99. ご挨拶と色々お話
リビングルームは普通に明かりがついていて、さっきまでの妙な暗さは微塵も感じない。
「やあこんにちは。日結花もおかえり」
「こんにちは。お久しぶりです」
「ただいまー」
「はは、久しぶりだね。夏に会って以来になるかな?」
「はい。あのときはきちんと挨拶もできずすみませんでした。改めまして、僕は藍崎郁弥です。日結花さ…日結花様にはいつもお世話になっています」
「おっと、ご丁寧にすまないね。僕は
「…様?」
お食事テーブルの方に座って待っていたパパと挨拶を交わす。ママはキッチンの方でごそごそとしており、あたしは相変わらず郁弥さんの手を掴んだまま。その掴んだ手の手首をきゅうっと優しくつねってあげた。
「やっ…よ、よろしくお願いします。ええと…すみません、なんとお呼びすればいいでしょうか?」
「ん?あぁ。ごめんごめん。正道でいいよ。君には是非そう呼んでもらいたいね。筆名で呼びたいならそれはそれで構わないけど、日結花と親しい相手なら名前で呼んでほしいかな」
「それなら正道さんとお呼びしますね。ふふ、でも筆名ですか。初めて聞きましたよ。さすが小説家さんですね。かっこいいです」
一瞬の痛みもなんのその、くすりと笑って軽く一褒め。ポイントは笑顔。優しく笑っているのが素敵。
「ふ、ははっ。まあ筆名なんて普通聞かないだろうからね。どうだい?どうせなら郁弥君も考えてみるかい?小説は楽しいぞー?世界が無限に広がって」
「はいはい。そこまでにしてちょうだいな。郁弥君が困って…はなさそうね。でもほら、今日は勧誘以外に大事な話があるんでしょ?」
パパの話を遮って、ママがテーブルにお茶を用意する。元々あったパパとママのぶんに加えてあたしと郁弥さんのぶん二つ。
「おっと、そうだったな。日結花に郁弥君。座ってもらえるかい?日結花から色々聞いてはいるんだけど、本人とも話をしたくてね」
「どうぞ座って?お茶菓子も用意しておいたから、自由に食べてもらって構わないわよ」
パパとママに言われて、郁弥さんと二人椅子に座る。キッチン側に四つとソファーテレビ側に四つの八席テーブルで、ソファー側の真ん中に並んで座った。
ちなみに、座る段階でさすがに手は離したわ。不自然過ぎるもの。名残惜しいけど仕方ない。
「ありがとうございます。失礼します」
「ん、ありがと」
「うん」
そんな椅子を引いてもらうやり取りを経て席に着く。
「(さっきどうしてつねったの?)」
「(様ってなによ様って)」
「(あぁ、それは…ほら、さんもちゃんもだめだし様かなって)」
「(…ばか。様なんておかしいでしょ。さんでいいわよさんで。わかった?)」
「(わ、わかった。…だからその、耳元で囁かないで)」
「ふふ、はいはーい」
会話の流れが切れたところでちょっとしたミニトーク。小声で囁き合うあたし的に胸キュン高めなシチュエーションだった。
「…ふむ」
「…なんて言えばいいのかしら」
声を聞いて前を向けば二人ともが変に真面目な、なんとも言えない顔をしてこちらを見ていた。
「な、なに?二人してどうしたの?」
「いえ…あなたたちが自然すぎて驚いたのよ」
「「自然?」」
揃って疑問符を浮かべる。横を見たら恋人と目が合ったので、ぱちりとウインクを投げて視線を前に戻す。
「…郁弥君は郁弥君で当たり前のように椅子を引いたこともそうだけど、日結花は日結花でそれを当然のように受け入れていたことに驚いたんだよ。杏、僕と同じだろう?」
「ええ。それもそうなのだけど、二人がずいぶんと楽しそうに話しているから…。ねえ、日結花、郁弥君。聞いてもいいかしら?」
「は、はい。なんでも聞いてください」
「いいわよ。なに?」
ここにきてあたしたち二人の愛を問われるなんてね。任せなさい。どんなことでも答えてあげるわ。
「あなたたち、本当に恋人じゃないの?」
「恋人よ」
「恋人じゃありませんよ」
即答に対して隣からも即答が耳に届いた。しかもあたしとは正反対の言葉。
お隣の人と視線を合わせてじーっと見つめる。
「……」
「…し、真実だから」
ぷいっと目をそらして言い訳がましく伝えてくる。
別に怒ったりなんかしてないのに。相変わらず可愛い人。
「真実でも言っていいことと悪いことがあるのよ。知ってる?」
「知ってるよ。でも…この件はあとでちゃんと話すからもう少し待っててもらえるかな」
「ふーん…そう、まあそうよね。あたしもそのつもりだったし」
「え、そうだったの?」
えー、わかってなかったの?あたしはそうかなぁくらいにはわかってたのに。だってわざわざうちまで来てくれて真面目な話したいなんて鈴花ちゃんの一件くらいしかないでしょ。そんなのすぐわかるわよ。
「…そうだったのか。全然気づかなかった」
あたしの表情を見て取ったのか、しょぼんと肩を落として落ち込む。
あたしの好きな表情第四位!落ち込んであたしの母性をくすぐる表情!グッとくるわね!
「ふふ、いいのいいの。あとで全部お話しましょ?それが大事なんだから気にしないで?」
聖母のような笑みを浮かべながら彼の髪をなでる。さらりさらりと、優しく温かく包み込むようななで方。
「や、な、なんで…は、恥ずかしいから…」
きゃー!!!可愛い可愛い可愛いぃ!なによそれ反則!大人な魅力たくさんなのに女の子みたいに顔真っ赤にして照れちゃって!ずるいにもほどがあるわ!!もう大好きっ!!
「…ふぅぅ…お、落ち着くのよあたし…」
深呼吸深呼吸……はぁぁ。
「(正道さん、あの子たちの顔見た?)」
「(…うん。見たよ。ずいぶんとまあ…いい表情してるよね)」
「(そうよねぇ…あれは日結花の性格的に、郁弥君に惚れ込んじゃうのも仕方ないわ)」
「(大人としての顔と子供としての顔。どちらも良い具合に併せ持っているのは日結花と少し似ているかな)」
…こそこそと話しているわね。
「そこ、全部聞こえてるから」
「あら」
「おっと」
わざとらしく声をあげて、なおかつ姿勢も正してみせる。どこからどう見ても聞こえるように話していたとしか思えない。
「日結花も郁弥君も、二人での話は終わったのかしら?」
「は、はい。すみません。恋人ではありませんから大丈夫です。ね、日結花ちゃん」
「ええ」
不本意だけど。
「ていうか、そもそも恋人がどうとかはママも知ってたことでしょ?」
これまでの恋愛事については結構話してるんだから。
「それはね?でも二人を見ていたら本当かどうか気になってきちゃって、うふふ」
「そうだなぁ。僕も気にはなったよ。まあ、それも含めこれから色々話をしてもらおうと思っていたわけだけどね。はは」
二人して楽しそうに笑ってくれちゃって。まったく、今日は大事な話をしに来たはずなのに。こんなんじゃ本題に入れるのはいつになることかしら…。
「そうですか…。はい、僕でよければお話はできます。いったい何から話せばいいでしょうか…色々ありすぎて少し難しいですね」
「ふむ…それなら日結花とのデートからでお願いできるかな?」
「わかりました。デートの話となると今年の2月辺りからですね―――」
未だにほんのり顔が赤いままの郁弥さんを眺めながら、あたしも恋人の話に耳を傾けることにした。
「お疲れ様。悪かったわね。パパもママも色々うるさくて」
今年にあった出来事を
膝枕でもしてあげたくなっちゃうわね。いえ、むしろしてあげた方がいいかもしれないわ。だって椅子に座ってるだけじゃ疲れなんて取れないし、あたしの膝でぐっすり眠ってくれたりしちゃったらもう。
「日結花ちゃん?」
「え、な、なに?」
「ううん。そんなに見つめてどうしたのかなぁって」
「あ、ええと…」
そんな綺麗な瞳で見られても困る。…言い訳を考えなくちゃ。
「…郁弥さんが、元気か気になって」
…せ、セーフ。
「あぁ、うん。大丈夫大丈夫。ちょっと緊張が解けてほっとしてるだけだから。心配してくれたんだね。ありがとう」
優しく微笑んでお礼を言う。
良心の
「ん、元気ならそれでいいわ」
ちらりと壁にかかっている時計を見る。時刻は15時半。あたしの両親とのお話で1時間は費やしてしまった。今はリビングから客間に移ったためママもパパもここにはいない。いるのはあたしと郁弥さんだけ。
「……」
「……」
客間は和室になっているので、どこかの旅館にあるような机と背もたれがついた座椅子に座布団が置いてある。四つある座椅子の部屋奥側に向かい合って座っていて、テレビは置いてあるもののつけてはいない。窓も障子が閉めてあるため外の景色は見えないまま。ただ、二人っきりで静かにしているからか、落ち着いた自然の音色がよく耳に通る。
屋根を叩く雨音って、どうしてこんな心地いいのかしら。
「…日結花ちゃん」
見つめ合ったり視線をそらしたりして、なかなか最初の言葉を言い出せないまま数十秒か数分か。先に口火を切ったのは郁弥さんだった。
「ん…なに?」
これから話すことがわかっているからなのか、あたしも郁弥さんも声に真剣みが混ざっている。
「…せ」
迷うように口をゆっくり開けて、瞳を揺らめかせる。一言だけで区切って、一度唇を舐めてから再度口を開いた。
…ほんっとどうでもいいけど、ぺろって唇舐めるのすっごくいいわね。ちょっとドキッてしちゃった。
「…正座崩してもいいですか」
「……いいわよ」
心底申し訳なさそうに言った。
…あたしも人のこと言えないけど、この人もこの人ね…。そういうところも好きだからいいけど。むしろ今はそれを言ってくれて助かったかも。さっきまでの空気は少し…ううん、すごく重かったから。
「あ、ありがとう…ふぅ」
ほっと一息ついて安心したように笑う。可愛い。
あたしが見ているのに気づいて恥ずかしそうにしたところとかほんと可愛い。可愛すぎて抱きしめたくなっちゃう。
「な、なに?」
「んふふ、べっつにー?」
すこーしいいこと思いついちゃっただけだし?
「…んー」
あたしは最初から正座なんてしていなくて、両足を真っすぐ伸ばして足首で交差させていた。お互いが足を伸ばせば普通はぶつかるわけで、郁弥さんはそれを避けて空いている方に足を伸ばしている。
つまり、これは足同士で触れたりぶつかったりとするチャンス。こたつとかでよくあるシチュエーションなやつね。
「なにをうおぅん!?」
「ふふ、なによその叫び声。狼かしら?」
可愛らしい狼なことで。なでたらすぐにくーんくーんって言ってくれそうね。超可愛い。
「い、いや全然違うからっ。そうじゃなくて…あ、足がぶつかって…というかもう僕の足の上に乗っているんだけど!?」
「ふふふ、ごめんね。わざとよ」
「そっか。わざとか…わざとかぁ」
諦めたように少しだけ顔が下向きになる。諦め可愛い郁弥さんの足には、今あたしの足が乗っかっている状態。斜めに伸ばされていた足に大きく乗っかるような形で足を動かした。位置的には足首から膝辺りまでで、しっかりあたしの足が埋めてあげている。
「じゃあ郁弥さん。大事なお話しましょ?」
「ええ!?こ、このまま!?」
わーっと声のボリュームが上がる。それでも大声とまでいかないくらいに配慮しているのがこの人らしい。また好感度が上がった。
「もちろん。足くらい気にしないの。苦しくなんてないでしょ?むしろあったかくて気持ちいいと思うわよ?感謝してほしいくらいね」
この部屋は空調効かせてないから結構寒いのよ。コートはいらないけど、少しひんやりする感じ。だから足だけでも人の体温であっためられればそれだけ暖かくなるわ。
「うぅ…確かに温かいけど、けど……あぁもう、いいよ。うん。これでいい。日結花ちゃんありがとう。すっごく幸せです」
「ふふ、そう?それならよかったわ」
幸せだなんてちょっと大げさだけど…この人はいつもこんなものだし別にいいわね。
「…じゃあ、話そうか。どこから話そうかな…そうだね。最初に一つだけ伝えておくよ。日結花ちゃん」
いつもと変わらない調子で話を始める。さっきとは全然空気が違って、緊張感はまったくない。足が触れ合った部分から伝わる熱だけじゃなくて、あたしたちの間に流れる空気そのものが温かくて柔らかくなっている。
「なに?」
名前を呼ばれて答えた。話し始めになにかしらを伝えてくれるらしい。
「大好きだよ」
「…ん、そう」
普段通りに柔らかい雰囲気のまま一言。なんとなく何を言われるのかわかっていて、あたしも短く返した。
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