49. 山中温泉観光1
「昨日は暗くてイマイチだったけど、温泉街っぽいわねー」
「っぽい、というより事実温泉街よ。いいところでしょう?」
「あはは、いいとこいいとこ。ちょっとお散歩したくなってきたわ」
「ふふ、これから歩くから覚悟しておきなさい?」
「…ちなみにどれくらい歩くの?」
「2時間程度じゃないかしら?」
「…それくらいなら大丈夫」
時刻は10時半。知宵家でだらだらごろごろしていたらこんな時間になった。
高凪さんが朝の集合時間遅くしてくれてよかった。気が利くわ。これくらいでいいのよこれくらいで。
「ところで日結花。ここがどこだかわかる?」
「どこって、お風呂屋さんの前?」
「そう。私が昔愛好していた大衆浴場である"菊の湯"の前よ」
「なるほど。だからここ集合場所にしたんだ」
「ええ。私が高凪さんに伝えておいたわ。山中温泉の収録開始はここにしてほしいと」
「ふーん、そんなに思い入れでもあるの?」
「それほどではないけれど…"菊の湯"はその辺にある大衆浴場とは格が違うから」
現在収録中。場所は知宵の言った通り"菊の湯"前。
格が違う理由は…おそらく外観のこと。あたしの持っている大衆浴場のイメージとはまるっきり違うもの。
「たしかに建物から違うわね。見た目が完全に神社とかそんな感じだし」
「そうでしょう?ここは山中温泉の名物でもあるのよ。ですので、石川県の山中温泉まで旅行に来る方は是非入っていってください。私のおすすめスポットです」
知宵の解説が入り、"菊の湯"が男女別棟――建物が分かれている――で、なかなか珍しいものだということ。"山中座"と呼ばれる劇場があり、山中温泉の伝統芸能が見られること。などなど話を聞けた。
これよねこれ。出身地なんだからこういう解説を聞かないと。
「さて、日結花。あなたはどこを回りたい?」
「えー…」
どこって言われても…。
「高凪さんヘルプ!」
「…そこは僕じゃなくて青美ちゃんに尋ねてほしいんですが…。今日はスケジュールにもあるように、ある程度融通利かせていますからどこでも大丈夫ですよ」
「…そうですか」
予定調整役の高凪さんが自由と言ってくるとは…面倒ね。どこ行けばいいかなんて全然考えてなかった。パンフ見ようパンフ。
「ええっと…この辺はなにがあるのかしらー…知宵知宵」
「なに?」
「ここどこ?」
このパンフの地図意味わかんない。観光名所はともかく、現在地がまったくわからない。もっとわかりやすい地図が欲しいわ。
「脈絡もなくここがどこと聞かれても困るわ」
「あーうん。ごめんごめん。このパンフじゃ場所とかわからなくて」
こめかみを押さえて眉間にしわを寄せる。
どうでもいいけど知宵、その顔よくしてるとしわ増えるわよ。
「…何か不愉快なことを考えていない?」
「え?べ、べつに?」
キっと睨まれた。
なんて鋭い子。ごめんね。あたしのせいもあるわね。一応謝っておくわ。
「はぁ…まあいいわ。場所はわからなくてもいいでしょう?パンフレットで行き先さえわかれば私が案内するわよ…というか、そのパンフレットもう一枚開かないと意味ないわよ」
「え、もう一枚って…おお!」
「…私にはあなたがお馬鹿に見えるのだけれど、気のせい?」
「おばかって…やめてよ。あたし頭いいキャラで売ってるんだから」
「…そう」
「興味ないわねあんた…まあ嘘だしどうでもいいけど」
「そうだと思ったから興味持たなかったのよ…それより早く決めなさい」
言われて開いたパンフレットに目を落とす。もう一段階折ってあったパンフを開けば細かい地図が描いてあった。
ごめんなさい作成者さん。役立たずなんかじゃありませんでした。優秀ですとっても。
「…むぅ」
どうしようかな。これだけ細かいと行ってみたいところが多すぎる。黒谷橋も行ってみたいし、
「青美ちゃん、咲澄ちゃん。ちょうどいいのでクイズコーナー行きましょう」
「このタイミングで、ですか?」
「はい。咲澄ちゃんも目的地決めるのに悩んでいるようですから。先に済ませておきましょう」
「わかりました。日結花」
「…うん。わかった。高凪さん、あたしも大丈夫です」
少し別のこと考えた方が決められるかもしれないもの。さ、クイズやるわよ。
「では、今回のクイズについて説明させていただきます」
「んー、普通に昨日と同じで漢字じゃないんですか?」
「私は別のでもいいですよ」
「いえ、漢字クイズであることに変わりはありません。ですが…今回は青美ちゃんにハンデを背負ってもらいます。青美ちゃんは二問正解で1点。咲澄ちゃんは一問正解で1点となります」
「今回"は"、ではなく今回"も"ですよね?」
「はい。すみません。今回も、です。とにかく青美ちゃんにそのまま尋ねると咲澄ちゃんに勝ち目がないので公正を期すためです。お願いします」
「わかりました。だ、そうよ。日結花。あなたじゃ私には勝てないらしいわ」
…なんかすごくむかつく言い方された。ドヤ顔がイラッと来る。あたしが勝てないのも正しいからもっとむかつく。絶対勝ってやる…同点からあたしリードに持っていってやるわ。
「それでは、第一問―――」
「―――以上で終わりです。10-7で青美ちゃんの勝利です」
「ふ、当然ね」
「…なにこれ…ずるいでしょこんなの」
圧倒的勝者の風格を漂わせて見下ろしてくる。知宵の方が背は高いからいつも見下ろされる側だったけど…今ほどたった8cmそこらの身長差を恨んだことはない。
「あら、何がずるいと言うの?正々堂々と真正面から戦ったじゃない。私はハンデまで背負ってね」
「…だって知宵の知ってるものばっかりだったし。無駄に問題多いし…読めるわけないでしょこんなの!なによこの"
どう考えても"こいでせん"と"かにば"だと思う。あと、"
「言い訳はやめなさい?私とあなたで知識力に差があっただけのことでしょう?」
「ぐ…くぅ……も、もういいわよ。あたしの負けでいいわ。それで勘弁してあげるからどっか行くわよ。早く案内して!ええと場所は…とりあえず"ゆげ街道"でいいから!」
強引に話を進めて、知宵の背中を押す。
「ちょ、ちょっとやめなさいっ」
「ふんっ。ほらほら観光案内してよね」
そんなくだらないやり取りをこなしてだらだら歩き始めた。進む道は"菊の湯"から直接繋がっている"ゆげ街道"。パンフレットにも"ゆげ街道"は大きく取り上げられていて、"ゆげ街道"のみの詳細地図が載っているほど。それくらいの観光場所なため当然お店やお土産屋さんも多く、見て歩くだけでも十分楽しい。
「さっきさ。たまごの手作り体験ができるってあったじゃない?」
「ええ。あったわね」
「その手作りなんだけど…あたしたちって体験とかなんにもしてなくない?」
「…そうね」
"ゆのくにの森"でもどれ一つ体験せず、お買い物して見回っただけ。兼六園は別に体験とかそういうんじゃなかったし…別にいいんだけど。せっかく旅行…じゃなくて収録に来たなら一つくらいやってもいいと思うのよ。
「さっきのならすぐにできるけれど、戻る?」
「ううん。遠慮しとく。だって温泉卵作るだけでしょ?今日の朝も知宵ママが作ってくれたから食べる気になれないわ」
「それもそうね」
DJCDの収録らしくのんびりと会話を続けて歩く。道は
温泉街といえばこんな感じよね。建物も瓦で、
「私がお酒に強いという話はしたことがあったかしら?」
「え…唐突ねまた。"あおさき"で話したことはなかったかな。あたしはお酒飲めないし、知宵とご飯行ってもお酒飲んだりしないでしょ?だからちょっとわからないわね」
「そう…ならちょうどいいわ。さっきから歩いていて、いくつかお酒を売っているお店を見かけたでしょう?」
「うん」
「当然地酒も売っているのよ」
「うん…地酒ね」
地酒と言われてもイマイチわかんない。だいたい日本酒がどうとか全然知らないし。ただ酒精が強いわけじゃないんでしょ?いつか…あたしが二十歳にでもなったら知宵に持ってきてもらおう。
「私が買って帰るつもりであるのはともかく、山中温泉に来たリスナーのみなさんにも是非買って持ち帰っていただきたいです」
「あ、買って帰るんだ」
「山中温泉というよりも加賀の名産ですが、どうぞよろしくお願い致します」
「や、やけに丁寧ね…」
「お酒に弱い方は
「…うん。宣伝お疲れ」
「あら、ありがとう。後で私たちも寄るわよ」
「え、そうなの?」
「私が買うのもそうだけれど、あなたに甘酒でも買ってあげようと思ったのよ」
「甘酒かー。それならあたしも飲んでいいのか。おっけー、後でね後で」
「ええ。場所は"菊の湯"の近くだから、わたしの家に帰るときにでも寄りましょう」
最初から寄るつもりだったらしい。
でも甘酒かー…甘酒ならお正月に飲んだことあるし大丈夫。普通に甘い飲み物だったし。味とか違うのかしら。
「…む」
「何かあった?」
途中で見つけたお店を見て、つい立ち止まってしまった。知宵が振り返って尋ねてくる。
「ん、コロッケがあるなーって」
「…食べたいの?」
「んー…まあ?」
「…自然と可愛い仕草してくるわね。似合っていて羨ましいわ」
可愛い仕草というと…小首を傾げたことよね。そんな羨ましいって言われても、あたしからしたら知宵の方が羨ましいわよ。肌しかり髪しかり胸しかり…。
「そりゃ可愛いんだから似合ってて当然でしょ。それよりコロッケよコロッケ」
「可愛いことが事実なだけに腹立つわね…それで、コロッケがなに?」
「ここの手作りコロッケが有名なんだって。パンフレットに書いてあるわ」
「ふーん、そう。私も食べたこと…あると思うわ。ずいぶん昔のことだからあまり覚えていないけれど、おそらく食べたことはあるわよ」
「うーん……揚げたてだと思うから美味しいとは思うのよ」
「日結花にしては歯切れ悪いじゃない…あぁ、今はお腹が空いていないのね」
「…そうなのよ」
朝ご飯食べてから少しは時間経っているとしても、まだ11時前。お腹が空くはずない。
それに…お昼も知宵ママが用意してくれてるから。
「うん、やめておくわ。知宵ママのご飯美味しく食べたいから」
「…ふふ、そうね。それがいいわ」
なんとなく知宵の機嫌が良くなった気がする。気がする…というより完全に機嫌良くなってるわねこれ。
「それにしても見通しいいわね。ほんとに」
「東京と違って高い建物がないからよ。電柱がないのも見通しを良くしている一因ね」
「うん。高い建物ないと景色見やすくていいわ。見渡す限りに山、山、山!あと緑」
「…馬鹿にしてる?」
「ぜ、全然?ばかになんてするわけないでしょー?」
あたしが知宵の故郷ばかにするわけないじゃない。だからその疑いの目やめて。ほんのちょっとだから。山が多いなー田舎だなーって思っただけなのよ。悪い意味じゃないから。
「…そう。まあいいわ。それじゃあ日結花。左を見なさい」
「ん?左?」
言われてすーっと左側を見る。目に映るのは大きな建物。ちょうどお店の並びが途切れて、一つの旅館風な建物が見えた。名前は"よしのや
「すごい…けど、これが?旅館でしょ?」
「あなたの言う通り旅館よ。今度泊まってみたらどうかしら?」
「んー?泊まれるなら泊まりたいわよ、当然。でも時間ないし…ていうかおすすめするってことは泊まったことあるんでしょ?どうだったの?」
「泊まったことなどないわ」
「…じゃあなんであたしに勧めてきたのよ」
「タイミングよく視界に入ったから、ではいけない?」
「…いや、いけなくないけど…」
釈然としない。それに"いけない"ってなによその言い方。子供っぽ過ぎるわ。もう通り過ぎるしいいけど…無駄に期待させられたような、そんな期待外れな感覚。
「さて日結花。話が終わったところでもう一度。左を見なさい」
「また?まあいいけどさ…」
これで無駄なことだったらもう…怒るほどじゃないし、呆れるのはちょっと違うし…だから…ええと、揉むわよ……あたしの方がダメージ受けそう…よし、左側見よう。
「…
「そう。山中温泉で有名な鶴仙渓よ。ほら、もう少し近づきましょう?」
「はいはい…あぁ、たしかにこれは綺麗かも」
川が緑がかって、エメラルドグリーンとでもいえるような不思議な色合いを見せている。高いところから見るだけで惹きつけられるものがある。
「この川に沿って後で歩くのよ?」
「…そうなの?」
初耳なんだけど、それ。
「…スケジュールには…歩くとまでは書かれていなかったわね。高凪さん。いいですよね?」
「はい。お二人で決めてくださって結構です。時間もまだまだ余裕がありますので」
「らしいわよ、日結花」
「…よくわかんないけど、歩くのね。わかった」
おおまかなルートが決まった。このまま真っすぐ歩いて、川を越えられる橋に着いたら渡って逆側を歩いてくる、と。
パンフでいえば、"こおろぎ橋"でユーターンする感じかしら。あたしとしては"ゆげ街道"もう一回見てもいいんだけどね。むしろ、この街中をぶらぶら歩くだけでいい気もするわ。
「…ん?ここにも"にゃあにゃあ饅頭"あるのね」
「…にゃあにゃあ饅頭は名物なのにゃー」
「…ぷっ」
「む、無言で笑うのはやめなさいっ!!!」
展望スポットを抜けて歩き始めたら見えた看板。さっきからいろんなお店にある"
「だって知宵がにゃーって…はー可愛い。可愛かったわよー。もう一回やったらどう?」
「…絶対にやらないわ」
「えーもったいない」
「やらないったらやらないわよ」
「と、言いつつも口が滑って…」
「やらにゃいんにゃから……高凪さん!!!」
「あはは!あー楽しい!」
「あなたもそんなところで笑ってないで!…って高凪さんどこまで行っているんですか!」
「…いやー、僕にカメラ渡して全力で走っていったよ」
「ふふ、高凪さん足早かったですねー。筋肉痛にならなければいいんですけど」
「それはどうでもいいので、二人ともあの人呼び戻してください!」
昨日と同じようなやり取りをしつつ、わいわいきゃあきゃあと進んで行く。
高凪さんも懲りない人よね…それに乗る知宵も知宵なんだけど。ほんと"あおさき"の収録は楽しいわ。飽きない飽きない。いくらだってお喋りできるもの。
まだまだ今日の収録も始まったばかり。せっかくの旅行。楽しんでいきましょ。
「…ていうか知宵。なんでいきなりにゃーにゃー言い出したの?」
「…出来心で」
「ふふ…なにそれ、知宵って変なところでらしくないことするわよね。可愛かったけど」
「…褒めても何も出ないわよ」
「お世辞じゃないから、ふふ。ほんとに可愛かったわよ?」
「…そう。…ありがとう。一応お礼を言っておくわ」
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