第18話 儀式

 話が出て3日で儀式の準備は整った。司祭とメイアの尽力で呪文が解読され、例の殺人犯の輸送の許可も下りた。


「よくこんな短期間で許可が下りたもんだな。さすが手回しが良いよ」

「「天女のかけら」の犯罪者には上も頭を痛めていてね。何とかできるなら、と藁にも縋る思いのようだよ」


 爽やかに笑ってみせるオクトだが、彼もなかなかに口八丁手八丁な男だ。上手く上司を言いくるめたに違いない。


 司祭とイアラ、ロタだけが寺院に残り、保護されていた子供達は皆一時的に警察の施設に避難することになった。去り際にジリルが何度も何度もリシュアの方を振り返り、恨めしそうな顔をしていた。まるで恋人と無理やり引き裂かれるかのような悲痛な表情だ。


「大丈夫、半日もすればすぐここに戻ってこれるよ」


 リシュアが優しくなだめると、渋々移動の車に乗り込んだ。


「随分と可愛いファンがいるんだな」


 ジリルのことをからかわれ、リシュアはオクトを恨めしそうに見遣る。


「人の苦労も知らないで……。あの年頃は難しいから、本当に気を遣ってるんだぞ」

「あはは。すまんすまん。お前が女性相手に手を焼く姿が珍しいものだからな」


 率直な意見が飛び出し、リシュアは慌てて周りを見回す。幸い司祭の姿はなかった。


「おいおい、俺はもうそういう生活とは無縁なんだ。頼むよ」


 うんうんとオクトは嬉しそうに頷いて見せるものの、どこまで理解しているものやら。しかし、リシュアが花から花への生活を送っていたのは事実だ。司祭にそれがバレたとしても自業自得というものだ。それを分っているからこそリシュア本人も強く言う事が出来ないのだった。



 準備は整った。

 塔に灯された蝋燭は複雑な幾何学模様に配置され、床に敷かれた布には魔法陣が。壁に埋め込まれた黒い石も独特の模様を描いて蝋燭の灯りにきらめいている。


 あたりはしんと静まり返り、遠くで吹く風の音だけがかすかに聞こえてくる。


「こちらはもう大丈夫よ。いつでもいけるわ」


 やや緊張気味にメイアが佇んでいる。司祭も彼女に歩み寄っていく。呪文がどう影響するか分からないため、できれば司祭には部屋で控えていて欲しかったのだがそんなことを素直に聞く相手ではない。


 塔の扉が開き、実験台の男がストレッチャーに乗せられ運ばれてきた。能力を抑制するために目を塞ぎ、口には猿ぐつわを。男は低い声で呻き、体を捩らせて最後の抵抗を試みている。

 メイアの指示で男は縛られたまま魔方陣の上に寝かされる。呻き声は大きくなり、一層激しく体を波打たせる。捜査官がその体を押さえ込んだ。


「悪いけど少しそうしていてくれるかしら。暴れだされると少し怖いわ」


 捜査官は黙って頷く。


 すう、と息を吸ってから彼女は紙を片手に呪文を唱え始めた。


「ウハラ、マヌ、オリト、イアーリト」


 その声は塔の中に響き渡り、大きく渦を巻いた。


「オヌ、イム、デアデラフル……」


 それはどこかで聞いたような気がする不思議な響きとリズムだった。リシュアは記憶の糸を手繰る。


「あの歌だ……」


 心の中でリシュアは呟いた。この寺院へ来たばかりのころ、霧がかかる塔の上で司祭が歌っていた歌。それほどに抑揚はないが、この呪文とリズムがどことなく似ている。

 呪文の翻訳をしていた時に聞いたことだが、本には呪文を読み上げる音階も書かれていたそうだ。ジュルジール神教の祝詞のようだとメイアが言っていたのを思い出す。


 風もないのにゆらり、と蝋燭の灯りが揺れた。

 それを合図に全ての蝋燭の火が勢いを増す。隣り合った火が繋がって炎の帯が完璧な模様を描く。浮かび上がる炎の魔法陣。それに呼応するように壁の模様が炎に照らされ、まばゆい光を放ち始める。床の布から、蝋燭から、塔の石組みからそれぞれの魔法陣が浮かび上がり輝きだす。


 平面ではない。立体で360度男を囲い込む、そんな魔法陣が出来上がったのだ。


「オム、ハダール、イルリリア……」


 今起きている現象に顔色を変えながらも、メイアは気丈に呪文を唱え続ける。司祭は渦巻く炎がメイアに襲い掛からぬよう、彼女を庇うように手を差し伸べている。

 詠唱が続き、いつしか蝋燭の炎は渦となって螺旋の塔を駆け上がった。それと同時に男のくぐもった叫び声が塔内に響く。

 仰け反った男の体が輝き、人の形をした青白い光の塊が宙に浮かぶ。その光が、炎と一体になって塔に吸い上げられている。


 皆がその光景に目を見張り息をのむ。しかしすぐに炎と光は薄れていき、塔の中は再びしんと静まり返った。蝋燭は先程の激しい炎がまるで嘘だったかのように静かにゆらりと揺れているだけだ。


「……終わった、と思うわ」


 メイアがかすれた声で告げる。捜査員が男の腕をつかんで立ち上がらせた。


「これで本当に能力が消えたかを調べてみなくてはならないな」


 オクトが言う。

 メイアと司祭を部屋から連れ出し、捜査員は男のマスクを外した。


「おかしな真似をしやがって! 見ていろ。俺の力に立ち向かえる奴なんかいないんだ。お前たち、互いに殴りあうが良い!」


 唾を飛ばしてわめき、捜査員やオクト、リシュアの目を覗き込む。


 しかし誰一人男に操られる者はいなかった。男の能力は消えていた。儀式は成功したのだ。

 男は怒りと絶望を露にして叫ぶ。


「お前ら……お前ら俺に何をしやがった! 何をしやがったんだ!!」

「お前に殺された被害者も同じことを思っていたと思うぞ」


 冷静に諭すオクトの手を払いのけた男は、捜査員に拘束されて塔を後にした。



「本当に能力が消えたか病院で検査をしなければ何とも言えないが、どうやら成功のようだな」

「ああ。この方法で後遺症も出なければ、能力を手放したいと思っている人達には朗報だ」


 リシュアはたった今目の前で行われた奇跡を思い起こしながら相槌を打った。

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