ユビアツメ

見鳥望/greed green

「指を返してって、わけわかんねえよな」


 最初それを聞いたのは誰からだっただろう。

 最近、急に退職した作業員がいた。これは僕とは違うラインで作業をしている職員からまた聞きで伝わった話だ。

 話によるとその作業員は、夜工場を出て帰宅途中、ふいに後ろから呼びかけられたらしい。なんだと思い振り返ると、そこには男の子がぽつんと立っていたという。


 ――こんな夜中に子供が一人で?


 そう訝しく感じた時、自分が見ているこの子供が現実なのかはたまた別の存在なのか危うくなり、急激に寒気を感じた。


『ユビヲカエシテ』


 どこにでも転がっている怪談の一種のような話だった。

 ここまでならそれで終われただろう。だが、その後この作業員は実際になんらかの理由で指を飛ばし退職してしまったという後味の悪い事実のせいで、僕達はこの話をただの怪談や冗談で済ます事が出来なくなってしまった。


「まいったな。また一人減っちまった」

「洒落になんねえよ。マジでやばいんじゃねえか」


 そんな話を聞いた数日後、すれ違う作業員達のそういう話が耳をかすめていった。


 ――また?


 僕は早速宮部さんに確認しようとすると、僕が口を開く前に、


「やられたらしいわ」


 と一言答えた。それだけで十分だった。


「こりゃちょっとただ事じゃねえだろ」


 「怖いねー」なんて二人目の犠牲者が出るまでおどけて見せていた宮部さんも、さすがに三人目となるとその顔を嫌そうに歪めた。


「一か月だぞ。一か月で三人が指をとばすなんて事普通ねえだろ」


 僕は正直懐疑的な部分があった。何故ならこの話の核となる”指を失う”部分については”何らかの理由”でという言い方で有耶無耶にされている。

 ただ偶然に、相次いで退職せざるを得なくなってしまった。ただそれだけの事ではないのか。

 毎日立ちっぱなしでの同じ作業というのは肉体的にも精神的にも辛いものではある。続けていく不安であったり人間関係であったり、様々な理由でここを離れたいという気持ちになるのは分からなくもない。それがただ連続しただけの事だと、僕はどこかでそう思っていた。


「本当に、皆指をやられてるんですか?」


 気付けばその疑問を僕は口に出していた。どこかで宮部さんが軽くうざそうにその言葉をいなしくれるんじゃないかという期待もあった。


「マジで、ただ事じゃねえかもしれん」


 なのに、宮部さんの口調は今まで聞いたことのない重みと深さを伴った声だった。


「こっそりよ、上に聞いてみたんだ」


 宮部さんは内緒話をするように声を潜めた。

 上とは上司の事だが、器用に人間関係をこなす宮部さんが言う上がどこまでのクラスの事を言っているのかは定かではない。


「どいつも電話口でもうここにはいれない。やめさせてもらうって最初その一点張りだったそうだ。けど何があったんだとずっと問い詰めていくとな、全員同じ事を言ったそうだ」

「……なんて、ですか?」

「指をとられたって」

「……そんな」


 これじゃ本当にオカルトじゃないか。なんてな、っていつもみたいにおどけてくれるのを待ったが、宮部さんの空気は変わらない。

 本当に起きている事なのだ。全員が指をとられた。


「だとしたらこれは事故じゃねえ、事件だ。だから今警察にも連絡をまわして調べてもらう事にしたそうだ。この話に犯人なんてものがいるとしたら、また誰かが指をとられる可能性があるって事だからな」

「……何で僕たちが指をとられないといけないんですか」

「知らねえよ」


 飲み込んだ唾がねっとりと喉に張り付いた。

 気分が、悪い。





 出社すると、いつもなら先に来ている宮部さんの姿が見当たらなかった。

 嫌な予感がした。


「あの、宮部さん……は?」


 近くにいる作業員に話しかけると、困惑した顔を浮かべた。


「いや、見てねえけど。おかしいな。いつもならもう来てるはずなのに」


 その後ろに、「もしかして宮部さんも」という言葉が続きそうな表情だった。

 結局その日、宮部さんは工場に来なかった。



 作業をしながら、頭の中では今回の件の事についてずっと思考を巡らせていた。

 連続して指を失った作業員。夜中に現れた子供と「指を返して」というセリフ。

 宮部さんも、その子供を見たのだろうか。そしてその後――。


 しかし何故子供が出てくるのだろう。この話に子供は一体どう関係しているのか。

 日頃ミステリーやらホラーを読んでいる思考で事を整理してみる。

 そもそもこの子供は、生きているのか、はたまた死んでいる存在なのか。

 これについては自分が見た訳じゃないから分からない。そこに焦点を当てても仕方がないのかもしれない。ただ、どちらにしてもその子供が指を欲しがっているという事実は変わらない。

 何故。何の為に指を求める。


 ユビヲカエシテ。


 返してという事は、誰かに何かに奪われたという事だ。失ったから返して欲しいのだ。

 子供を見たという情報しかないから分からないが、この子供は何らかの理由で自分の指を失ったのだろうか。だから指を探しているのか。

 だがそうなると、一つひっかかる。

 何故この工場の人間の指を奪っていくのか。子供の指だとすれば、この工場で指を失ったという事にならないか。しかしそれは、ありえるだろうか。

 広い工場内と言えど、子供が中に紛れ込んだら誰かは気付く。ましてや子供がここで指を失ったなんて事故が起きればただ事ではない。しかし自分がここで働きだして五年程の間にそんな事があった記憶はない。

 もっと昔に、ここで何かあったのか。


 そう考えるとまたおかしくなる。今回の件はこの一か月のうちに連続して起きている。それまでも工場内で事故はあったが、指を消失するような大事故は全く起きていない。

 過去が関係しているとしたら何故今更になって起きる。


 考えれば考えるほどに分からなくなる。

 この工場には、僕の知らない何かがあるかもしれない。



 宮部さんとは全く連絡がつかない。結局彼はそのまま退職扱いとなってしまった。

 ただの一作業員である自分が全てを紐解くなんて事は出来ないかもしれない。そう思いながらこの件に向き合っているのは、宮部さんが完全に消えてしまったからなのだろう。

 僕みたいな人間にも気さくに接してくれた先輩へのせめてもの恩返しのような。これが恩返しという形にそぐうのかどうかは自分でもよく分からないが。

 その思いでいろいろ調べていると、三十年ほど前にこの工場で作業員が指を切断している事故があった事が分かった。

 田浦良一たうらりょういち。それがその作業員の名前だった。


 何がどこに関係しているかは分からない。

 ただの事故だろう。だが自分のホラー脳がどこかでリンクを感じている。無関係に思えない。いや、思おうとしているのか。何かの糸口にならないかと縋りつきたいだけなのかもしれない。


 ――とにかく、田浦に話を聞いてみよう。


 まともに日頃人間と喋れない自分が、唐突に知らない人間に連絡をとるなどどうかしている。だが、動いていないと心がざわついて仕方がない。宮部さんはもうやられてしまったのだろう。訳も分からず、指を奪われてしまったのだろう。


 “これは事故じゃねえ、事件だ”


 そう言った宮部さんの言葉が頭の中で鳴り続けている。

 これが偶然だとは、僕にも到底思えないから。





「もしもし」


 電話口からしわがれた声が聞こえてきた。

 古株の社員から田浦の連絡先を聞き出した。最初普段口を開かない僕が急に話しかけてきた事への驚きと困惑を見せたが、僕の気持ちが伝わったのか最終的には連絡先を教えてくれた。

 田浦は現在六十後半で、工場での事故の後は清掃員の職に就いていたが今はその仕事も終え、実家の家を引き継ぎそこで静かに一人で暮らしているという。


「あの、二十年程前に、その……事故で指を失くされたかと思うのですが……」


 電話の向こうの田浦は無言のままだった。


「その時の事を、少し聴かせて、もらえませんか?」


 無言は続く。が、こちらとしてもそれ以上どう言葉を続けていいか分からなかったので、田浦の言葉を待つしかなかった。


「何って、機械にばすんと挟まれて、気付いた時には指が粉々になってた。ただそれだけの事だ」


 長い無言の先に出た言葉は、拍子抜けするようなものだった。そこには何の糸口もない終結したもの。

 だが、僕はそれを終結とは感じられなかった。

 それだけの事実を伝えるのに、田浦は何故ここまでの時間がかかったのか。何かあるのではないのか。何か、言いにくい何かが。


「本当に、それだけですか?」


 田浦はすぐに答えず、また沈黙が流れた。疑念が確信に満ち始めていた。

 田浦は何かまだ、言葉にする何かを持っている。ならば、僕は次のカードを切るべきだ。


「今、相次いで工場の職員が指を失う事故が続いています。三人も、一か月のうちに」

「……」

「子供を、見たらしいんです」


 こっ。僕の言葉に反応してか、田浦が一瞬声を漏らした。僕はそこで、田浦に電話をかける前に頭の中で考えていた予想を口に出すことにした。


「田浦さん、指を返してと、子供に言われませんでしたか?」


 何度目かの沈黙。しかし確実に田浦の中でせめいでいるものを僕は感じ取っていた。


「……ユ……ツメ」

「え?」


 微かな声だった。だが田浦は何かを呟いた。

 ユビアツメ。

 僕にはそう聞こえた。



「田浦さん」


 その先に、答えはあるのか。


「教えてもらえませんか、何があったのか」









「ねえ」


 どうすればいい。

 何がどうなってる。

 また、あいつは持って帰ってきてしまった。


 俺のせいなのだろうか。

 俺が指を失わなければ、こんな事にはならなかったのだろうか。


「ほら」


 血塗れの指が、俺の前に広げられている。










 終止符が打てる。宮部さんへの手向けになる。そう思って僕は動き出した。

 しかし、甘かった。これはおそらく、そんな単純なものではない。

 僕に、何が出来るのだろうか。

 そう思いながら僕は、また田浦さんの話を思い出していた。




「俺が指を失ったのは、本当にただの事故だ。というか、俺の不注意だった」


 田浦さんは不眠症で、薬がないと眠れない体質だった。それでも薬に慣れ始めてしまうと効果が薄れ毎日の睡眠時間は通常の人の半分にも満たない事が多くなり始めた。

 そんな眠気を抱えながら作業をしていた所、ふと意識が飛んだ次の瞬間、田浦さんの指に激痛が走った。気付いた時には親指以外の四指がぐちゃぐちゃに潰れていたという。

 指を失った事に絶望し、田浦さんは工場をやめた。労災のおかげで生活資金は得られたので家族を養う事に困る事はなかったが、働かないわけにはいかない。しかしどうにも気持ちが前に向かない。そんな日々が二週間程過ぎた。


 そんなある日、街をぶらぶらと無気力に歩いてると、工場の元同僚とばったり顔を合わせた。久しぶりだなと声をかけられ、そのまま流れで二人で飲み屋に入り話をした。

 最初は田浦の現状を心配する話だったが、しばらくすると同僚は黙り込み、何やら気まずそうな空気を放ち始めた。怪訝に思い田浦さんがどうしたのかと尋ねると、


“あの後、他にも三人指を飛ばしたんだよ”


 田浦さんは耳を疑った。


「わずか二週間で、三人だぞ。ありえない」


 田浦さんは僕に向かってそう言った。その顔は恐怖に満ちていた。

 指を失くした三人。しかし、その詳しい内容は同僚も知らないようだった。ただ、同僚は腑に落ちない顔でこう話したという。


“子供に指を返してって、言われたらしい”


 同じだ。今僕の周りで起きている事と、全て同じだ。

 繰り返されているのだ。三十年前と同じ惨状が。

 だが、何故――。

 頭を何度捻ろうと分からない事象に悩んでいると、


「……あんたが来たのも、何かの巡り合わせか」


 ぽつりと、田浦さんがそう呟いた。

 僕は顔を上げ、田浦さんを見た。腹の底に押し殺した何かを吐き出す事への抵抗か、表情は苦し気だった。出してはならない。でも今すぐにでも吐き出したいというジレンマに駆られているようだった。


「教えてください。口外はしません」


そう手を差し伸べると、田浦さんの表情が少しだけ和らいだ。


「実は……」





 暗い夜道をとぼとぼ歩きながら、田浦の話を逡巡する。あの話が本当だとすれば、今回の件もきっかけは同じだ。

 理由は分からないが、そこから始まっているのだ。この無差別な指集めは。


 ぞくり。


 ふいに背中に怖気がはしった。


「ねえ」


 次に言葉が背中を這った。


 ――まさか、そんな……。


 僕はゆっくりと、おそるおそる振り返る。


「ユビヲ、カエシテ」


 視線の先には、表情のない男の子が一人、夜の中に立っていた。

 その手には、ギラリと光る大きなはさみのようなモノが握られていた。


 皆この子を見たんだ。この子に、指をとられたんだ。

 足が、動かない。自分よりも遥かに小さく非力な子供のはずなのに、完全に僕は気圧されている。

 意識がぐらぐらし始めた。世界が湾曲していくかのように、道や建物がぐにゃぐにゃとねじ曲がっていく。なのに、目の前にいる男の子だけはしっかりと、歪むことなくこちらに近づいてくる姿が見えていた。


 ――あれ……。


 僕は目を逸らす事も出来ず、男の子の顔をずっと見ていた。


 ――この子の顔……どこかで……。


 なんだ。誰だ。

 僕は直感している。

 知ってる。僕はこの子を知っている。


 ――ああ、やっぱり同じなんだ。


 僕は田浦さんの話をまた思い出した。

 きっかけも、流れも、やはり同じだ。

 三十年前、三人の作業員が続けて指を失った事件。


“実はな”


 田浦さんが語った三十年前の真実。

 田浦さんには息子がいた。当時まだ八歳程度の幼く可愛い男の子だったという。


“夜、ふらっといなくなった日があったんだ”


「ユビヲカエシテ」


 目の前の男の子は、どう見ても幽霊の類には見えない。

 実在している。生きている。


“帰ってきたと思ったら、血塗れの手を俺に向けて広げて見せたんだ”


「ユビヲ、カエシテ」


 意識が遠のいていく。このまま僕も、指を、とら、れ。


“指を集めてきたよ”


 しばらくして、田浦さんの息子は行方不明となった。結局その後見つかる事はなかったという。


“ユビアツメだ。あれは”


 視界が暗くなっていく。


 ――ああ、やっぱりそうだ。


 僕は男の子の顔から、ある男の面影を感じ取った。

 三十年前のきっかけが田浦さんなら、今回のきっかけはその男だ。


 八代やしろ。確かそんな名前だ。

 一か月前に工場内で指を飛ばした作業員の男。その後だ。立て続けに今回の件が起きたのは。


 八代が飛ばした指の数は何本だ。

 二人目、三人目、宮部さん。そして――。


 ――そうか、四本か。


 なら、僕で終わりだ。

 ユビアツメの犠牲者はもう出る事はない。

 誰かがまた事故で、工場内で指を飛ばさない限り。







「お父さん」


 完璧に残ったのは親指だけだった。それ以外の指は元の長さや形を失い歪に残っている。


「これで、全部だね」


 目の前の息子、八代慶太郎は、姿形は間違いなく息子だ。

 だが、中身は違う。無表情に血塗れの指をこちらに向ける何者かが、俺の息子であるわけがない。

 何故こんな残虐な事を。そしてどうやって、指を集めて来たのか。


 初めて切り取られた指を見せられた日から、慶太郎の動向には注意していた。

 妻は慶太郎を産んですぐに他界していた。日中は仕事の為慶太郎をずっと見張る事は出来なかった。だからせめて仕事から帰った夜は、慶太郎から注意を逸らさないように気を張り続けた。しかし、普段の慶太郎は理想的な明るく優しい息子だった。あの瞬間、指を見せた時とは全く違う。あの状態になった息子を確認しなくてはならない。


 ある夜、ふらりと家を出ていく慶太郎を見て、私はこっそり後を追いかけよとした。

 しかし、慶太郎が出てすぐに自分も外に出たはずなのに、息子の姿はどこにもなかった。

一体どこに。そう思いながら結局何も出来ず家で待っていると、やがて慶太郎はまた指を持ち帰ってきた。

 指を渡すときの慶太郎は、全くの無表情で、血が一切通っていないかのように真っ白な顔をしていた。


 ――誰だ、こいつ。


 しかし一晩明けると、慶太郎は元の明るい息子に戻った。


 ――まさか、本当なのか。


“ユビアツメってのが、いるらしいよ”


 出来損ないの怪談話だ。

 昔々、あの工場がまだ小さかった頃に一人の男が作業中に指を飛ばした。

 男はそれが原因で仕事をやめた。男には家庭があった。妻と小さい男の子。

 時代のせいもあったのか。指を失くした男は奇形と蔑まれ、新たな職にありつく事が出来ず、家族を養う事が出来なくなった。


「お父さんの指さえあれば、良かったのに」


 息子の言葉で男は限界を超えた。二人を殺し、自らの命も経った。そんな事があったらしい。

 それ以降、工場で指を飛ばした作業員が出ると、死んでしまった男の子の魂が蘇るという。そして、その職員に男の子供がいた場合その子に取りつき、父親の指を集めようとすると。


 馬鹿げているし、無茶苦茶だ。粗ばかりの成立していない怪談話だ。俺はそれを聞いた時思い切り笑い飛ばしたものだ。

 だが、今の俺の状況はどうだ。まさにその怪談通りじゃないか。


「良かったね、お父さん」


 とうとう俺が失った四本の指はそろった。

 ユビアツメの使命は終わった。

 これで息子は帰ってくる。息子は解放される。

そう信じたい。


 後はもう、誰もあの工場で指をとばなさい事を祈るばかりだ。


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