし
給料も上がってもお決まり程度。
水商売は確実に結果を出せる上に
学費を貯めることも出来る。
今の自分からの脱出手段に過ぎなかった。
各駅停車でゴールを目指すより
飛行機乗って着地したほうが
確実に時間も削減出来る。
どうせならデカい店に入ろう。
無知識な自分だけど自分商売とは
理解していた。
ただ一つ残念なことに未経験者だった為、
凄く安い時給で使われてしまった。
当時は時給より客を掴みまくる事しか
頭になかった。
どうせやるならナンバー1狙おう。
最初は週6出勤にした。
未経験だから経験者より新規客を多く
掴んでやりたいと思ったからだ。
昼間の真面目な性格は抜けていなかった。
結果二カ月で場内は2位まで行ったが
無理な営業、接客、ストレスにより
大人喘息と肺炎と逆流性食道炎に
なってしまい店はやめてしまった。
郊外の六本木がメインの大衆店だった。
私はなったことのに病気に魘され、
痛みもがき苦しみ呼吸がまともに出来ず
もう死ぬのかなんて感じていた。
世間体な親に水商売で病気なんて
言えたもんじゃないから自宅で
三日も何も食べずに起きれず
ただ野垂れ死にするのを待った。
苦しみから気が遠くなり
意識がなくなるのがよくわかる。
台風の荒い日だった。
そんな矢先に母からLINEが届いた。
【おばあちゃんが亡くなりました。】
今年は持つと言われていたのに、
私は自分が死んでる場合じゃないと
母に連絡をしてダッシュで冷たくなって
固まってしまったおばあちゃんの髪を
撫でて泣いてしまった。
おばあちゃんの苦労は死ぬほど知っている。
この人いなきゃ私は存在しない。
むしろ存在しなくても良かったんだけど
おばあちゃんは大好きだった。
母親は私が病気になったことを知った。
が、しかし通院に付き合う事はないし
私も親に期待はしていなかった。
死ぬ前に何かを残そう。
絵なんか役に立たないと言った母親を
見返してやるんだ。
もはや子供の頃の愛情と臆病から
憎しみと貪欲しかなかった。
私は病気で会社もバイトも水商売も
出来ない状況だったが、当時店の
指名されてた太客と寝て金を貰って
医療費に変えた。
エグいがこれが現実。
徐々に体調も薬さえ飲んどけば仕事には
行けるようになってきた。
そして倹約しながら病気と闘いつつ
水商売のヘルプを知り、
昼間は契約社員で楽そうな
会社を選び保険代わりに働き
夜は稼ぎをメインに働きまくった。
気づけば月収100近くはいっていた。
何故こんなにもハングリー精神に
塗れていたのか
今の自分にもわからない。
ある時のことだった。
不動産が自宅に押しかけてきて
立ち退きしてほしい、と来た。
理由は高層マンションを建てるからだった。
勿論立ち退き料は貰い私は引っ越しをした。
20から5回目の引っ越しに至る。
立ち退き料以外にも金はあった。
あれだけ死ぬほど働けば心は余裕だった。
引っ越し終わり、新たなる人生と思いきや
以前知人に誘われたイベントに居た男から
LINEがしつこく来た。
エステの代理店やらないか。
引っ越し祝いに新宿で飲もう。
私は引っ越し当日、死ぬほど
くたばってたのに
こいつは本当にしつこい。
いつもはシカトしていたが
何故か相手にしていた。
ここから事件の始まりだった。
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