第29話 星降る夜に

 深夜の警備室で、ユニーはぼんやりと生気のない顔でニュースを眺めている。内乱が起きてからというもの、彼はずっと落ち込みを隠さない。何かすっかり自信や信念を失ったかのように無気力で、言葉も少なくなった。


「また西部の村の小学校に誤爆があったそうですよ。どうしてこんなことが起きるんでしょうね」


 表情の少なくなった顔は青白い。すっかり気持ちが参ってしまっているようだった。彼のチャームポイントでもある屈託のない笑みも、開戦以来見かけなくなった。

 そんなユニーに視線を落としてリシュアは静かに語りかけた。


「前回の内乱でもそうだったよ。……あれはな、わざとやっているかもしれない。学校や病院の跡地を反乱軍がアジトに使っていることが多いからだ」


 ユニーの瞳が揺らいだ。


「どちらももう市民の犠牲は前提に戦っている。いや、むしろ市民を盾にしていると言っていいだろうな。今やお互いにとって非戦闘員は駆け引きの道具でしかないかもしれない」


 リシュアは淡々と語りかけた。ユニーはその鳶色の瞳にニュースの映像を写して眉根を寄せている。


「そんなの……ひどい」


 膝を抱えた手に力がこもって、指先が白くなった。そんなユニーをリシュアはじっと見つめる。


「ひどいか? でも、その片棒担いでるのは誰だ? 俺達軍人じゃないのか?」


 その言葉にユニーはリシュアを見上げる。その瞳には強い怒りが込められていた。


「上層部は何を考えているんですか? 僕たちは、何をやってるんですか! ここでTVなんか見てていいんですか、僕は、僕は……」


 荒げた声が静かだった部屋に響く。怒りに顔を赤くする少年兵をじっと見下ろして、リシュアはふっと苦笑した。

 そして両手でユニーの柔らかいくせっ毛を掴むと、ぐしゃぐしゃぐしゃ、とかき混ぜた。


「……うっわ、ちょっと……! 何するんですか中尉! 痛いですよ!」


 リシュアは甲高い抗議の声には構わずに続ける。続けながら微苦笑を浮かべて低い声で言った。


「怒れよ。……もっと、怒れ。無気力になんかなってる時じゃないんだ。どんなに辛くても、どんなに耐え難くてもな、自分の感情から逃げるな。泣いて、怒って、行動しろ。今、お前ができることをすればいい。寺院の警備が俺たちの任務だ。現地は現地の兵士が戦ってる。俺達の仕事はこの寺院をテロから守ること。そうだろう?」


 その言葉に、ユニーは暴れるのをやめてリシュアを見上げた。


「でも……やっぱり僕は許せないんです。罪のない人達が犠牲になっていることも、そうさせている上層部の判断も……」

「なら、早く偉くなって軍の体質を変えるくらいの立場にならないとな。そのためにはまず日々の任務をしっかりこなす事だ。一足飛びに偉くなんかなれないだろ?」


 その言葉に不満げなユニーだったが、返す言葉が見つからず、黙り込んだ。不満を吐き出したことで、少しは気持ちの整理がついたようだ。

リシュアはにやりと笑ってユニーの頭をぽんぽんと叩く。


「見回りに言ってくるから、気合入れて日誌つけとけよ」


***


 見回りを終えて、外に出ると満月だった。髪を夜風に揺らしてリシュアは星の瞬く空を見つめた。夏とはいえ風はひんやりと涼しい。リュレイは早い雲の流れに見え隠れしていたが、ふいに雲が切れて闇の中にくっきりとその姿を現した。


 蒼く輝く月、リュレイ。神の使いが住むという星。今日は一際大きく見える気がする。青白いその表面にはうっすらと竜の姿のような影が見える。この影の形は土地によってそれぞれ人魚や竜、子供を抱いた聖母に見えると言われている。

 

 ふと、お茶の時間にジェイクを抱いていた司祭を思い出した。慈愛に満ちた横顔はとても美しかった。風は体温を奪い続けているが、司祭のことを考えると心がほんのりと温かくなるのを感じた。


 なんとなく、塔の方に足を向けた。以前こんな風に月の明るい夜にサキアラの咲く庭を抜けてここに来た。そして今またあの日と同じように塔の木戸を開けて静かに中へと歩みを進める。暗い塔の中に今夜も月明かりがスポットライトのように塔の祭壇の周りを照らしている。


 司祭が、祭壇の前に立っていた。

 リシュアは何故かここに司祭が居るような気がしていた。そしてその予感の通り、今日も司祭は月明かりの真下に一人佇んでいた。青白い光を浴びて、その光を仰ぐように見上げた姿勢のまま、美しい彫像のようにまるで動かずにそこに立っていた。


 カツン、とリシュアは足音を立てた。司祭の背中がぴくりとかすかに動いたような気がした。しかし司祭は振返ることもなく、見上げていた顔を静かに下ろし僅かに俯き加減になっただけで、そのまま動かなかった。リシュアはためらうことなく司祭に歩み寄り、そっとその腕に触れながら顔を覗き込んだ。

 

 視線を逸らせたままの司祭の頬にはやはり涙が光っていた。リシュアは胸が締め付けられる思いでその顔をじっと見つめた。


「泣いておられたのですか?」


 絞り出した声は少し掠れていたかもしれない。司祭は少し顔を背けるように尚俯いて少し体を硬くした。リシュアは目を細めてその様子を見つめた後、ゆっくりと頭を下げた。


「お許しください。私はあなたの悲しみや苦しみを推し量ることもできずにいました。そして今またあなたを前にしてこうして立ち尽くすことしか出来ない」


 その言葉に司祭は少し驚いた顔で振り返った。それを待っていたかのように、リシュアは司祭の瞳を覗き込んだ。涙に濡れた睫毛が月明かりにとても美しかった。


「だから教えてくれませんか。あなたが何を悲しみ何に悩み何があなたを苦しめるのか。私はそういうもの全てからあなたを護りたい。こんな風にあなたが一人で泣くことがないように」


 司祭の菫色の瞳が大きく揺らいだ。それを見るリシュアの目にはもう迷いはなかった。強く、優しい眼差しでじっと司祭を見つめ続ける。そしてその顔はとても切なげだった。


「……何故……?」


 長い沈黙の後、司祭は消え入るような小さな声で呟くように問いかけた。


「何故あなたはいつもそんなに私を気遣ってくれるのですか? 私はあなたにひどい事を何度も致しましたのに。それに……これはあなたのお仕事とは関係のないことなのではないですか?」


 その問いを聞いてリシュアはにっこりと微笑んだ。


「何故だか聞いて頂けますか?」


 そう言って司祭の顔を覗き込み返事を待った。


「……はい。知りたいです」


 司祭も視線を逸らすことをやめ、じっとリシュアの目を見つめた。不思議そうに、問いかけるように。

 リシュアは微笑みを浮かべて強く静かに想いを口にした。


「司祭様。あなたを……愛おしく思っています。多分初めてお会いした時から。そして知れば知るほどに深く」


 司祭は小首を傾げてその言葉を聞いた後、少しの間目を瞬かせた。そしてようやく言葉の意味を理解すると、見る見る頬が赤く染まっていった。


「あ、あの……」


 目を泳がせて握られた手を引こうとする。しかしリシュアは微笑んだままその手を強く握って離さない。困ったように司祭は真っ赤になって俯いた。


「ですが、私はご存知の通りで……。そのような感情の対象にして頂くわけには……」


 しどろもどろになった司祭の様子を愛おしそうに見つめてリシュアは更に笑みを深めた。


「言ったでしょう? あなたを知れば知るほどに、と。そのままのあなたが好きなんです。何も気にすることではありませんよ」


 そう告げて赤みを帯びた頬にそっと手を触れた。頬は僅かに濡れていた。


「もう一人で泣くのはやめてくれませんか。辛いことでも、悲しい話でも、全て私に話してください。私はあなたの全てを知りたいのです」


 司祭はしばらくじっと考えるように俯いていたが、ふと顔を上げてリシュアの目を見つめ返した。


「……本当に、全てを知るつもりですか? 私に関わることに後悔はありませんか?」


 その瞳は覚悟を求めるようでもあり、縋るようでもあった。リシュアはふっと笑みをこぼしてその問いに応えた。


「後悔はしない性質たちです」


 その答えに司祭は何か意を決したような表情を浮かべて静かに頷いた。


「その言葉……信じます」


 そうしてそのままリシュアの胸に体を預けた。リシュアは司祭の体を受け止めてその細い肩をそっと抱きしめた。


「たとえどんなことが待っていようとも、全て受け入れてくれますか?」


 再び静かに司祭が問いかけた。リシュアは司祭の長い髪を撫でる。


「当然です。あなたとあなたに関する全てを受け入れると誓います」


 するとにわかに月明かりに混じって光の粒が降り注いで来た。金の粉を撒いたような光が二人を包む。リシュアは驚いたように顔を上げた。塔の天窓から先ほども見た大きな蒼いリュレイが正面に見えていた。


「星が降ってきたようだ」


 ぽつりと呟くリシュアを見上げて司祭は微笑んだ。


「塔が、あなたの言葉を祝福してくれたのですよ」


 それを聞いてリシュアはにっこりと微笑んだ。そっと司祭の額にキスをする。司祭は目を泳がせて、困ったように微笑んだ。


 暗い塔の中で二人の影が一つになって伸びている。

 奪われた宝剣、連続する事件、そして激しくなる内乱。彼らを囲む状況は容易いものではない。それでも今だけは月明かりの下で、お互いの体温と平和な時間を分かち合っている。

 そんな二人をリュレイの蒼い光が優しく包みこんだ。

   


                          第二章 完

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