次期当主はメイドさん!?

嵐山之鬼子(KCA)

1.従姉(メイド)さんは心配性

  その日、六道紫りくどう ゆかりは、幼馴染の弟分であり、親戚(従弟)であり、現在勤めている家の「坊ちゃん」でもある少年、桐生院葵きりゅういん あおいが、自室の机に突っ伏して意識を失っているのを発見した。

 「ちょ、ちょっと、アオイちゃん!?」

 勤務中はできるだけ「葵様」と呼ぶようにしているのだが、さすがに慌てて普段の地が出てしまう。

 幸い、駆け寄って揺さぶると、少年はゆっくりと目を開けて体を起こした。

 「う……ゆかねぇ? あれ? 僕……」

 とりたてて葵に異常がなさそうなのを見てとって、ようやく紫は少し落ち着きを取り戻した。

 「もぅ、ゆかねぇじゃないわよ、まったく」

 とは言え、まだ完全に平常心と言うには程遠く、勤務時間中の「桐生院家子息付き侍女」ではなく、「頼りない従弟を心配する姉貴分」の顔になっている。

 「最近、疲れが溜まってるみたいだけど──ダメよ、無理しちゃ。アオイちゃんはあまり体が丈夫じゃないんだから」

 「うん、それはわかってるんだけどね……」

 決まり悪げに笑う従弟の顔を見て、紫はピンときた。

 「──また、伯父様が無理難題ふっかけてきたのね?」

 「む、無理難題ってほどじゃないけど……」

 しかし、目を逸らす葵の様子を見れば、おおよその事情は理解できた。


 * * * 


 葵たちの家──桐生院家は、この地方でも有数の大地主であり、江戸時代には、代々この地の藩主の剣術指南役であった家柄である。

 明治維新と廃刀令の影響で、剣術家としての側面は薄れたものの、地方の名家的な立場は21世紀の今に至っても未だ健在で、県内で小財閥めいたものも形成しているちょっとした資産家だ。

 幸か不幸か桐生院葵は、その桐生院本家の後継者候補筆頭であった。

 現在の身分は、県内随一の進学校に通う高校2年生。勤勉で柔和、人当たりはよい反面、押しが弱い……という評価を周囲からは得ている。

 ただの高校生として見れば可もなく不可もなくといった評価だが、桐生院一族に連なる者からすれば、一門の総帥としてはやはり不安が残るようで、親族達からはあからさまに侮られていた。

 また、桐生院の本家筋に連なる者は慣習として父祖伝来の桐生剣術を習うのだが、葵はその腕前もいまひとつだ。

 身体があまり丈夫でないせいもあるのだが、ひとつ年上の紫が、女性でありながらすでに初手皆伝(剣道で言うなら二段~三段程度の実力)なのとは対照的だった。


 現在の当主である葵の父も、何かと息子の将来を心配し、「習うより慣れろ」と、彼に16歳の頃からグループの仕事の一部を見るよう仕向けていたのだが、それがまた温和でのんびりしたタチの葵には負担となっていた。

 しかしながら、周囲の人間は彼に過大な期待をかける者ばかり、


 唯一、姉弟同然に育った従姉で、「葵の保護者」を自認する紫だけが彼の気持ちを理解していたのだ。

 だからこそ、桐生院家の血を引く身ながら、中学卒業後、紫は本家の使用人と高校生の二足の草鞋を履く覚悟を決めて実行に移し、現在はわざわざ母の旧姓を名乗ってまで、葵の侍女メイドを務めているのだ(これは、同じ桐生院姓の者を使用人にするのは……と葵の父が渋ったためだ)。

 すべては、大事な弟分を護るため。

 無論、ここまでしてくれた姉貴分に葵が感動しないワケもなく、現在の葵にとって紫は、ある意味、厳格な父や天然気味な母以上に信頼する相手だった。


 * * * 


 「大旦那様……いえ、お爺さま、聞いてください!」


 葵の窮状を察し、彼自身の口から弱音を確認した紫は、本格的に現状への対処を考えるようになっていた。

 意外に思えるかもしれないが、葵はめったなことでは泣き言は言わない。我慢強いというのもあるが、一族における自分の立場を分かっているが故に「言えない」というほうが正しいかもしれないが。

 その彼が(半ば無理矢理聞き出したとは言え)明確に、弱気と疲労を訴えているのだ。

 葵付きのメイドとして、また彼の姉代わりとして見過ごすことはできなかった。


 しかし、ある意味、葵以上に聡明でキレ者(学年主席でもあるのだ)な紫は、桐生院家当主であり葵の父でもあるかおるに、直接掛け合うような真似はしなかった。

 よくも悪くも前時代的根性論と権威主義の塊りである馨が、姪とは言え、この家に於いては一介のメイドに過ぎない彼女の言葉を聞くとは思わなかったからだ。


 馨の弟であり自分の父でもあるひかるは、温和で良識的ではあるが、それだけに兄へ諫言することは苦手としている。

 我が親ながら不甲斐ない……とも思わないでもないが、桐生院グループの経済面を取り仕切る中心人物である輝と、当主たる馨の対立が好ましくないのも確かだ。

 馨の妻である夕霧ゆうぎりがいれば、この状態を緩和してくれるかもしれないのだが、生憎体の弱い彼女は数年前から病院で伏せっている。

 おっとり優しげに見えて、その実、裏では夫を尻に敷くたいした女傑なのだが、さすがに今の彼女に無用の心配はかけたくなかった。

 あるいは、愛する妻の病状に対する苛立ちが、馨から息子を思いやる余裕を奪っているのかもしれない。

 そこで紫が頼ったのは、自分と葵の祖父であり、馨たちの父でもある老人、朱雀だった。

 一見、小柄な白髪の好々爺に見えるが、この男、現在生存する桐生剣術の使い手で最強と呼ばれているのは伊達ではない。先代の当主であったこともあり、おそらく一族で唯一、現当主の馨が頭の上がらない相手だろう。


 「ふむ。確かにワシから馨のヤツに言って聞かせるだけなら簡単じゃが……ことはそれほど単純でもない。外聞というものがあるからの」

 聡明な紫には、それだけで祖父が言いたいことがわかった。

 「一族への示し、ですか? 下手に投げ出すと、葵が侮られる、と?」

 「まぁ、今でも軽んじられているという意見もあるじゃろうがな。

 しかし、たとえ結果が同じでも、歯を食いしばって努力を続けた者と、途中であっさり投げ出した者に対しては、人の心証がまるで違うからの。特に桐生院の人間は、良くも悪くもそういう熱血志向なトコロがあるじゃろ?」

 なるほど、前時代的なブラック論理だが、この地方いなかではありそうな話だ……と、紫も否定はできなかった。

 では、あの子にしてあげられることはないのか……と意気消沈する紫に向かって、朱雀老人はニヤッと笑ってみせる。

 「そこで、コイツの出番ぢゃ!」


 * * * 


 「ええっと、どういうことなの、ユカねぇ?」

 あれから祖父の部屋を辞した紫は、彼から渡されたある「物」を持って、葵の部屋へとやって来ていた。

 「いえ、わたしにもよくわからないんだけど……」

 ふたりの共通の祖父である朱雀から渡された漆塗りの文箱をパカッと開ける紫。

 そこには、変色した和紙に魚と鳥がそれぞれ描かれた二枚の水墨画と、何やら書付のようなものが入っている。

 「これが説明書だと思うんだけど……うわ、本格的な草書体だわ」

 それでも、手習いの心得のある紫と、古典を読むのが好きな葵が協力して何とかその説明書(というより覚書?)を解読できた。

 それによれば、この絵は二枚一組で「鳥魚相換の図」と呼ばれる桐生院家に代々伝わる秘宝で、これを枕の下に敷いて眠ったふたりは、翌朝目が覚めると他の人間には外見が入れ換わっているように見えるらしい。


 「う……うさん臭いわねぇ」

 紫の意見ももっともだが、葵はさらに読み進めている。

 「でもユカねぇ、一応使用例についても記されてるよ? 一番最後は慶応元年だから、けっこう最近だし」

 慶応と言えば江戸時代最後期の年号。いわゆる幕末だから、明治のひとつ手前で、確かに大昔というわけではない。

 「お爺さまによれば、わたし達の玄祖父は実例を目撃したことがあるそうなんだけど……」

 祖父からは「わしの爺さんの話によれば、効果はあったそうじゃぞ」と聞いていたのだが、まさかこんな荒唐無稽な代物だとは思わなかった。

 元々は立場に奢って横柄な態度をとるドラ息子や高慢な娘を、使用人と一時的に入れ替えて懲らしめるための懲罰用の道具だったらしい。

 幸いにしてここ数代の本家の人間には、そのような不心得者は出ていないため、秘宝の効果の真偽は祖父にもわからないらしいが……。


 「でも、本物だとして、どうやって使えばいいんだろう?」

 「ん? ああ、そんなの簡単よ。わたしとアオイちゃんの立場を入れ替えるの」

 紫自身も、葵付きの侍女としての立場を利用して、できる限り葵の仕事を秘書的にサポートしてはいるのだが、葵の場合、量もさることながらその「仕事」のそのものにプレッシャーを感じているのだ。

 いちばんの対処方法は、次期後継者としての仕事からしばらく遠ざけることだろう。


 「えぇぇーーっ!? そんな……ユカねえに迷惑かけるの悪いよ」

 「大丈夫よ。普段から手伝ってるし、少なくとも「仕事」に関する知識は、葵とほぼ同格だと思うわ」

 確かにその通りだ。現在、葵に回ってくる「仕事」の書類にはすべて紫が目を通したうえで、優先度の高い順に葵に決裁その他の判断を仰いでいる。

 また、決裁そのものに関しても葵は傍らの紫に意見を聞くことが多かった。

 ──と言うことは、紫自身が「仕事」するほうが、むしろはかどるのでは?

 「まぁ、その代わり、「仕事」に関わらないぶんの簡単な雑用とか、使用人としてのお仕事の方をアオイちゃんにしてもらうことになると思うけど……」

 「うん、それは別にいいよ。むしろ、そういう細かいお仕事の方が、僕好きだし」

 どちらかと言うと、「言いつけられた作業を迅速かつ丁寧にやる」ことの方が、葵は得意だった。つくづく指導者に向かないタイプの子だ。

 「ま、それもこれも、すべてはこのボロっちぃ絵が本物だったらの話よね。どう、アオイちゃん、試してみる?」

 からかうように言う紫の言葉に一瞬考え込んだ葵だったが、すぐに大きく頷いた。

 「やってみようよ、ユカねぇ。何もなければただの笑い話だし、もし本物だったら、めったにない不思議な体験ができるワケだし……」

 「それはそれで面白いか。そうね!」

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