第7話 イリーシャ


「……で、俺に何をしろっていうんだ」


 にわかには信じられないようなそんな事件に関わって、自分が何かの役に立つとはとても思えなかった。オクトは更に難しい顔をした。


「情報が欲しい。まずは何でもいいから情報がな。それには俺達は旧市街についてあまりにも何も知らなすぎる。調子の良い話だが、お前に一緒に行動してもらえれば心強いんだ」


 そう言うオクトの言葉を聞いても、リシュアには正直自信がなかった。自分が旧市街を離れてもう10年以上になる。知り合いも少なくなったろうし、街だって大分変わったろう。

 オクトが期待するような働きが自分に果たして出来るのだろうか。そんなことを考えながらじっとテーブルの上のカップを見つめていると、オクトが再び口を開いた。


「お前なりの理由で街を出たのに、今更それを利用させて欲しいだなんて勝手なことを言っているのは十分理解してる。済まないとも思ってる。だが、なんとか頼まれてくれないか」


 オクトはそう言うと、テーブルに手を付いて頭を下げた。驚いたのはリシュアの方だ。柔和な雰囲気は持っているものの、オクトが自分に負けない程の頑固者なのは長い付き合いで良く知っていた。こんな風に軽々しく頭を下げる男ではないのだ。


「お、おい、やめろよ。違うんだ。俺は構わないさ」


 リシュアに頭を掴まれ持ち上げられて、オクトはきょとんとした顔で頭を上げた。


「そうじゃない、お前の手伝いをするのは全然構わんさ。ただ、俺で役に立つものかと不安になってただけだ」


 それを聞いてオクトの顔がぱっと明るくなった。


「そうか。有難い。いや、お前が一緒に行動してくれるだけで本当に助かるよ」


 ああ、よかった、と言ってオクトは椅子の背もたれに体を預けて、大きく息を吐いた。屈託のない笑顔が戻ってきていた。


「全く。貸しもないのにお前に頭なんぞ下げられると後が怖い。もうああいうのはやめてくれ」


 笑顔のオクトに反してリシュアは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。しかしその顔はどこか嬉しそうだった。友人に頼りにされていると思えば、リシュアとしてもやはり悪い気はしないものだ。


***


 翌日、中央警察機構旧市街支部のロビーで待ち合わせたリシュアとオクト。彼らが最初に向かったのは、地下1階の資料室だ。オクトは資料室にあるものとは別に、アタッシュケースに入った書類を持参しており、それらをデスクの上に並べ始めた。


 タイプされたものから手書きのもの、図面や地図の他に写真もあった。やや薄暗い資料室の古いデスクの上に置かれたそれを、リシュアは手にとっては眺めていった。写真はほとんどが遺体を写したもので、一部だけが蝋のように溶けてしまっているもの、驚くほどに綺麗に首だけが切り取られたもの、全身に無数の切り傷がつけられたものなど奇妙なものばかりだった。


「中にはまだ事件と認定されていないものもある。野生動物による仕業や、カマイタチのような超自然現象と言う者も少なくない。だが俺はこれも全てイリーシャの仕業じゃないかと睨んでるんだ」


 そう言ってから、オクトは鍵を取り出して資料室のロッカーを開けると、別の書類を取り出した。


「これが今回旧市街で起きた事件の資料だ。イリーシャだとすると、検問を突破したか旧市街にも勢力を伸ばしてきたかのどちらかだと思う」


 2つの街で起きた事件の資料を1つのデスクに並べて、オクトは沈痛な面持ちでそれらに目を落としている。しかしリシュアはどこか腑に落ちなかった。


「……なあ、どちらも奇妙な事件だし、俺はそのイリーシャについて全く知らない。だが俺にはお前が初めからそいつらの仕業だと決めつけ過ぎているように思えるんだが」


 先入観を持って捜査にあたってはいけない、というのはいつものオクトの口癖だ。なのに今回のオクトにはその冷静さが欠けているようにリシュアには思える。言い出しにくいことではあったが、間違いと思ったことを素直に指摘するのも友としての役割だ。そう信じて、リシュアははっきりとオクトにそう告げたのだ。

 オクトは思いつめたような顔をふと上げてリシュアに視線を移した。


「ああ、お前が言いたいことは良く分かるよ。そうだな、そう思って当然だ。だが、俺がこんなことを言うには他にも理由があるんだ」


 そう言って、オクトはさらに階下へとリシュアを案内した。古い煉瓦作りの、天井の低いそこは死体安置所だった。床は濡れて滑りやすくなっている。リシュアは閉塞感を覚えてシャツのボタンを1つ外すと大きく息を吐いた。


「これが今回見つかった遺体だ」


 少し錆付いた取っ手を掴んで引き出すと、軋むような音と共に厚手の木でできたロッカーがせり出してきた。そこに横たわっていたのはミイラ化した遺体だ。


「随分古いものじゃないか」

「そう思うだろう?」


 30代と思しき青年の写真が付いた資料をオクトが差し出した。


「彼はトーラス・ヘイン、34歳。銀行員だ。5日前に職場を後にしたまま帰らず、2日後に公園の森の入り口でこの姿で発見された」

「5日……」


 リシュアはまじまじとその遺体を見つめた。30代とは思えない、ましてやそんな最近まで生きていたとは信じられないような、土色の干からびた遺体。顔も体も皺だらけで、眼窩は落ち窪んでひび割れ、半開きの口から覗く舌も石のようになっている。


「尋常な犯行ではないよ、これは。そしてもう一つ。彼もまた異能者だという噂のあった男なんだ。予知のようなことができるということで、趣味のように占いまがいのことで小遣い稼ぎをしていたらしい」

「……彼も、というと?」


 リシュアは焦れたように聞き返した。聞く話全てが分からないことばかりで、情報を得るたびに却って混乱していくような気がしてならない。


「俺がこの事件がイリーシャの仕業じゃないかと思う理由の一つに、被害者の多くに例の異能者が含まれているということもあるんだ。イリーシャの教えは異能者──つまり天女の力を持つ者を神に還すというのが基本なんだよ。だからこそ異能者を崇めもするし、殺すことで神に還そうともしているということさ」

「なるほど……」


 そこまで聞いて、ようやくリシュアはオクトの言うイリーシャと今回の事件、そして異能者の関係が少し理解できた気がした。

 だが本当なのだろうか。そもそもその教団の教えとやらが突飛すぎてにわかに理解できるものではなかった。


 とは言え、オクトは既にこの事件の前にも数多くの事件を追ってきている。情報も多く持っているのだろうし、何よりリシュアはオクトの捜査に関する勘というものを信じていた。

 オクトはリシュアに資料を手渡した。


「忙しいとは思うが、目を通しておいてくれると助かるよ。今日は別の聞き込みがあるんで俺はこのまま失礼するけど、お前さえ準備ができたら一緒に旧市街で聞き込みをして回りたいと思う。連絡を待ってる」


 真剣な眼差しで見つめて固く握手をすると、オクトはそのまま足早に出口へ向かった。最後に振り返り、感謝の意を込めたような笑みを向けてからドアを閉めた。

 後にはリシュアと遺体と資料だけが残された。リシュアは資料の束の角で頭を掻きながらもう一度遺体の顔を覗き込んだ。口を半開きにした顔は怯えているようにも、微笑んでいるようにも見えた。


「……予知の力で自分の死に顔は見れなかったのか?」


 ぼそりとそう呟く声に返すものは誰も居なかった。


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