第21話 リシュアの辛抱

 クラウスの体調は徐々に回復していった。


 その間も司祭はかいがいしく彼の世話をしていた。手足に力が入らない彼に肩を貸して歩き、食事の時もスプーンで口まで運んでやる始末だ。


 元々保護欲の強い司祭だったが、そこに自分のせいで、という負い目も加わっているのだろう。その姿はまるで溺愛する子供を世話する、過保護な母親のようだった。


 リシュアもそれが分かっているので、敢えて気にしないように努めた。どうせ記憶が戻れば、強く口止めをして追い出せる。それまでの辛抱と思えば、耐えられなくもない。


 とはいえ、頭で分かっているのと心で感じるのはやはり別物で、さすがに司祭がクラウスの体をタオルで拭いてやろうとした時には、必死の形相でそのタオルを取り上げた。


「そんなことまで司祭様がなさるものではありません。私がやりますからどうぞ司祭様はお食事をなさってきて下さい」


 その言葉に司祭は不満げに小首を傾げる。


「中尉さんにやらせるわけには参りません。これは私の仕事です」


 しかしここは引き下がるわけにはいかない。司祭の背を押してドアまで連れて行く。


「いいえ、やりたいんです。やらせてください。それにたまにはあちらに顔を出さないと子供達や部下達に怪しまれますよ?」


 これには司祭も渋々頷くしかなく、後ろを振り返りながらもダイニングに向かって歩いていった。



「やあ。悪いなあ。中尉さんにまで世話かけちゃって」


 リシュアの心情など知るよしもなく、クラウスはにこにこと笑っている。


「ああ、全くだ。なんで俺が男なんかの世話をしなきゃならないんだ」


 むっとしたようにリシュアが答えるが、クラウスはやはりその柔らかい笑顔を崩すことはなかった。


 ここ数日ですっかり顔色も良くなった彼は、よく見れば少し異国風の顔立ちで、大きめの黒い瞳と誠実そうで整った目鼻立ちをしていた。どちらかというと遊び人風のリシュアとは正反対の雰囲気を持っている。


 性格も悪くはない。いつも笑顔で人懐こく、明るい人柄は誰にでも好かれるだろう。正直リシュアも本来嫌いなタイプではなかった。


 だからといって、その男の体を拭いてやるのが楽しい仕事のはずはなかった。しかし司祭にやらせるのはもっと耐え難い。リシュアは渋々湯につけて固く絞ったタオルでクラウスの背や首を拭き始めた。




「お前に話しておくことがある」


 しかめ面で作業をしながらリシュアはクラウスの背中に話しかけた。


「司祭様はああやって明るく振舞われているが、本当は色々と複雑な事情があってお辛い立場だ。一見お強いようにも見えるが、本当は脆いところもある。不用意に近づいて傷つけるような真似はするな。司祭様のことは俺が守ると決めている。お前は記憶を取り戻すことだけ考えていればいいんだ」


 それを聞いてクラウスは真剣な顔でじっと考え込む。


「そうか……」


 そうして何か納得したように笑顔で振り返った。


「そういうことなら俺も司祭さんに何かしてあげたいな。この恩を何かの形で返したいんだ」

「お前、ぜんっぜん分かってないだろ?!」


 リシュアは声を裏返す。


「そうかな?」


 クラウスはにこにことリシュアを見上げて首を傾げた。リシュアははあ、と大きくため息をつく。


「とにかく、気安く司祭様に近づくな。言いたいことはそれだけだ」

「うん。何を心配してるのか分からないけど、気をつけるよ」


 柳に風、と手ごたえのない様子にリシュアは馬鹿馬鹿しくなってそれ以上会話を続けるのはやめることにした。


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