第11話
翌朝。少し奥まったところにある彼の家に光が差し込むことはなく、鳥の声でぬるりと目が覚めた。青年にとってはいつもの朝である。
「あら、おはよう?自分の家だと早いのね」
残っていた食材をうまく活かしたのだろう朝食が、片付いたテーブルの上に並んでいた。昨晩の言い合いで、見事青年を言い負かして彼のベッドを占領した吸血鬼が、何処から持ってきたのか解らないエプロンを付けて、まるで新妻のように笑顔で彼を見ていた。
「・・・気色が悪いな」
「こんなに尽くしてる女性を見て第一声がそれって、ちょっとありえないわよ?」
「自分で言うな、化け物」
ソファで寝ていたせいか、少し体の節々が痛い部分があるが、疲れたときによくやってしまっているせいで違和感はなかった。
寝ぼけ眼で部屋の中を見渡すと、昨日までの様子はどこへやら、見事にきれいに片づけられていた。
「・・・人様のベッド奪っておいて寝なかったのか」
「寝たわよ?朝少しだけ早く起きて少し片しただけ。床も汚いから磨きたいわね」
「・・・勝手にしろ」
彼女に掃除をされること自体は別に問題はない。片された書類がどこに行ったのかが青年は少し気になったが、それも些細なことだとすぐ切り捨てる。彼にとっては「やるな」「触るな」と言った後の押し問答のほうが数倍面倒くさかったのだ。
「食べるでしょう?ここにあった食材だけを使ったんだもの」
―――なぜいちいちそんな嫌味な言い方をしてくるのか
青年は不機嫌になり顔をしかめた。吸血鬼の用意したものなど…と言った彼の言葉を彼女はわりと根に持っているのだろう。「女性と接するときはあまり根に持たれないように気を付けろ」と誰かが言っていた気がしたが、この吸血鬼も曲がりなりにも女性だったと言うことか、とばれたら怒られそうな感想を青年は抱く。
「仕方ないな」
「ふふ、誰かのためにご飯を作れるのは嬉しいわ」
うっとりとした顔で、ご飯のほうに向きなおった青年の顔を見る吸血鬼は、はたから見れば恋する少女同然だっただろう。恋人に初めて弁当を作ってあげたような、そしてそれを食べてくれるのを心待ちにしているような、そんな表情をしていた。けれども青年にそれが伝わるはずがなかった。
「飯がまずくなるから見るな」
「もうちょっと可愛いことは言えないのかしら?」
「俺が可愛く見えたら末期だろ」
「それは否定しないわ。でもほら、『おいしい』とか『うまい』とか」
言われてから、作ってもらったという事実を青年は思い出す。勝手に吸血鬼が作ったとも言えるので義理はないが、食べたからには味の感想を言うのも大切だろう。とはいえそんなのを青年が言ったことがあるはずもなく。
「・・・食える」
「最低限の感想ね」
不器用すぎる感想に、吸血鬼は思わず笑いだした。笑われた青年は若干不快そうな顔をしたものの、その原因は解っているようで大きく口を開けてばくりと大げさにほおばる。良く噛んでから、置かれていたミルクと一緒に胃に流し込んだ。
「仕方ないだろう、慣れてないんだ」
「でしょうね」
「馬鹿にしているな?」
「何でもかんでも馬鹿にされていると思う卑屈さは直した方がいいわね」
なんだかんだ言って普段特に口うるさく言わない吸血鬼にそう言われ、青年はそんなに卑屈だったかと少し傷付いた。
食事が終わると、青年は荷物をまとめ出した。
「あら、どこ行くの?」
「買い出しだ。お前がいるのに長居をする気はないが、俺の食料は持って行かんとお前のところで俺のほうが先に餓死する」
「死んだら食べてあげるわ」
「そんな化け物らしい発言、誰も望んでなどいないがな」
吸血鬼が昨日一日被っていたフードを、ぽいっと乱暴に青年が投げる。受け取る準備などしていなかった吸血鬼は、それを見事に顔面でキャッチしてしまった。
「ちょっと、女の子の顔に上着を投げるとかどういう感性よ」
「人を食うとほざいた化け物が何を言う」
「ほら、髪に引っかかっちゃったじゃない」
コートのボタンの部分に、吸血鬼の白く細い髪の毛が絡みついており、吸血鬼自身では外せないほどになっていた。青年はすこぶる面倒くさそうな顔をしてみたが、吸血鬼をそれで説得できるわけがなく、怒られるだけに終わってしまう。
青年は太く武骨な指を何とか使い、吸血鬼の髪をボタンから外そうとするが、弄れば弄るほど絡まっていくような気がしてしまい、一向に外れる気配はなかった。「これはもう仕方ない」と判断し、彼が足に装備していた短刀に手を伸ばすと、いち早く吸血鬼が察知した。
「え、切らないでよ?」
「気にするな。髪などいくらでも伸びるものだ」
「何言ってるのよ!髪は女の命って言うでしょう?!」
「どうせ俺に殺される命なんだろう?髪のほうが早いか否かの違いだ」
「もし切ったら私はここで悲鳴を上げるわよ?」
その言葉に青年の手が止まった。もし、ここで彼女が大声を上げたなら。起こりうる事態が青年の頭ですぐさまに計算される。
まずは青年が彼女を連れ込んだと噂になるだろう。いい意味でも悪い意味でも近所付き合いと言うのは逃れられない代物で、青年に女っ気がないことはある程度有名だった。近所から嫁候補などと映像などを見せられることも多かったくらいにはみんなから関心が寄せられていた。もちろん、だからと言って彼女を連れ込んだことを悪く言われることはないだろう。だが、それもそれで嫌なのだ。「とうとう女に興味を持ち始めた」などとみんなから冷やかされることは間違いない。
またもしそれを回避できたとして、しかし今度は彼女の存在が露見する。ともすれば彼女を隠し通すことは難しくなり、結果として彼女が吸血鬼だとばれるリスクが高くなる。もしバレれば彼はこの街には戻ってこれなくなり、最悪裏切者のレッテルを貼られ追われる身となるだろう。そうでなくても、先日見かけたような「吸血鬼飼い」という貴族的な豪遊に手を出したミーハーのように思われる可能性もあり、それもそれで青年の毛嫌いするところだった。
どうしてこうも自分の弱点を即座に見つけるのか。そう憎たらしく思いながら、青年は短刀を仕舞って、再びボタンとの戦いに挑んだ。
そのやり取りから十五分後、ようやく彼女の髪とボタンから青年は開放された。彼は大きく伸びをして細かい作業を続けて疲弊した身体を労わる。
「お疲れ様、ダーリン」
そういって吸血鬼は目の前に立っていた青年に抱き着いた。青年が「この化け物が」と苛立ちを見せたのは言うまでもないだろう。しかもこう拘束してくるということは。
「・・・もとより置いていくつもりはないから安心しろ」
「あら、私の事自慢したいのかしら?いいわよ、首輪する?」
「お前みたいなのを自宅に置いて安心できるほどは図太くないんでな」
「心の狭い男は嫌われるわよ」
「人間相手ならこんな警戒心はいらないんだがな」
抱き着いたまま顔だけ上を向いていた吸血鬼の鼻の頭に、青年は容赦なくデコピンをした。その痛さに吸血鬼は「うぅ」と唸ったが、青年の服に顔をうずめただけで意地でも離れない。元々は置いていかれることを防ぐためだったのだろうが、今やただの青年との我慢合戦のために吸血鬼はくっついており、青年もそれに気付いていた。
「離れろ、歩くのに支障をきたす」
「いやよ。また置いていかれるもの」
「置いていかないって言ってるだろう」
「昨日置いていったくせに」
青年にとって痛いところを、吸血鬼がまた突いてきた。この性格は本当に可愛くないし憎たらしい。まあ、ハンターと吸血鬼という関係において、相手を「殺したい」と思う関係ならある意味理想的ではあるのだが。
「・・・迎えに行っただろう」
「そうだわ!じゃあ手をつなぎましょう」
「保護者か」
「そこは『恋人か』って言ってほしかったわね」
青年の承諾もなく、吸血鬼は青年の手を両手でぎゅっと握った。そして街では決して見せられない、上の歯に並んだ牙をしっかりと見せて嬉しそうに笑う。
「ほら、しっかり掴んで?私は逃げてしまうわよ」
「逃げたきゃ逃げろ。俺以外にもハンターはたくさんいるぞ」
「約束したでしょう?私を殺すのはあなたよ」
まだ空気の冷える、燦々と輝く太陽の下、無邪気に笑う女性とそんな彼女と手をつなぐ男性。この二人がこんなに物騒な会話をしているとは誰が想像しただろうか。
これ以上話を続けても意味がないと悟った青年は、大きく舌打ちをすると彼女の手を握り返す。首輪云々に比べれば百倍マシだと、青年が自分に言い聞かせた結果の行動だったのは、吸血鬼には完全にばれていた。
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