第19話 正義はどこにあるか

 その日のリシュアは朝から不機嫌だった。秘書が淹れたてのコーヒーを手渡しても口もつけない。


「どうしちゃったんですか、ピリピリして」

「どうしたこもうしたもない。とっくに終わった話で呼び出されるなんて納得がいかんよ」


 自分で勝手に話を終わらせたと思い込んでいただけなのだが、当人は頑としてそれを認めない。


「いいから早く行ってきてください。中将閣下がお待ちですよ」


 上司の泣き言をぴしゃりと封じて、ミレイはリシュアを追い立てた。これには渋々腰を上げざるを得ない。リシュアはこの押しの強い秘書には何故か逆らえないのだ。


***


 コツコツと響くノックの音。


「入りたまえ」


 入り口で最敬礼。そして普通にてくてくと歩み寄る。


「まだ何か御用ですか」


 子供のように不貞腐れたリシュアを呆れたように眺め、一つ大きなため息をつく。


「お前が言う事を聞かないからだぞ。私にもやってやれることには限りがあるのだ」


 恨めしそうな口ぶりにリシュアは違和感を覚えて首をひねる。小言ばかりのこの小うるさい上司が、今までに一体自分に対して何をやってくれたというのだろう。


 中将は渋い顔で何か書かれた紙を取り出した。無言でリシュアに突きつける。紙のふちが箔押しされた公文書だ。癖のある筆記体で流れるように書かれているその文章を読んでいくリシュアの顔が、だんだん蒼白くなっていく。


「これは……」


 言いながら背中を冷たい汗が伝う。そこに書かれていた内容は──。


「ルーディニア子爵家の次期当主ルーディニア・アル・ルダンに1年の兵役を課すものとする」


 ルーディニア・アル・ルダンはリシュアの姉サリートの夫だ。リシュアにとっては義兄となる。大変優秀な男で、子爵家が持っている工場や牧場、不動産の管理なども全てこなしていると聞いた。

 何よりも今病に伏せているリシュアの父にとっては、最大の信頼を置く跡継ぎであり家族である。それは姉サリートにとっても同じことだろう。


「内乱の長期化によって、兵の数が足りないという状況に陥った。20年前のクーデターの際の降伏の条件として、有事の際には貴族達とその私兵の徴兵を認めるというものがあるのだ。ほかの貴族たちにもいずれ辞令は下るだろう」


 彼が兵役にとられ家を離れるような事があれば、子爵家としての重圧はサリートの細い腕にのしかかる。ましてやルダンの身に何かあれば子爵家の命運は尽きる。その心労は父の病状にも関わってくるだろう。


 生き方の違いで意見が合わず、物別れに終わった姉ではあるが、本来自分が継ぐべき家を守ってくれている彼女とその夫に、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。リシュアは唇を噛む。


「いいか、何も言わずにパレードを率いて行けばその功績を認められてこの辞令は取り下げられるだろう」


 上司が諭すように言う。


「何のことですか。子爵家の人間がどうなろうと俺には関係ありませんよ」


 ダメ元で白を切るが、中将は目をつむり黙って首を横に振る。


「お前の事は上層部も皆知っている。今更ごまかそうとしても無駄だ」


 決定的な言葉にリシュアは声を失う。中将は先程見せた兵役の辞令証をくるくると巻き筒にしまうと、静かに蓋を閉めた。


「お前には大事な仕事をしてもらう必要があるのだ。いい加減腹をくくって言われた通りにするんだ」

「言われた通り、っていうのはあれですか。平穏に暮らしている司祭様の所へ、軍の隊列を率いて乗り込んでいけということですか」


 非難めいた口調で言うと、中将は少し沈黙を置いて再び口を開いた。


「もっと大切な任務がある」


 リシュアは片眉を上げる。上司は今度は違う紙を筒から取り出しリシュアに見せた。


「司祭様に皇位継承権を放棄して頂き、軍があの方の後見人になるという誓約書だ」


 思わず息をのんだ。


「そんなもの……」


 言いかけたリシュアの声を中将が遮る。


「貴族達は司祭様を利用して、自分たちの利益のために現政府の転覆を狙っている。正義はどちらにあると思うかね?」

 

 正義など、どちらにもあるものか。辛うじて声に出さずに収めたが、彼の顔は怒りで朱に染まっている。司祭を利用しようとしているのは、貴族も軍も一緒だ。


「よく考えてみるんだな。ただしもう時間はないぞ。パレードは来週だ」


***


 部屋を出る前に言われた言葉が頭の中をループする。リシュアは背中を丸めて考え込みながら歩く。軍人でもあり貴族の出でもあるという事実が、真綿で首を絞めるように彼を苦しめている。軍を辞めると言ったところで義兄の徴兵は変わらないだろう。この状況を打破するためにはパレードを率いる事しかリシュアにはできないのだ。

 リシュアは歯ぎしりを交えた溜め息を漏らした。

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