饗宴
宴は九人のムーシオス達の合唱によって始まった。
大人も子供も年よりも若者も関係なく色々な場所から来た人々はそれに耳を傾けながらそこらに立ったり座ったりして飲み、食べ、話した。メルポメノンが悲劇の英雄の歌を独唱し始めた時、ドラゴン使い達は揃って何処かに皆消えて、しばらくして皆赤い目で戻ってきた。
きっとアドルフとカイザーの所に行っていたのだろう。ドラゴン達も、一頭ずつ入れ替わって消えたり現れたりした。悲しみの芸術家は時に大切なものを思い出させてくれる。セナイは人々を見ながらそう感じるのだ。
カリオポスは歴史を謳うクレイオスとそれを讃えるポリュムノンと共にアミリアのことを歌った。
それを聴きながら、カレンはコボルティアーナ達が持ってきたワインという飲み物をくいっと飲み干した。あの後湖で水浴びをしてアスクレピアの薬を洗い流したので、気分はさっぱりしている。湖といえば、エンスプリトスというらしいそこに住んでいるドラゴンもこの宴に参加していた。ドラゴン達は皆楽しそうだ。
「カレン」
と、隣にいるトレアンが自分をつついて呼んでいる。彼女は少しぼうっとした頭で振り返った。
「何、どうかしたの?」
「少し歩こう。そなた、酔っているだろう」
彼はそう言って立ち上がり、手を差し出した。周囲からはやし立てる声がすかさず上がるので、ドラゴン使いは火術士が手をすべり込ませるやいなやぐいっと彼女を引っ張り上げ、大勢の見ている前で長々と口付けた。
「……何だ、羨ましいのだろう?」
にやりと笑いながら言えば、見せつけるな、とか畜生、とかいう声があちこちから聞こえるので、その下らない嫉妬がおかしくて大声で笑った。同じように、炎がパチパチと弾ける。
「あなたも酔ってるんじゃないの?トレアン」
完全に酔いが飛んだらしく、カレンは別の意味で顔を真っ赤にしながらそう言ったのだが。
二人はそれから、人で一杯の町の中をぶらぶらと歩いた。ユーリヒが子供達の集団の中にいて楽しそうとまではいかないかもしれないが、笑っているのを見て少し安心した。父親に似て強い若者になるだろうと思えた。タチアナとイスティルを見つけて、しばらく喋った。ここのところ水使いの調子がおかしく、気分が悪い日が続いているとのことで話を聞いてやる。
「もう四、五日も吐き気がおさまらないの。どうしよう、あたし、何の病気なの?」
「……何か、悪いものでも食べたのか、そなた」
「ううん、絶対にそんなこと、ない。あ、でも最近太ったかも……」
トレアンは不審に思ったが、ふとこの二人が一緒に住み始めたのはどのくらい前だっただろうと気になって、それからある一つの可能性に辿り着いた。
「タチアナ……子供、じゃないのか?」
「ええっ、うそ」
一番驚いたのは彼女本人で、それから大声を上げてそのまま若い妻は気絶してぶっ倒れてしまった。すまん、と苦笑しながら謝る夫に栄養と体調に気を付けさせるように言い、今みたいに驚かすのも駄目だと付け足してからドラゴン使いはカレンと共に再び歩いた。彼女は、歩きながら言うのだ。
「まさか、私より早く“母さん”になるなんてね」
レフィエールのドラゴン使いはそれに短く笑って答えた。
アンデリー家の人々と喋り、以前のセスのことをからかった。今、闇使いは西の方へ旅に出ると言っているらしい。
「だって、どうせ闇使いなんて役立たずなんだし。それに、僕はもっと広い世界を見てみたいんだ、エルフの都市ってのにも行ってみたいしね!」
それに、兄であるピーターはこう返すのだ。
「何だい、前は“西の方へ行くと人を呪う仕事はあるけど恨まれて死ぬ可能性が高くなる”とか言ってた癖に」
「うるさいな、前と今とは別だよ」
ここでも二人は笑って、再び歩き出す。その後もハインツやドラゴンのテレジア、クラウスとカタリーナやコボルティアーナのジャンヌに会って話をした。皆楽しそうで、話しかけると陽気に答えてくれた。
カレンは、ローザと目が合った。ワルトブルク家の人々も何だかんだ言って楽しくやっている。
「いつかは、大切なことを教えて貰ったわ、ありがとう」
火術士がそう言うと、ワルトブルクの若い女のドラゴン使いは寂しそうに笑ってこう答えるのだ。
「……私の負けだわ、あなたは強い。でも、おかげで私も色々なことに気付かされたの、こっちこそ」
ありがとう。そう礼を言った彼女の名前を知らなかったことに気が付いて、トレアンをちらりと見てから訊く。まだ彼は大丈夫そうだ。
「あの、ごめんなさい、まだ名前を訊いてなかったと思うの、私」
「ああ、そうだったわね。私は、ローザ=ワルトブルク、パートナーはイザベラ」
二人の女は顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。何かを乗り越えてきた幸せを、彼女達は形こそ違えど、確かに今共有している。
「絶対に忘れないわ、ローザ。というか、仲良くしましょう」
「私だって。この先どうなるかはわからないけどね」
もう一度礼を言ってからカレンがその場を離れると、ローザの大声が火術士の近くに来たレフィエールのドラゴン使いにまで届いてくるのだ。
「トレアン、どうせ何回も泣かしてるんでしょ!これ以上、泣かしたら、私がカレンを引き取りに来るからね!」
すると彼は笑って、わかった、と大声で返事をした。
他にも老使い達や休憩中のムーシオス達と喋ったりして、二人は最後にミストラル家の夫婦を見つけてそこに行った。エミリアとギルバートは彼らを見ると笑顔になって、口々にこう言うのだ。
「あらあ、お似合いねえ、あんた達!」
「うちのじゃじゃ馬にこんないい男が出来るとはな」
トレアンが思わず笑うと、その隣で彼女が抗議してくるのだ。
「ちょっと、父さん!そんな言い方ないじゃない……って、トレアンまで、何で笑ってるの!」
「いや……ふふっ、すまん」
「本当、失礼しちゃうわ」
だが、いくら立腹していても火術士はそれを長続きさせることが出来なかった。下らない怒りがおかしくて、彼女も最終的には笑い出した。
「カレンを貰ってくれてありがとうねえ、トレアン」
と、ミストラル家の土使いはそんなことを言う。レフィエールのドラゴン使いは少し照れたように微笑んでいえ、と返した。
「私にカレンは勿体ないくらいですよ」
「いや、ちょうどいいんじゃないか?互いに何かを乗り越えて、今ここにいるんだから。君はうちの娘の言葉を受け入れる強さがある、トレアン。そしてカレン、お前は彼をまた、人が必死になる世界に引っ張って戻したんだ」
ギルバートが、そう言った。若い二人は顔を見合せて、どちらからともなく自然に微笑んだ。
エラトスという優美で甘い顔つきのエルフが、恋の歌を歌い始める。ほとんどの人々と話を終えてしまったので、トレアンとカレンはそこで立ち止まってしばらく歌を聴いていた。指を絡めるようにして手を繋いだ時、ドラゴン使いがああそうだ、と何かを思い出したように声を上げる。
「どうしたの、トレアン?」
「思い出した。今からこっそり転移の術を開く」
「何で?行き忘れた所でもあるの?」
彼は近くの木立の中に入っていく。火術士は引っ張られながら、何処へ行くつもりなのだろう、と小さな不安を覚えた。
「一緒に来て欲しい、そなたに見せたい場所がある」
いつの間にか夜になっていた。紺碧のそらにはぼんやりとした優しく大きな光が浮かんでいて、柔らかくあたりを包んでいる。あんなもの、いつから見えるようになったんだろうと彼女は思った。
すう、と彼の手で光り輝く空間が作られる。こっちだ、とその人は手を引きながら言って、そして二人はその向こう側ふと出た。
そこは崖の下の森の中だった。足元ばかり見ていたカレンは激しい水の音が聞こえるのに驚いて、思わず顔を上げた。
小さな泉の中に、崖の上から落ちてくる沢山の水が注ぎ込んでいる。まるでカップの中にポットから茶を淹れているようだと思えたが、何しろそれは比べようもないほど大きかった。
彼女はしばらくそこに立ち尽くし、そして凄い、と呟いてから繋いでいた手を振りほどいて泉の方向へと足を踏み出した。
「凄い、とっても……綺麗」
トレアンは光の空間を閉じて、同じように滝を見た。太陽の下とは違って、泉の中に夜空の星がすとん、とそのまま光を落として水の中で輝いている。岸に咲く花に触れ泉の水を両手で掬い上げる火術士を愛しく思った。
「いい場所だろう?オーガスタと見つけた」
彼はその場に座る彼女の隣に来て立ち止まり、言う。
「ええ、気に入ったわ。ありがとう」
微笑みながらなおも水に触れているカレンをちらりと見た。この場所から見える夜空の大きくて柔らかな光に照らされ、彼女は美しかった。彼は一歩下がり、そのまま相手のすぐ後ろまで近付く。涼しい風がひゅう、と吹く。
膝をついてすっとその体に腕を回し、背後からしっかりと包み込むように抱き締めた。
「――トレアン?」
自分に問うてくる声だけで胸が一杯になった。手にその指先が触れるだけで幸せだった。ドラゴン使いは震えた溜め息をついてから、彼女の右の耳元に唇を寄せて、言う。
「カレン……カレン、愛している」
青い瞳がゆっくりと自分を振り向き、何か言いたそうにその唇が動く。しかし彼女は言葉を発さなかった。ただこくりと頷くだけで。
どちらからともなく交わした口付けが合図だった。それは甘美で、もっともっと互いを求めずにはいられなかった。滝の音が全てを消してくれる。そのまま二人は初めて夢中で抱き合った。風の涼しさなんて気にしなかった。
「そういえば、あたくしの可愛いオディスは元気なのかしら?」
「ええ、二十になるのに相変わらず幼いまま元気ですよ。全く、貴女があのような得体の知れない存在に出会うもんだから、オディスは彼自身の力がわからずに悩んでいる」
少し苦い表情でアスクレピアは笑い、それからこう言う。
「きっと変わった素晴らしい力を持っているわ。何しろ、あの子は竜の宝の子ですもの」
セナイは、それには答えずに溜め息をついた。すると、薬師は声を上げるのだ。
「あら、信用してないの?あの存在は特別なのよ」
「何言ってるんですか、そこらのメイジにかどわかされただけでしょう。姿変えの術なんて簡単ですよ」
「やっぱり信じてくれないのね。あたくしはこの目でちゃんと見たのよ?それに、姿変えの術がかかったかどうかなんてエルフには全く関係ないし、何でもお見通しなんだから」
出発は明日だった。何処へ行くかはまだ決まっていない。あのドラゴン使い達に着いていくか?そう考えたが、別の道を行った方が良いような気がしていた。例えばは、大陸を出てみるとか。船に乗るのもいいかもしれない。
アスクレピアのとんでもない主張を聞きながら彼は考えていた。
「旅の途中に、わかりますかねえ」
「きっとわかるわ。きっと……何かを、動かす筈よ」
あたくしにはわかるわ。薬師は言って、いつもの妖艶な笑みを口の端に浮かべる。
竜の宝は彼女の元へ飛来したというのだろうか。まあいい、今それを考えてもわからないものはわからないのだ。セナイはもう一度溜め息をついて、グラスの中の酒を飲み干し塔の上の窓から夜のエルフィネレリアの灯りを見た。
そうだわ、言い忘れてた、とカレンは言うのだ。
それは出立の準備をしている時だった。イスティルがミストラルの家に来て住むようになり、旅に出ようとすりセスにジャンヌが着いていきたいと主張し始め、人が再び多くなってきたヒューロア・ラライナのすっかり直った石畳の町の為にこのレファントの土地を明け渡すことがドラゴン使い達の集会で決まっていた。
「どうした、カレン」
トレアンは食料など必要最低限の荷物を纏めていた。彼の表情に失望や消極的な色は見当たらない。それはまさに、今を生きる人のものだ。
「守りたいもののことよ。人が、誰かを信じようとする、私はその心を、守りたかったの。どんなに愚かな人でも、馬鹿だって言われた人でも、絶対にその心はあるんだから」
阿呆ってあなたにののしられた人でもね、と彼女は手伝いの手を休めずに茶化すように付け加えた。薬の壺は全て置いていくらしい。火術士はそれの使い方をセナイに借りたペンでワルトブルクの人々の作った紙に全て書き留めていた。薬の作り方もドラゴン使いに教えて貰いながら。
「信じる……」
「そう。だって、あなたがこうして私の話を聴いているんだから。信じられていなかったら、私はきっと今頃ここで喋ってないわ」
「そなたにはあるのか」
カレンはその人を振り返った。いつの間にか彼はすぐ近くまで来ていて、自分を遠慮なく見つめている。子供が何かを欲しがっているような幼い表情に思わず笑って、その頬を撫でた。
「なかったらこんなことしない」
そのまま二人は口付けを交わした。勢いに乗って首筋にまで痕をつけてくるトレアンを火の術で押しのけ、彼女は小さな悲鳴を聞きながら再び紙に向かう。時間はあまりない。
「そなた、私を燃やす気か!」
「あなたなら平気で防げるでしょう?」
一瞬後に、彼らは笑い出すのだ。
ドラゴン達は着いてこない。行きすぎてしまった何かを冷ます為に、彼らは距離を置くことに決めた。その代わりに、呼べばいつでも共に危機に立ち向かえるよう、相談してセナイに頼み、エルフィネレリアのムーシオスの一人であるエウテルペスに魔法の笛を一つ作って貰った。それは今、レフィエールのドラゴン使いが荷物の中に入れたところだ。
――トレアン=レフィエール
この薬は彼の作ったものです
エル=シエル・ハーブは熱病に
肩凝りに効くのも勿論あります
受け継いでいって下さい
誰もが“継承者”となるのです――
彼女は、紙の最後の隙間にそう書き足し、ペンを置いた。返さなくてもいいだろう。
外が騒がしい。皆で一斉に発つので、そこに集まっているのだろう。行き先は、北だった。彼らは皆トレアンを待っているに違いない。その地への転移の空間を開くことが出来るのは彼だけなのだから。
二人が出て行くと、いち早くそれを見つけたセスが声を上げる。
「トレアン、カレン、こっちこっち」
家を振り返ったが、未練はなかった。寂しくても綺麗なものは心の中できらきらと輝いている。闇使いの隣にはジャンヌが旅装で立っていた。本当に着いていくようだ、よく似ている兄らしきコボルティアーナが傍にいて、彼女に色々言っている。
「カレン、首筋!昼間っから何やってるのよ」
ローザに大声で指摘され、皆がこちらに注目するのでカレンは真っ赤になってあさっての方向を向いた。風が吹いてからっと晴れたレファントの地の森の木をざわめかせ、暑い中で鳥が美しい鳴き声を響かせている。
姉さん、とタチアナが少し青い顔で近付いてきた。妹の体にまだこれが続くのかと思うととてめ哀れだったが、この子なら耐えられるだろう。
「いつでも会いに来て。転移の術、あたしも覚えるから!」
「ええ、きっと行くわ」
そして、一つの大事なことにはっと気が付き、姉は言う。
「あの、アスクレピアの薬……返すの忘れてた」
「……もう、いいんじゃない?どうせその人、また作れるんだし」
「んん……そうかもね。でも、絶対に舐めちゃ駄目よ。私は大丈夫だったけど、ちゃんときっちり蓋しておいてね。触っちゃ駄目って、子供が生まれたら言ってね」
すう、と光り輝く空間が現れたのが見えた。西のエルフィネレリアの都市から見た海とはまた違う海が、あの向こうに広がっているのだ。彼女は手を振って、自分がいるべきその人の隣に戻る。
さあて、とラインラントのハインツが言った。
「忘れ物はないんだろうな、下着とか。あんなもん見付かったら、恥だぞ」
ドラゴン達が一斉に飛び立った。トレアンが、それはない、と言って笑う。そうだ、皆ももっともっと笑えばいい、そう思ってカレンもセナイもドラゴン使い達も人間もコボルティアーナも、笑う。
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