第17話 司祭の秘密

 ふと気が付けばリシュアと司祭の二人きりになっていた。急にリシュアの脳裏に昨日の夜のことが蘇ってくる。あの涙は一体なんだったのだろう。

 テーブルを挟んで、リシュアは司祭の俯く顔をじっと見つめた。食事の間に見せた幸せそうな表情から昨日の涙は到底連想できない。あれが夢か幻であったのでは、と思うほどだ。


 視線に気づいたのか、司祭がふと顔を上げた。二人の目が合う。リシュアは気まずさと恥ずかしさが入り混じり、目を泳がせた後少し赤くなってだらしなく笑い返した。そして自分が浮かべているであろう間抜けな表情を想像して、少し気が滅入ってきた。

 司祭の表情はまるで揺るがない。僅かに穏やかな笑みを浮かべているだけだ。リシュアは逆にそれが気になった。いつもあの微笑みを浮かべて穏やかに佇んでいる司祭。だがその心のうちは誰にも──きっとイアラやロタにも明かしてはいないだろう。

 それはきっと司祭の心に建てられた壁なのだ。誰も傷つけない代わりに誰も寄せ付けない、そんな柔らかな鎧なのだ。果たしてそこに自分は踏み込むべきなのだろうか。それが司祭を傷つけることになるのではないか。色々な思いが入り混じって収集がつかなくなり始めた頃、賑やかな話し声と共にイアラとロタが戻ってきた。



 食事が済んで、最後のお茶を飲みながらの談笑も一区切りついたところで、それぞれが部屋に戻っていった。リシュアも家に帰ろうと椅子から立ち上がりながら暇乞いとまごいをしようとした時だった。司祭の口から意外な言葉が出た。


「これから部屋でワインを頂くのですが、ご一緒にいかがですか?」


 部屋でワイン。それだけでリシュアの心臓は跳ね上がりそうだった。まるでうぶな学生のようだと我ながら呆れながら、その動揺を悟られないように平静を装って笑顔を作る。


「ワインですか、いいですね」

「降星祭で振舞うものを選んでいるのですが。皆さんもお誘いするので、お好みを伺えれば嬉しいです」


 ああ、そういうことか、と僅かに落胆しながらも、その誘いが嬉しいことに変わりはなかった。


「喜んでご一緒します」


 にっこりと微笑んで軽くお辞儀をしてみせる。司祭は楽しそうに笑って、招くように先を歩き始めた。

 司祭のプライベートな空間にはいくつか部屋がある。その中のリビングのドアを開けて、司祭はリシュアを招きいれた。少し緊張の面持ちでゆっくりと入室し、ぐるりと見渡した。

 あまり広くはないが、快適そうな部屋だった。落ち着いたローズブラウンとオフホワイトを基調にした柔らかなイメージの内装。家具も豪奢な細工のものはなく、シンプルな色使いの上品なものをシリーズで揃えてある。ほっと寛げる、そんな空間だった。リシュアはこの部屋がとても気に入った。

 勧められるままにソファに腰を掛け、目の前に置かれたワインの瓶のうち1本を開ける。

 

「これは全てこの寺院で作ったものです」


 あの葡萄畑の葡萄を司祭達が自分達で毎年ワインにするのだそうだ。それはこの寺院の古くからの伝統らしく、中にはかなりの年代物もあるという。


「お祝いには私が作ったものの中からご用意しようと思っております。その年によって味わいが違いますので色々とお試しになってみて下さい」


 グラスを運んできた司祭は柔らかな笑顔をリシュアに向けた。はじめは夜に二人っきりで一緒にアルコールを口にするということに、動揺を隠せなかったリシュアだった。だが、いざこうして向かい合わせで座ると、これがとても自然なことのように思えてきた。二人は微笑みながらグラスを合わせワインを口に含んだ。とても上品で柔らかく、甘味も適度にあって飲み易い。


「とても美味しいですね」


 リシュアの言葉に司祭はほっとしたような笑顔を向けた。


「ああ、お口に合われたのでしたら良かったです。ではこちらも……」


 司祭は次々と瓶の口を開けていく。リシュアは目を丸くした。


「あ、あまり開けては……」


 しかし司祭は微笑んだまま違うグラスに別のワインを注ぎ始めている。


「どうぞご遠慮なさらないで下さい。ゆっくりお飲みくださればいいですから」


 そう言って、すいとグラスを静かに空けた。リシュアはそのグラスに先ほどのワインを注いだ。司祭は嬉しそうににっこりと微笑み、またグラスに口をつけた。


 美味しいワインも手伝って、気分良く会話が弾んだ。リシュアも傭兵時代の話で楽しく話せるような話題を選び、色々と話して聞かせた。異国の戦線での屈強な男たちの友情の話は司祭の興味をそそったようで、ひどく感心して聞き入っていた。司祭も日常の話から、ふと昔の家族との話がぽろりとこぼれ出た。小さな白い馬を飼っていた話。王宮の庭にもサキアラが咲いていた話。とても懐かしそうに話しては、カップボードに目をやった。リシュアもそちらに目を移す。そこには彼が持っていたものと同じ例の皇帝一家の写真が置かれていた。


「あ……」


 思わずリシュアは近づいてその写真を見つめた。ずっと飾られていたためか、リシュアが持っているものよりもかなり褪色して、ほとんどモノトーンのようになっていた。


「私の家族の写真です」


 知らないと思ったのだろう。司祭は遠くを見つめるような目で一言そう告げた。一瞬迷った後、リシュアは思い切ってたずねてみた。


「では、この椅子に座った愛らしいお子さんが司祭様なのですか?」


 長い沈黙。振り返りたくなるのをリシュアはぐっと堪えた。するとさらに時間を置いた後、静かに司祭は告げた。


「……はい。それが私です」


 どっと汗が出るのをリシュアは感じていた。しかし動揺を悟られてはいけない、そう思い息を殺して写真を見つめ続けた。


「可愛らしい格好をされているのですね。まるで……女の子のようです」


 思い切って、そう言った。胸が早鐘のように鳴る。司祭は気を悪くするだろうか。また心を閉じてしまったりはしないだろうか。

 しかし返ってきたのは意外な言葉だった。


「そう思われますか? では今の私は中尉さんにはどう映りますか?」


 思わず振り向いた。司祭は困ったように微笑んでいた。


「……あの……」


 もう動揺は隠せなかった。司祭の目を正視できずに俯いて頭を掻く。


「……すみません、その。正直に申し上げますと……。私には分からないのです」


 司祭の微笑みは動かない。リシュアは少し安心して言葉を継いだ。


「実は、初めてお会いした時、失礼ながらあなたを尼僧と間違えていました。今でも時々そうなのではないかと見紛うことがあります。もうご自分でもお気づきかとは思いますが、あなたは……その、とてもお美しいので」


 耳まで赤くなっていたのはワインのせいだけではないはずだ。まるで愛を告白したかのように鼓動が早くなっている。早く何か答えてほしい。背中に汗が流れるのを感じながらリシュアは司祭の言葉を待った。


「それは有難く過分なお言葉です」


 司祭は少し照れたように微笑むと言葉を継いだ。


「どちらかと問われても、お答えするのが難しいのです」


 勿体ぶった話の進め方は普段ならいらつくところだ。しかし、今はとにかくその先が知りたくただ次の言葉を待つばかりだった。


「それは……つまりどういうことなのです? お願いです。はっきりと教えてください」


 懇願するようなリシュアに、司祭も迷いを断ち切ったように頷いた。


「はい。……簡単に言えば、私の体は先天的に性別を表すものを持たないのだそうです。つまり女でも男でもないのです」


 意外すぎる答えにリシュアは言葉を失った。どちらかがはっきりするかと思えば、どちらでもない、とは。


「跡継ぎを儲けられない体で生まれた私は忌み子と言われ、このことはずっと秘密にされてきたのです」


 司祭が受けた理不尽な仕打ちにリシュアは眉根を寄せた。だが、皇帝の血を次代へ継ぐものという立場に生まれた以上、周りの期待と落胆は推して知るべし、だ。


「ですから、はじめ私は女児として育てられました。当時は軍との関係が悪化しており、更に王位継承の争いも水面下で激しくなっていたため、男児として育てば命の危険があったからです」


 その先はリシュアも耳にしたことがある。


「クーデター、ですね」


 司祭は静かに頷いた。


「クーデターが起き、その混乱の中で他の皇位継承者は命を落としました。皇帝の血筋、そしてカトラシャ寺院とルナス正教を守るものがいなくなることを恐れた貴族院の方々の意見で私は男児ということにされ、司祭としてここに留まることになりました。そのおかげで両親と一緒に事故に遭わずに済んだのかもしれません」

 

一気に話してから、司祭はリシュアを覗き込むように小首を傾げてじっと見つめた。

 

「余計な話を致しましたか? 不愉快に思われたのでしたら忘れてくださいませ。私はこのように普通の身体ではありません。気味が悪いとお思いになられたでしょうか」

 

 寂しげに司祭は小声で尋ねた。

 不安だったのは司祭のほうだったのだ。リシュアは胸が締め付けられる思いだった。隠し事をされているわけでも拒絶されているのではなかった。逆に司祭は自分が普通と違うことを打ち明けられずに、いつも不安を抱えていただけなのだ。話したくても、その結果人が離れていくかもしれないと敢えて孤独を守っていたのだろう。


「少し不思議な話だと思います。でも司祭様が司祭様であることに変わりありません。打ち明けてくださったことを心から嬉しく思います」


 思わずその白い手をとる。そしてにっこりと満面の笑みを浮かべてそっと手の甲にキスをした。

 司祭はリシュアに手を取られたまま、少し驚いたような表情で彼の動きを見つめていた。自ら打ち明けたのも初めてのことだったが、それにしても彼の反応はまるで予想外だった。


 思えば司祭にとっては意外なことばかりだ。初めて出会った時から司祭はリシュアに対して実に厳しい態度で接した。理不尽とも思えるその仕打ちに、本来なら腹を立ててもおかしくないだろう。憎まれても仕方の無いことをしたと司祭自身よく分かっている。それなのに、彼は常にその鋭い態度を柔らかく受け止め、誠意を持って返してくれた。今更口には出さないが、そのことに対して司祭はいつも感謝の気持ちを持ち続けている。

 

「受け入れてくださるというのですか?」


 戸惑い気味に司祭は問いかけた。リシュアは何も言わずに顔を上げるとにっこりと優しく微笑んだ。司祭は胸にこみあげてくるものを感じて、彼の手をそっと握り返した。


「さあ、飲みなおしましょう。これだけあるのですから気合を入れて飲まないといけませんよ」


 少しおどけたように言ってリシュアは司祭の肩に手を添えソファへと促した。


***


 それから数日は何事もなく過ぎ去った。1週間の休みを終えて、清清しい顔のビュッカが旅行から戻ってきた。


「留守中有難うございました。おかげさまで有意義な休暇を過ごせました」


 丁寧に礼を述べてからビュッカは品のいい包装紙をかけられた箱を上司に差し出した。


「ユニル産のモルトウィスキーです。きっとお好きだと思いまして」

「おー、悪いな。土産なんか気にせず楽しんでくればよかったのに。……だがこりゃあ嬉しいな。遠慮なく頂いておくよ」


 リシュアは嬉しそうに箱をかざして眺めた。その様子にビュッカも満足したようだ。


「お土産を選ぶのも旅の醍醐味ですから。お気に召して頂けて何よりです」


 あとはそれぞれ仲間たちに土産を渡していった。アルジュにはキルムの伝統工芸の象嵌細工が施された万年筆。ムファにはリベール地方の民族音楽のレコード。ユニーには岩塩チョコとナマズのぬいぐるみ。どれも好みを熟知した心のこもった品だった。紅茶を飲みながら土産のクッキーを齧って旅の話を聞いた後、解散の前にリシュアが皆に告げた。


「司祭様から葡萄の感謝祭の食事会に招待されてるんだ。来月の……第2木曜か。なるべく予定を開けておいてくれるか?」


 皆、一瞬動きが止まった。そして互いに無言で顔を見合わせる。そしてそのまま暫く沈黙が続いた。リシュアは少し不安になった。やはり皆はまだまだ司祭に対してわだかまりか解けていないのだろうか。

 しかしその心配は無用だった。


「えー! いいんですかあ? やったあ!」

「有難いお誘いですね。我々がお邪魔しても本当に宜しいので?」

「僕も喜んで参加したいと思いますよ」

「念願のイアラちゃんのご馳走にありつけるのか! あれ、旨そうだもんなあ」


 わいわいと嬉しそうな部下たちを見てリシュアは顔を綻ばせた。彼らも司祭と打ち解ける機会を待っていたのだ。


「お前たち、行儀よくするんだぞ」


 リシュアが苦笑まじりにそう言うと、4人は「はい」と目を輝かせた。


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