第36話

 ソウタたちはカ・ナン湖の麓に到着した。


 巨大なダム湖であるカ・ナン湖の出水口はなだらかな階段状の斜面になっており、そこに水車小屋が立ち並んでいるのだが、今回来て見るとその何件かは改装工事の最中だった。


「おお、タツノ宰相閣下!」


 工事の指揮を取っていたのはタクミノの工匠の一人だった。


「お疲れ様。進捗はどうかな?」


「まあ何とかですな」


 水車小屋のうち一軒に通してもらった。


 安定した水量があるカ・ナン川に設置された水車は、ほぼ一定の速度で回り続けている。これを手始めに水力発電所に転用しようという計画だった。


「機械屋たちが頂いた文献を参考にして、銅線と磁石を使って設備ができました。まずはこの電灯というものをつけようとしているところです」


 噂を聞きつけたのか、海兵隊の面々も、頭目であるメリーベルも来ていた。


「よう閣下ぁ!こっちでも、あの電灯が点くんだって聞いたから見に来たのさ」


 実のところ、カ・ナンの人々が電灯の明かりを見るのは初めてではない。大量に持ち込んだ自転車の電灯の明かりを人々は目にしていたからだ。


 話を聞くと、機械工たちは自転車のジャンクから部品を集めて小型の発電機をすでに製作していたという。


「そんなわけで、自転車の明かりの機構をそのままでっかくすればもっと大きな明かりが点くことはわかっていますので、まず間違いないと思いますが、今から試してみましょう」


 合図と共に、発電機が水車からの動力伝達部に接続された。


 水車の力で回転を始めた発電機は予定通りに電気を発生させ、その力で用意してあった電球の燭台を点灯させ、真っ暗になっていた水車小屋を明るく照らし出した。


 見事な成功に、一堂は歓声を上げる。


「おお、やりました!」


「よかった。これでここを起点にカ・ナンの電化ができるよ」


 すでに日本で水力発電所設備を発注しているが、自前で準備できるに越したことはない。だが、工匠は不安があるようだった。


「宰相閣下、ご覧の通り実験は成功しました。ですが不安が一つ」


「というと?」


「銅です。この雷神の力を発生させ、かつ伝える為には銅線を使うのが一番いいのは分かっていますが、その銅は目下、大砲の鋳造が最優先ですので銅に余裕がないのです。閣下の国から持ち込むにしても限度がお有りでしょうし……」


 鉄と比較して銅は高価な金属である。


 日本、いや地球においても銅の価格は鉄よりはるかに高く、ソウタも日本との価格差が思ったほど離れていなかったこともあって、スクラップからの調達を早々と見送っていたのだ。


「銅はこっちで調達するのが最善なんだけど、どうしたものかな……」


 確かに目先の通信線ならなら、日本から購入する分で事足りるだろう。だが、今後の維持と拡張も考えれば、自前で生産できるに越した事はない。悩むソウタにメリーベルが声を掛ける。


「なぁ閣下、銅なら産地から直接買い付けしてきたらどうだい?」


「産地直送か……」


 この地域最大の銅の供給地は、セキトから船旅で一週間ほど西にあるクブル共和国である。上流に銅山を有する山間の国から銅を引き受け、各国に流通させているのだ。


 安定して一定量を購入しようとすれば、やはり海洋に乗り出せる船を持っていないとどうしようもないのだ。


「そうなると問題は船だな……」


「そんなの問題にならねえよ。何せアタシたちは船のプロだぜ」


 大きく胸を張るメリーベル。豊かな胸もたわわに揺れ、胸元の海馬のネックレスも眩しく輝く。


「そういえばそうだったな。よし、戻ったら銅の買い付けの準備にかかろう!」


 とはいえこの日の目的はカ・ナン湖の中央にあるナナイである。先に向かわせているリンも迎えに行かねばならない。


「まあ、アタシらの船に乗りな。陸の上の海賊、ちゃんと見せてやるよ」


 海兵団としてカ・ナンの軍に編入した海賊たち。彼らは日ごろはこのカ・ナン湖に新たに拠点を建設し、そこで湖船を建造して船乗りの魂を失わぬようカ・ナン湖を周回していたのだ。


「閣下ぁ、こいつがアタシらの今の旗艦さ」


「すごいな。本格的じゃないか」


 船着場にあったのは全長は15mほどで2本のマストを備えたキャラベル船に似た船だった。それに船尾に赤いスペードの旗が掲げられている。これがメリーベルの旗印だった。


「ああそうさ。こいつはアタシらが海で使っていた船を一回り小さくしただけだから、少々波が荒くなっても、何の問題もなく進むことができるってわけよ」


 訓練目的もあってか、この船には30名ほど乗り込んでいる。そこにソウタとアタラ、他に二頭の狼が乗っても船には何の問題もないのだが、さすがに船員のなかには狼に怯えている者もいた。


「そういえば、アレの使い勝手どうだった?」


「そうそう、アレね。練習させてるけど、あれがあれば湖じゃあ敵無しだよ。いやぁ~あんな小船が馬より速く走れるんだからねぇ」


 アレとは機械式の乗り物のようだが……。


「やっぱり機械は閣下が一番上手に乗りこなすからねぇ。折角だからしばらくここに居座って、教官になってくれないかい?海兵団全員で歓迎するよ」


「余裕があればそうしたいけどな……」


 ソウタは転移門を潜れるサイズのあるものを持ち込んでいたのだが、それが活躍するのはまた後日である。


 ともあれ船足は自慢するだけあって速く、日没直前にナナイに到着することができた。ナナイの住民たちは突如現れた巨大な狼たちに驚きつつも、ソウタたちを歓迎してくれた。


「宰相閣下、お疲れ様でした!」


 先に視察していたリンが一行を出迎える。


「リン、二度目の視察、どうだった?」


 するとリンは眼鏡の奥の黒い瞳をキラキラと輝かせていた

「は、はい!我が国はこんなにも、こんなにも美しく素晴らしかったのを、心の底から実感できました……」


「そうです。秘書官さまは道中、事あるごとに涙を浮かべられるほど感激して下さいまして……」


 視察に同行していた町長の眼前で、リンは感激のあまり何度も泣き出していたという。


「閣下、改めてお礼を申し上げます!」


「そこまで感謝してくれてありがとう……。でもそこまでしなくていいよ」


 深々と頭を下げて礼を言うリンに、思わず苦笑いしてしまうソウタだった。


 夜の会食の席。メリーベルたち海兵隊とアタラは酒場に繰り出しているのでこの席には居ない。なのでソウタはナナイの町長に海兵隊について尋ねた。海の荒くれ者たちだけに、刺激の乏しいこの地で何か問題を起こしていないか気になっていたのだ。


「彼らを連れてきたのは俺だから、どうしても気になってね……」


「閣下、我々も海賊と聞いて警戒しておりました。ですが現状、大して問題は起きておりません。多少酒場が騒々しくなったぐらいでしょうか」


「それならよかった」


 ホッと安堵するソウタ。海兵団は憂さ晴らしも目的に、当番制でセキトへ向かう商隊の護衛を任せたり、ズマサへの定期的な息抜き、そして娯楽設備の配備を行う事で、何とか基地周辺でのトラブルを抑えているようだった。


「やはりかいぞ、もとい海兵団のメリーベル兵団長の統率が行き渡っているからでしょうな。少なくとも海兵団長が居る時には問題らしい問題は起きていませんし、町娘たちも安心して市場に顔をだしております。何より、海兵団長は女たちの人気が高く、わざわざ酒場で話を聞こうという者もいるくらいでして」


 この地では海を見たことがあるものはほとんど居ない。その上、女頭目の海賊に酒を飲ませてやれば、四方山話を聞かせてくれるというのだから、メリーベルが泊まる時は酒場から外に出て、町人たちの前で部下たちと語りを聞かせるのが恒例となっていた。その語りの笑い声が、ここまでよく聞こえてくることからも盛況振りがうかがえる。


「しかし彼らはやはり海の者たちです。この湖でなく潮の香りがする海に出たいとぼやくのもしばしばですから」


「わかっているよ。海の者は必ず海に帰してあげなきゃいけない」


 翌日、ソウタたちは帰路についた。往路はアタラと狼たちだけだったが、帰路はそれにリンが加わっただけでなく、海兵隊がおよそ50名も同行していた。


「随分賑やかに帰ってきたわね」


 エリに視察の報告と、次に銅が必要になったこと。そして船の入手の必要性が出てきたことをソウタが告げた。


「そうね。セキトから買い難いものがあるなら、産地に買い付けに行くのは当然の話よね。じゃあ、一切を許可するから、後のことはよろしく!」


 かくしていつものように豪快な全権委譲な展開となった。

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