第10話 問題発生

 散歩の途中でリシュアがダイニングに立ち寄ると、司祭達は昼食の最中だった。葡萄パンの焼けた良い香りがする。


「あら、丁度良いところに来たわね。たくさん焼いたから一緒にどう?」


 籠に入ったパンを差し出して、イアラが笑いかける。司祭も穏やかに微笑んで頷いた。

 パンの香りよりもその笑みに誘われるように、リシュアはダイニングテーブルの隅っこに座った。行商に来る酪農家の自家製チーズもスライスされて皆に配られ、子供たちは夢中でパンやチーズに噛り付いている。


 クラウスが居なくなった後、しばらくはふさぎ込む子たちも多かった。しかしラムズ祭のおかげで気持ちも晴れてきたようだ。

 新しく入った子供達と互いに自己紹介をした後、和やかな談笑が続いた。

 テーブルを囲む子供たちは11人。以前から居た子達を含む彼ら子供達は役所が休みの年末年始を寺院で過ごし、あとは旧市街のはずれにある施設に移る予定らしい。


「ここは新都心にも近いですし、何かあった時には攻撃の対象になる可能性がありますから」


 寂しそうに司祭は眉尻を下げるが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。


「何ヵ所かに分かれてもらうことになりますけれど、ここに残るよりずっと安全なはずです」


 子供達は不安げに司祭を見つめる。折角慣れたこの場所、そして優しい司祭やしっかり者のイアラ、照れ屋で面倒見のいいロタ達と離れたくはない様子だ。


「そんな顔するな。次の場所も良いところだと思うぞ」


 リシュアはそんな気休めを言う事しか出来なかったが、子供たちは少し安心したようだった。


 リシュアは部屋の隅に立てかけられたままのリュートを見つけると、それを手にして掻き鳴らした。彼の腕前は少年時代にリュートやギターをかじった程度だが、即興で弾ける位には体が覚えていた。

 童謡や流行りの歌など、子供が好みそうな曲を選んで弾き語りを披露する。子供達や司祭は皆一緒に歌を口ずさみ、僅かだが笑顔が戻って、またわいわいと食事を再開した。


 食事の間もリシュアは司祭自身の避難の話をしたかったのだが、どうにもそんな空気ではない。何か口実を作って司祭を部屋から連れ出し話をしたい。それがだめなら近づいて小声で話しかけてみようか。

 そんなことを考えていると、ふと一人の少女と目が合った。黒髪に茶色の瞳。年は12,3歳といったところだろうか。先程から熱心にリシュアのリュートに耳を傾け、見つめている。


 リシュアが一つ愛想笑いをする。すると少女は何故か眉根を寄せてうつむいてしまった。何か気に入らない事でもあっただろうか。それとも水入らずの食事の場に乱入してきた自分は嫌われてしまったのか。この世代の女の子は難しい。大切にしている子供たちに嫌われれば司祭の印象もマイナスになるかもしれない。それだけは何としてでも避けねばならない。ここは傷を広げる前に退散した方が良さそうだ、とリシュアは判断した。


「えーと、俺はそろそろ戻らないと」


 食事の途中で突然立ち上がり、思わず椅子に足を取られて転びかけるリシュアを司祭たちは不思議そうに見送った。


 小さな子供とはいえ女性に嫌われるのは辛いものだ。妙にしょんぼりとした気分であてどなく歩いていると、後ろからパタパタと小さな足音が聞こえてきた。振り返ると、さっきの少女が自分のすぐ後ろに立っている。リシュアはぎょっとして身構えた。


「や、やあ」


 引きつった笑顔を向けるが少女は何も言わない。何か苦情でも言いに来たのだろうかと緊張した面持ちで少女を見つめるが、少女はまじまじとリシュアをただ見上げている。


 特に何を言う様子もないため、リシュアは無言で軽く手を上げ挨拶すると、少女に背を向けその先へ進んだ。すると少女も無言のままリシュアの少し後ろをついて歩いてくる。少々居心地が悪かったが、ついてきてしまうものはしょうがない。

 廊下を抜けて塔へとたどり着くと、二人は同時に塔を見上げた。


「……なんだか煙突みたい」


 少女はぽそりと呟き目を細めた。


「煙突にしちゃでかいけどな」


 それには答えず、少女はリシュアをじっと見上げた。


「軍人さん、リシュアって名前、珍しいわね。私の名前は……」

「ジリル、だろ? さっき自己紹介したよな。宜しく」


 愛想笑いを浮かべて手を差し出すと、少女は一瞬固まりリシュアの手を睨みつけた。しかしその後、少し顔を背けながらもおずおずとその手を取った。

 顔はむっつりとしているが頬はかぁっと赤くなっている。彼女はぎゅっと小さな指でリシュアの手を握り、もじもじとした後に何も言わず背を向けて、廊下を駆けて行った。


 一人廊下にぽつんと取り残されたリシュア。何て分り易い反応なんだ、と呆気にとられる。

 と同時に激しく当惑する。

 数々の浮名を流して来た彼だ。自分がモテるという自覚はある。だが……。


「いや、ちょっと待ってくれ。あの年齢層はカバー範囲外だぞ。というか犯罪だろ。大体こんなことが司祭に知れたら何て思われるか……」


 突然降りかかった火の粉にリシュアは一人頭を抱えるしかなかった。

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