峡谷 中

 幼児程度の背格好である影は、姉上へそう楽しそうに応えた。

 未だ姿は粉塵で隠れていてはっきりとは見えない。

 隣に浮かんでいる『戦争屋』は心底呆れた表情。


「……兄貴。相手は仮にも『十傑』の内の二人。しかも、軍隊付きなんすよ? 一人で全部ってのは……バレた時が怖いっすっ」

「はっはっはっ! 余り心配症だと、胸が大きくならぬぞ? 吾輩は昔々こう習ったのである。『僕の言う事を杓子定規に全て守る必要はないよ。確信があるならば、君の好きなように進めばいい』とな! 正に金言! 吾輩はそれ以降、我が拳の導くまま今日まで生きてきたのであるっ。それはこれからも変わらぬっ!」

「…………今、思いっ切り真正面から喧嘩を売られた気がするんすけど、つまり兄貴の背中を戦闘中に刺してくれってことすっよね? ね?」

「おおぅ! 妹弟子から、心地よい本気の殺意を感じる! うむ、いいのである。どうやら分かってきたようで、吾輩、嬉しいのである! くるがいいっ! 兄弟子として、蒼海洋より広い胸で受け止めて見せるとしようっ!」

「…………絶対、今度エルミア姉に報告するっす」

「ま、待てぃ!」


 今までの余裕綽々の態度は何処へやら、粉塵を突き抜け、淡い灰色の影が飛び込んでくる。

 そして、見事に宙返りをしながら着地。がピンと立っている。

 ……え?


「こ、殺される……殺されてしまうっ! あ、あの傍若無人を極め抜いている姉弟子は、加減という単語自体を知らぬのだっ。『——加減? 何ですか? 美味しいですか?』と言うのだぞ!? 昔も可愛い可愛い弟弟子のお茶目な冗談を真に受け、三日三晩、追われ続けた。取り成しがなかったら……わ、吾輩にはまだやり残した事がるのだっ。まだ……まだ、死ぬわけにはいかぬっ! 元の超絶カッコよい身体にいい加減、戻らねばならぬしなっ」

「……きっと、当時はごつくて全然可愛くなかっただけっす。今の外見になって、多少、諸々緩和されてるんすから、そのままでいいじゃないっすか」

「むぅ……確かに吾輩の強さに、可愛さの頂点と言える、この姿が合わされば、天下無敵ではあるが……」


「……待て」


 姉上が口を開かれた。私の肩に手を置かれて立ち上がる。

 目の前には戦場とは思えない内容を話している『戦争屋』と――二足歩行をし、格闘服を着ている淡い灰色の。 


「貴様、何故そのような姿なのだ? ……気配は『拳聖』だが」

「うむ! 吾輩こそ、何れは大陸最強となる漢の中の漢『拳聖』ラカンであるっ! 『四剣四槍』殿、久しいのである。本来であればこのような願ってもない場。いざ、尋常に勝負、と言いたいところではあるが……御身の病、どうやら想像以上のようなのである。病ある女子を倒しても我が武勲の誉れにはならず。残念無念なのである」

「……私の質問に答えよ。私は、どうしてそのような姿なのか? と聞いたのだっ!」

「そ、それは、であるな……わ、吾輩にも色々あったのである」

「簡単っす。お師様が昔、遊びで作った魔法式を弄ってたら、暴発して戻れなくなったんすよ。基本、兄貴はバカっすから」

「そこはお茶目と言ってほしいのであるっ!」

「なっ!? そ、それでは……」 


 姉上の焦りの声を遮り、甲高い音と共に周囲に砲弾が着弾。

 咄嗟に、姉上の前に回り込みつつ、土壁を高速展開。

 が、次々と破壊されていく。

 これは何度も経験してきた。あの忌々しい『国崩し』とその一族が得意とする、火力集中だ。

 少し遅れて、兵達も参加してくれるが……このままでは。

 そう言えばあの二人は? まさか、避けきれなかったのか!?

 ――後方から軽い声。


「あ~問題ないっすよ。心配するだけ無駄っす。あの人、出鱈目っすから。ああ、御姫さん。黙っていたのは申し訳なかったす。でもまぁ……要は、あの人らを倒せばいいんすよね?」

「……そうだ。私とて『拳聖』の力、多少は聞いているが……奴等は侮れぬ。やはり、ここは私も!」

「あー。大丈夫っすよ。確かに手強いっす。私だけじゃ逃がすのも一苦労だったと思うっすけど……うちの兄弟子の射程内に入ったら、幾ら『十傑』に数えられてても、後衛さんじゃ無理っすね。取りあえず――全力防御しとくのが無難っす」

「それはどういう」


 意味だ、という姉上の声は言葉にならなかった。

 無数の銃砲弾が振り注ぎ、とてもあのような猫が生き残れなどしないだろう空間から感じられたのは――大地を震わすような力の鼓動。

 こ、これは……!


「—————はっ!!!!」


 辺り一帯に轟く裂帛の気合。舞い上がる粉塵と砲煙が突如晴れる。猫が地面に向かって右拳を放った。

 

 瞬間――耳の許容限界を超える音共に、地震でも起きたかのように大地そのものが大きく揺れ、地が裂けるのが見えた。

 

 火砲を放っていた『国崩し』の兵達が呆け、そして恐怖への表情へと変わる。

 防御陣地奥にいた、何時も常に私達をいたぶるかのような表情を見せている『国崩し』の顔が引き攣った。口が『嘘だろ、おい』と動く。

 地割れが凄まじい速さで走り、戦列を飲み込んでいく。

 耳がやられているので、声は聴こえないが……多くの敵兵達から士気が喪われているのは理解出来る。こんな事をされたら、ただ、逃げ惑うしかないだろう。

 勇躍、猫が追い打ちをかけるべく瞬時に距離を詰め、盾を構え戦列を必死に維持しようとしている敵部隊に襲い掛かる。


 ――その可愛らしい小さな手足が振るわれた瞬間、肉片と鮮血が舞い散った。


 防壁は紙以下の効果しか発揮せず、そして、小さな身体が被弾面積を局限化。散発的な火力では、捉える事すら出来ない。辛うじて捉えたそれも消失する。信じ難い防御障壁!

 気付けば此方への射撃はなくなり――敵兵はただ生き残る為、小さな悪魔だけを目標にしていた。

 呆然とする私達を後目『戦争屋』は肩を竦める。



「だから言ったんすよ。兄貴の心配するのなんて無駄っす。元の身体じゃない分、火力は落ちてるように見えるすっけど……それも罠っす。あの程度、制約にもならないんすよ。うちのお師様、けっこー過保護なんですけど、兄貴へは『好きにしていい』って言うんす。つまり――それだけ強いからなんすよ。病気になってない御姫さんよりも、瞬間火力は上かもしれないっすね」 

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