104. 藍崎郁弥の昔話1

◇◇



すべての始まりは僕が高校生の頃。いま日結花ひゆかちゃんは18歳だから、それよりも年下だね。なんせまだ高校一年生の頃だし、当時の僕はまだまだ子供で両親に頼りっきりの甘えっきりだったんだよ。甘えるといっても、さすがに15歳だから自分でできることくらいはやっていたけどね。掃除とか洗い物とか、たまに洗濯とか。

アルバイトはしてなかったなぁ。中学生のときは生徒会に入っていたし、演劇部も忙しかったからね。高校生になっても何かやるつもりはなかったよ。



「…演劇部?」

「ん?うん。言ってなかったっけ?」

「聞いてないわよ…。だから何か演じるときあんなに楽しそうだったのね」

「あはは、そんなに楽しそうだったかな。確かに何かを演じるのはすごく好きだね…うん」



ともあれ、高校生になってまた演劇部に入ったんだ。ほとんど活動はしなかったけど。どうしてかって、高校一年生になってすぐ、交通事故に遭ったんだ。僕の母がね。

それでまあ…死んじゃって。結構荒れたんだよね。中学時代の生徒会仲間とか心配してくれていたりもしたんだけど、すっぱり縁切っちゃって。喧嘩別れみたいになってさ、今でも連絡は取ってないんだ。

…今思えば、酷いこと言っちゃったなぁ。僕もそうだけど、みんなも子供だったんだよ。特に僕は顕著だったかな。

心の整理がつかなくて、周りに当たり散らして、結局高校の演劇部は幽霊部員みたいなものになっちゃって…。家族がいなくなって友達もなくしちゃって、同級生からは同情されて。

それでも前を向かなくちゃいけないから、必死に現実を受け入れようとして…でも、そう簡単にはいかないよね。だって母さんがいないから。家に帰るとどうしても実感しちゃうんだ。いつもみたいに声をかけてくれる人がいなくて、僕の話を聞いてくれる人がいなくて、どこか空気が冷たいんだよ。



「…ん」

「う、っと、どうしたの?いきなり力強くなったけど」

「別に。ただちょっと、いっぱいぎゅーってしたくなっただけ」

「…そっか」

「…うん」

「……」

「……」

「…ありがとう」



現実の難しさに辛くなっていたとき、僕はよく出かけていてね。今に思えば、あれは現実逃避だったのかもしれない。あんまり家にいたくなかったんだ。家にいたくないのに、家を出て一人暮らしする気にはなれない。矛盾してるけど、母親との思い出に縋りついていたんだと思う。

気分を紛らわせるために外出したのはいいんだ。だけどさ、一人で外にいるとまた考え込んじゃって。そうやって鬱々うつうつと考え込んでいたとき、君に出会ったんだ。



「…え?あ、あたし?」

「うん」

「うそ…え?あたしたち、昔会ってたの?」

「うん。覚えてないかな。梅雨晴れのお花畑で…あれは何年前だろう。僕が15だから十年前?」

「お花畑って……は、え?うそっ?ええ!!郁弥いくやさんだったの!?あれ女の人じゃなかった!?」

「あ、あはは。まさか性別間違いとは…」

「…まさか、あの人が郁弥さんだったなんて…。そりゃ見覚えあるわよね」



日結花ちゃんと出会って、年下の女の子に慰められて大の大人…大人じゃないか。15の僕はすごく救われたんだ。

僕のことを何も知らない他人だったからかな。ただの世間話が嬉しくて、普通に会話できることが楽しくて、もう少し頑張ってみようかなって、そう思えたんだよ。

こんな小さな子ですらお母さんのことをおとなしく待っているのに、年上の僕がへこたれてちゃいられないってね。それに、幼い日結花ちゃんから"頑張れ"って言われちゃったからさ。もう頑張るしかないよ。



「んぅ…な、なんか恥ずかしいわね。昔に言ったことなんてあたしはいちいち覚えてないのに…」

「ふふ、いいんだよ。僕が覚えているから。僕にとっては人生の分岐点でも、日結花ちゃんにとっては普通の日常。それでよかったんだ」

「…むぅ。ばか。あたしにも特別扱いさせなさいよ。あなたとの出会いなんてすっごく大事なことじゃない」

「あはは、嬉しいこと言ってくれるね。ありがとう。じゃあその辺のことは後でじっくり話そうかな」



そうした経緯があってなんとか立ち直ったのはいいんだけど、これまた現実は大変で。今まで母さんに頼りっきりだった家事全般を僕がやらなくちゃいけなくなったんだ。炊事に洗濯と掃除と。ゴミ出しや買い物まで。

学校に通いながらだと思ったより大変で、時間はあっという間に過ぎちゃったね。高校二年生も半分くらいになると進路のことも考えなくちゃいけないでしょ?僕は独り立ちするために就職するつもりだったんだけど、父さんに大学まで出ておけって言われてさ。結局行かせてもらうことにしたんだ…。ん?あぁ、ふふ、日結花ちゃんを否定しているわけじゃないから拗ねないでよ…。うん?拗ねてないって?あはは、本当に君は可愛いなぁ。ふふ、顔赤くなってるよ。

僕は日結花ちゃんと違って何かすごい才能があったわけじゃないし、子供の頃から仕事をしてきたわけじゃないから。自分の道を広げるために大学まで進学した、って感じかな。

普通の人はみんな僕みたいな感じなんだよ?やりたいことがなくて、できることがわからなくて、少しでも選択肢を増やすために進学をする。ある程度形を決めるにしても、まだふわっとしたままなんだ。僕がそうだったからね。日結花ちゃんみたいに自分の道が決まっている人は珍しいかな。僕にとっては、珍しいどころか特別な人だけど。



「も、もうっ!いきなり恥ずかしいこと言わないでよっ」

「あはは、嫌だった?」

「ん、うぅ…嫌なわけないじゃない…ばか」

「ふふ、だよね。大好きだよ」

「あ、あたしも大好き…」



…色々照れくさくなっちゃったけど、とにかく進学を決めて受験勉強に入ったんだ。勉強は学校の先生に頼んだり頭の良い同級生に教わったり、基本的に家でやることが多かったかな。塾はそこまでお金かけたくなかったから通わなかったよ。特に問題はなく毎日が進んで、普通に合格もできた。そこまではよかった。

なんていうか…。さすがにあの頃は自分の不幸を呪ったよ。僕の人生ってなんなんだろうって、どうしてこんなんなのかなって。

…まあ、簡単に言うと天涯孤独てんがいこどくになった、なんだけど。

僕の父さんさ、病気だったんだよね。僕がまだ高校二年生の頃からわかっていたらしくて、結構頑張ったんだって。治る見込みはないって知っていたのに、自分のやりたいこととかしないで働いて、少しでも僕にお金を残しておいてあげたかったんだってさ。自分にはこれしかできないからって、薬飲みながら働いて、平然を装って過ごして、自分も辛いはずなのにね…。本当は、母さんが死んじゃって疲れてた僕に心配かけたくなかったのかなって、今はそう思うよ。もちろんお金のこともあったとは思うけどさ。



「…泣いてもいいのよ?」

「あはは、もう十分泣いたから大丈夫だよ。ありがとう」

「ならいいわ。でもこれくらいやらせてちょうだい」

「あ…。あ、あはは。頭なでられるって、なんか照れくさいね」

「ふふ、我慢しなさい。いつもあたしがあなたにされてることなんだから」

「うん……ありがとうね」

「ん、どういたしまして」



母さんと違って、父さんの最期は看取れたんだ。病院で父さんと話したとき、僕のことを心配するような言葉ばかり言ってきたんだよ。"郁弥ももう18か。どうだ?大丈夫か?頑張れるか?"って、そんなことばかり言ってきて。

だからね、僕も答えてあげたんだ。"大丈夫。これでも家のことほとんど僕がやってきたんだから。もう大丈夫だよ。任せて"って。そうしたら、ほっとしたみたいに笑って、それで終わり。ドラマみたいな死に際だけど、最後に安心させられてよかったよ。本当に。

それで、父さんも死んじゃって、おばあちゃんとおじいちゃんはもう亡くなってたから親戚もいなくて。驚いたことに従兄弟とか叔父さん叔母さんもいなかったんだ。遠い親戚ならいるのかもしれないけど、少なくとも僕は知らないよ。だから…俗に言う天涯孤独の身ってやつでさ。大学の新生活と一緒にね…こう、胸にくるものがあったかな。

ただ、ここでまた一つ。日結花ちゃん。もう一度会ったこと、覚えてる?



「それは…ええ。覚えてる。あのときの女の人、じゃなかったのね。二回目も同じところでしょ?」

「うん。そう、あのお花畑。名前は…そう、確か…」

「「小町沢こまちざわ花見園はなみえん」」

「あはは、よく覚えてたね」

「郁弥さんこそー、えいえい」

「あはは、くすぐったいよ。いきなりどうしたの?とりあえずお返し、えいや」

「きゃぁ、ん、ふふ、なんとなくー?えへへ、ちょーっと嬉しくなっちゃっただけよー」


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