少女たちは『尊い』

 辺りは草木も眠る丑三つ時――。そんな風にすら思える程の暗闇だった。廊下を歩く足音だけが妙に硬質的に響くような、静止した世界にいる四人は時間の感覚が狂っていて、どれくらいこの結界の中にいるのか分からなくなっている。


「あの……、今って、何時なんでしょうか……」

「わ、分かんないよね。スマホの時計も、学校の時計も止まってる……時間は六時三十二分で止まっているみたい」

 つまりそのタイミングで結界に落とし込まれた、とも思えるが、それからどのくらいの時間が経過したのかが分からない。


「結界の中と外の世界の時間の流れは別だ。きっと、外の世界じゃ私たちが音楽室から帰ろうとした時から進んでいないと思う」

 カナがそう言うと、アヤネはほっとした。あれから数時間は経過しているようにも感じられていたから、家の事を心配したのだ。警察などに連絡して大騒ぎになっていないといいな、と考えていたが、あれから時間が過ぎていないなら、まだ許容範囲内だろう。

 それでも七時近い時刻だったのだから、十分遅い時刻になっているが。


「時間……か」

 リサがぽつりと呟いた。


「どうかしたんですか?」

「いや……次に行く場所が、柱時計だからさ。ちょっと色々と思い出して」

「柱時計の噂? どういうのだ?」

 リサが次に挑む七不思議のひとつ、『死体の柱時計』の聞きかじった噂を思い出しながらゆっくりと答えた。


「確か……、あの柱時計の短針と長針がとある時刻を指した時、柱時計の後ろ側の壁が開いて……そこには殺された生徒が埋め込まれている……だったかな」

 ぞっとする内容に、アヤネは蒼い顔して震えた。まるでからくり屋敷のように、特定の時刻に針を合わせると、扉が開くというのは、なんだかミステリー小説に出てきそうで現実味があった。

 だが、カナは冷静な顔をして、リサに深く追求していく。


「とある時間って何時何分だ?」

「……ごめん、分かんない」

「うーん、それじゃあ色々針を回してみようか?」

 ハルカがそれをやることになるのだが、肝が据わっているのか、あまり深く考えていないのか、思いついたようにそう言い、四人はついに、その柱時計の前までやってくることになった。


 二階から一階に下りる階段を下る途中、踊り場になっているところに古ぼけた荘厳なつくりの柱時計がある。学校の設立からあるというそれは、この学校で起きた事を全て知っているような雰囲気さえある。

 まさに、なんらかのいわくが憑いていても不思議じゃないという様子だった。

 大きさにして一メートルある柱時計は、上部に時計が取り付けてあり、下部は振り子が揺れている。――はずなのだが、今、この空間では時計はまったく動いていないようだ。この時計も同様に六時三十二分付近で停止しているようだ。

 壁に埋め込まれているような状態の柱時計だったが、これが扉となり開いたとして、その先に人ひとりを隠せるだけのスペースが出来上がるようには思えない。


「ちょっと調べてみるね」

「だ、大丈夫か、ハルカ。怖くないのか?」

 思ったよりも行動的にハルカが自分の番と前にでて、いわくつきの柱時計に挑みかかろうとしたので、逆にリサが心配な声を出した。


「え? 怖いけど……、約束だし。……それに、カナちゃんのこと、信用してるもん」

 そう言って、淀みない笑顔を見せるハルカは、まるで天使みたいに温かいオーラを纏っているように思える。なんでも包んでしまうような優しさというか、母性に満ちたその表情は、信じていると言われたカナのほうが、恥じらいで目を背けそうになるほどだ。


「……まぁ、大丈夫だから、そういうこと……」

 と、何がそういうことなのか接続していない言葉を繰り出して、カナは調子が狂ったみたいに少しだけ朱色に染めた頬で言う。


「うーん、でもどうやって弄ろうかなあ」

 ハルカはとりあえず、振り子の部分がガラス扉になっているので、そこを開いて確認しようとした。何か起こるかと警戒の色を強めた一同だったが、なんなく扉は開き、振り子が外気にさらされることになった。


「針ってどこかで動かせるかな?」

「修理の時や、時刻が狂った時に調整するはずだから、どこかに針を操作するものが取り付けてあると思うんだけど」

「そういうのって、ぜんまい式のものが多いと思います……。ほら」

 文字盤を指さしたアヤネは、そこに小さな差込口が二つあるのをみんなに伝えた。そこにカギを差し込んでぜんまいを回すのだ。


「カギ、あったよ」

 振り子扉の下に、小さな箱が置いてあり、その中身を確認したハルカはカギを見付けた。


 それを手に取り、二つあるうちの左の差込口にカギを入れ、回転させてみると、カチカチカチ、というどこか耳障りのいい乾いた駆動音がした。


「あ、なんかこれ好きかも」

 アンティークな時計のぜんまいを回すというのは現代の女子高生に新鮮な感動を与えた。普段気が付かなかったが、この時計のぜんまいを誰かがこんな風に回しているのかもしれない。


「なんで、ぜんまいの穴が二つあるんだ?」

「大抵ひとつは、針を動かす時間用、もう一つはボンボン用だな」

「ぼんぼん??」

「秒打ちだよ」

 カナが古い時計の事に詳しいので、意外な顔をしてリサが見ていた。確かに見ていると、文字盤の針は、秒針がない。振り子の往復で秒を刻むのだろう。


 ゼンマイを回るカチカチという音が暫く続いたあと、ハルカは、六時三十分を指している針をまじまじと見て、「あっ」と声を上げた。


「なんだ、何か見つけたか?」

「六時半を指しているから気が付かなかったよ」

 そう言って、ハルカは長針と短針が、文字盤の下に集まっているこの状態で、他の三人に針を指で直に動かして見せる。

 なんと、文字盤の中央下部に重なっていた針を動かすと、そこには三つ目の穴があったのだ。


「三つ目の鍵穴か」

「まさか、これが死体の扉のカギ……?」

「……いいや……たぶん違う。ここは学校だ、三つ目のぜんまいは……きっとチャイムのものだよ」

「チャイムって、キンコンカンコン、のあれ?」

 今では、校内放送で流れる録音を放送しているチャイムだったが、昔は、この柱時計がチャイムを鳴らしていたのかもしれないとカナは想像したのだ。

 現在はその役目は放送に譲っているようだが、今もこの柱時計はチャイムを鳴らす事が出来るのかもしれない。


「やってみようか?」

 ハルカがゼンマイ巻きたい、という無邪気な瞳で言うので、カナは「うん」と頷いた。

 まるでバスの停車ボタンを押す事を楽しみにしている子供みたいに、ハルカは喜んでぜんまいの穴にカギを入れると、回転させ始めた。

 カチカチという音は、こんな状況じゃなければ、確かに心地よい音かもしれないが、アヤネはいつ自分に襲い掛かってくるドッペルゲンガーが現れるのだろうかと気が気ではない。

 ハルカが暫くぜんまいを巻いていると、回転が鈍くなり、限界までぜんまいを回したのだと分かって、カギを引き抜いた。


「できたー」

「じゃあ……ちょっと試しにチャイムならしてみようぜ」

 リサが聞いたことがない柱時計のチャイムを楽しみにして、時計の針を動かした。六時半だったものを七時前一分前くらいにしたのだ。これで振り子を動かせば、長針が七時を指した時、チャイムがなるはずだ。


「じゃあ、動かしまーす」

 ハルカが振り子を手に取って、少しだけ右に動かそうとした時だ――。


「あっ、待って!! 何か書いてます!!」

 中央に止まっていた振り子が右にずれたことで、柱時計の奥に隠れていた文字があった事に気が付いた。

 真っ暗で良く見えないが、スマホの明かりを利用して、それを照らして四人はハッとした。


 そこには、『大正レトロ時計店』と白い文字で小さく記載されていた。

 おそらく、この時計を作った会社の名前だろう……。


「なんだ、大正レトロ時計店って……?」

「この時計を作った会社かな……、振り子の裏に隠れていたんだね。気が付かなかった」

 ハルカがまじまじとその文字を見ながら、「じゃあ、振り子、動かすよ」とみんなに了承を得ようとして、ふと、その動きを止めた。


「? なんだ、どうしたハルカ、早くやってよ」

 リサがチャイムが早く聞きたいと言わんばかりにもったいぶるな、と言ったが、ハルカはついに顔を上げて嬉しそうに言った。


「そっか! 分かったよ、これだったんだ、死体!」

「え? どこに死体?」

 リサが怪訝な顔をしたが、ハルカは振り子を右に固定したまま、「ほらほら」と視線を奥に向ける。そこを向き直っても先ほどの会社名しか目に入らない。


「それは会社名なんだろ、死体じゃないだろ」

「そうだよ、だから死体じゃなかったんだよー」

 ニコニコというハルカに、リサは理解が及ばずにますます首を傾げた。だが、傍目にそれを見ていたアヤネが「あっ」と声を上げた。


「もしかして……死体……、『したい』じゃなくて……『たいしょう』……ですか?」

「そうそう、柱時計の中には『大正』が隠れてたんだよ。それを人づてに伝聞していく中で、『大正』が『死体』になっちゃったんじゃないかな?」

 ハルカは、うふふ、と面白そうに笑う。

 先ほどのトイレの七不思議同様、そんな呆気ない真実が隠れていたのだ。

 一同は、もう拍子抜けも良いといった具合に脱力して半笑いを浮かべるのだった。


 その後、手を離したハルカは振り子が時を刻むのを眺めながら、針が七時を指すのを眺め、ウエストミンスターの鐘がどこか静かに響くのを聴いた。


「これじゃ、全校生徒には聞き取れないね」

 柱時計の奏でるチャイムは、どうにも頼りなく、静かな音色を生み出した。これでは大きな学校全体に響かせることは出来ないだろう。あくまでチャイム機能はオマケなのだろう。


「時計の七不思議も、これで解決、ですね」

 なんだか微妙な結末だったが、真相はやはりこんなものなのだろう。噂に尾ひれがつく、というのはこう言う事なのかと理解するのは丁度いい案件とも言えた。


「こうなると、プールの赤い手とかもさ、なんとなく想像つくな」

 リサがからっと笑うように言った。

「今のプールっててんで手入れされてないだろ。どこからか飛んできた枝とか葉っぱとか水面に浮かんでるじゃん。そういうのが手に見えた、とかじゃない?」

「あー、ありそう~」

「そうかもしれませんね」

 学校の七不思議の正体なんて、生徒たちが『こんなのがあれば面白いかもね』くらいの気持ちで広めたりしたものだ。お茶目な遊び心の産物なのだ。

 だから、それを暴いたところで大したものなんて出てこない。

 なんだか、人の話題の曖昧さに、四人は笑ってしまった。


 だからこそ、それに憑りつく魂というのが、どれほど滑稽なのかも浮き立つのだ。

 一行は、コチコチと時を刻みだした柱時計を後にし、内心の恐怖を誤魔化すように、七不思議の正体を笑うのだった。


 次なる不思議、『保健室の子ども』へと向かうため、一階に降り立った三人は、次もどうせ――と考えていた。考えていたかったのだ――。

 そんな中カナは、次こそか、と戦闘態勢を整えるのであった。


 そしてたどり着いた一階の保健室。

 どこか冷たく不気味な雰囲気がしている暗闇の保健室は、アヤネの背筋を凍らせた。


「大丈夫だよ、アヤネちゃん」

 怯えているアヤネにハルカが元気づけようと手を握った。


「うん、アタシもついている」

 そう言ってリサもアヤネに白い歯を見せて頼もしく笑んだ。

 アヤネはそんな二人に気持ちを救われながら、最も頼れるであろうカナに、そっと視線を移した。


「奴の狙いは、アヤネだ。だからこそ、最大限に警戒してる。私の誇りにかけて、あんたを傷つけさせない」

 そう言ったカナの瞳は鋭く、そして凜として艶やかであった。


「わ、私……、ほんとに……こういうのダメで……こ、怖くて……みなさんみたいに、きちんとできるか……」

 強張っている身体の震えを誤魔化すように、アヤネは力んでいた。


「きちんとやろうなんて思わなくていい」

「で、でも……」

「……まぁ、不安だよな」

 アヤネはどうしても、他の三人のようには笑えなかった。怖くて仕方ない。

 それに何よりも、アヤネはカナが自分を助けてくれるのかどうか、分からなかった。


 カナは言った。

 現状を嘆き、苦しみに抗おうとしない存在が、逃げ出す魂が気に入らないと。

 それはまるで、アヤネ自身に言ってのけているようにも思えたのだ。

 怖かった、逃げ出したいのだ。

 みんなみたいに、七不思議に向き合うことなどしたくなかった。出来る事なら代わって欲しいとも思うのだ。そんな事を考える自分を、カナは嫌うはずだ。『陰』とそっくりな自分は、カナに見捨てられる可能性があると怯えていた。


「アヤネ、こういった怪異に立ち向かう時、最も大事なのは自分を強く持つことだ。不安や恐怖は、付け入るスキを与える。なにか自分に自信があるものを考えてみなよ」

「そ、そう言われても……私、自信があるものなんて、ないです」

 情けない自分、何も持っていない自分、そういううしろめたさが、アヤネの表情をどんどん暗くしてしまう。

 そんなアヤネの様子に、三人は「ううん」とうなった。

 アヤネとはほとんど初対面だ。

 だから、アヤネの良いところなんてまだ何も知らない。あまりにも、互いを結ぶものが細く頼りなかった。


「……ほんとに、自分に何もないって思ってる?」

 カナは、落ち込む少女に、少しばかり冷徹とも言えるような声色で訊いた。突き放すような、というべきかもしれない。


「……っ」

 その声にアヤネは肩をすくませた。何もない自分を嫌われたら、助けてもらえないかもしれない。そんな恐怖が自分の内側を支配するようだった。


 ――気に入らないんだよ――。

 そう言ったカナの言葉が、なぜかこの時、妙に頭の中でリフレインしてしまう。


 押し黙って固まるアヤネに、カナは「ふう」と一息吐き出した。


「……あのさ?」

「は、はい……」

「リサたちに、最初に声かけられたとき、あんた、音楽が好きって言ったじゃん」

「あ……はい……」

 でも、その音楽が好きというのは、社交辞令の挨拶くらいのものであったし、本当に音楽に対して情熱を持っているとは言えない。リサの音楽に対する行動力を見てからは猶更、『音楽が好き』なんて口が裂けても言えないと思えた。


「でも、私、ほんとは音楽が好きって言っても、普通に、流行りの歌を聴くくらいで……部活を作ってまで音楽に向かうような気概はないし……」

「そうじゃなくてさ」

 落ち込むアヤネに、カナが少し強い声で被せるように問いただす。そしてうつむく少女の顔を正面に向けさせ、じっと視線を奪った。


「あの時、あんた、いい顔してた」

「……えっ」

「だから、音楽が好きって言った時、あんたの笑顔……可愛いって……思った」


 カナが真っすぐに瞳を向けながら、真っ赤な顔をして、アヤネに告げた。らしくない事を言っているようにも思えて、カナは恥ずかし気な表情をしたまま、だが視線は真っすぐアヤネを捕らえる。


「あー! うんうん、可愛いかったよアヤネちゃんの笑顔!」

 同調したハルカは、その時の事を思い出して、アヤネの笑顔を褒めるのだ。リサも同様に、頷いていた。

「うん、めちゃくちゃ良い顔で言ったからさ、アタシもてっきりホントに音楽好きなんだって嬉しくなったもん」

「そ、そうですか? でも、それは……」


 昨日、第一印象をよくしようと、練習した笑顔だ。用意してきた笑顔なのだ。素顔じゃない。練習してきた、仮面みたいなものだ、とアヤネは思っていた。


「練習してきたんです。み、みんなから仲間外れにならないように……笑顔を作れば、誰かに嫌な思いをさせないし……」

 素直に打ち明けるアヤネに、三人は黙った。

「笑顔なんて、取り繕っただけで……ほんとに音楽のことも半端で……すみませんでした」


「つまりさ……」


 みんなを騙すようなことをして申し訳ない、と頭を下げるアヤネに、正面に立つカナは矢張り視線を真っすぐに向けて云うのだ。


「あんたは、努力したんだよ。現状を乗り越えようと、笑顔を作るように頑張った。……アヤネ、あんたは頑張ったんだよ」

「がん、ばった……?」

「うん。だから、私はあんたを助けるよ。……そういう人が、私は、好き」


 そう言って、一度だけ、ぐっと身を寄せて抱きしめたカナは、自分の体温を怯えて震える少女に分けるように身体を重ねた。


「自信を持っていいんだよ」

「はい……」


 ぬくもりが力をくれるようだった。凍結した指先に血が通うように、固まっていた心が脈動する。


 私は、自分を取り巻く世界に対して、抗っていたのだと、その時初めて知らされたのだ――。

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