王道少女マンガ書いてみる。題名はまだない。

@sadameshi

第1話 出会い

 ――水越瑞樹みずこしみずき


 彼と出会う前の私は、人を好きになることの、その傲慢ごうまんさを痛いほど知っていました。

 けれど、彼と出会った後の私は、人を好きになることの、その孤独なことを知って嬉しくなりました。

 

 真新しい制服に袖を通して、しゅうは姿見に映る自分を見る。

 こんな晴れ晴れしい気持ちは、久しぶり。

 

 過去の自分は、この鏡の中に置いていく。

 そして一日の、その朝にだけ、ちょっとだけ、振り返る。

 水越くんに貰った、この大切で、愛おしい「孤独」を、手放さないように。

 

 




 …………。

 

 ――梅の花が、積もる雪の中で灯っている。


 しゅう「……きれい」


 冬、その早朝。


 ただそんな情景のためにふらりと立ち寄った近所のさびれた公園。

 真っ黒なダッフルコートと、無地で赤いマフラー。

 黒縁の眼鏡に、白いマスク。

 電柱の足元にすがる雪は、もう小さくなって、春の養分と溶けて黒ずんでいる。


 ブランコと、滑り台しかない、小さな三角の公園。

 その隅に、私はほうけたようにただつっ立っている。


 繍「…………」


 誰がどうして植えたかも分からないその梅の花に、ふと手を差し出す。

 なんとなく悪戯いたずらの気が起こって、枝をたわませ、弾いて、雪を払う。

 裸になった、濃い赤色の花が、濡れて光って、その美しさが、朝の目に痛かった。

 

 春に膝を寄せた三月。

 三芳繍みよししゅうにとっては、気がねなく外を歩ける良い季節となった。


 手にさげたコンビニの袋が、かさかさと耳に心地いい。

 ――風の仕業ではない。

 そう気づいた時、いっそう温かい気持ちが心に湧いた。


 意気揚々いきようようとして、いつもより腕を振って歩いている。

 一つ一つの行動に、余計な動きが加わっている。

 それだけでは飽き足らず、梅に鼻を寄せて、私ははじ外聞がいぶんもなく、鼻歌でも歌いそうな心持ち。


 自然と、笑みがこぼれている。

 

 ……ああ、そうです。

 ……今日は職務質問を受けた時のマニュアルを考えなくとも良いんです。

 ……警察の方に、あわれまれなくともすむ、そんな最良の日なんです。


 右目の下、そこにある泣き黒子ぼくろを、眼鏡を押し上げるようにしてさする。


 刻下こっか、世間の高校生は浮つく春休みを過ごしている。

 私も、ただゴミ捨ての帰りにコンビニに寄った、冴えない女子高生……らしき者の一人。

 人の目を気にしなくても良い。

 

 そう思って、私は気が大きくなって、用も無いのに公園になんて寄ってしまった。

 こんな早朝である。

 変な人に思われないだろうか。

 そんな不安も、むしろ、私の背を押すように今日は生暖かい。


 ブランコの後ろ、燃えるような梅の花。

 私は無駄に狭い公園を一周した後、またその鮮やかな花の前に戻って、立ち止まった。

 乾いた唇が、裂けて血がにじむ。

 徐々に、顔にたたえていた笑みが、硬くなるのを感じて、しかし、どうしようもなかった。


 ――私は、いったい、どうしてそんなことをしようと思ったのだろう。


 今日は、努力しなくとも、世間並の女子高生で居れる。

 そのはずなのに。

 ついさっきまで、あんなに清々しい気持ちだったのに。

 この、咲きめた、梅の花に魅入られて。

 どうしてか、私の手は自分の意志に反して、静かに、その寂し気な梅の花に伸びた。


 手袋もしない、細すぎる指で、無骨ぶこつな枝ごと手折たおった。

 ぽきりと、簡単に、力もそう入れずに、それは折れた。


 枝先には数輪の花が整然と並んでいる。

 私は、それを、フルートでも吹くようにして、冷たくなった口にえて、一輪、一輪、歯で摘んで食べた……。

 

 そうして、尋常じんじょうではない自分の行動に遅れて、その行為の意味を知った。

 祈りのように、私は梅をんで願った。


 ……どうか、私の心が、この梅の花のように、美しくなりますように。


 ……そして、春には、この汚い命ごと、地にこぼれてしまいますように。


 私の涙は、見上げると、雪になった。

 悲しみと高揚こうようで、味など分からなかった。

 雪が、にわかに津々しんしんと降って、積もらず土を濃くした。

 

 その時だった。

 その私の油断に、【彼】は栞を挟むようにして、私の前に現れた。


 ――寒くねえの?


 振り向けもしない私は、ただ、ブランコのびた鎖がきしむ音だけ、心音と重ねて聞いていた。


 ――泣いてんの?


 続けざま、その声は、まだ少年の面影を残して高かった。

 高いけど、嫌じゃない。


 からかわれた、そう思った瞬間、違うと気付いた。


 その声音こわねは、どうしてだろう、とても優しく耳に響いた。

 驚いているでも、いぶかしんでいるでもなく、心配を隠してあえて平坦に言う、気遣いの色を節々ふしぶしびていた。

 

 弟が姉にするように。

 少しばかり、照れたような、ぶっきら棒で、それでいて、真に心配しているのが分かる、そういう声。


 彼は、私の、きっと数歩後ろに、座っている。

 それでも、それ以上、近づく気配はなかった。


 同い年くらいか、もっと年上か、年下か、それもはっきりしない。


 公園の周囲は、道路と、家のへいやら生垣いけがきやらにぐるりと囲まれている。

 雀の鳴き声だけが、いやに響いて、朝を呼び交わす。


 怖い?

 恥ずかしい?

 逃げたい?


 そんな気持ちも、不思議と起こらなかった。

 いきなり声をかけられて、どぎまぎしたのでもない。


 ただ、彼の声が、俊介しゅんすけ君の声にあまりに似ていたから。

 一年前のことが、その声に吊られて、次々にあふれて来たから。


 繍「あ、ああ、ああッ。」


 ブランコのきしむ音も聞こえない。

 声をかけてくれた、通りすがりの彼のこともすぐに忘れてしまった。

 降る雪に濡れた髪も、寒さに震える手も、乾燥にひりつく喉も、全て忘れて、私はそこにうずくまって、しばらく泣いた。


 雪は、刻一刻と、私の感情のたかぶりにこだまして、強くなる。


 私は、もう花を手放した、零れる前に人に食われた、可哀想なその枝を手に持て余して、ずっと泣いていた。


 彼の声は、もう途絶えていた。

 

 ようやく泣き止んだとき、いつ去ったのだろうか、振り向けば、腐食ふしょくして今にも割れそうなブランコに、私の持っているのと同じ、コンビニの袋だけ、ぽつねんと残されていた。

 

 中には、私の好きな甘いココアと、ホッカイロが入っていた。



 …………。


 辰子「それ、ストーカーじゃない?」


 辰っちゃんは、私が買って来たファッション雑誌の最新号を横寝したままめくって、そう興味無げに言った。

 

 昨晩、私の部屋に泊まった彼女は、サイズの合わない、私の中学の頃の臙脂えんじのジャージを着て、眠たげな目をさらに鋭くしている。


 桃色の髪をハーフアップにして、背丈もある辰っちゃんは、そうしているとまさに不良の代表、耳に下がる、大きなフープのピアスもそれを助長じょちょうする。


 繍「くしゅん!!!」


 辰子「汚ねっ!……こらこら、そうやって拭いたらまた鼻の下赤くなるよ。」


 私の頭を叩いて、辰っちゃんは一つ、あぐらをかいて大きなため息をつく。ティッシュの箱を奪い取って、私の鼻に当てる。それから無造作に、困ったと言わんばかりに、私の髪をく。


  朝、戻ってくればねずみになっていた私。それを見て辰っちゃんは飛び起き、熱を測って、介抱してくれた。


 六畳半の、畳の部屋に、ベッドが一つと、壁は全て本棚。

 兄のお下がりの、カワハの電子ドラムだけが、その部屋で異色を放っている。


 高校に入らず、一年、引き籠り生活をしてきた私を称して、彼女は私を「ぷー」と呼ぶ。


 辰子「ぷーはさ、いつまであの馬鹿のこと引っ張るわけよ。そうだ!今日は腹を割ってその話をしようぜ。なんなら新学期始まるまでここに住まっても良い!そんな所存。」


 中学の頃、剣道部に入っていた彼女は、綺麗な正座をして、ベッドに寝る私の顔を見つめる。

 風貌とその所作しょさのギャップに、私の気はあっさり抜けた。


 私は枝だけになった梅を、唇に引っ掛け、上下左右に振って言う。

 

 繍「……梅はですね、桜のはかなさとは違って、寒さにえて咲く、忍耐強い印象イメージがあるんです。それに日本人は、梅イコール赤、ですけれど、漢詩なんかでは、白い雪よりなお白い梅、というのが詠まれているんです。」


 ぶつぶつと早口でしゃべる私に、辰っちゃんはさっきより大きなため息をまた一つ。そして「しっし」と手を振る。


 辰子「おい文学少女、高等遊民、根暗、雰囲気ブス、話をそらすな。」


  繍「酷いなあ。確かにブスですけど……。」


 背も異様に小さく、一重の細い目に、低い鼻、昭和顔とおばあちゃんに評される私の容貌は、お世辞にも綺麗とは言えない。


 辰子「自覚してんなら良し。雰・囲・気、ブスだけどな。目が合わない、きょろきょしてる、いつもそっぽ向いてる、ぼそぼそ喋る、髪は切らない、洗わない、服はばあちゃんのおさがり。終いには狂って花を食ってるところを男に見られる。病院にでも電話されたらどうすんだよ。」


 指折り私の欠陥を数え上げる辰っちゃん。


 繍「失敬です。髪はちゃんと洗ってます。それだけはばあちゃんに怒られるので。疲れますけど。」


 辰子「威張いばるな、威張るな。まあ、要は相対的な話よ、あたしに比べてブス。そういうこと。」


 辰っちゃんはしなを作って、あごに手を添え、ポーズを取って、にやりとする。

 山と川に挟まれた、このひなびた「ムラ」で、彼女は確かに群を抜いて美人だった。


 繍「向こうの学校でも、やっぱり辰っちゃんが一番ですか?」


 突っ込んでよ、と不平を言いつつも、賢い辰ちゃんは謙遜なぞしない。それが本物だと、私は思う。


 辰子「…………ねえ知ってる?天才って、最後まで自分のことを天才だって妄信もうしんした人が、天才なのよ。」


 ポーズを解いて、辰っちゃんは私の鼻を摘んで、左右に振りながら、おどけて言う。布団を直して、寝るようにそっと胸を押す。

 ここまで桃色のカーテンの先、冬の晴天を眺めるともなく眺めていた私は、くわえていた枝を口から取って、枕に頭を押しつけながら、まじまじと辰っちゃんの顔を見る。


 繍「…………傾村けいそんの辰子は、ついぞ傾城の美人にはなれなかったのですね。」


 私は思い出す。

 中学二年の夏、辰っちゃんが突然、ムラの祭りに行かないと言った時のこと。

 年にいく度もない、ムラのハレの日。


 役場やら農協、商工会、消防団、学校の校長、郵便局長、果ては市議会議員まで、そうそうたるお歴々れきれきが、次々に辰っちゃんの家に菓子折り金銀持ち寄って、平身低頭へいしんていとう、祭りに顔を出すよう頼み込んだ。

 最後には呉服店から浴衣ゆかたまで進呈されて……。


 「初詣はつもうでの神社みたい」と、誰が言ったのだろう、その様子を見て突拍子もない感想も飛び出るほどだった。


 しかし、その甲斐かいもなく、かたくなに固辞こじし続けた辰っちゃん。

 結果は見るまでもなく。

 祭りは主役を失って、閑古鳥の鳴く声が村の隅まで響くよう……。


 それからというもの、国を傾けるほどの美人、ならぬ、実績のある、村を傾けた少女として、の美人と、半ば非難の意味も込められて、そうムラ人たちに呼ばれることとなった。


 その彼女が、今、憎々し気に、


 辰子「……聞いたのよ。俊介とかつらが話してるの。主に桂のくそやろーだけど、「マジのを初めて見た」って。あのハゲくそがっ!……まあ、普通にボコってやったけどさ。」


 井の中のかわず、そういうことだろう。

 坊主頭の桂君を、ピンクの髪を振り乱して追いかける辰っちゃんの姿が浮かぶ。


 ただ、私はもう一つの名を聞き漏らすことはなかった。


 繍「…………俊介君、元気?やっぱり、高校でも人気者?」


 しまった、という顔をしたのは一瞬、辰っちゃんは天井を見上げて、


 辰子「んー、これまた蛙かな。いや、なんというか、前から真面目だったけど、いっそう勉強ばっかりでさ。サッカーも辞めちゃったし。気さくなガリ勉って感じ。」


 繍「辰っちゃんは、俊介君と話さないの?」


 辰子「クラス違うし、寮はもちろん別だし、前も言ったけどさ、疎遠そえんだね。桂と話すときニアミスするぐらい。」


 繍「仲良くしてあげてね。俊介君、結構、辰っちゃんのこと、頼りにしてるから。」


 辰子「…………それは難しいよ、しゅう、あたし、あいつのこと、まだ許してないから。あんたも、なんか、違うよ。だからさ……。」


 


 

 

 

 

 

 

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