第24話 異能者

「あら、今日はまた早かったのね。いらっしゃい」


 メイアは笑顔で玄関のドアを開けた。


「最近やけに時間通りだわ。どういう風の吹き回し?」

「欠点をなくして、イヤミなくらいにいい男になろうと思い立ってね」


 笑みを返して、リシュアは勧められるままに部屋の中へと足を踏み入れた。手にはワインの瓶と紙袋──中に入っているのは美術書。メイアが司祭の願いを受けて図書館から持ち出していたものだ。


「司祭様からお礼のワインを預かってきたよ。ご自分で作られたものだそうだ。本のこと、すごくお喜びだったよ。本当に有難う」


 するとメイアはちらりとリシュアを見上げて口の端を上げた。


「あら、どうしてあなたがお礼をいうの? まるで保護者気取りじゃない」


 その口調に嫌味さはない。むしろ喜んでいるようにさえ聞こえる。リシュアは何と答えたものかと少しの間沈黙した。するとメイアはくすくすと笑い出した。


「本当にあなたって正直ね。全部顔に出てるわよ」


 一体何が顔に出ているというのか。リシュアは更に落ち着きなく目を泳がせ頭を掻いた。そんな様子を笑顔で眺めながら、メイアはリシュアをダイニングに招いた。


「安心して。私も司祭様の味方だから。だからこそこうしてお役に立ちたいと思ってるのよ。それがどんなことだろうと、ね」


 何か含みのある言い方が気になった。メイアは何かを知っている。リシュアは咄嗟に探るように彼女の目を見つめた。しかしそのヘーゼルの瞳からは何も読み取ることはできなかった。


「まあ座ってよ。少し話しましょう」


 メイアはコーヒーを落とし始め、リシュアに椅子を勧めると、自分も向かいに座った。テーブルに肘をつき、笑みをたたえて柔らかい視線をリシュアに送っている。

 髪を下ろし、眼鏡も外していた。仕事中には堅苦しいスーツで包んでいる体のラインも、こうして柔らかなワンピースを身に纏っていると、とても女性的で魅力がある。

 これはデートの時にはよく知るメイアの姿だ。しかし今日の彼女は何かが少し違った。人懐こい笑みからは以前僅かに見られた緊張感がない。今まで彼女との間には少しの距離を感じていたが、それがまるで消えうせてしまったかのようだ。すべてのガードを下ろしたような彼女にリシュアは逆に少々戸惑った。


「あー……。どうかしたのかい? 今日はいつもと少し雰囲気が違うなあ」

「そう? どうしてだと思う?」

 

 聞き返されて、リシュアは困ったように口の端を上げて頭を掻いた。何と答えようかと考えを巡らせながらメイアの瞳を再び覗き込む。すると、一瞬くらりと眩暈めまいを感じた。


「ん……?」


 眩暈と同時に何かざらりとした感覚にとらわれた。リシュアは少し眉根を寄せ、無意識にメイアから目を逸らす。すると眩暈はすぐに治まった。


「あ、何か感じた? 御免ね」


 メイアは声を潜めて、上目遣いにリシュアの顔を覗き込んだ。


「御免ねって、……何かしたのかい?」


 リシュアは怪訝そうにたずねた。するとメイアは軽く肩をすくめて舌を出した。


「うん。ちょっと心を読ませてもらったの。勝手にごめんなさい」

 

 さらりと口にしたその言葉に、リシュアはあっけに取られてメイアを見つめた。またいつもの調子で自分をからかっているのだろうか。しかしさっきの眩暈や、彼女の表情から考えてもそれが冗談だとは思えなかった。声を抑えてリシュアはたずねた。


「心を? ……君は、何者なんだ?」


 メイアは笑みを崩さずに静かに口を開いた。


「天女のかけら、よ。私も……異能者なの」

「天女……」


 乾いた声で小さく呟いた。あまりに突然な告白に、他に返す言葉がなかった。メイアはふいに立ち上がり、淹れたばかりのコーヒーをカップに注いでリシュアに差し出した。リシュアはそれを受け取ることはせず、ただコーヒーの湯気が揺れるのを見つめている。


「ええ。私も司祭様と同じよ。……ううん、司祭様はきっとかけらではなく本物の天女ね。私たちと違ってかなり特殊だもの」


 いきなり核心を突くような発言に、リシュアは言葉を失った。司祭が天女だと言い切る彼女は、どこまで真相を知っているのだろうか。それを知った上で何をするつもりなのだろうか。今回の事件のことまで知られているとしたら、自分はどう対処するべきなのだろうか。そんなことが一瞬のうちに頭に渦巻いた。


「やだ。そんな顔しないでよ。大丈夫、私たちは司祭様の味方よ。そしてきっとあなたの、ね」


 また目を覗き込まれて、リシュアは無意識に視線を避けて目を伏せた。


「ああ、大丈夫。もう勝手に心を覗いたりしないわ」


 メイアはそっとリシュアの手に触れた。白く柔らかいメイアの手が優しく彼の手を握る。


「このことを打ち明ける前に、あなたが本当に司祭様の側にいてくれるのか知りたかったの。私の力は本当に弱いわ。具体的なことを読み取ることもできないし、前もって心を読むことを知らせて緊張されてしまうと、もう何も読み取れないの。だから事後承諾になってしまったけど……。本当にごめんなさいね」


 そう言って、もう一方の手でリシュアの手にコーヒーカップを握らせる。リシュアは手に伝わるカップの熱で、頭が冴えるのを感じた。コーヒーの香りと熱が、リシュアに今の状況を現実だと告げている。リシュアの心に安心と混乱が同時に湧き上がった。

 ただし異能者と聞けば、確認しておかなければならないことがある。リシュアは思い切って口を開いた。


「まさか、君はイリーシャの……?」


 声を落としてそう聞くと、メイアは朗らかに笑った。


「違うわ。異能者がみんなイリーシャに入ってるわけじゃないのよ。私たち独自の仲間はいるけどね。私達はイリーシャとは全く関係がないから心配しないで」


 リシュアは静かに頷いた。メイアが異能者だったことは大きな驚きだった。突然心を読まれて、正直気味が悪いとは思う。しかし目の前の彼女に邪念は見受けられない。彼女の言葉をそのまま信じても問題はなさそうだ。リシュアは胸を撫で下ろした。メイアはリシュアの手を両手で包み、そっと撫でながら言葉を続けた。


「私がさっきあなたから読み取れたのは、あなたが司祭様の秘密をいくつか知っていて、それを守ろうとしていること。そして司祭様を大事に思ってるってことくらいよ」


 最後の言葉にどきりとした。彼女はリシュアの司祭への想いをどこまで感じ取ったのだろうか。彼女の言葉を信じて再びその目を覗き込んだが、彼女は微笑んだまま優しく見つめ返しただけだった。


***


 夜になり、リュレイが細く爪痕のように空で青白く光っている。リシュアは司祭の見張りをするために再び部屋を訪れた。


「司祭様?」

 

 廊下から声をかけると、寝室の扉が静かに開いた。寝間着姿にガウンを羽織った司祭が姿を現した。リシュアを見上げて微笑んだ後、丁寧にお辞儀をする。


「今日もお世話になります」


 その動きに合わせるように、司祭から、ふと良い香りが漂ってきた。いつものお香とは違う仄かな石鹸の香り。見ると司祭の頬は微かに紅潮しており、髪もしっとりと湿っている。恐らくは入浴直後だったのだろう。その表情や服装も含めて余りに無防備な姿だ。リシュアは目のやり場に困って視線を泳がせた後、自分の靴を見つめ頭を掻いた。


「いいえ。夜起きているのは慣れています。少しでもお役に立てるなら光栄ですよ」


 顔を上げると、司祭は嬉しそうに微笑んでいた。つられてリシュアも笑顔になる。


「お入りになりますか?」


 意外な言葉が司祭の口から出て、リシュアはどきりとして目を見張った。寝室の中まで招かれるとは全く想定していなかった。


「あ、いえ。ここでも番はできますから。椅子だけお借りできますでしょうか?」


 司祭は司祭で断られるとは思わなかったようで、少し困ったようにリシュアの顔を見つめた。リシュアは自分の意思を表す返事の代わりに、笑顔で司祭の肩に手を置きもう一方の手で寝室を指差した。司祭は諦めたようにこくりと頷くと、部屋の中から椅子と毛布を運んできた。


「お借り致します。では、ここは私が見ておりますから安心してお休み下さい」


 そう言われても、司祭はリシュアを廊下に出したまま一晩過ごさせることに抵抗を感じているらしい。少し小首を傾げたままじっとリシュアを見つめ、扉を開けたまま落ち着かない様子だ。その様子が余りに可愛らしくて吹き出しかけ、すんでのところでなんとか堪えた。


「大丈夫。そんなに心配されると私もやり難いではないですか」


 苦笑して、おどけたように軽く手を振って見せた。すると司祭はようやくほっとしたような顔になり、小さく頷いた後「おやすみなさい」と呟いてそっと扉を閉めた。


 椅子に座って本を読みながらリシュアは夜を明かした。幸い今夜は起きだすこともなく、司祭は静かに休んでいるようだ。そうして気がつけば廊下の天窓から朝日が薄く射し込んでいる。

 椅子から立ち上がって大きく伸びをし、寝室へ続く扉の横の灯りを消した。腕時計を見ると、まだ4時を回ったばかりだった。しかし司祭が歩くのは夜の間だけ。朝日さえ昇ればもう大丈夫だ。リシュアは毛布を畳んで椅子の上に置き、扉に向かって軽く礼をしてその場を去った。


 そのまま警備室に戻ると、夜勤のユニーとビュッカが見回りを終えてお茶を飲み始めたところだった。ユニーは驚いたように目を丸くしてリシュアを見上げた。


「随分と早いですね。お祭りは夜ですよ」


 ビュッカはうっすらと伸びたリシュアの髭と、充血した目を見咎めて不思議そうにたずねた。


「徹夜でもなさったんですか?」


 不思議そうな二人を尻目に、出来上がったばかりの紅茶をカップに注いでにやりと笑う。


「お祭りの前ってのは、誰でも眠れなくなるもんさ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る