97. 踏み出すこと、踏み出す日

11月も終わりが近いと、一年の終わりが目に入ってくる。

7月に受けて8月の終わりから解決に向けて動き始めたお悩み相談は、9月、10月、11月とかけて一応の幕引きとなった。


「もう12月…かぁ」


ちょうど二週間前に巻藤まきふじ鈴花すずかちゃんと話して、それで相談としては解決になった。

まず郁弥さんが鈴花ちゃんと直接二人で話して、それからあたしが彼女と二人で電話で話して。あたしも郁弥さんも、お互いの話は聞かず、だからこそ今の気持ちを正面から全部言い切ることができて…。できたけど、その鈴花ちゃん本人から言われた言葉が頭から離れない。


"どうして恋人にならないんですか?どうしてもっと近づこうとしないんですか?おかしいですよっ。藍崎先輩はあんなにも……いえ、ごめんなさい。私が何か言っていいことじゃありませんでした。すみません。"


すごく真剣で、強い想いに満ちた言葉だった。

こんな真面目な声が出せるほど、こんなにも他人のことを想えるような子に郁弥さんは好かれていたんだって、そのとき実感できた。それでいて、あたしが色々と…あたし自身が恥ずかしくなった。

恋に浮かれて、郁弥さんが他の人に取られる心配がないからって、ただ遊び感覚で色々考えて、人を好きになる気持ちをないがしろにして…。誰かに恋をすることがどれほど大きなことなのか、どれくらい自分自身に影響を与えるのか、それはあたし自身が一番よくわかっていたはずなのに、そんな大切なことを忘れてしまっていた。

…いえ、いいの。もう反省はいいのよ。ちゃんと鈴花ちゃんに謝ったし、きちんと反省はしたもの。いつまでも沈んでいたって仕方ないわ。せっかく教えてくれたことなんだから次に進まないと。


「次、ね」


次にあたしがやらなくちゃいけないこと。それは、そんなことはわかってる。この二週間ずっと考えてきたし、それでやらなきゃいけないことくらい頭にまとまってる。

あたしが郁弥さんのこと全然考えてなかったのはいい。それはいっぱい反省したから。そうじゃなくて、あたしが思ってる以上に、まだまだあの人自身のことを話してもらってないことが大事。あたしが"恩人"であるとか、どうして人との関係に臆病なのかとか。昔何があったのかとか、そういうのを何一つ教えてもらってない。

あたしはそういうことを話してもらえるように、頼ってもらえるように少しずつ距離を縮めて、ようやく相談してもらえるくらいにはなったけど…少し甘えてたのかな。

結局、今の関係って前と変わらず中途半端なまま。距離が近づいたように見えて決定的なところには踏み込めてないのよ。頼られたいとか、対等になりたいとか、色々言い訳して進まないようにしていただけ。

あたしはただ…ただ、今の関係を楽しんでいただけだったから。今のままで十分楽しいから、幸せだから、変えたくない、変わりたくないって、そう思ってた。そこに郁弥さんの事情は関係なくて、あの人がどんな気持ちでいるかとか、何に悩んているかとかは気にしてなかった。

本当にあの人のことを想うなら、無理やりにでも踏み抜いて、悩みでもなんでも丸裸にしてあげればよかったのかもしれない。そうして、全部全部、本当の意味ですべて知った上で大好きを伝えれば…そこでようやく同じ場所に立てる。そこまでやって、郁弥さんに告白させることができる。きっと、あの人だったら全部受け入れたあたしのことを大好きだって言ってくれるはずだから。


「……はぁ」


ため息が漏れる。

最初からこの考えに至っていれば、こんな大事おおごとになったりしなかった。

いっぱい好きな人のことは見てきたんだから、それくらいわかってたことなのよ。郁弥さんがうだうだ悩んで迷っているのは知ってたし、話をするまでに途方もないくらい時間をかけるのも知ってた。

何年かすれば、いつかあの人が自分から話そうとしてくれる日も来るんだとは思う。でも、それを待っている必要なんてなかったの。ううん。待っていちゃだめだったわ。だって、本当はわかっていたことだもん。あの人がどれだけ自分を大事だいじにしていないか、ところどころに見えていたことじゃない。前からずっとそうだったけど、前回会ったときの話が決定的。

あたしを自分より上に置くのが当然のような話しぶりで…それを話すときの表情がいつも通りだった。それこそ、本気であたしのために人生を使うことが当たり前になっているみたいで…少し、怖くなった。

正直、郁弥さんの心の在り方はおかしい。例え恩義のある相手だったとしても、家族でもなんでもない他人のために自分を尽くせるなんて普通じゃない。


「……」


見返りを求めない"無償の愛"なんて、普通の人が持てるはずないのよ。しかも郁弥さんなんて自分で臆病って言うくらいだめな人なんだから、そんなもの持てるはずない。だから…やっぱりあの人はどこか壊れてる。それが少し怖くなっちゃって…だから触れようとしなかった。

でも、逃げてちゃだめなのよね。ちゃんと全部知らないと。あの人のことを全部知らなくちゃ。どうしてあんな風に思うようになったのか、何があったのか、全部教えてもらって、始めるのはそれから。


「…頑張るのよ、あたし」


怖いとか、逃げたいとか、聞きたくないとか、このままでいたいとか。

そういう気持ちもいっぱいある。だけど、それよりも、それ以上にたくさんの大好きがあるから。

大好きだから話してほしい、大好きだから教えてほしい、大好きだからこそ、あたしに、他の誰でもない咲澄日結花に頼ってほしい。


「…頑張るわ」


ぎゅっと握った拳に力を込める。弱い気持ちが消えたわけじゃない。それでも、それを押し流すくらいにどんどんと胸の奥から力があふれてくる。好きな人のためだと思えば、いくらだって頑張れる。

あたしが次にやるべきことは、彼に、郁弥さんに全部話してもらうこと。ちゃんと謝って、それから聞いて知って、その上で気持ちを伝えること。

もう決めたわ。絶対逃げないし絶対逃がさないんだから。最後まで全部付き合ってもらうわよ。




一人決意表明をしてから二週間ほど。11月は終わり、12月も半分が過ぎた。まるで夏の暑さがなかったかのような冷たさが身に染みる。雪の季節と同じように、あたしと郁弥さんの関係もどこか冷えてしまっていた。


―――ぽつり


…雨か。ちょうどいい…ううん。よくないわね。


「…はぁ」


いそいそと屋根のある駅中に避難して一息。吐く息は白く、降り出した雨のせいで余計に寒くなったような気がする。

今日は12月16日の土曜日。今年も終わりが近く、ほんの少しの寂しさが胸によぎる。

咲見岡の駅前で待ち合わせ。前回直接顔を合わせてから既に一カ月。きちんと向き合おうと決めてからも、なかなか簡単にいかないのが人間関係の難しいところ。最近の郁弥さんとはお話する時間も少なく、お互いうかがいながらのやり取りが続いていた。そのせいか、相手がどんな気持ちでいるのかを上手く読み取れていない。

…それも今日で終わり。全部今日で終わらせて、もう一度始めるのよ。


「…うーさっむ」


ひゅるりと風が吹いて身体を通り抜ける。手袋に包まれた指先を丸めて隙間を埋めた。

いくら冬用のタイツスカートやコートを着ていても寒いものは寒い。雨が降っているからか寒さが際立っている。

今日に向けてのほどよいドキドキに加えて、寒さのそわそわで変に落ち着かない。


「あ…」


冬の雨の中、しかも14時なんていう微妙な時間。人もまばらな中、駅の出入口から見覚えのある姿が歩いてきた。つい声が漏れてしまい、それが聞こえたなんてあるはずないのに視線が絡む。


「え、ええと…」

「こんにちは。ごめんね、待たせちゃったみたいで」


あたしが何を言おうか迷っている間に近づいてきて、申し訳なさそうに頭を軽く下げて言う。


「…ううん。大丈夫。気にしないで」


いつもと変わらない郁弥さんの姿を見て、声を聞いて、なんとなくほっとした。それと同時に、思ったより身体に力が入っていたようで一瞬ふらりと―――。


「っと、大丈夫?」

「ぅ…あ、ありがとう」


あたしがふらついたのを見てすぐさま抱きとめてくれた。咄嗟とっさにお礼を言ったはいいものの……は、恥ずかしい…。


「…あ、え、えっと…」


ど、どうしよう。この体勢って、だって、あ、あたし今抱きしめられちゃってるしっ。どうすれば…郁弥さんはどうしようと…。


「…はぅ」


顔あげたら郁弥さんってばすごく近いっ。すぐ下向いちゃった。

…と、いうか。…これ、郁弥さんの胸に顔埋めてるような体勢なんだけど、倒れかけだったから完全に体重預けちゃってるし重くないのかしら…。


「…日結花ちゃん?大丈夫?足痛かったりしない?」


ドキドキしたりあせあせしたりしてたら上から声が降ってきた。たくさんの心配が詰まった優しい声に心がほぐされる。


「…ええ、大丈夫。助かったわ。ありがと」

「そっか。よかった。…あんまり反応ないから足ひねっちゃったのかと思ったよ」


ほっと息を吐いて安心したように呟く。あたしが色々ばかなことを考えている間、郁弥さんはただ心配してくれていたらしい。

…これじゃああたしがよこしまなことばかり考えている子みたいじゃない。やめて。


「…ええと、そうね…それで…」


だいたいあなた男の人でしょう?こんな…もう完全に密着したらもっと動揺したりするものじゃないの?…もしかしてあれ?ここにきてまたあたしの胸サイズ的な問題?…ううん。冬服だからよね。冬だから服厚いし、伝わらなくても仕方ないのよ。


「えっと…離してくれると助かるんだけど…」

「…ん、なに?」


この状況に納得がいって顔をあげたら困った顔の郁弥さんがいた。

…改めて思うけど、好きな人に抱きしめてもらえるってすごく…すごく良いわね。


「いや、手がこれじゃあ離れられないから…」

「あ…」


いったいなにかと思って彼の手を見るも、相変わらずあたしの身体に回されて支えてくれたまま。

そこで自分の手を見ると、なんとそれがいつの間にか郁弥さんの背中から腰辺りにしっかりと回されていた。

わー驚いた。ほんと驚いた。…なにこれ意味わかんない。


「あ、あら。なにか手違いがあったようね」

「手違いって…と、とにかく手を離してもらえる?色々とほら…」


言葉尻が薄れて声が震えている。再度顔をあげれば、頬を赤くした恋人こいしてるひとの顔が…なるほど。そういうこと。

つまり、心配とかが落ち着いたから今の体勢がすっごく恥ずかしく感じるようになったと。そういうことね。


「…な、ならあなたがちゃんと支えておいてもらえる?か、身体のバランス取るからっ!」

「え?…う、うん」


ぎゅっ。と、そんな音が聞こえたような気がして身体が強く引き寄せられる。


「あ…」

「だ、大丈夫?痛くない?」


優しく、優しく。できる限り優しく力を込めてくれて、あたしの身体と郁弥さんの身体がぴったりとくっつく。


「…ん、大丈夫」


こんなにも密着して、互いの息遣いや心臓の鼓動がわかるくらい近い距離にいて、もちろん恥ずかしいとか照れくさいとかもある。けど、それより何より…気遣いが嬉しくて、抱きしめてもらっていることが幸せで、ずっとこのまま、今この時間がずーっと続けばいいのにって思っちゃう。


「…あ、あはは…ええと、大丈夫?立てる?」

「…うん」


あたしの背中に回された腕と、目の前にある暖かい身体を支えにして身体のバランスを取る。寄りかかった状態からちゃんと地面に足をついて、真っすぐ立てばあたしの顔が郁弥さんの肩にきた。


「えへへ、ありがと」

「う、うん。どういたしまして」


彼の肩に顎を乗せる、とまではいかずどちらかというと顔を埋める形。顔をあげればちゅーできちゃいそうな距離。十数cmの身長差だとこれくらいになるらしい。

ちょうどいい。ちゃんと相手に包まれているくらいでよかった。…はぁぁ、幸せ。


「……」

「…えへへぇ」

「……?」

「…んぅ、どうかした?」

「…いや、なんていうか、もう離さない?」


身じろぎしてあたしの身体に回された腕の力が弱まった。短く距離を取れば、顔を赤くして眉尻を下げた恋人。

なにかと思えばすごく悲しいこと。


「…」


わかってる。だってこんな状況普通じゃありえなかったもん。偶然が重なったからこうやって抱きしめてもらってるんだし、恋人こいびとですらないあたしたちがこんな風に抱きしめ合ってるのは普通じゃない。そんなのわかってる。でも。


「…もうちょっとだけこのまま…だめ?」

「…もうちょっとだね。いいよ」


あと少し、あと少しだけこのままでいさせて…。

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