第90話 サシャ―2

 ルビーさんに案内され、私達が辿り着いたのは四方に海水を引き入れた巨大な水堀に囲まれ、巨大な石橋を持つ白亜の大宮殿でした。

 水面には小舟が走っていて、大型船ですらそのまま接岸出来るようになっているようです。

 宮殿での先頭は三角錐になっていて、何か文字が刻まれています。防御結界の類でしょう。

 橋の前には土塁が築かれ、完全武装の兵達が警戒しています。物々しい雰囲気です。

 南方では戦乱が絶えないとは聞いていますが……奇妙です。

 私が聞いていた話では、『四剣四槍』は民と語らう事を好み、宮殿を開放して祭りを楽しむ人物だったのですが。これでは、とても一般市民は立ち寄れないないでしょう。


「サシャ、サシャ、おふねー!」

「あぅぅ~し、尻尾は引っ張らないでくださいぃぃ」

「レーベ、落ちたら危ないからね。おいで」

「はーい♪」


 レーベがようやく私の尻尾を離し、ハル先生へ飛びついていきました。

 ……別に寂しいなんて思っていませんし、いいなぁ、とも思っていません。もう、私は子供じゃないのですから。本当です。

 ルビーさんが兵士達へ近付いて行かれます。土塁の前で立ち止まり、右腕を真横に胸の中央へ。


「任務ご苦労―—『四剣四槍』が末妹ルビー、ただいま帰還した」 

「末妹様! よくぞ……よくぞ、御無事で……」

「ありがとう。……何か――もしや、姉上の身に何かあったのか?」

「……私のような者の口からは。そちらの方々は」

「私の連れだ。今の姉上に一番必要な御方だと思う」

「少しお待ちください」


 そう言うと指揮官なのでしょう、頭に白布を巻いている士官らしき人間が宝珠を取り出し、何かを話しています。

 兵士達の軍装はよく見ると所々汚れていたり、破れたりしています。目には深い悲しみの色。

 ――この状況から推察できるのは。

 指揮官が、ルビーさんに頷かれました。土塁の一部が開いていきます。


「お待たせした! そして――ようこそ、ファロス宮殿へ」



※※※



「ルビー!」


 宮殿内に入った私達を待っていたのは、兵士達を率いているルビーさんによく似た女性でした。お姉さんでしょうか?

 身体の所々に包帯を巻いています。この方も戦場帰りのようです。

 辺りを微かに漂う甘い甘い香り。……私はこれを知っています。けど、何故?

 あの子は滅茶苦茶ですが、少なくとも馬鹿ではありません。大々的に暴れれば、ハル先生から厳しく叱責される事は分かっている筈。それなのに……。


「ルピア姉様! ただいま帰還しました。『意思ある剣』『知恵持つ槍』に代る刃もここに! 急ぎ、姉上にお会いしたのですが」

「……まさか……こんなに早く戻ってくるなんて……その方達は」

「はい。ハル殿」

「はじめまして。僕の名はハル。しがない育成者をやらしてもらっているよ。この子はエルミア、サシャ、レーベ――その傷だけれど、少しだけ見せてもらって良いかな?」

「な、何を」

「姉様、ここは」


 ハル先生はルピアさんの手を取られると、何かを確認されました。 

 そして――穏やかに微笑まれます。


「ありがとう―—傷はもう癒えている筈だよ」

「!?」

「……中々厄介な事になっているみたいだね。まぁ、細かい話は後で本人に聞くとしようか。ルピア、と呼んでも?」

「あ、ああ」

「ではルピア、今すぐ『四剣四槍』殿と面会したい。色々と話を聞きたいんだ――彼女の問題についても、ね」

「! ど、どうしてそれを――いや……分かった。案内しよう。こっちだ」

「ありがとう。レーベ、行くよ」

「♪」


 流石は『四剣四槍』の直系。どうやら、大体の事情を把握されましたか。

 レーベもこの間に、兵士達の傷を全て癒したようです。 

 そして、さっきから静かなエルミア姉は心底から楽しそうな顔で……嘘です、訂正します。あれは、狩人の目です。

 つまり、獲物が射程内にいる、と? レーベの感知網にも引っかかっていないのに??

 目の前の時空から、エルミア姉の身長のゆうに3倍はある、一見古びた長銃が出現しました。ですが、その表面に浮かび上がっている刻印はとんでもない物ばかりです。

 ……『遠かりし星月』まで持ち出すという事は、つまりそういう相手という事ですね。これは大変です。もっと言うとこの都市の危機です。真正面から激突したら、灰も残るか怪しいような気がします。


「―—ハル」

「好きにしていいよ。少し灸を据えた方がいい、ね。ただし、やり過ぎは厳禁だ。僕の胃に穴を開けるような行為は厳に慎む事。山を吹き飛ばしたり、海溝を作ったり、湖を地図に加えたり、地殻変動を誘発したりしないように。当然、死傷者を出すのは駄目だから」

「―—む、ハルは失礼。私みたいに可愛くて、愛らしくて、平和的な美少女がそんな事する筈ない。傷ついた。とってもとっても傷ついた。これは今すぐ癒して貰わないと駄目」

「今度、やったら自分達で全部後始末させるよ? 当然、その時の姿は、獣耳と尻尾付き+映像録画で」

「―—————夜までには戻る」


 麦藁帽子のつばで顔を隠しつつ、エルミア姉の姿が消えました。

 魔法ではありません。曰く『―—メイドなら誰でも出来る体術』。姉弟子と兄弟子に噓吐きが多いのは問題だと思います。思わず溜め息が、ひゃっ。


「サシャ、サシャ、いこ?」

「だ、だからぁ~し、尻尾は、握らないでくださぃ~」

「やー♪」

「うぅ……」


 ――前言に付け加えです。

 私の言う事を聞いてくれない、この可愛い子猫天使も問題だと思います!

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