第9話 汚名を被った猫

「あれ、細目。珍しいわね」

 ノーテンキで病気知らずな事で有名な細目が、珍しく店を訪れた。

「よお、狸。アレが勲章か……」

 店の奥に飾ってあるピンクのリボン。この前の仕事でもらった首輪だ。

「まぁね。でも、わざわざあれを見物しにきたわけじゃないでしょ?」

 病院、薬嫌いで知られる細目だ。それだけで、わざわざ来るとは思えない。

「もちろん。実は友人の「チビ」は知っているよね?」

 細目の友人チビ。小さいからチビ。分かりやすい。

 細目とはアメリカンショートヘア繋がりで、知り合いの女の子だ。

「ええ、知ってるけど、どうしたの?」

「うん、最近食べても戻しちゃうみたいでさ。食欲旺盛だし、元気だから大丈夫だとは思うんだけど、まあ、心配って言えば心配でねぇ」

 ……なるほど。

「分かった。だけど、本人が来てくれないと、こっちは何も出来ないのよ」

 患者さんの個人的な事に触れるため、緊急事態を除いてそういう決まりになっているのだ。

「そっかぁ、さっそく言ってみるよ。ちょっと行ってくる……」

 いつもの調子で言って、細目は店から出ていった。

「もしかして、あの細目に春かしらねぇ……」

 おおよそ、他人に感心がなさそうなあやつが、妙に気にしているのだ。邪推の一つもしようというものだ。

「さてと、珍しく暇だし、研究研究……」

 私は店の奥に籠もり、書物を開いた。

「おや、勉強かね。感心感心」

 入り口から聞こえた声に、私は書物から顔を上げた。

「あれ、『教授』。どうしたんですか?」

 足が短いマンチカン。正面から見た顔がまるでどこぞの教授のようなので、この愛称がついた。別に特段頭がいいわけではない。黒をベースにしたサビ柄が印象的だ。

「うむ、最近疲れが抜けなくてな。なにか滋養強壮の薬が欲しいのだが……」

 ふむ、それなら作り置きがある。

「とりあえず、これなど……」

 店頭の瓶に入れてある液薬をカップに注ぎ、教授に手渡す。

 滋養強壮薬スーパー 30GCなり。

「おお、これは!!」

 どうやら、満足して頂けたようである。

「さすがだよ。これで明日からまた働ける!!」

 代金を受け取り、ご満悦の教授を見送る私。これもまた、薬師の仕事だ。

 その後お客さんも来なく、ひたすら読書をしていると、細目がチビを連れてやってきた。

「連れてきたよー」

「あ、あの……」

 細目の後ろに隠れるようにして、オドオドしているチビ。彼女はいつもこんな感じだ。

「話しは細目から聞いているわ。ちょっとそこのベッドに横になってくれる?」

「は、はい」

 横になったチビの体を魔法で探っていく。うむ。

「特に異常はないみたいだけど、念のため病院で診て貰った方がいいわね」

 私はサラサラと紹介状を書き、チビに手渡した。これが、思いも寄らぬトラブルに発展するとは、さすがに予想もしていなかった。


 医者から戻ってきたチビの手には、処方箋があった。

 内容は簡単な胃腸薬。何の問題もないし、薬学生でも作れる簡単なもの。

 ちゃちゃっと薬を作ってチビに渡したその夜、事件は起こった。

 閉店後に片付けをしていると、店のドアが激しくノックされた

「な、何事?」

 慌ててドアを開けると、そこには険しい顔をした警備隊員の姿があった。

「この薬は、ここで調剤されたもので間違いないね?」

 見間違えようがない。この店の袋だチビと書かれている。

「ええ、そうですが……」

 わけが分からず、私は素直に答えた。

「少し話しを聞かせてもらいたい。同行願う」

 願うと言いながらも有無を言わせない口調。それが少し頭にきたが、怒っても意味がないのでやめておく。

 特にやましいことがあるでもなし。私は素直に応じて警備隊詰め所の取り調べ室に通された。

「まず、これを見て欲しい」

 取り調べの警備隊員が取り出したのは、この「街」に何件かある同業者が発行した検査所見だった。

「なんですか、これ?」

 そこの内容は信じがたいもの。昼間チビに調剤した薬に、トリクラーキシンという毒が混入していたというものだった。

「まあ、俺もお前さんの腕は知っているし、あり得ないとは思っているんだが……。薬を飲んでしばらくしてから、激しく嘔吐したらしくてな。いま、チビは病院で検査を受けている」

「もしトリクラーキシンなら、嘔吐では済まないですよ。今頃死んでいます」

 何しろ猛毒である。そんなもの、あの店で作った事はない。

「その所見を出した薬師の話しでは、トリクラーネと間違えたんじゃないかとか、なんとか」

「あり得ません。このボンクラに言ってやってください」

 所見を出した薬師は、腕がないのに態度だけはでかいと、大変不評の馬鹿である。こういう手で業務妨害に出たか……。

「失礼します。病院での検査結果来ました」

 取り調べ室に別の隊員が入ってきて、検査表を置いていった。

「……参ったな。これは」

 検査をしたのは、あのボンクラの父親が経営している病院。検査結果には、確かに致死量以下の、極微量なトリクラーキシンが検出されたという所見。

「悪いな。こっちも仕事でね。こうなると、お前さんの店を調べないといけなくなった」

 ……ただの業務妨害で済まなくなったわね。

「あなたたちの仕事は分かっているわ。好きなだけ調べてちょうだい。鍵はこれ」

 店の鍵を手渡し、私は晴れて留置場送りとなったのだった。


 二週間後、徹底的な家宅捜査が行われたが、毒物が作られた痕跡は一切見つからなかった、当たり前だ、作っていないのだから。私は嫌疑不十分として釈放され、一転して、疑いはあのボンクラとその父親に向けられ、現在捜査中である。

 しかし、私はほぼ決めていた。この「街」を離れる事を。

 ひっそりと荷造り作業を進めていると、さすがに変に頭がキレる細目が現れた。

「やっぱりね。そんなところだろうと思っていたよ」

「お見事。と言っておくわ。こっそり消えるつもりだったのに……」

 猫は死なず。ただ消え去るのみ……って、違うか。

「なんで、狸が逃げるのさ。あのボンボンとオヤジがグルになって、悪さしたのは明白じゃん」

 そこにいつものノーテンキさはない。珍しい。

「あのね、こういうのは信用問題なの。濡れ衣とはいえ、毒薬を作ったって言われた薬師の薬を安心して飲める? 警備隊の家宅捜索まで入っているのよ。真実なんてどうでもいいっていうのが普通、もう、ここじゃ商売出来ないわよ」

 猫の苦笑なんて、見たことないでしょ?

「それは納得出来ないなぁ。なにもやましいことはしていないんだし、ドンと構えているべきだと思うよ。逃げたらやっぱり……ってなっちゃう。逃げ出すのは、あのボンボン一味の方だよ」

 ……まあ、正論なのだが。

「これでも?」

 私は今朝の新聞を細目に見せた。その細い目がまん丸になる。


『毒殺未遂薬師釈放へ 当局の捜査方針に疑問の声』


「一面トップよ。ざまあみろってね」

 私は中断していた荷造りを再開した。

「……酷いね。これは」

 細目がポツリとつぶやいた。

「こんなもんだって。一度悪評が立てば、拭うのは容易じゃない……いや、限りなく不可能に近い難しいかな。そんなわけで、これ以上面倒事になる前に、さっさとトンズラしようってわけ。今まで世話になったわね」

 最後の荷物がまとまった。あとは、馬車に積み込んで逃げるだけだ。

「まあ、そう焦るな。俺がなんとか……」

「やめなさい。あなたまで巻き込まれるわよ」

 細目になにか出来るとは思えない。余計に面倒になるだけだ。

「俺は君に、チビを引き合わせた貸しがあるからね。そう慌てなさんな」

 細目はそう言い残して、店から出ていった。悪いが、細目を待つつもりはない。

 私はせっせと荷物を馬車に積み、がらんどうになった店内を一瞥してから、ドアを閉めて鍵を掛けた。もちろん、あの「記念品」も持ち出した。人間の街に行くのもいいかもしれない。まあ、セリカはいないだろうが……。

 「街」から出る時、いつもは陽気な連中が、ちらっと一瞥しただけで無言だった。もし、引き返そうとしたら止められるだろう。世の中そんなもんだ。

 これが、「街」との決別だった。もう二度と帰る事はないだろう。

「さてと、どうするかな……」

 特に当てがあるわけではない。人間の街に行ったら薬師の資格は紙くずだ。ただの猫になった私に何がある?

 悪事千里を走るというが、近隣の村や街にもこの種の情報は伝わっているはずなので、まともに入る事すら出来ないだろう。

「一応、人間の街に寄ってセリカに挨拶してから、適当に流れますか。彼女がいなかったらしれでよし。猫っぽくていいしね」

 本来、縄張りから出たがらないのが猫。しかし、そこにいられなくなったら、新たに縄張りを作るまで。

 ガタガタと馬車を進めるそのうちに、人間の街が見えてきた。確か、スパローといったかな。そんな名前が付いていたはずだ。

「ほぉ、こりゃ珍しい」

「引っ越しなら通行税は要らないぜ。住人になるわけだからな」

 街の門番に声を掛けられ、私はホッとした。

 少なくとも、猫界の「悪評」は人間には届いていないらしい。

「いえ、旅の途中でして、通行税はお支払いします」

 所定の金額を支払い街の中へ。結構な盛況ぶりで、なかなか移動するのに骨が折れる。

 セリカの家はすぐに分かった。大きな商家でいかにも繁盛していそうだった、

 倉庫で荷運びをしていた従業員に声を掛け、取り次ぎに取り次ぎを重ねて両親に会う機会を得た。

 豪華ではあるが落ち着いた応接室で待っていると、恰幅のいいオッチャンと、どこかしらセリカを思わせる女性が入ってきた。

「なるほど、君が話しに聞いた薬師殿か」

 オッチャンの方が声を掛けてきた。まあ、普通に考えて父親だろう。

「その節は、セリカが大変お世話になりました」

 恐らく母親であろう女性が丁寧に頭を下げた。

「いえいえ、私は特になにも……」

 思わず謙遜してしまう私。

「セリカなら冒険者斡旋所に行っている。もう少しで戻ると思うから、時間が許すのなら待っているといい」

 お父様は応接室から出て行った。これだけ大きな商家だ、忙しいのだろう。お母様雑談を交わず事しばし。セリカが帰ってきた。

「えっ、カレン様!?」

 セリカが声を上げるのと同時に、お母様がさりげなく応接室から出ていった。

「どうなさったのですか?」

「いや、まあ、つまらない話しなんだけどさ……」

 私は事の顛末を話した。

「とまあ、そんなわけで、どこか遠くにまた根を下ろそうと思っているから、今日はその挨拶。多分、この界隈には二度と戻ってこないから」

 私は冷えた紅茶をそっと一口。

「……納得できません。なぜ、カレン様が追い出されないといけないのですか?」

「それだけ信用回復って難しいのよ。信用出来ない薬屋の薬なんて、飲みたいって思わないでしょ? 新聞でまで叩かれてさ」

 やれやれとジェスチャーで示す。

「……悔しいですね」

「そうね、数年掛けて積み上げてきたものが、瞬時に崩壊。濡れ衣だってすぐ分かるだろうけど、ここまでケチが付いたらもうダメね」

 全く、ため息の一つでも出ようとでもいうものだ。

「さて、セリカの顔も見たし、これで思い残す事はないわ。またどこかで会えたら会いましょう」

「……」

 それは、速かった。

 油断していた事もあったが、それを差し引いてもセリカの動きは、猫の目ですら捕捉出来なかった。

「こ、こら、そこを持つな!!」

 猫には最大のウィークポイントがある。それは首の後ろ。ここを掴まれると、どんな荒くれでもピタリと黙ってしまう。子猫時代の名残だ。

「……失礼します」

 そのまま私をブランとぶら下げると……完全に家具に同化していて気づかなかった。セリカは私を小型のケージに放り込み、素早くドアを閉じた。

「こら、なんのつもりよ!!」

 そりゃもう怒鳴りもしますよ。ええ……・

「申し訳ありません。私もこんな事はしたくないのですが、今のカレン様は、頭に血が上りすぎて、正常な判断が出来なくなっています。落ち着くまでそこで頭を冷やして下さい」

「よけい噴火するわ!!」

 なに考えているんだ!!

「では、私はこれで……」

「こら、待て!!」

 こうして、しばしの軟禁生活が始まったのだった。

 ……私、なんか悪い事した?

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