第72話
数日後。ザンパク砦の観測所から、敵の斥候と思われる騎兵らを確認したと報告があったため、ヒトミは対応に追われていた。
「国境線の守備隊はトンネルまで直ちに撤退してください!」
事前の作戦計画で国境での防御は放棄されていた。
国境付近では敵の圧倒的な大軍を迎撃できるほどの地の利はなく、兵員はあまりに不足していたからだ。
国境の関所は手はず通りに機材と文書が全て持ち出され、守備隊と、駆けつけたヒトミらが見守る中で火がかけられた。
(いよいよ始まってしまうんだ……)
「早ければ数日で、遅くとも一週間以内で敵の先鋒がここに届きます!ですが臆する事はありません!必ず私たちで敵を撃退しましょう!」
炎上する関所を背に、ヒトミは凛として兵たちを鼓舞する。居合わせた兵たちは手にした武器を天に突き上げて、意気高く応えた。
深夜に王都に戻ったヒトミは、エリとソウタに関所を焼いてきた事を改めて報告し、二人の胸の中で震えて涙していた。
「大丈夫よ。絶対に何とかできるわよヒトミ……」
不安に押し潰されそうになりながらも、三人は互いに身を寄せ合って眠りに就いた。
「対策会議を開催します!」
翌朝、直ちに要人たちが集められて、対策会議が開かれた。
監視を続ける偵察部隊から、より詳細な情報が入っていた。
「敵の先陣はわかりますか?」
「敵は先頭に、例の地竜・サラマンドを持ち込んでいます!数は最低でも50。100に達する可能性も!」
サラマンドを前面に押し立てて進撃してきたと報告を受けて、一同に衝撃が走った。
「予想はしていましたけど、サラマンドは皮膚が分厚く強固で銃弾も通し難く、その上、見た目に反して俊敏です。指揮者をピンポイントで狙えなければ、こちらの防衛線に多大な被害を及ぼしかねない……」
ヒトミはかつて戦った経験がある。
「潰すには大砲を直接ぶち当てるしかないけど、狙うには早すぎるってか。確かに厄介だな」
メリーベルがぼやく。
「シシノ将軍、如何対処されますかな?」
マガフは問う。
「予定通り、トンネルで防衛戦闘を……」
「いや、あのサラマンドの突進力だとやわなバリケードじゃ持たない。持久は厳しすぎる」
ヒトミの計画に、いつもなら口出ししないソウタが意見を述べた。ソウタはサラマンドの剥製だけでなく、偶然入手できた生きた個体を見て、そう判断していた。
「ということは、閣下ぁ、何か手があるんだね?」
メリーベルがソウタの策を期待している。
「相手は生きてる戦車だ。まともにぶつかったら被害が大きすぎる。でも生物なら効き目があるはずだ」
「ソウタくん、でもそれって!」
「ああ。“きみどり”を使う。多勢に無勢の状況を覆すには、あそこで、きみどりを使うのが最善手だ」
いぶかしがる面々に、ソウタが“きみどり”について説明すると、その恐ろしさに、場の空気が凍りついた。
ヒトミはその残虐さ故に、きみどりの使用を却下しようとしたが、ソウタも頑として譲ろうとしない。
「きみどりは開けた地形じゃ拡散して薄まってしまうし、雨が降ったり、風向き次第でも使用が制限されてしまう。何より調達してもらった量では、開けた土地で使うには少なすぎるんだ。だからあのサラマンドを潰すにはきみどりをトンネルで使うのが最善手だ!」
「でも誰が実行するのですか!?」
「もちろん俺が自分の手で行う。責任ももちろん俺だ。カ・ナンを、皆を守るためなら、俺はいくらでも自分の手を汚す!」
「そんな!」
「いえ、責任はソウタじゃない。この私が負うものよ」
『陛下!』
二人の議論の最中に、入室してきたエリが割って入ってきた。
「エリ女王!ですがそれはカ・ナンが、この世界で初めて毒ガス攻撃を行う事を意味します!」
なおもヒトミが抵抗する。
「それは重々承知しています。ですが私にはカ・ナン20万の人々を守る責任があります。そしてこちらの被害を最小にできるなら、たとえ歴史に悪名を刻もうとも、躊躇する必要はありません!」
「わ、わかりました!」
エリの覚悟を聞いて、ヒトミも覚悟を固めた。
「陛下の承認を得られました。それでは“きみどり”の使用を前提にした、どくどく作戦を発令します!」
こうして、カ・ナンはゴ・ズマの侵攻を迎撃すべく、第一作戦を発動させた。
「お二人とも宜しいでしょうか?」
「マガフ殿、何か?」
「姫様についてです」
マガフが気に掛けているのは主君の身の安全だった。
「姫様はクブルに逃れる事をよしとせず、このままこの国に最後まで踏み止まると申されておられるのは、宰相閣下もご承知と思います」
「ええ。アンジュと同じく、ナタル姫の決意も固い」
「我々もこのカ・ナンで受けた厚遇を無碍にするつもりは無く、戦での働きを以ってお返しする所存。ですが、万一を考えると……」
「もちろんです。万一、あの防衛線が破られ、王都も陥落の危機に陥った場合、転移門を通過できる者は全員脱出させます」
「しかし転移先での安全は?」
「ご心配なく。ゴ・ズマで転移門を確実に通過できるのは大帝だけですし、その大帝も、わざわざ身一つで逃げた者を追って日本に乗り込むことは無いでしょう」
「ならば転移可能な者は率先して避難させておくべきでは?」
「俺たちも最後の最後までこのカ・ナンを見捨てるつもりはありません。ですが万一の時は、ほとぼりが冷めるまで日本で皆を匿います」
「ありがとうございます。その約束を守っていただけるならば、我らエ・マーヌは最後の一兵に至るまで、このカ・ナンの為に尽くしましょう」
マガフは丁寧に礼をした。ソウタもそれに静かに応えた。
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