第7話 スニーキングな猫(第三階層)
第三階層
「……」
「……」
ただ今魔物が通過中。ただ今魔物が通過中……。
「ふぅ、行ったか……」
なんかよく分からない形をした物体は、私たちに感づく事なく無事に通過していった。
「この香油凄いですね」
私たちが頭からかぶってベタベタなのは、「ステルス君Ver1.02(特許出願中)」だ。
迷宮内の魔物は、基本的に聴覚や嗅覚、または熱で存在を感知する。闇の中なので、視覚は退化してしまっているのだ。
そこで、それを遮断してしまえばいい。この香油にはそういう効果がある。一定以上の音を立てたり動かなければ、まず気づかれないだろう。
「このベタベタが改善点なのよねぇ。サラサラにしちゃうと落ちちゃうし、悩ましいところなんだけど……」
これが落ちないのだ。お風呂で洗ってもまだベタベタする。そういうように作ってはあるんだけど、これは要改善なのだ。
「それにしても、魔物が多いですね。構造は簡単なのに、全然進めません」
セリカが大きく息をついた。
「そうねぇ。こればかりは……」
階段を降りてから、まだ500メートルも進んでいないだろう。魔物が多すぎるのだ。
戦闘は最悪の手段。やり過ごす事に専念するという指針の下で行動しているので、魔物が来る度に立ち止まって通過待ちを繰り返す。全然進めないのは必定だった。
「全く、そっと忍び寄って、一撃必殺は猫の基本なんだけどね」
ある意味、猫的な動きではある。名ハンターなのは女の子。野郎はボンクラというのは、有名な話しである。
「昔から夢があって、猫さんにハンティングされたいです!!」
意味が分からん。どうしたセリカよ。緊張で壊れたか?
「と、とにかく、行くわよ」
「はい」
これ以上セリカが壊れないうちに、私はなるべく先を急いだ。
数体の魔物をやり過ごし、ちょうど良く壁に出来た窪地の数少ない大休止場に入ると、すかさずセリカが入り口に結界を張った。
「はぁ、疲れた……」
大した距離は歩いていないが、なにか、無駄に爪研ぎしたくなるような緊張感である。
「なるほど、やはり猫さんは緊張すると毛繕いをするんですね」
「ああっ!?」
しまった、無意識に。
「ききき、緊張なんて、していないわよ。ホホホ」
私だってそれなりに緊張はする。うん。
「取りあえず、休みましょう。マッサージでもしましょうか?」
猫マッサージか。使い手は少ない。
「大丈夫。こうやって伸びして……いててて」
あー、変な力が入っていたみたいね。そこら中がバリバリだ。
「あの、一つ気になっていたのですが……。カレン様もゴロゴロ言うのですか?」
「えっ、それは言うわよ。だって、猫だもの」
なにをまた小っ恥ずかしい事を……。
「ずっと気になっていたのです。どこであの音を?」
……そ、それは。
「猫界のトップシークレットなの。言ったら消されるわ。秘密」
世の中には、知らない方がいいこともあるのだよ。
「ううう、カレン様の意地悪!!」
「全猫を敵に回したくなかったら、やめておいた方がいいわよ。代わりに、猫が強い匂いを感じたときに口をぱかって開ける理由を教えるわ。あれはね、『うわ、くっさ!!』じゃなくて、口の奥にあるヤコブソン器官ってあるんだけど、そこで匂いを分析しているの。まあ、どう見ても『くっさ!!』にしか見えないけどね」
あれはそういう理由である。まあ、実際臭い場合が多いので、勘違いされても仕方ない。
「なるほど、あれはそういう事だったのですね。一つ勉強になりました!!」
よし、逸れた。危ない危ない。
「ところで、カレン様がゴロゴロ言うときは、どんな……」
「秘密!!」
言えるか、恥ずかしい!!
「なるほど、では九匹に鍛えられたこの技で…/…」
「うにゃぁぁぁ、シャー!!」
かくも、大休止の時間は過ぎていく。
なぜ、人はゴロゴロ言わせたがるのだろうか……。
「ふぅ、こりゃ参ったわね……」
小声でセリカに言う。
「ここは、戦うしかないでしょうか……」
腰の剣に手をかけようとしたセリカを、身振りで止めた。
通路のど真ん中には、どう説明していいか分からない、グロテスクな外見をした魔物が鎮座している。動いてくれそうにはない。
ならば、動かしてやるか……。
私はそっと馬車に乗り、中からフラスコを一つ取り出した。それを、背後に向かって思い切りぶん投げる。
爆音と閃光が巻き起こるが、殺傷能力はない子供だましだ。しかし、それに魔物は引っかかった。
ズリズリと重そうな音を立て、目の前スレスレを通り過ぎるとそのままどこかにいってしまった。
「よし、今のうち!!」
「はい!!」
音を立てずになるべく急ぎ、私たちは奥へと進んだ。魔物の数はさらに多くなり、いよいよ回避が困難になってきたが、戦う気は毛頭ない。根気強く進むだけだ。
二回目の大休止の時、私とセリカはもはや会話する気力もなかった。
あー、キッツい……。
床にひっくり返って腹出しなんて、普通は絶対にやらない。ふと見ると、セリカも似たようなものだった。
「セリカ、生きてる?」
「はい、かろうじて」
会話はそれだけだった。私はダラーンと思い切り脱力した。ラグドールは大型の部類に入る。本気で伸びたら、それなり大きい。
しばらくして落ち着くと、先に動いたのはセリカだった。
「こういうときは、なにか美味しいものを……」
シンドイだろうに、セリカは調理を始めた。結界で匂い漏れの心配はないが……。
「無理しないで……」
私の声など聞こえないかのように、一心に調理を続けるセリカ。やがて完成した料理は、相変わらずのクオリティだった。
美味しい料理を食べると、不思議と心に余裕が出てくる。どんな薬や魔法薬より効果は覿面に現れた。
「ふぅ、これ店で出せるレベルよ。勿体ない……」
迷宮で食べるには贅沢過ぎる。勿体ない。
「いえいえ、私など素人の趣味です。食後のお酒でもいかがですか?」
へぇ、セリカからお酒を勧めてくるとは珍しい。ここは乗っておくか。
「こんな場所だから、ほどほどにね」
一応釘を刺しておいてから、彼女がポケットから取りだした酒瓶を受け取った。
「ほう、ブランデーねぇ。飲んだ事ないから、よく分からないなぁ」
見るからに高級酒だが、よく分からん。
「ワインを蒸留して寝かせたお酒です。エハスグリーン・ドゴール エクストラ。百年物ですよ」
「ひゃ、ひゃく!?」
気の遠くなる話しである。後で聞いた話しによれば「エクストラ」と名乗れるのは、七十年以上寝かせたもののようで、いやはや……。
ということは……。
「これ、かなり高いでしょ?」
そんなビンテージ、安いわけがない、そのくらいの常識はある。
「分かりません。実家の酒蔵に転がっていたので……」
どんな家だ!!
「まあ、いいわ。もっと安酒でいいわよって、栓開けちゃったし……」
セリカは馴れた手つきて、お酒を変わった形のグラスに注ぎ、一つを私に手渡した。
「では、ささやかに乾杯」
「乾杯」
すでにこの時点で濃厚に香っていたが、口に含むと……これはこれは。
「猫に飲ますにゃ勿体ないってね。あはは」
いやはや、いい経験である。
「いえ、カレン様だから出したのですよ。ささやかなお礼です」
「あらま。でも、お礼には早いわよ。帰るまでが遠足だから」
私は貧乏くさくチビチビお酒を飲みながら、私はそっと釘を刺した。
「はい、分かっています。ですが、今は飲みましょう」
かなり強いお酒だ。早くもテンションが上がり始めたセリカだったが、それは自覚しているようで、そこで自らはお酒をストップした。代わりに、これでもかというくらい、私にお酒を注いでくる。こら、猫を酔わせてどうする気だ。
「ところで、猫さんっておへそあるんですか?」
セリカが、いきなり変な質問をぶっ込んで来た。
「もちろんあるわよ。ただ、すぐに体内に入っちゃうから分からないだけ。たまに出べそになっちゃう子もいるけどね」
注がれるままにお酒を飲んでいたら、さすがにキツくなってきた。
「もうお酒いいわよ。お腹がタポタポ……」
いかなお酒に強いとは言っても、限界がある。これ以上はまずい。
「はい、分かりました」
素直にセリカがボトルを引っ込め、チェイサーの水まで用意してくれる。なかなか気が利く。
「ごめん。ちょっと寝るわ。なにか、疲れが一気に……」
雇い主より先に寝るなど言語道断だが、この眠気は耐えがたい。
「分かりました。地べたでは申し訳ないのでここに……」
有無を言わさず首根っこ引っつかまれ、下ろされたのはセリカの膝の上。
ちょっと待て、それじゃまるで猫……いや、猫だけどさ。
「カレン様、ゴロゴロ言っていますよ。ヤバいくらい可愛いです!!」
にゃに!?
これ、自分で制御出来ないのよね。ご機嫌様が良くなると勝手に……。子猫時代の恥ずかしい名残だ。
「このままお持ち帰りしてもよろしいですか?」
「ダメ……おやすみ」
私は目を閉じ、ゆっくりと睡眠を楽しんだのだった。
ふと起きると、私を抱きかかえた状態でセリカも寝ていた。
……いけね。寝過ぎた。
そっと起きだし、まずは周辺の監視。結界は無事だし、他に誰もいない。
セリカを起こすのも忍びないので、私はそっとその場に伏せた。最大級の警戒態勢。これなら、即応可能である。
時折、結界の外をズルズルと魔物が通り過ぎて行く音が聞こえるが、気づかれた様子はない。全く、生きた心地もしない。
「あれ、起きてしまいましたか……?」
眠そうなセリカの声が聞こえた。
「おっ、起きた起きた」
私は彼女に近寄った。
「だいぶ寝てしまったようです。猫さん好きとして、痛恨の極みとしか……」
本気で悔しそうなセリカだが、何が痛恨なんだか……。
「目が覚めたら出発ね。いよいよ第四階層よ」
このまま進めば間もなく階段があり、最深部の第四階層に下りる。
その第四階層は『行ってビックリ快走路』としか書いていない。
「私はもう大丈夫です。進みましょう」
「了解。では……」
再び魔物を避ける進行が始まる。程なく、私たちは階段に辿り付いたのだった。
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