エンジェルサーガ~DeepOcean~
@SiviA
Chapter1「両刃鎌の死神」
かつて、この世界には、天使がいた。
破壊するために生まれた天使……とある男とともに世界を救った天使。正義を振りかざし、我が物顔でこの世界を支配しようとした天使。他人の力で全てを手に入れようとした天使……。
その存在はいつでも強大で、人類と世界にいつでも脅威をもたらしてきた。
それは例えば現代……世界を別の時空へと消し去り、新たな世界を書き直そうとした男がいた。
それは例えば少し先の未来……存在し得ぬものを使い、すべての高校を操って、大人を抹消しようとしたもの……
それは例えばかなり先の未来……不思議な力【
しかし、その度に浮陰と名乗る者たちが必ず現れ、不埒なやからに鉄槌を下してきた。これは夜明けの時代から続く、史実の陰に隠れた物語。
“時代不明”
空には赤い月がのぼり、いつもは人通りの多い道も不思議と閑散としていた。まだ夜の9時を回った程度だというのに、道路には不思議と車が走っていない。夜道を明るく照らす電灯も、どうもくすんだ光を放っているように見える。いつもは安心するようなコンビニの無駄に光を放つ看板も、今日は不吉な何かを感じて仕方がない。
そんな夜道を歩く少女が一人。黒い髪を腰まで垂らした、美人ではないが、決して不細工ではない、これといった大きな特徴を持たぬ少女だ。高校の制服を身にまとい、一般的なスクール鞄に金の鳥籠の形をしたキーホルダーが取り付けてある。その表情は暗く、怯えたように辺りを警戒しながら小走りで歩いている。暗い夜道には気をつけろとはよく言われるが、どう気をつけたものか。気が付くと、紫色に怪しく輝く霧まで出てきている。
この世界には、UMAと呼ばれる謎の存在が我々の目を逃れるように、しかしはっきりとこちらを狙っている。それはかつては妖怪や怪物……おとぎ話にのみ語られる生物だった。しかしあるときから、人の目を逃れるように少しづつ、光を侵食するかのように人間を襲い始めた。ただいたずらするだけのモノ、人を喰らい害なすモノ。その狙いは様々だが、一般的な人類である我々にはUMAに対抗する手はほとんどない。ごく一部の“能力者”と呼ばれる人々を除いて……
小さな妖精や、多少の小悪魔程度なら、身の回りにある適当な武器を振るっていれば勝てるかも知れない。今ではUMAを退治するための小型UMA取りスプレーのような物もある。しかしそれがなんになるというのだろうか。強力なUMA……例えば地獄の鬼や、百鬼夜行絵巻に綴られる強力なUMAが現れたときには対処のしようがない。一口に食べられて終いだろう。万が一襲われでもしたら、死体も残らぬ死に方をするのだろうか……
少女は少しづつ、歩みを早める。一刻も早く家へと帰りつかんとする思いは、いつしか小走りとなり、呼吸も早く走り出していた。
「ストップ。そこの、止まって」
突然、少女のすぐ目の前……正確には、ずっと続くブロック塀に音を立てて鎌が突き刺さった。突然のコンタクトに少女は止まりきれず、後ろへと仰け反った勢いを殺しきれずに、派手な音を立てて尻から着地した。
「なんだ、普通の人間じゃん……この私が読み間違えるとは、珍しいこともあるものだ」
痛みをこらえて見上げてみれば、自分と同じくらいの背丈の少女が立っているのが見える。鎌の持ち主と思われる少女は顔に般若の面を被り、猫の耳の装飾が付いた黒いフードを深々と被っている。仮面の端から見える髪は所々に黄色のメッシュが入った黒髪だ。
フードの付いたコートは微細な装飾が施されており、高価なものであろうことが直ぐにわかった。コートの前は止めておらず、、少し青みがかったYシャツは豊満な胸の形をこれでもかと強調している。全体で見れば、それはどこかの学校の制服のようでもあった。
般若面の少女は壁に刺さった鎌を引き抜くと、柄の部分を肩にかけて担ぐ。よく見ればその鎌は内側だけではなく、刃の外側にあたる部分も研がれており、両刃の鎌であった。刃こぼれ一つない鎌が月明かりを跳ね返し、吸い込まれるような狂気を感じる。
般若面の少女は鎌を持っていないほうの手……右手でフードを外し、面をずらして顔の横に持っていく。見た目より幼く、美しい顔で、ニヤリと笑っている。その両眼は痺れるような紺碧で、吸い込まれるような蒼色であった。
「……驚かせて悪かったね。ガム食べる?」
そう言いながら少女は懐から、よくコンビニで見るメーカーの板ガムを取り出した。
「……」
尻餅をついた少女は、状況を理解できないと言うように目を白黒させ、惚けきっている。
「あ、あ、あ……」
「……もー、しっかりしなよ。UMAに襲われても知らないよ?」
般若面の少女に脅され、黒髪の少女はよろけながらもなんとか立ち上がった。膝は震え立つのがやっとといった感じだが……
「あなたは……誰……?」
「死神…なんてね」
死神の格好をした少女は意地悪そうにクククと笑った。
「私の名前は
「わ、私はツバキといいます……」
浮陰と名乗る少女は人差し指をこちらに向ける。
「そういえばあんたからUMAの匂いがしたんだけど、心当たりある?例えば野良UMAをこっそり飼ってる……とか?」
「なっ……ないですそんなの!UMAなんて見たことないし……」
「まあ、そうだろうねぇ。あんたみたいなモヤシがUMAと戦えるとも思わないし」
ニヤニヤと笑いながら奏は空を見上げる。
「今日はどうも空気が悪い。あんたもさっさと帰ったほうがいいよ。……UMAにバリバリ食べられたくないならね」
「ひっ……こ、怖いこと言わないでください」
死神と名乗った奏だが、その表情は明るく笑みを絶やさない。しかし彼女が冗談や酔狂でこんなことを言っているのではないということだけは直ぐにわかった。
「それじゃーねー」
奏はひらひらと後ろ手を振り、優雅に歩き去って行った。
「……なんだったんだろう。あの人」
ふと気が付くと、あたりにあれだけ漂っていた霧もすっかり晴れ、点々と人が歩いているのが見えた。不思議なことに、先程までの嫌な雰囲気はすっかり消え失せている。ツバキは今までのできごとに納得の行かないまま、帰路を急いだのであった。
次の日……ツバキはいつものように学校へと向かう。彼女の通う高校は
「おはよー」
「あ、おはよう」
同じ制服をまとった女の子がツバキに話しかける。短髪茶色の活発そうな少女だ。
「ああ……今日もだるいねぇ」
「ヒズキはいっつもだるそうじゃない……ちゃんと寝たほうがいいよ」
「出た出た、ツバキの優等生癖」
ヒヅキ、と呼ばれた茶髪の少女はあっけらかんと笑う。
「癖って、別に私はそんなんじゃ……」
ツバキは照れくさそうに笑う。ヒズキは褒めてないと、呆れて言った。
「でも、夜はちゃんと寝て、朝ちゃんと起きるのってそんなに変なこと?」
「女子高生の本質は夜ふかしだと思うよ」
「……全国の女子高生に謝ったほうがいいよそれ」
ヒズキはめんどくさそうにあくびをした。
「あ、そういえば昨日変な人に会ったんだけど……」
「え?どんな人?」
ヒズキはニコリと笑ってツバキに詰め寄る。
「死神みたいな人……かなぁ」
「え、ツバキ死んだの……?」
「なわけないじゃん」
いたずらっ子の笑みでヒヅキが笑う。
「おっと、その話は学校でね!遅刻しちゃうからね!」
二人は足早に学校へと向かった。校門をくぐり、教室へ入るとほとんどの生徒は既に席についていた。ツバキとヒズキも無駄な動作なく自分の席に付く。
「なんか……今日みんな静かだね」
「あー……先生が早めに席に着くようにって指示出してったんだ」
隣の席の男子生徒……名はサカキといったか、ツバキに教える。
「ん?どういうことだろう」
ツバキは教室内を見渡す。生徒たちはそれぞれが持つ情報を共有し合い、少しでも多くの情報を得ようと騒然に包まれている。その緊張感のまま5分ほど経過したところで、紫色のスーツをまとった男性が現れた。この男がこのクラスの担任だろう。
「……皆揃ってるな?転校生を紹介する」
男はつばを飛ばしながら耳につくキンキン声で言う。カツラのような気がする髪の毛がファサっと揺れた。
「よし!入ってこい!」
担任の声と同時に教室の扉がガラリとあき、ひとりの少女が入ってきた。少女はフードのついたパーカーを着ており、フードはかぶっていない。、頭には青色のウサギ耳の形をしたヘットホンがピンと立っている。パーカーの前は開けており、白いワイシャツがその胸の大きさを際立たせている。
その少女は、昨日と同じ目をしていた。
「コラ!教室に来るときはそれを外せといっただろう!!」
「そんな忠告聞こえないね」
「聞こえてるじゃないか!」
少女……奏は完全に無視している。彼女は不意にチョークを掴むと、黒板に力強く叩きつけた。欠けたチョークと白い粉があたりに激しく舞う。
「ブフォ!何をする!!」
奏は力強くチョークを操っていく。まるでタクトを振るかのように、荒々しく、そして繊細に……黒板に刻まれるのは、その名前だ。
「私は浮陰奏……よろしく」
見惚れるような美しい字が黒板全体に書かれている。ただし、簡単には消えそうにはない。奏は名前を書き終えると、さっさと空いてる席へと移動した。場所は黒板から見て右の最奥、ツバキの席はその一つ斜め前だ。
「……死神さん?」
「……こんな可愛い子に死神だなんて、失礼だなぁ」
まるで他人行儀に奏は笑う。
「ちょ……これ……消えな……おい!」
「せんせーが頑張ってください」
奏はニヤニヤと消えぬ文字に奮闘する担任の姿を眺めている。
「奏さん」
「ん?なあに?」
ツバキの声に奏が振り向いて答えた。
「…なぜここに?」
奏が大きくあくびをする。
「秘密。……ってほどでもないけどね。よろしく頼むよ」
この奏という女……やけに感情が読みにくい。はぐらかされたツバキがもっと深いところまで聞くべきかと迷っていた時、教室のドアが開いた。残念……時間切れのようだ。
「えー……それでは、授業を始めます……あれ、胆尾田先生どうしました?」
入ってきたのは現代国語の
放課後……
「あ、あの……奏さん」
「奏でいい。さんをつけられるほど偉い人間でもないし」
ツバキは教室に残っていた奏に声をかける。
機嫌が悪い様子ではなさそうだが、声にハリがない。単純に無愛想なのだろう。
「えっと……昨日のこと、なんだけど」
「……忘れた方がいいと思うけど、覚えておきたいならぜひ君のメモリーに刻みつけといて。知らない方がいいこともあるけどね」
「……」
どうにも、昨日のことを口にしたくないようだ。奏は立ち上がってカバンを肩にかけた。
「……帰っていい?」
「あ、うん……」
「……あんたも早く帰ったほうがいいよ。どうもこの頃悪い気配を感じるからね……UMAに襲われてもいつも助けられるとは限らない。特に、あんたからはUMAの匂いが強くしている……理由もわからないのにうろつきまわるのは、襲ってくれと言っているようなものだね」
「は、はい……」
ツバキの前で奏は優雅に立ち去った。ツバキも帰り支度を始める。奏の忠告自体はありがたかったが、ツバキにはやるべきことがあった。ツバキはその足で、とある病院へと向かう。……汀駅前病院305号室。ネームプレートにはキハルと書かれた紙が入れられている。ツバキは引き戸を開けると、一番奥に寝ている女性に声をかけた。その女性はツバキの来訪を見て、やんわりと笑顔を見せた。
「今日もお疲れ様。いつも来てもらってごめんねツバキ」
「私は大丈夫。お母さんこそ、調子はどう?」
キハルはただ笑っている。しかし、その顔色は悪い。とても元気には見えない……
「良くはないけど……前よりは楽よ」
キハルの言葉にツバキは安心したように笑った。
「早く元気にならなくちゃね……」
「焦らなくてもいいよ。うちのことはなんとかやってるから」
「ごめんね。お父さんも帰ってこれないみたいで……」
キハルは申し訳なさそうに言う。ツバキの父親であるタクミは現在、首都へと単身赴任中だ。
「お母さんは早く治すことだけを考えなくちゃダメだよ。私は大丈夫だからさ、よく寝て、よく食べて……早く元気になってね」
ツバキが励ますように言った。その後もたわいのない話や、世間話、学校の話……様々な話をしていると、窓の外がすっかり暗くなっている。ツバキは腕時計を見て面会時間がもうそろそろ終わることに気がつき、立ち上がった。
「あ、もうこんな時間……ごめん、私帰るね」
「うん。ツバキも気をつけてね」
ツバキは静かに病室から出ていく。病院から出ようとしたところで白衣を着たおじさんがツバキに話しかけてきた。
「……あ、先生」
「今日もお疲れ様ですツバキさん」
「こちらこそお疲れ様です先生」
先生は声を潜めてツバキに言う。
「キハルさんのことなんですが……少し厳しい状況でして」
先生の言葉には、真実を伝えにくい微妙な心境が現れていた。
「治る見込みは今のところ薄いです。前に比べて安定してはいますが……まだ、外に出ることもできない状態です」
「……そうですか」
その程度のことはツバキにもわかっていた。ツバキは医者ではないが、顔色が余りにも悪すぎる。
「……難しい病気で、全快までの見込みは半分といったところです。我々も全力で手を尽くしてはいますが」
「せ、先生には感謝してます」
「とりあえず今の薬をこのまま試してみますが……快方の見込みがない場合は手術の可能性もあるということを覚えておいてください」
ツバキは先生にお辞儀をして病院をでる。外はすっかり真っ暗になっていた。病院に長く居すぎたようだ。
「……っ!?またあの嫌な感じ……!」
あたりには昨日と同じ、不気味な霧が出ていた。ツバキは小走りで家に向かう。
「……早く、帰ったほうがいいかもしれない」
人の気配は全くないが、昨日よりもあたりが騒然としている……騒いでいるのは人ならざるもの、UMAだろうか。
「また、いつの間にか人がいなくなってる……これって」
ふと視界の端に目を向けると、暗闇が蠢いてるような……何者かがこちらを狙っているような、そんな感覚に包まれる。ツバキは息を切らせながら家へと走った。
そんなツバキの前に、再びガキンと音がして鎌が突き刺さった。
「わっ……またこのパターン?」
「……また、あんたか。たしかこう言うの、天丼っていうんだっけ」
鎌の持ち主はさくっと鎌を抜くと肩に担いだ。
「早く帰れといったはずだけどなぁ……私は」
「奏ちゃん……」
呆れ顔の死神……奏が般若の面を外しため息をつく。
「おい奏!いきなり走り出して……どうした?」
奏の後ろから、メガネをかけた男性が走ってくるのが見えた。きているコートには奏と同じ模様が入っている。奏と相対するようにその色は白だ。同じ模様の入ったズボンもはいている。身長は奏より高い。だいたい180cmくらいだろう。
「……あ、隊長。思い違いでした」
隊長と呼ばれた男は銃を手に持ち、少し息を荒げている。
「一般人が結界内に?滅多なこともあるものだな」
「昨日もだけどね。UMAの気配をおってきたはずなんだけど……なんであんたに突き当たるのかねぇ」
「聞いたところでわからないに決まってるだろう。……ああ、脅かしてすまなかったな。俺は……こいつの上司みたいなものだ」
「ツバキです。奏ちゃんとは同じ学校です」
今度は怯えることもなく、しっかりと答える。
「俺が家まで送っていこう。無駄な心配をかけた侘びってことで、夜道は危険だからな」
上司と名乗った男は深々とお辞儀をして言った。
「奏はしばらく見回りを続けてくれ。……なんかあったらいつもどおり連絡してくれればすぐに駆けつける」
「了解……あ、ツバキ」
奏が何かを思い出したかのようにコートの内ポケットを漁る。
「温泉って、好き?」
「温泉?うん、まあ好きだけど……」
「なら、よかった」
奏が取り出したのは温泉の素だ。袋には柊温泉と印刷されている。
「引越し周りの予定で買ったんだけどさ。余っちゃったからあげるよ。よかったら使って」
「ありがとう。……聞いたことない温泉だね?有名なの?」
ツバキは奏から緑色の袋を受け取る。
「それじゃ、隊長はエスコートしてやってね」
「わかってる、そっちもしっかりやれよ?」
隊長が白い手袋の上から指を鳴らすと、一気に霧が晴れた。
「霧結界……本来UMAを閉じ込めるためのものだったのだが……君には聞かなかったみたいだな。重ね重ね申し訳ない」
「いえそんな!……えっと、その」
「ムクロという。気軽に呼んでくれ」
ムクロはメガネをくいっとあげる。
「……一応俺たちは秘密組織に所属していてな。外では言わないでもらえると助かる」
「あ、はい、分かりました」
それ以降は特に会話もなく、気が付けばツバキの家の前にたどり着いていた。。
「あ、このあたりで大丈夫です。ありがとうございました」
「そうか。……気をつけてな」
ツバキと別れたムクロは、近くにあった赤い屋根の家を見上げる。そこには奏が座っていた。
「見回りしたけどなんもなし。……よっぽど巧妙に隠れてるっぽいね」
「そうか……ところで、あの温泉の素って……」
「ただの保険の予定……ってかこれはあいつには言えないなぁ……流石に」
「例の匂いってやつか」
奏が頷く。
「相変わらずお前は鼻がいいな。……俺にはわからんぞ」
「……」
「生まれ持った<神魂>(スピリット)持ちってのは、やっぱり違うな」
ムクロが感心したように頷いている。
「さてこれが吉と出るか、凶と出るか。……釣られてくれれば話が早いんだけどね。ここが気の引き締め時かも知れないな」
奏はあくびを一つすると、姿を消した。
次の日……
「あ、奏ちゃん」
「おはよう、ツバキ……」
奏はやけに眠そうだ……
「昨日もらった温泉の素、気持ちよかったよ」
「そう……よかったね」
興味なさそうに奏はあくびしている。そんな二人の後ろからひとりの少女が声をかけてきた。
「おはよー」
「ラクネ、おはよう」
透き通るような白髪が揺れる。その瞳は赤く輝いていた。ツバキと同じ制服を着ている。
「誰?その人……」
「転校生の浮陰奏です。よろしく。ガム食べる?」
奏はポケットから1枚だけ残った板ガムを紙の箱ごとラクネに差し出す。
「……いらないかな。別にお腹減ってないし」
ラクネと名乗る少女は丁重に断った。
「初めまして、ラクネです。ツバキとは幼稚園からの友達で……」
「そ。まぁ二人で仲良くやってよ」
そういいながら自分の席へと歩き去っていった。人間関係に興味はないようだ。
「奏って子、なんか感じ悪いかも……」
ラクネが眉をひそめている。
「そういえばツバキ……お母さん大丈夫?最近……無理してない?」
ラクネが心配そうに声をかける。確かに、ツバキの顔色はあまり良くなさそうに見える。ツバキは無理やり笑って答える。
「うん、大丈夫……ちょっと慣れないことしてるから疲れてるかもだけど、最近は家事もだいぶこなせるようになってきたし」
「私もついてるから……何かあったら言ってね!」
ラクネが両手でツバキの右手を掴む。
「うん。でもしばらくは一人で頑張ってみるよ。自分で決めたことだし」
ツバキはそう言って微笑んだ。授業開始のチャイムが鳴っている。
「あ、ヤバ……また後でね、ツバキ」
「うん、後でね」
教室に戻ると、奏がこちらを見つめている。
「えっと……何?」
「……さっきのラクネって子」
そこまで言って、奏は首を横に振る。
「いや、何でもない。今日はちゃんと早く帰ってね、また邪魔されても困るから」
厳しい一言がツバキに突き刺さる。
「……うん」
反論もできずにツバキは頷いた。
「釣りはうまくいったみたいね」
「え、何か言った?」
奏は答えずににやりと笑った。
昼休み……
「ツバキ、お弁当食べよ?」
ラクネが隣のクラスからやってきたようだ。ツバキは手製の弁当をもって立ち上がった。
一方奏はといえば机に突っ伏して眠っている。
「うん、いいよ」
エントランスホール中庭……
天窓から光が注ぎ込んでくる。お昼時にはいろんな生徒がお昼ご飯を食べにこの中庭に来ている。ツバキとラクネは二年棟の近くにある空いているベンチに横並びで座った。
「ラクネ……またコンビニ?」
「あはは、私は料理得意じゃないからね。ツバキは手作りでしょ?いいお嫁さんになれるね」
「お嫁さんって……大した弁当じゃないよ」
ツバキの弁当は決して手が込んだものではない。冷凍食品だってたくさん入っている。だが手作り弁当は暖かい……そんな気がするのだ。
「卵焼きちょーだい」
「うん、いいよ」
ラクネが弁当箱の卵焼きをつまむ。
「んー美味しい!」
「よかった」
傍目から見ればいちゃつきながら食事している二人を売店から見ている人物がいた……奏である。
「……」
「ちょっとあんた、お金」
「ああ、1000円でお願い」
奏が視線を外さずに財布からお金を取り出す。
「おばちゃん、あのラクネって子だけど」
「ああ、ツバキちゃんの幼馴染の。珍しいわよねぇあの白髪」
「ふぅん、幼馴染なんだ」
奏はお釣りを受け取る。
「とてもいい子なんだけど……ツバキちゃん以外には冷たいのよねぇ」
「へぇ、随分と上手く化けるものだね。……UMAとしての実力は一流ってことか」
奏の独り言は誰にも聞かれず、ホールに消えていった。
放課後
「今日は一緒に帰ろ、ツバキ」
「うん、帰ろ」
ツバキは奏の席をちらりと見てみる。が、さっさと帰ってしまったようだ。今は誰もいない。
「そういえば最近オープンしたってあのお店行った?」
「最近?何か出来たっけ?」
「あの、最近出来たカフェだよ……もうツバキったら、学生としての生活を疎かにしすぎ」
ツバキは必死で思い出した。そういえば、商店街に白幕のかかっているお店があったようなきがする。
「今日時間ある?あるなら行こうよ」
「うん、いいよ」
「じゃ、決定ね」
ツバキは荷物をまとめると、席を立ち上がった。
カフェプリーズ……オープンしたての店舗はかなり賑わっている。
「私ミルクセーキ。ツバキは?」
「私はカフェラテで」
店員に注文表を渡すと5分後にはコーヒーが運ばれてきた。湯気のたったコーヒーを一口、ツバキはすすった。お店の中には、店内の調和を乱さない程度の家具が並べられている。ラクネはミルクセーキを美味しそうに飲むとツバキに満面の笑みを浮かべる。
「結構美味しいかも。どう?」
「コーヒーはあんまり飲まないからわからないけど、とりあえず苦い」
ツバキはにがそうにコーヒーを飲んでいる。
「なんでコーヒーにしたの?」
「飲めそうなのがコーヒーぐらいしかなかった」
コーヒー1杯で450円はなかなかに高い……その価値があるのか、ツバキにはわからなかった。
「もっと甘そうなの、あったじゃん」
「まあまあ……ラクネはコーヒー苦手だよね」
「カフェインを取ると眠れなくなっちゃって」
ラクネはミルクセーキを美味しそうに飲んでいる。
「でもカフェってあんまり来ないよねー」
「まあ、ファストフードとかが多いよね。……コーヒー1杯に高いお金かけたくないし」
「確かに高いけど、おばさん臭いよそのセリフ……」
ラクネは苦笑いして言う。
「バイトしようかなぁ。お父さんからお金は送られてくるけど、生活費だけでいっぱいいっぱいだし」
「大丈夫?今でもだいぶ疲れてるのに」
ツバキが空元気で笑う。
「大丈夫大丈夫!今は部活もやってないし、前より体は楽だよ」
ツバキとラクネはその後もたわいのない会話を楽しみ、あたりが暗くなった頃店をでた。春先は日が落ちるのも早い……
「あ、そろそろ帰らないとまずいかも」
「そんな時間なの?それじゃあ帰ろ、ツバキ」
カフェから出ると夕日が沈むのが見えた。腕時計は7時すぎを指している……
「最近……暗くなるの早いなぁ」
「そうだねぇ」
二人は立ち上がるとレジへと向かった。その少し後ろ……深々とフードをかぶった女性と、本を読んでいるふりをしていた男性がこっそり見ていた。
「動いたな……少なくともまだ、何もなさそうだ」
「何かあったら困るからこうやって後つけてるんでしょ?ほら、行くよ」
ラクネはツバキの手を握って横並びに歩いている。ふとツバキが顔を上げると、あたりには紫の霧が出ている……まずい雰囲気だ!
「あれ、ここ……どこだろう?」
いつの間にかツバキとラクネは古ぼけた神社に立っていた。ツバキは辺りを見渡し、文字の書かれた石碑を見つける。
「絡新婦神社……なんて読むんだろうこれ」
「ジョロウグモって読むんだよ」
ラクネがツバキの後ろから読み上げる。
「へぇ、物知りだね、ラクネ」
ラクネの目が妖しく輝いている気がして、ツバキは背中に鳥肌が立つのを感じた。ラクネがツバキの肩に手を置く。
「何?ラクネ。というかラクネは怖くないの?」
「別に?あ、あっちに本堂があるみたいだよ。行ってみる?」
鳥居をくぐり、本堂へ向かうと、こさびれた境内が見えた。
「あれ、ラクネ……どこへ行ったの?」
ラクネはいつの間にかひとりで神社の奥に行ってしまったようで、ツバキも慌てて追いかける。流石に恐怖が這い上がった。
ラクネが消えたあたり、神社の奥に怪しい影が見える。
「……っ!」
神社の奥から何かが飛び出してくるのが一瞬見えた。これは……蜘蛛の足だ!!
「っぐ!」
あまりにも早すぎる一撃に、ツバキは回避も防御もできずに吹き飛ばされ、鳥居へと叩きつけられた。
「げぼっ……ひゅー……」
背中の痛みと腹部への一撃の重さにツバキは動くこと叶わず、腹を抑えて倒れた。
「大丈夫?ツバキ……」
「ラ……クネ?」
目の前にいる白髪の少女は不自然に笑っている。あそこは本来ならば、蜘蛛がいる場所ではないのか?
「お肉は叩くと美味しくなるらしいからね……試してみようかと思って」
ラクネから不自然な感情が伝わって来るのが分かる……ラクネの周りに黒いモヤが漂い、ラクネを包み込んでいる。これはまさか……
「ごめんねー、ツバキってさぁ。美味しそうだったからさぁ」
「……騙してたってこと?あなたは……一体」
その質問に答える前に、ラクネが完全に黒いモヤに包まれてしまった。
「ふふふ……私は闇。この世界に蔓延る影」
ラクネの声が遠くなってゆく……ツバキは目の前に起きた光景に、驚きを隠せなかった。
「我が名は女郎蜘蛛!」
吹き飛ぶように闇が晴れ、一匹のUMAが現れた。下半身は蜘蛛、上半身は人間の体をしている。妖怪奇談に語られるUMA……女郎蜘蛛だ。
「!?」
「美味しそう……いただきますッ!!」
間髪入れず、女郎蜘蛛が飛びかかってくる!ツバキは痛む足に力を入れ、ギリギリで鳥居の前から飛び退いた。鳥居が粉々に砕け散り、ツバキの横を女郎蜘蛛が通り抜ける。ツバキは着地に失敗し、体から地面に倒れる。
「つっ……」
女郎蜘蛛がこちらを向く。
「流石にもう一度はかわせないよね?」
「……」
ツバキはフラフラになりながら立ち上がる。だが、動けるほどの体力はもうないようだ。その双眸だけはしっかりと相手を見据え、全身で息をしながらギリギリで生きている。
「覚悟してね……ふふふ」
女郎蜘蛛がツバキをめがけ足を振り上げた。
「そこまでだ」
ふたりの間に両刃の鎌が大きな音を立てて突き刺さる。攻撃に入ろうとしていた女郎蜘蛛がバックステップで飛び退く。
「早く帰れと言っているのに、約束を守らないからこうなるんだよ、ツバキ」
「奏ちゃん……どうしてここに」
「んー?それは後々」
奏がボロボロのツバキの前に出て、ツバキを守るように立ちふさがった。
「隊長、仕事だよ」
「わかってる。……俺はツバキ君を安全なところへ運ぶ。少し防いでいてくれ」
奏は鎌を引き抜き、ラクネへと向き直る。
「了解。さっさと戻ってきてね」
奏は鎌を左手に持ち、まっすぐ女郎蜘蛛につきつけた。その圧倒的な威圧感に女郎蜘蛛が少し怯む。
「私に勝てると思うなよ、UMAが」
「なあに?生意気。……人間が私に勝てるとでも思ってるの?」
「ただの人間なら、確かに負けてたかもしれないけど……
奏の周りに黄色のもやのようなものが見える。簡単に言えばオーラのようなものだ。
「悪いけど私に勝てる奴は居ない……散って死ね」
奏が手に持った鎌で地面を切り裂く。硬いはずの石畳にあっさりと鎌傷が付く。
「そんなとこ狙っても当たるわけないじゃん……馬鹿なの?」
「はっ!!余裕ぶっていられるのも今だけだ!」
鎌でつけた傷から地面に波が立っていく。その波はどんどんと大きくなり、女郎蜘蛛まで到達した。
「オーシャン・レイヴ……どんなものでも液体化する能力!液体と一言にいっても……水のようなサラサラなものからスライムレベルの高粘度液体まで、自由自在よ」
波に囚われた女郎蜘蛛の体が地面に沈み込む。
「なっ……体が!?」
奏は鎌をまっすぐ構える。
「必殺、鎌ブーメラン!」
そして、鎌を女郎蜘蛛に投げつけた。円を描き鎌が女郎蜘蛛へと飛んでいく。
「それが攻撃のつもり……?調子に乗るな!」
女郎蜘蛛が白くベタベタした何かを吐き出した。……これは蜘蛛の糸だ!
投げつけた鎌が空中で撃ち落とされ、金属音を立て地面を滑る。奏は小さく舌打ちをすると、鎌を追った。女郎蜘蛛はまだ抜け出せないようで必死にもがいている。
「敵の実力はまだわからない……近づく訳にはいかないな」
奏は落ちた鎌を拾うと、オーシャン・レイヴを使い鎌についた蜘蛛の糸を溶かし落とす。
「奏!」
「隊長遅い!援護よろしく!」
ツバキを安全な位置に運んだムクロは、奏の後ろで銃を構えている。
「こいつ、野良より強い。場所から考えて封印されてたのかもしれない。なんにしろ油断はできないってこと」
奏も鎌を持ち、攻撃の体制に入っている。
「ならば俺も全力を出さねばならんな……能力<ヒステリック・ハンター>!」
ムクロの周りに青いオーラが発生する。
「こちらから行くぞ!」
ムクロが奏の影から女郎蜘蛛を狙い撃つ。だが奏の能力からやっと抜け出した女郎蜘蛛は、弾丸を飛んで躱す。かわされた弾丸は何もない方向へと飛んでいく……いや!ありえない角度で曲がり、再び女郎蜘蛛を狙い撃つ!
「俺の弾丸は絶対にかわせない。アルテミスの加護を!」
「ぐわっ!」
弾丸が女郎蜘蛛の足を貫いた。女郎蜘蛛は小さく悲鳴をあげたが、致命傷にはなりえない。
「奏、いけ!」
「了解、行きますか」
奏が鎌を頭上に構える。
「必殺、大風車」
奏はそのまま飛び上がり、頂点で思い切り縦回転をしながら女郎蜘蛛へと飛び込んだ。回転はブレることなく、そのままの勢いを保ったまま壮絶な連続攻撃を繰り出す!
「はっ!」
何度も切りつけることで回転の勢いが弱まったところで、奏は女郎蜘蛛を蹴り付け、見事な着地を決める。
「ぎゃああああ!」
女郎蜘蛛の体に無数の切り傷が出来、血が吹き出す。だが、まだ止めを刺すには早いようだ。
「くっ……このやろう!人間風情が!」
「隊長……どうする?」
ムクロはメガネをクイと上げ、奏に聞いた。
「あいつの次の行動、わかるか?」
「わからない」
「なら、俺が行く。奏はあいつの攻撃を受け止めてくれ」
奏が鎌を両手で構える。敵の攻撃を真正面から受けられるように、柄の部分を体の前に持ってくる。
「……さあ、いつでもどうぞ」
ムクロは少し離れると、拳銃を天に向ける。
「“我に狩猟者の加護を……”
銃弾が光をまとって打ち出される。縦断が霧を切り裂き、光の中から一人の女性が現れた。それは……人間と呼ぶにはあまりに神々しすぎる存在。金色の髪、黄金の兜には2枚の鳥の羽が対になるように取り付けられている。上半身には白い布を巻き付け、斜めがけに弓筒を背負っている。その腕には発光する水色の腕輪を付けており黄金に輝く弓を引くための皮の手袋をはめている。下にはロングスカートのような白い布……そしてサンダルを履いている。
ギリシャ神話に語られる神のような姿、といえばわかるだろうか……女神がそこにいた。
「なに、あれ」
本殿にもたれかかるようにして座っているツバキにもその神々しき姿は見えているようだ。
「アルテミス!撃ち落とせっ!」
「そうはさせるか!!」
女郎蜘蛛が再び蜘蛛の糸を吐き出す。アルテミスは手に持った矢をくるくると回すと、目にも止まらぬ速さで何本もの矢を放った。矢に射抜かれた蜘蛛の糸は弾け飛び、何本かが女郎蜘蛛に突き刺さる。
「きさまぁ!」
「奥義、三鎌撃」
死角を縫って近づいた奏が女郎蜘蛛に向けて、右腕で槍を刺すように外側の刃で切り裂く。その勢いのまま左手に鎌を持ち替え、雑草を刈るように切り裂くとそのまま一回転し、止めの縦なぎを繰り出した。
女郎蜘蛛の体から黒い血が噴水のように噴き出す。
「ぐああああああああああ!」
素早い三連撃に女郎蜘蛛が思わず後退した。
「“私に混沌の加護を”!神魂『ニャルラトホテプ』!」
奏が空間を縦に切り裂く。鎌が通った跡が黒く渦巻く闇となって現れでる。その闇が門となり、黒く絖った触手が次々と現れ人の姿を為していく。
触手は腰まで届く真っ黒な髪と、幾千に裂けた袖として収まり、大きく胸の開いたブラックドレスは糸のように紡がれる。太ももまで大きく裂けたスカートと、真っ黒のブーツが次に空間を乗り越える。黒髪の中にはひと束の金髪がメッシュとして入り、奏と同じように前髪に揺れている。その目は奏とは違い、光すら吸い込む闇を描き出した。
その女性はにやりと笑うと奏と同じく……だが、大きすぎる鎌を門から取り出した。
「にゃる」
「あらあら、奏……久しぶりねぇ」
にゃるがゆっくりと地に降り立つ。ゾゾ……と音を立て、大地が黒く侵食されていく。
「御託はいい。さっさと片付ける……【
奏が女郎蜘蛛に鎌を向ける。同じようにニャルラトホテプも鎌を向けた。それを合図に、奏を中心に半径10m全てが漣立つ。一瞬であたりが液体と変わり、にゃるの周りに集まった。地がへこみ、そこだけポッカリと穴があいた。
「ライジング・サン!」
液体が刺々しく変形し、弾丸のように女郎蜘蛛を襲う。
「今の私は液体を自由に操ることができる。本気を出した私に、かなうと思うな」
断末魔の悲鳴をあげて、女郎蜘蛛がドサりと地に倒れ伏す。
「ありがとうにゃる。闇へおかえり」
「もうおしまい……?案外あっけないのねぇ……まあいいわ。今回は終わりにしてあげる」
にゃるが地面へと飛び込む。水滴が飛び散るようにあたりへと広がった。液体化していた全てが元の位置へ這いより、神社に再び静寂が訪れる。
「人間舐めるな」
止めを刺すべく、女郎蜘蛛に鎌を突きつける。
「地獄の底まで覚えておきな。私は政府直属UMA退治専門組織。ディープスレイヤーのスコーピオ隊副隊長、浮陰奏だ!」
「俺のこともついでに説明してくれればいいのに……」
ムクロも慌てて前に出た。
「奏、さっさとトドメを刺してしまおう。……この空間になるべくいないほうがいい」
「わかってる」
奏が鎌を女郎蜘蛛の首元に当てる。
「これでおしまい」
「ま、待って……奏ちゃん」
ツバキがフラフラと立ち上がる。
「ツバキ?」
「ラクネ……なんで私を……狙ったの?」
「…」
ラクネ……女郎蜘蛛は何も喋らない。
「ずっと……私を騙してたの?」
「ツバキ、UMAってのは、人間とは相容れないもの。心を許してはいけない。……そういう人間から、餌食になるんだよ」
奏は女郎蜘蛛鎌を突きつけたまま、顔だけツバキの方へと向く。
「あなたにとっては幼馴染かもしれない……でも実際には今日初めてあった存在なの。UMAに書き換えられた記憶は真実を覆い隠して消してしまう。…少なくとも友達でないことは確かだけどね。ところでツバキ、なんでこいつがわざわざツバキの前に出てきたかわかる?」
「わからない……」
奏は懐から昨日と同じ入浴剤を取り出した。
「それ……昨日もらった入浴剤……」
奏は頷く。
「これはただの入浴剤じゃない……UMAの匂いを消す特別な入浴剤なんだよ。ツバキは餌として、こいつにマーキングされてた。その匂いが消えたから確かめに来ただけだよ。ツバキに初めて会ったとき、UMAの匂いがしてたんだ。だから悪いけど、UMAを釣り出す餌にさせてもらった。ま、目標は割とすぐ現れてくれたけどね」
「そんな……じゃあ」
「そ、あんたはただの獲物だったってわけだ。狩りの下手な蜘蛛で助かったね、ツバキ」
ムクロがツバキに向かって深く謝罪の礼をする。
「すまん!危険なのは分かっていたのだが……打つ手がなかったんだ。俺たちのいないところで襲われるような事態は避けなければいけなかった。……怖い思いをさせてしまって、本当に申し訳ない」
「私たちは人間が死ぬことを最も恐れている。……実はこっそり後をつけてたんだけど、気がついてた?」
奏は悪びれずに言った。事の真相をすべて知ったツバキは食い入るようにラクネを見つめている。
「……近年稀に見る上質な獲物だと思っていたのに……まさかこんなハイエナが潜んでいるなんてね。私もぬかったわ……」
ラクネは悟ったように淡々と語っている。視線が痛いのか、顔を背けながら。
「……そう、なんだ」
ツバキは悲痛な面持ちで呟いた。
「……私を食べようとしてたの?」
「ええそうよ。極上の獲物が目の前にいたら……食べたくなるでしょう?」
「これがこいつの正体だよ。……今すぐ情は捨てて」
奏は厳しい言葉でツバキを制した。しかしツバキは首を振って奏に言う。
「奏ちゃん。この子を見逃してあげれない……?」
「……お人好しも大概にして。あなたを死なせるために救ったわけじゃない」
「わかってる。……でも今のラクネからは敵意を感じないの」
ツバキの言葉にラクネが噛み付いた。
「何言ってるのよ!殺しなさいよ!……人間の同情なんていらないのよ。私はあんたを食べるつもりなのよ?逃がしたら……今すぐここであんたを食べるわよ」
「だったらなんでマーキングなんてしたの?その場で食べちゃえば良かったじゃん」
「そ、それは……人がいっぱいいたし」
「ひとりの時だっていっぱいあった。それでも狙わないのは不自然だよ」
ラクネは言葉に詰まり俯いた。
「私はカフェで喋った時間や、お弁当を一緒に食べたのが嘘だとは思わない。……あなたにその気がないのなら、私は構わないとさえ思ってる」
「……本気で言ってるの?なんて……なんて馬鹿な」
黙っていた奏が鎌を外す。
「あなた、私を殺すんじゃなかったの?」
「どんな無能な死刑執行人でもタバコの一服ぐらいは許すものさ」
「……意味がわからないわよ」
ラクネはやれやれというようにのっそりと立ち上がった。
「……逃がすのか?」
「ここまで痛めつければそうそう人間を襲えないだろうし、改心するかどうかはともかくとして、この場は安全だと判断した」
奏は鎌を肩に担ぐ。
「……まあ、奏がそういうなら、大丈夫なんだろうな」
「それじゃあちゃちゃっと仕事してくるから、ツバキはそいつ見張っといて」
そういいながら奏とムクロは神社奥へと歩いて行った。どうやら結界内の調査をしているらしい。
「全く、獲物に同情されるなんて私も落ちたものね」
「そんなつもりじゃないよ死ななくても良かったんじゃないかと思っただけ」
「それを同情って言うのよ……」
ラクネはツバキを睨んでいる。
「まあ、UMAなんて小さい頃おばあちゃんちでちっちゃいのを何回か見たっきりだから、よくわからないけど」
「……あんたくらいよ。UMAに恐怖心がないのは」
ラクネはため息を付くと、髪に刺さっていた緋色の櫛を外して渡す。
「これ、あげる」
「えっ?綺麗な櫛だけど……」
「いいから貰って」
ラクネは無理やりツバキの手に櫛を握らせる。
「あんたは特別な人間みたいね。いつか後悔するかも知れないけど……それを見届けるのも面白そうね」
女郎蜘蛛は少し笑うと、神社の奥の林へと消えていった。
「終わった?」
「うん……なんかもらった」
ツバキは櫛を奏とムクロに見せる。
「これは……UMAが人間に施しを与えるなんて」
「……今はまだその意味はわからないけど、それは大事に持っておいたほうがいい」
奏は笑顔を見せた。
「それじゃ帰ろうか」
「しかし、逃がしちゃって大丈夫だったのか。傷が癒えたらまた襲いかかってくるんじゃ」
奏は心配しないでいいと言う。
「少なくとも、ツバキは襲われない。その櫛が証拠になる。……もし、盟約を破るようなことがあれば、そのときは遠慮なくたたっ斬る」
奏が懐から紙筒を取り出す。
「はいはい離れて。結界香炊くから」
「結界香?」
ツバキがハテナを浮かべる。
「UMAは狩りをするときに周りの人間が入ってこないように結界を張る。その結界を解除するのに俺たちはこういう道具を使ってるんだ」
「正規の手順を踏まずに結界を出ると、最悪地球の裏側に飛ばされかねないからねぇ」
奏が紙筒から出ている紐に火をつけると、一気に煙があたりに充満する。
「これでよしと……」
煙が一気に充満し、視界が真っ白になる。
「そういえばツバキ君……怪我は大丈夫かい?」
ムクロの言葉にツバキは改めて自分を見る。擦り傷や打撲傷はいくつかあるが、幸い大きな傷はなさそうだ。あれだけの衝撃を受けたにも関わらず骨は折れていないようだ。自分の頑丈さに少し驚くツバキであった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
ツバキはお辞儀をする。
「それじゃ帰ります」
「ああ待った。奏もついていけ。……けが人を一人で帰らせるわけにも行かないからな」
「了解。そうそうツバキ、また匂い付けられてるから、療養のためにも今日はちゃんとお風呂に入りなさい」
奏はツバキに昨日と同じ入浴剤を渡す。
「これ、あの入浴剤?」
「また匂い付けられてるからね。別に問題はないし、次第に消えるだろうけど……なんとなく嫌でしょ?」
ツバキはおとなしく入浴剤を受け取る。
「わざわざ人間に化けて匂いをつけに来るなんて、よっぽどツバキのことが好きだったんだね。……もちろん、餌的な意味で」
奏は楽しそうに笑っている。
「もう……奏ちゃんったら」
ツバキは笑って、神社の階段を下りた。
「自分で歩ける?」
「大丈夫だよ奏ちゃん」
「よかった。私じゃ担げないからね。それじゃ行きますか」
奏はムクロに向かって手をひらひらと振った。
帰り道の途中……ツバキは心に引っかかっていたことを奏に聞く。
「そういえばその……能力とか神魂とか、なんなの?」
奏は少し黙って、ゆっくりと口を開いた。
「能力は……まあ、超能力みたいなものかな。誰もが使える不思議な能力。私の能力はどんなものでも液体にする能力<オーシャン・レイヴ>」
その名前は先ほどの戦闘中に聞いた……
「実はツバキにも能力は宿ってる。ただ目覚めてないだけでね」
「目覚める?」
奏は分かりやすいように説明しようと苦心している。
「インフルエンザと同じでさ……確率的には全員かかる可能性があるけど……運良く今年はかからない人もいる。それと同じで目覚める人もいるし目覚めない人もいるって感じ?」
「いつ目覚めるとか……そういうのはわからないの?」
奏は首を横に振る。
「わからない。いつインフルエンザが発病するかわからないのと同じでね」
「そっか……神魂ってのは?」
「能力を与えてくれた神様のこと。……守護神とでも言うのかな。私たちが使ってる能力は、元は全部神様の力なんだ」
奏の神魂は確か……ニャルラトホテプといったか。クトゥルフ神話に語られる、“這い寄る混沌”の名を持つ神だ。
「自分自身をよく知っている能力者が呼び出すことのできる身を守る盾。それが
「そのスピリットってのは、能力者なら誰でも呼び出せるものじゃないんだね」
「そういうこと。神魂を呼び出すのはすっごい体力を使うから、長くても5分ぐらいしか呼び出せないけど」
奏は銀色のアタッシュケースを背負っている。中に入っているのはギター……ではなく、あの鎌だ。どうやって持ち歩いているのかと思ったが、組み立て式らしい。
「……いまから2000年ほど昔にはUMAはいなかった。どうしてだと思う?」
「えっと……わかりません」
「とある能力者が世界を作り変えようとしたとき、歪みがうまれた。それが門となり、異界から遺物と呼ばれる闇が溢れ出た」
奏は真面目な顔をしている。
「遺物たちは光の中では生きられない。だから、光の中へ出ていける形を求めた。どんな光にも闇が生まれる。人間という光に生まれたのは、恐怖や不安といった心の闇だった。遺物はその闇を食べて、成長していった。光を恐れぬUMAへと……これが、UMAがこの世界に溢れた原因」
「なんで恐怖がUMAになるの?」
「噂話に語られるUMAは大体が恐怖を揶揄したものだからね。むしろ順当な成長だと思うよ」
会話しているうちに、ツバキの家が見えてきた。
「ありがとう、奏ちゃん。お茶位なら出すけど……」
「そこまでボロボロなんだ。今日はゆっくり休んだほうがいい。私もまだ少しだけ仕事が残ってるしね」
「そっか……それじゃ、また明日ね」
奏は踵を返し、ツバキの家から立ち去る。
「この世には知らないことがいいこともいっぱいある。……なんてね」
奏はそっと独り言を呟くと、にやりと笑ったのであった。
>NEXT Chapter……
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