エルフィネレリアにて



「お疲れ様、今回も皆素晴らしかった」


 オリンピュアの広場を、九人で後にしようとしている。私は先頭を歩いていたのだが、そこで振り返って言ってみた。勿論、笑顔で。


「おう、お疲れ」


「お疲れ様です」


 タレイオスとウラノスが即座に返してきてくれた。メルポメノンが遅れてこんなことを言う。


「三回とも同じ仲間でムーシオスになれてよかった。だけど、これがずーっと続くことがないって思うとすっごく悲しくなってきてさ、カリオポスはそう思わないかい?」


 悲しみの芸術家が私の目の前でしくしくと泣き出した。タレイオスが大笑いし始め、またいつもの展開だ、と他の皆が苦笑し、クレイオスは溜め息をつく。


「お前が泣こうがどうしていようが、歴史にとってそれは小さなことに過ぎんのだがな」


「いや、クレイオス。案外珍しい歴史に分類出来るかもしれないよ、泣き虫エルフのメルポメノンは三回連続月桂冠を手にした、とね」


 私が茶化せば普段から歴史歴史とやかましくて無愛想な彼も笑うのだ。クレイオスもいつもこんな風に笑っていればもてるのに勿体ないと思う。そう考えているのはきっと私だけではない筈だ。


 と、エラトスがにやにやしながらメルポメノンに近付いた。この恋の歌い手は、今回のオリンピュアの大会で七百年も前にここを訪れた人間の女の子の愛を歌い上げ、見事聴衆の心と審査員の心を掴んだのだ。彼は悲しみの芸術家の肩に手を置き、顔を近付けて囁いた。タレイオスがひいひい言っている。


「ふふん、歴史に残る泣き虫メルポメノン、か。やっぱり君は泣き顔が一番美しいね、どうだい?これから僕と一緒に過ごさないかい?」


 メルポメノンはひっ、と情けない声を出して、私の近くで大声を上げた。


「嫌だよ……男同士なんて、生産性がなくてそれこそ悲しすぎるよ!でも、女の子も悲しすぎるし、かといって一人も嫌だ!」


 あまりのやかましさに私が耳を塞いだ時、彼はエラトスの手を払って一目散に逃げ出した。泣きながら叫ぶ声が周囲の他の仲間達を振り返らせていることを知ったら、あの哀れな芸術家はまた悲しいと言うのだろうか?言うだろうな。


 どちらにしても私はこの恋の歌い手の言葉に背筋を凍らされたので、早く他の誰かにどついて欲しかった。動けないのだ。


「あーあ、行っちゃった。可愛かったのに」


 残念そうに言う彼に、タレイオスがまた爆笑し始めた傍でポリュムノンが口を開く。


「……我は男色を否定しないがねエラトス、相手としては間違っていたんじゃないか?」


「ああ、じゃあ称賛してくれる君なら大丈夫かい?今回も君の物語る歌は最高だったよ!」


「いや、我はこの後……他の人と約束があるのでな」


 物語の歌い手の目は泳いでいる。あれはきっと嘘だと私は確信して、さっきからずっと口笛を吹き続けているエウテルペスを見る。最近、彼が作った笛が一つ壊された。その必要がなくなったからだとセルナイエスが言っていたのを思い出す。あの旅人は、今はこの大陸の北の海を越えた所にある小さな大陸で暮らしている。それも、大陸の上空に浮いている島の上で、だ。


 笛を壊したのは当代のレフィエールの継承者らしい。全く、よくここまでその血が続いたもんだと感心せずにはいられない。


 そして私はセルナイエスが最近寄越した連絡のことを思い出して、そこにいる七人だけにでも伝えておこうと思い、口を開いた。


「そうだ、セルナイエスがが最近サントレキア大陸の上のミディア=コンティネから連絡を寄越してきたんだけど、聞くかい?」


「何、また人間かメイジと恋に落ちたのかい?」


 エラトスはクレイオスに頭をはたかれた。タレイオスが反射的に笑い止む。


「黙ってろ、やかましい」


「なあに、どうしたの、かなあ?」


 エウテルペスが口笛をやめて、テレプシコロンが私の周りをくるくる回転しながらのんびりと言った。全く、この舞踏家はじっとしていられないのだろうか。よく目が回らないものだと思いながら、私は言う。


「ちょっと落ち着いてくれ、テレプシコロン。何だか、北のサントゥールの王族に変な動きがあるらしい。セルナイエスが曰く、竜のうろこが輝き始めたみたいだ、とさ」


「確かですか、それは。だとしたら、七百年前平和の為に北へ去ったラライの民の末裔の中に、恨みと悲しみを誰よりも深く心に刻んでいた人々がいたってことですよね」


 ウラノスがすかさず返してきた。理知的で場も会話の流れも上手く読める星の歌い手は、私の良い話し相手だ。エウテルペスの方は、いつも滅多に話し出さないので少々物足りない。喋るとしたら彼は詩を紡ぐ時ぐらいか。でも、話はちゃんと聞いている。


「そうだなあ……そうなるなあ」


 宴の時は皆楽しそうだったのに、と私は七百年前のことを思い出しながら色々なことを考えた。


「また、セルナイエスは歴史に首を突っ込むのか?」


 クレイオスが言う。何故か呆れているようだ。


「きっと歴史と恋に落ちたんだよ!あっ、つまりは君と恋に落ちたのか」


「……今その首を締めてお前の歴史を終わらせてやろうかエラトス」


「あっ、冗談だって!大丈夫、そんな君のことも好きだから」


 エラトスは遂に歴史家に殴り飛ばされ、気絶してしまった。私は思わずあーあ、と溜め息をちいてから拳をはたいている彼に向かって、言う。


「……エラトスを運ぶのは貴方だよ、クレイオス。私は知らない」


「放置しておけ、歴史にも残らん」


 またタレイオスが笑い始めた。この仲間で集まると、いつもこうだ。でも、私も何だかんだいって実は楽しんでいる。九人揃って月桂冠を贈られるのが、私にとっての一番の誇りなのだ。エラトスではないが、この仲間が好きだ。


 と、エウテルペスが私の方を見て、鋼鉄のように固いその口を開いた。


「サントゥール王は、このバルキーズ中部に住む人間を襲ってくる?」


「レ……レファントを?いや、ラ・レファンスの魔法学院を?」


 私は思わず訊き返していた。平和的だと思えたあの移動は表面的なものに過ぎなかったのか?しかし、セルナイエスはラライの民の末裔がレファントを出立する時、人間やコボルティアーナ達と笑い合っていたと言っている。エルフの旅人は、そこら辺は嘘をつかない。


 笛吹きはこくりと頷いた。ウラノスが言う。


「人間って、何かよくわかりませんよね」


「あれは、ラライの民だよ、ウラノス」


 テレプシコロンがすかさず訂正した。


「いや、でも僕達の聞かされてきた話によると、元はといえば彼らも人間ですし、サントレキアに行ったラライの民の末裔はそこの大陸の人々と同化していったみたいですし。肝心のレフィエールのルイはバルキーズ育ちで、しかも家系はほとんど全員が黒髪に鳶色の目だったらしいですけどね。生まれたての時に何故か人間に預けられてラッシュルという姓も持ってますけど」


 とりあえず皆、人間なんですよと星の歌い手は言った。なるほど、言われてみれば確かにその通りかもしれないと私も思う。


 手を伸ばして、頭の上の月桂冠に触れた。タレイオスのそれは彼がいつも被っている蔦の冠と絡まって、何だか綺麗だ。それを誉めてやると、喜劇役者はまた笑い出すのだ。


「おお、ありがとな!やっぱカリオポスは面白いところに気が付く面白い奴だ!」


 彼を見ていると明るくなれる。以前、メルポメノンは全てが悲しいというんなら一体何故生きているんだと私が疑問を口にした時、あいつは死ぬことが一番悲しいから生きているんだ、と最もなことを言って笑わせてくれた。その時クレイオスも一緒にいたのだが、彼は後ろを向いて笑いをこらえるのに必死だったらしい。後でこっそりとそれを教えてくれた。


 人間かあ、と私はまたあの時と同じように呟いた。抜けるような青い空に白い雲、今喋っている九人の集合場所であるここ泉の近くの木立からは、白い家が立ち並ぶ斜面の向こうに青く美しい海が見える。


 と、少々存在感の薄いポリュムノンがこう言うのだ。


「何、我はまた人間についての物語を紡ぐだけだ。喜べクレイオス、歴史だ。心配するなカリオポス、素晴らしい人々が出てくる。我は賛美しようではないか」


 確かに、そうだ。彼の言う通りかもしれない。


 人間達はこうやって戦いながら色々なものを乗り越え、本当に幸せを見付けていくのかもしれない。かつて、私が会ったトレアンという継承者はそうだった。エラトスが好みそうな容姿を持つ彼は、何かを知っていた。カレンの隣で、生きる者として笑っていた。


「歴史、か……人間が、世界を動かしている」


 クレイオスが呟き、テレプシコロンが今度はその歴史家の周りをくるくる踊り始める。


「そしておいら達は世界を謳っているんだよ」


 私はエウテルペスの言葉に頷きながら、考えるのだ。


 そうだ、私達はエルフィネレリアの栄えあるムーシオス、最高の芸術家と認められたエルフなのだ。だから、笛吹きの言う通りこの世界を謳えばいい。そして、クレイオスの言うような歴史の中で、それを後々まで伝えていけばいい。メルポメノンが生きているわけを、タレイオスがいつも笑っている理由を、ウラノスの人の良さを、エラトスの情熱を、テレプシコロンの伸びやかさを。私は、ふっと口元を緩めて青空を見る。


 ポリュムノンはちゃんと締めくくってくれるだろう。だから、書き終わりの下手な私は精一杯誰かのことをこの世界で謳えばいい。

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