第16話 夕食への誘い


 寺院に戻るとすでにユニーの姿はなく、交代したアルジュとムファが任務に就いていた。


「お帰りなさい中尉」


 ソファにごろりと横になっていたムファが慌てて立ち上がる。


「ああ、いい、いい。休んでろ」


 リシュアは手をひらひらさせて、持っていた大きな紙袋をテーブルに置いた。もてなしの礼も兼ねて、フィナックの店から大量に買ってきたマフィンだ。リシュアはそこからいくつかを選んで皿に載せた。


「後は適当に食っていいぞ」

「頂きます」


 にこやかにムファは紙袋に手を突っ込み、アルジュも興味をそそられたような顔で近づくと中を覗き込んだ。そんな二人を残して、皿を手にリシュアは警備室を後にした。

 キッチンから、トマトを煮込むようないい香りが漂っている。ドアを開けるとイアラが鍋をかき回していた。


「いい匂いだな」


 そう言って笑顔を向けるとイアラもにっこりと頷いた。


「今日は自信作よ。子羊を煮込んだシチューなの」


 オーブンではもうすぐパンが焼きあがるようだ。イアラは手早く準備を進める。


「これ、旧市街に行った土産だ。お前のマフィンもうまいけど、たまには他人が焼いたのも悪くないだろ?」


 皿を差し出し、被せてあった布をめくるとイアラの顔が輝いた。


「あら、美味しそうね。有難う」


 予想以上の反応に気をよくしたリシュアは、にっこりと笑って頷くときびすを返して部屋を後にしようと歩き出した。


「あ、待って」


 呼び止められて足が止まる。


「ねえ、良かったら一緒に夕飯はいかが?」

「……いいのか?」


 驚いたようにたずねるリシュアにイアラは嬉しそうに頷いてみせる。


「今日は特に上手に出来たから、食べてもらいたいかな。それに司祭様もきっと喜ぶわ」


 どちらかというと後半の言葉に心が躍った。そう言われては断る理由などない。


「じゃあ、喜んでお言葉に甘えようかな。……何か手伝うよ」

「ありがと。じゃあそこのお皿を並べてくれる?」


 数人分の皿の並ぶ家庭の食卓は久しぶりだ。それに実家では食事の準備はメイド達がしていたので、このような経験はほとんどなかったかもしれない。リシュアは心が温かくなるのを感じていた。


「あーっ! 腹へったあああああ!」


 賑やかな声と共にバタン、と大きくドアが開く。ロタが大またでキッチンに乱入してきた。顔を洗った後らしく、タオルを頭から掛けている。皿を並べ終わってグラスを運んでいるリシュアと目が合い、一瞬動きが止まる。


「……なんだお前」

「お前こそなんだ」


 相変わらずのやりとりは最早挨拶代わりだ。イアラはくすくすと笑って、焼きあがったパンを盛った籠をテーブルに運ぶ。


「今日はお客様が居るんだから上品に食べないとだめよ、ロタ」


 そうして、壁の時計に目をやると、時刻は丁度6時半になるところだった。


「そろそろ司祭さまがいらっしゃるわね」


 その言葉を待っていたかのように静かにドアが開いた。リシュアは体を硬くして動きを止めた。足音もなく司祭がキッチンに姿を現した。


「お疲れ様イアラ……」


 リシュアの姿を認めて、ちょっと小首を傾げる。司祭はよくこの仕草をするが、どうやらこれがくせのようだ。愛らしい仕草だとリシュアは思った。


「お邪魔しております」

「司祭様。中尉からお菓子を頂きました。折角ですので夕食にご招待したのですが宜しかったでしょうか」


 イアラの言葉に司祭はふわりと微笑んで静かに頷いた。


「勿論です。食事は大勢で頂く方が楽しいですから。中尉、是非ご一緒して下さい」


 嬉しい誘いにリシュアは心から礼を言い、司祭の椅子を引く。楽しいゆうげの始まりだった。



 皿に分けられたシチューからは、美味しそうな香りと湯気が立ち上っている。司祭にならって皆がお祈りをした後に、スプーンですくってそれぞれが口に運んだ。子羊の肉は柔らかく、野菜とハーブの深い味わいが広がる。見た目は家庭的だが、その味は老舗のレストランにも引けを取らないだろう。


「こりゃあうまいな」


 思わず唸ると、イアラは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「自信作だもの」


 香ばしい焼きたてのパンはしっかりとしたライ麦入りの生地で、シチューによく合う。裏庭で育てたリーフやハーブのサラダは、取れたてをよく冷やしてある。柑橘系のドレッシングもイアラの手作りだろう。豪華ではないが実に温かみのある食卓だ。


「イアラは本当にお料理が上手ですね」


 司祭がシチューを口に運ぶ手を休めてにっこりと微笑む。


「ありがとうございます司祭様。……うちは肉屋だったの。店で色んな惣菜も売っていて、父さんから作り方を教えてもらったのよ」


 そういえば彼らの生い立ちなどを詳しく聞いたことはなかった、と改めてリシュアは思う。


「二人とも内乱で親とはぐれたんだっけ?」


 二人は顔を見合わせてから、それぞれの生い立ちを語り始めた。イアラはもともとは旧市街の出身だが、父親が新しく店を出した国境近くの町で内乱に巻き込まれ、親と生き別れになってここに預けられたということだ。

 ロタは戦場になった故郷の村が焼かれて、乳飲み子を抱えたロタの父が寺院にお世話になる代わりに庭師をやっていたそうだ。その父親が病気で早くに亡くなり、あとはロタが一人でこの庭を管理している。


「大変だったんだな、お前たちも」


 内乱はこういう子供たちの人生をも大きく狂わせてきた。リシュアは進んで戦場に身を置いたのだが、彼らはただ巻き込まれただけなのだ。


「でも、こうして司祭様にお会いできたんだもの」


 イアラは、驚くほど真っ直ぐに輝く眼でリシュアを見返した。ロタも満足そうな笑顔で頷いた。それを聞いた司祭はちょっと驚いたような、そしてとても嬉しそうな顔になる。


「イアラ……ロタ」


 彼らは幸せそうだった。ただ一緒に居るということが、なによりも大事だというように。そしてその中心にいるのが、司祭なのだ。彼らの本当の家族のような絆は、こうして日々積み上げられているのだろう。リシュアはこの場に仲間として招かれていることを、改めて心から嬉しく思うばかりだった。


 食事の後に司祭が皆に紅茶を煎れた。イアラとロタは食器を片付けている。リシュアも手伝うと言ったのだが、今日はお客様だからと言われて席についたまま、司祭の姿をぼんやりと眺めていた。



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