『運命の人』

 滝音高校吹奏楽部は、かつてない問題に直面していた。

 それは、一人の少女の行動から始まった。


 その少女の名は福山マユミと言った。マユミは、高校三年の最後に、決心を固めていたのだ。

 それは、思春期の乙女にありがちな――甘酸っぱい慕情を、相手に伝えるというありきたりなものだった。


 だが、問題はその相手が部活の顧問である教師に対してのものだったのだ。

 マユミは、吹奏楽部顧問である教師、速水に惚れていた。


 きっかけはほんの些細なもので、部活で遅くなってしまったマユミを速水が車で送ったことだった。

 大人の男性の隣に座り、狭い車内で二人きり。

 それが、少女の胸を高鳴らせた。もとより、速水は若い教諭であり、見た目も悪くない。それに音楽に対する熱は本物で、部活動に積極的に取り組んでくれたのも好印象だった。

 少々独りよがりな部分も目立つが、それもアーティスティックな感性からくる性格と思うと、マユミはあっという間に速水に落ちて行った。


 それから月日も経ち、三年になったマユミは今年卒業が迫ることを想うと、速水先生に告白するにはもう時間がないと焦っていた。

 そんなある日の事だ。

 『おまじない』の噂が耳に飛び込んできたのは。


 誰がそんな噂をしていたのかはもう覚えていない。

 彼女に必要だったのは、ひとかけらの勇気。背中を後押ししてくれるきっかけだった。生徒が教師に告白をすることがどれほどハードルの高い行動なのかはマユミだって分かっていた。

 だから、彼女は『おまじない』に頼ってみることにしたのだ。


 雨の日に、自撮りをして映った画像に、運命の人が現れる――。


 運命の人が、速水先生であれば――告白しよう。

 そんな儚い恋心が起こした、他愛ない『おまじない』だった。


 四月に入ったばかりの頃、不意に降り出した雨の中、マユミはそのおまじないを実行した。

 わりと激しい雨が降る中、マユミは自撮りをする。諦めるための覚悟をするため、だった――。


 映るわけがない。

 映らないからあきらめるんだ。

 その為に、自撮りをしたのに――。


「うそ……」


 マユミは自撮りをした画像を見て、思わず信じられないと言葉を零す。

 なんとそこに映っていたのは、まぎれもなく、速水教師の顔だった。自撮りをしたはずなのに、自分の面影はどこにも映りこんでいない。

 なぜか、スーツを来た速水の写真画像がモニターに浮かび、濡れていたのだ。


 そして、その日からマユミは部活に出なくなった。

 心配し、声をかけた吹奏楽部の友人が、また部活に来なくなった。そしてまた一人、また一人……。


 数名の吹奏楽部員が部活に来なくなった。吹奏楽部は、もとより男子生徒が少ないのもあるが、様子がおかしいと変化が見られたのはいずれも少女たちばかりだった。

 そして、ひとつの噂が立ち上がった。


 吹奏楽部、やばいらしいよ。


 何がどうやばいのか、それは明確にはされないまま、曖昧な噂が走り回った。

 その噂はひとつの形を成していく。

 何がどうやばいのか、それをどんどん後付けするように広まっていく。


 吹奏楽部の少女たちが、部活に来なくなり、様子がおかしくなった。

 学校側も、その事態にいち早く行動した。校内の黒い噂は早々に潰さなくては、世間体に関わるからだ。

 そのため、吹奏楽部顧問である速水に、部内で起こっている女生徒への問題に対処するよう命じた。

 吹奏楽部には厳しく他言無用であることを言い含め、外部に漏れないように細心の注意を払って、この問題に対処していた最中だった。


 その日も、速水はこの吹奏楽部の問題に対して、動いていた。

 速水は、部活へと向かう。

 吹奏楽部を行う音楽室へ……。


 速水が音楽室に入ると、そこには最も『部活』に熱心な少女たちが待っていた。

 その中心にいるのは、福山マユミだった。


「先生!」

「やあ、今日も部活を頑張ろうね、きみたち」


 にこりと笑む速水は、教室内にいる五~六名の少女らに腕を広げて寄っていく。

 少女たちは、みな、様子がオカシイと言われた者たちで、部活に来なくなったと言われているのに、彼女たちは音楽室にきちんと来ていたのだ。

 もっとも、その音楽室は、位相のズレた、結界の中の音楽室だった。

 速水は、『音楽室ではない音楽室』で『吹奏楽部ではない部活』に取り組み始めていた。


 速水の腕の中に飛び込んでいくマユミ。そしてそれに続くように、蕩けた瞳で鼻にかかった吐息を漏らしてすり寄っていく少女たち。

 速水は「くくッ」と喉の奥で嗤った。


「やはり、ハーレムものって最高だな……ッ」

「あんっ……」

 無遠慮に、女子高生の腰に手を滑らせ、首筋に舌を這わせる速水は、奇怪な音楽室の中央で、王様のように腰かけ、周囲に少女たちを侍らせていく。

 少女たちは理性を感じさせないとろんとしたまなざしで、速水に身体を寄せて、しなやかな指先で顧問教師の肉体に絡みついていくではないか。


 陰――。

 速水は、『異世界転生者』だった。『ハーレムチート』の異世界転生快楽を遂げるため、『おまじない』の噂を利用したシェイドだったのだ。

 教師に赴任し、なぜか周囲の女子生徒にモテまくる。そんな稚拙な欲望を具現化させてしまっていた色欲の悪霊だった。

 餌食となった少女らは、みな『おまじない』を実行し、『異世界転生者』の好みの乙女の前にだけ姿を現して、『運命の人』だと催眠状態にして少女たちをこの結界ハーレムに連れ込んでいたのだ。


「あっ……」

 少女のスカートの中へと当然のように速水は指先を滑らせていく。

「ククッ、言いつけ通り、穿いていないね」

「は、はい……せんせい……」

「さて、始めようか。演奏を、ね……私のタクトで奏でてあげよう」


 ――あまりにも三文な事を言ってのける下種の極みは、憑りついたものの低俗さがよく現れていた。最早、それは一種の出来の悪い冗談みたいなセンスを感じてしまう。

 シェイドは、『おまじない』を利用することで、目当ての少女に唾をつけるようにしていた。

 好みの少女が見つかると、ハーレムに取り込むために、『運命の人』として少女を攫うのだ。

 そして、この場でたっぷりと時間をかけて、色欲のパーティーにしゃれ込むのだろう。


 ヴヴヴ。ヴヴヴ。


「おっと……」

 速水のスマホが小さく震えた。結界の中でも電波が来ているのではない。

 これは、エモノが罠にかかった事を示すバイヴレーションだった。

 速水はスマホを手に取り、画面をのぞき込む――。


「おやおや……この子が釣れるなんて……運がいい」

 画面には、滝音高校一年の少女が映っていた。雨のなか、自撮りをしたのだろう。その写真が速水のスマホに転送されるようにして映りだしていた。

 この少女はずっと目を付けていた。

 まだ高校一年生、十五歳という幼さを抱いているのに、そのたわわな胸のふくらみは将来も楽しめそうだと生唾を飲み込んでしまうほどだった。なにより、ふわふわとした優しい笑顔を浮かべるのがまたギャップを駆り立てる。

 たしか、軽音部を作るのだと校内で勧誘していたのを見付けて声をかけたことがあった。


 名前は、桧山ハルカ……。

 ぜひとも、彼女は我がハーレムに招き入れなくてはならない。軽音部などやらずに、この『吹奏楽部』へ入ればいいのだから。


 網にかかった憐れな少女の画像に、舌なめずりをした速水は、玉座から立ち上がった。

 『運命の人』として、彼女の前に訪れなくてはならない。



 ※※※※※



 アヤネとカナは、昇降口で降りしきる雨を見つめ続けていた。

 雨が降り出していたのは知っていたが、こうも長く続くとは思わなかったのだ。傘を持ってこなかった二人は雨の勢いが収まるまで、待っていようとしたが、その気配は全く見えず、ただただ雨に濡れるアスファルトやコンクリを見続けるばかりだった。


「全然止みそうにないですね」

「うん」

 もっと早く帰っていれば、小雨のうちに帰宅できただろうに、というのは無粋な話だろうか。

 アヤネは降り続ける雨に、小さく溜息を零すしかなかった。


「ねえ」

「あ、はい? なんですか?」

 じっと雨宿りをしているアヤネに隣のカナが、遠慮している様子でもぞもぞと声をかけてきた。


「実は、折りたたみ傘持ってるんだ……」

「えっ、そうなんですかっ?」

 カナがおずおずと、鞄から小さな折りたたみ傘を取り出した。本当に小さなもので、一人はいるだけで精一杯なものだと一目見て分かった。


「い、一緒に……帰る?」

「えっ、でもそれだと……」

 あの折りたたみ傘のサイズでは絶対二人分はカバーできない。二人で一緒に入って帰るにしても、かなり密着しないと濡れてしまうだろうし、きっと歩きにくそうだ。


「私は大丈夫なので、カナさんは先に帰ってください」

 アヤネがにこりと笑んで、カナの気遣いに遠慮するが、カナはそれを聞いて傘をじっと見た後に、その傘をまた鞄にしまう。


「……じゃあ、私もまだ……いい」

「へ? で、でも、私ホントに大丈夫ですから、遠慮せずに先に……」

「…………別に」


 カナがぼそぼそと何やら言った様子だったが、アヤネは雨音にかき消された彼女の声をきちんと拾いきれなかった。

 でも、どうやら、雨が止むまではアヤネと共にここで雨宿りを続けてくれるらしく、カナはそのままじっとその場で動かなくなった。


 暫しそのまま雨音を聴いていると、「ブォー」という低い音色が響いて来た。

 その音は吹奏楽部の出す『バスクラリネット』の音色であった。どこから聞こえてきたのかとアヤネは周囲を見回してみたところ、一年生の教室の辺りからだと分かった。

 雨もやまないし、くだんの吹奏楽部の情報に繋がるかもしれない。そんな考えから、アヤネはカナに提案してみた。


「ちょっと行ってみませんか?」

 その言葉に、カナが否定する理由はどこにもなかった。


 音色は一年二組の教室からしていた。

 低く、どこか幻想的な音色を響かせているクラリネットは、チューニングをしているのか、時折、「ぶぉー」と鳴り響く。

 アヤネが二組の教室を覗き込むと、案の定そこにはバスクラリネットを抱え込む様にして座っている少女がいた。つけているタイの色から一年生だと推察できた。

 教室にはその少女のみであり、他には誰も居ないらしい。カナとアヤネはお互いに目配せをして、話を聞き出すチャンスだと、二組の教室に入ることにした。


 がらり、とドアが開く音がして、クラリネット少女が教室入口の方に振り向いた。眼鏡をかけたおさげ髪の少女だった。

 入口に立つ、アヤネとカナを見て、怪訝そうな顔をすると、クラリネットから顔を外して、「なんですか?」と投げかけてきた。


「こんなとこで練習してるんだ」

 カナが問いかけると、眼鏡少女は更に眉をしかめるように表情に皴をよせる。


「休みが多いから個別練習してんの。誰もいないし、ここでやってもいいでしょ。ってか、あんたたち二組じゃないよね」

 クラリネットの少女はどうやら、この二組の生徒らしい。四組であるアヤネとカナに早く出ていけと言わんばかりに厳しい視線をぶつけた。


「休み、多いんですか?」

 アヤネが気遣うような声でいうと、クラリネット少女が大きく溜息をついて、頷いた。


「そーよ。最近吹奏楽部はまともに練習できないんだから……」

「大変ですね。コンクールもあるんじゃないですか?」

「そうよ、ほんと。まぁ、みんなもう腑抜けちゃってやる気もそぞろだけどさ」

「でも、あんたは練習してるんだ。一人で」

「別に……雨宿りでヒマしてたから、練習してただけだし」

 クラリネットの少女は唇をとがらせるみたいにして、不満げな態度を露骨に表情に現わせる。やはり、吹奏楽部には何か問題が発生している様子だとカナは考察していた。

 だが、ここで吹奏楽部の秘密を訪ねたところで、彼女は絶対に口を閉ざすだろう。なんらかのアプローチの方法を変える必要がある。


「ねえ、『運命の人』の噂知ってる?」

「え、ああアレ? 知ってるよ、結構有名じゃん」

「あの噂って、誰が広めたんでしょうね? 誰が最初に始めたんだろう……」

 アヤネも情報を拾い集めるため、カナの言葉に自然な形で乗っかっていこうとする。クラリネット少女は、その噂話にそれほど興味がなかったものの、周りが『おまじない』の話題をしているのは耳にしていた。


「知らないわよ。でもほんとそういう『おまじない』とかやるヤツいるんだね。さっき、やってる子、みたもん。雨の中態々ご苦労さんってかんじ」

「え? だれかやってたんですか?」

「うん、そこの窓から見えてた。雨の中、態々濡れて自撮りしてるやつらは大抵『おまじない』やってるヤツでしょ」

 なんだか、妙にイライラと『おまじない』に対して敵意を浮かばせる口調で語るクラリネット少女に、カナはそれとなく流す様に聞いてみた。


「『おまじない』嫌いなんだ」

「……くだんないと思う。あんな雨の中で濡れて自撮りだよ。風邪引くだけでしょ。そんなだから、休みが増えるんだっつーの」

「…………! …………」


 クラリネット少女のそんな何気ない愚痴に、アヤネはぴくりと反応した。

 彼女がイラついている理由は、吹奏楽部が活動できないため。それは、部員が休みが多いから。

 そう言っていた。

 そして、何気ない愚痴の中に含まれた彼女の内側。


 休みが多い理由に、自撮りで濡れて風邪をひく――。


「たしかに、雨の中で濡れないとできない『おまじない』なんて、あんまりやりたくないですよね」

 当然のことだが、このおまじないの条件の落とし穴のようなものに気が付いたかもしれないと思った。


 カナとアヤネはあまりこの少女に聞き込みを続けてまた口を閉ざされても面白くないと思い、その場は静かに退いた。

 そして、二人は仮説を組み立てていく。


「吹奏楽部は今、休みが多い」

「はい。そしてその休みの理由は……風邪……?」

「……風邪の理由は……雨に濡れたから?」

「なぜ、雨に濡れたのか……。それは――」


「『運命の人』に出逢うため――」


 相変わらず、顧問教師の謎には至ることはなかったが、吹奏楽部が抱える一つの問題の謎は、手ごたえがあると二人は頷きあった。

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