第21話 ボディーガード

 それから数日間リシュアの気は晴れることはなかったが、ミレイの目には事務仕事を嫌がるいつもの上司の姿としか映っていなかった。


「もう。アルバス伍長さんの長期休暇がやっと終わったんですから、こっちの仕事にももう少し真面目に取り組んで下さいよ。ずっと寺院に行っててお留守だったんですから」


 夏の制服に変わっただけでなく、少し髪を切ったミレイは随分と涼しげな印象だ。一方半袖の制服が嫌いなリシュアは腕まくりをした長袖シャツに相変わらずの長髪と、幾分暑苦しい。加えて気だるそうな態度が更に職場の緊張感を失わせている。


「そうは言うがねミレイ君。こう暑くちゃやってられん。それに休日出勤していた分の俺の休みは何処へ行ったんだ?」


 終には申し訳程度に首からぶら下げていたネクタイまで外してデスクに突っ伏してしまった。


「知りませんよ。山羊にでも食べられちゃったんじゃないんですか? それより早くその書類仕上げてください。午前の便で出すように支部から言われているんですから」


 まるで駄々っ子のような上司の愚痴を軽くいなして、冷えたアイスカフェラテを彼のデスクに置いた。大きなため息を吐き出してそれをに喉に流す。彼好みの味に気を良くして、ようやくリシュアは渋々ペンを取った。


 頬杖をつきながら報告事項を埋めていく。それを確認して、やれやれという顔つきで自分のデスクに戻ったミレイはタイプライターを素早い手つきで打ち始めた。そうして10分も経った頃だろうか。


「ああそうだ。そういえばミレイ君」

「ダメです」


 リシュアの声を打ち消すようなタイミングでミレイは返答する。


「……まだ何も言ってないぞ」

「大体分かりますよ。仕事してる最中に中尉が言うことなんてロクなことないんですから。」

 

 これにはさすがのリシュアも苦い顔になる。

 

「……そうかね。司祭様が君を寺院に連れてきてもいいという話がロクでもないというなら、俺はそれでもいいんだが?」

「ええーっ?!」

 

 その言葉にミレイは裏返ったような珍妙な叫び声をあげた。リシュアはますます顔をしかめて冷たい目線を秘書に送った。


「悪かったな。今の話は忘れてくれ」

 

 ひらひらと手を振り再び書類に目を落とすリシュア。


「わー! ごめんなさい、すみません中尉! 嘘。嘘です。冗談です。中尉の話がロクでもない訳がないじゃないですかあ。あはは」

 

 ミレイは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がると、リシュアの腕を掴んでぐらぐらと揺すった。しばらくぷいとそっぽを向いていたリシュアだが、ふとにんまりと笑うと今まで格闘していた書類の束をすっとミレイの目の前に差し出す。


「寺院に行けると思うと、なんだか仕事がはかどるような気がするとは思わんかねミレイ君」

「ちょ、それって汚な……いえ、あの。でもそれは中尉の直筆で仕上げないといけない書類ですよ?」

「こんなくだらん報告書、いちいち筆跡までチェックするものか。それより寺院の話が聞きたくはないのか?」

 

 うー、っと唸って書類を見つめて暫く悩んでいたが、最後には上司の手からそれをひったくって自分のデスクに放った。


「これだけですよ! あとはご自分で仕上げてくださいね!」

「いいともいいとも。いやあ、有能で仕事熱心な秘書を持つと助かるね」

 

 にやにやと笑ってリシュアは頭の後ろに手を組み椅子に反り返った。


「来週の木曜に寺院で収穫祭があるんだ。警備の人間が誘われてるんだがね、ミレイ君もどうかと思って。以前君を寺院に誘ってはどうかと司祭様も仰ってたし。……どうだい?」

 

 きらきらと輝く笑顔を見れば、返事は聞くまでも無いだろう。リシュアは満足そうに頷くと残りのカフェラテを飲み干した。


***


 オフィスでの仕事と平行して、リシュアは数日前からオクトの部下たちと交代でマジシャンのカタリナ・ルミナの身辺警護を行っていた。


「いいご身分だねルミナ。今日はプラチナブロンドのナイト様かい」

 

 腰にカラフルな羽根飾りをつけて銀の帽子を被った踊り子達が大きなタオルで汗を拭いながら冷やかしの声を上げる。


「羨ましかったらあんた達も一流の魔術使いになるといいよ」

 

 舞台のメイクを落としながら、ルミナはからからと笑った。場末の劇場の控え室はおしろいと汗と香水の匂いが入り混じって息苦しい。


「大きく出たね魔術使いさん」

「さすがケストナの大舞台を踏んだ一流さんは言うことが違うね」

 

 きゃあきゃあとさざめく声に囲まれて、ルミナはまんざらでもないような顔で大きなグラスの水を口に含んだ。


「じゃあ、着替えが済んだら呼んでくれ。廊下で待ってるからな」

 

 リシュアは苦笑したまま腕組みを解き、軽く片手を上げて部屋を出ようとルミナに背を向けた。するとルミナは彼の腕を掴んで軽く引き戻す。


「照れなくってもいいんだよ。なんなら着替えも手伝ってもらおうかな」

 

 落ちきらない紅がほんのり残った形の良い唇を引いてルミナはリシュアの腕に指を這わせる。


「遠慮しておこう。レディ達の着替えを邪魔する趣味はないんでね」

 

 それを聞いて小鳥のような踊り子達が吹き出した。


「あたしらレディだってさ」

「こりゃあいいね。やっぱりナイト様はお行儀がいいこと」

 

 ルミナはすらりとした細い足をゆっくりと組み替えた。そうして上目遣いにリシュアを見つめて指を彼の腕から胸、そして腹へと移動させる。


「つきっきりのボディーガードをする仲なんだ。遠慮はいらないよ。なんならベッドの中まで一緒に来てもらおうかね?」

 

 再び小鳥達の冷やかしと笑い声が起こる。リシュアはそのルミナの手をとり少し屈んで手の甲にキスをした。


「申し訳ないが俺にはもう心に決めた人がいるものでね。出会いが遅くて残念だよ」

 

 そうしてにっこりと笑って部屋を後にした。


 ***


 深夜の劇場の裏口はひっそりと静まり返っている。黒いワンピース姿のルミナが大きな鞄を肩に掛け、リシュアに付き添われて出てきた。


 今日はリシュアも不自然さがないように、黒い胸の開いたシャツに白のパンツという少し遊び人風の服装をしている。顔つきや髪型のせいか、こういう格好をするとなまじ「本物」に見えてしまうから困る、とリシュアはガラスに映った自分の姿を見て苦笑した。ルミナは細い煙草に火をつけて、湿った夜気に向けてすう、と白い煙を一筋吐いた。


「いる?」

 

 淡いピンクの口紅が付いた煙草をリシュアに差し出す。


「有難う。だが禁煙したんだ」

 

 両手をポケットに入れたままリシュアは人懐こく微笑んだ。


「はーん、想い人とやらが煙草嫌いなんだろ」

 

 煙草を咥えたままでルミナはにやりと笑う。


「……そんなところだ」

 

 リシュアは肩を竦めて歩き出した。通り雨があったらしく、古い石畳は黒く濡れて夜の灯りを赤く青く映している。


「なあ、魔術ってのはやっぱり仕掛けがあるのかい? 俺にも覚えられるものかな」

 

 並んで歩きながら何気なくそんな話を始めた。ルミナは小さく低くくすくすと笑った。


「当たり前さ。大抵皆そう聞いてくるんだ。今度から背中に返事を貼っておこうかね。……そうだ。何なら今度簡単なのを教えてやるよ、色男さん」

 

 リシュアは目を細めて笑った。明るく飾らないルミナとの会話は、仕事を忘れる楽しさがあった。それにしても、彼女のような人間が本当にイリーシャなどという怪しい集団に関わっているのだろうか。そう思いながら口を開きかけた時だった。


「うわ……! ああああああああ!」


 男の異様な叫び声が、夜の住宅街に響いた。リシュアは一瞬迷ったあと、ルミナの手を引いて声のした方へと急いで向かった。

 古く、仄暗い歩道に座り込んでいる人影が見える。


「どうした?!」

 

 その声に、はっとしたように男はリシュアの方を振り返った。薄明るい街灯に浮かび上がる顔に恐怖を張り付かせている。


「う、ああ……」


 男は声を詰まらせながら、地面に座り込んだまま前方を指差した。更に暗いその先には、何か人のようなものが横たわっている。リシュアは銃を取り出し、周囲を目で確認した後、その物体にゆっくりと近づいた。


「……ちっ。こっちだったか」


 その物体は、人だった。いや、かつて人だった骸だ。一目でそれと分かったのは、その皮膚が土色に干からびていたからだ。


「何か見なかったか?」


 リシュアは腰を抜かして顔を引きつらせている男に声をかける。男はリシュアを見上げて口をぱくぱくさせながら、斜め前方を指差した。その先には細い路地。


「犯人を見たんだな?!」

「わ、分からない……。ただ、この人が倒れた後に誰かがあっちへ……」


 迷っている暇はなかった。リシュアはルミナの元に戻るとその手を引いて男に預けた。


「この人を頼む。この先に警察署があるから、このことを知らせてくれ」


 それだけ言うと、男が指差した細い路地に向かって駆け出した。

 暗い路地にリシュアの足音だけが響く。少しうねりながらも分かれ道のない1本道だ。しばらくその道を辿ると、小さな広場に出た。広場の向こうには少し開けた街並みがある。


「見失ったか」


 ここから街に入り込まれればもう後を追うことは不可能だ。諦めて戻ろうとしたとき、リシュアは雨に光る芝生の上に僅かに残る新しい足跡を見つけた。雨で地面が柔らかくなっていたおかげだろう。幸運に感謝しながらズボンのポケットから小さなペンライトを取り出し、左側の林のほうへと続く足跡を追った。


 リュレイの無い夜の林の中は暗い。しかし足跡には雨水が溜まっており、僅かな光でも追うことが出来た。歩幅は狭い。足跡の持ち主が走っている様子は無い。まだ間に合うかもしれないとリシュアは足を速めた。


 林は意外と深く奥まで続いていた。道という道もなく、ただ足跡だけを追った。下草も消え、土の上に小さな足跡が点々と迷いなく真っ直ぐに残っている。やがてリシュアはあることに気づいた。


「ここは……」

 

 リシュアはこの場所を知っている。そして雨上がりの湿気の中に残る香りにも覚えがあった。いつしかリシュアの足は止まっていた。

 ぱた。ぱた。

 少しずつ、その音は勢いを増していった。また通り雨がやってきたようだ。次第に雨は強くなり地面を叩き始める。このまましばらくすれば足跡は消え去るだろう。全て雨が流すだろう。リシュアは銃を仕舞うと雨に濡れたまま踵を返して、警察署に預けたルミナ達の元に足を向けた。

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