7

 ドラゴン使い達が、皆一斉に顔を上げる。その瞳は懇願していた。


「勝手な願いだってのは、わかってる! だけど、……だけど、そんな価値のある奴らだとは思えないかもしれないだろうけど、手伝わせて欲しい! もしも……」


 もしも、それが一番良い方法なのなら。リンドブルムのドラゴン使いは言った。その傍にはカタリーナがいて、彼の腕に触れてお願い、と同じように叫ぶ。


「あたしは……これ以上ここにいたら、また皆を傷付けるかもしれない。でも、その前に……この町をもっともっと綺麗にしてから、ここを離れたい。あたしは遠くに行きたい」


 レファントの人々はローゲの若いドラゴン使いの言葉にはっとしたが、すぐさまそれが現実として心に染み込んでくるのがわかった。例えこのヒューロア・ラライナの人々が許してくれても、自分達は己を赦すことは出来ないだろう。


 レファントを離れる。それは自分達への戒めだった。


「……カタリーナ」


 クラウスは彼女の指先に触れる。ずっと近くにいた幼馴染みの決断が、彼の心を確かなものにした。そして二人が同時に顔を上げた時、ギルバートが町の人々と視線を交わす。どうする、と誰かに問うような空気が流れた時だった。


「……僕達のせいだ」


 幼い少年の声がした。それは震えていて、皆が振り返って顔は赤く涙で濡れ、目は腫れている。何処か一箇所にでも集められて守られていたのだろう、子供達は今外に出てきて、この話を聞いていたようだった。


「僕達があんなことしなかったら、術でドラゴン使いに勝てるって思って、先生がいじめられてるって勘違いしたから! 僕達のせいなんだ、ドラゴン使いは悪くないのに……」


 小さなヒュムノメイジ達は、火がついたように次々と泣き出した。数人の若者が同時に震え出し、一人が大声で言う。


「俺だって……避けられるかって思って試しにやっちまった! 石投げるとか……それがどんな意味か、ドラゴン使いがどう思うか、考えてなかった!」


 懇願される資格なんてないのに。人間達はその時強く思った。


「手伝わせて欲しいだなんて、言わないでくれ! 手伝って下さいって頼まなきゃいけないのはこっちなんだ! 死んででも訴えなきゃ許されないんだ……」


 彼らは次々に石畳の上に突っ伏した。


 あたりは泣き声と涙で満ちた。雲の隙間から太陽の光が差し込み、崩れた石の上に、ヒューロア・ラライナの町に降り注いで濃い影を作る。あらぬ所を流れている水路の水がそれに反射してきらきらと輝いていた。


 皆、自身を赦せなかった。他人を赦してしまうことよりも、己を赦すことは一日で町を元通りにすることより難しかった。彼らは悔いていた。悔いていたからこそ、互いのその手に触れたかった。しかしそれは他でもない自分が赦してくれなかった。


 そして再び幾つもの泣き顔が上を向いた時だった。


「……じゃあ、トレアンはどうなるの?」


 その場に座り込んだままのカレンが、その青い瞳で人々を見つめている。


 彼らにそのことを気付かせてくれたレフィエールの若者は、何処かへ飛び去ってしまってそこにはいなかった。あのドラゴン使いのことを、その場の誰もが思い出す。その人がいなければこの町は生まれなかったし、このような心もわからなかっただろう。


「トレアンはどうするの? ねえ、放っておくの?」


 それはひどすぎるわ、と彼女が言う。そんなことは皆が思っていたが、しかしどうするかと言われて彼の為に何が出来るだろう。彼らは無力だった。かといって、放っておいて彼が戻ってくることがあるとも思えない。それだけのことをしてしまったのだ。


「……私は探しに行くわ」


 火術士は立ち上がった。その瞳は青い炎のように、或いは嵐の前の湖面のように、静かに激しく燃えている。エミリアが娘に近付き、何も言わずに腕に触れた。


「母さんや父さんが何と言おうと、私は行くわ。何処に行ったかわからなくても、トレアンを探し出すわ! だって、皆、わからないんでしょう?」


 ただ太陽の下で、彼女は思いつくままに叫ぶ。心の中は彼への想いで一杯だった。伝えなければいけない大事なことで一杯だった。


「どうしていいか、わからないんでしょう。でも、今トレアンには誰かが必要なのよ。トレアンがそんな人いらないって思ってても、誰かが傍にいなきゃいけないのよ! 私は行くわ、どれだけ長い道のりになっても、行くわ。皆はこの町のことがあるけど、私はそれを放ってでも行くわ」


「……そうね」


 ミストラルの土使いが、そこで頷いた。カレンは思わず母を振り返る。


「……母さん」


「それがあんたの信じる道なら、行きなさいな、カレン」


 あたしと同じだねこの子は、とその人は微笑んで言った。ギルバートもすぐ近くまで来て、娘の柔らかな巻き毛を撫でる。


「大切な人なんだろう。お前はいなくなるが、カレン、あのドラゴン使いの兄弟と違って、俺達は互いが元気なことを確かめ合ってから、今から少し離れるだけだ。お前はまた、ここに帰ってくるだろう。だから、別れじゃない……彼を、追うんだ。俺達は彼からの贈り物を直しておくから」


「……父さん」


「俺達だって、お前がいなくなって寂しくなるだろうし、それは辛いだろう。だが、そういう変化はいつか来るし、恐れていても仕方がない。案外、他の事で紛れるかもしれないからな」


 カレンは父の腕の中に飛び込んだ。大きく育った娘の体を力強く抱き締め、その耳元で言ってやる。


「それに、お前には転移の術があるじゃないか。前からよく何処かへ行くのに使っていただろう? こっちだって知っているんだぞ」


 彼女は思わず顔を上げて自分の親の目を見つめた。ギルバートはにやりと笑い、ぴしゃりと軽くその頬を叩いてやる。そして、口を開いた。


「隠していても俺らにはわかるんだ」


 それに、娘も思わず適わないなあという風に笑った。


 すぐに出発する予定だった。しかし、それはやめておけと周囲が言う。その中でもセナイ=フィルネアはこう主張した。


「貴女は、一日ゆっくりと休むべきです。それに、今、彼が何処へ向かっているのかもわからない。追うのはいいですが、予測出来ない方向へと振り回されるのも色々と無駄になりますし」


 と、そんな時にオーガスタが出てきて、エルフに向かって人間にはわからない言葉で言うのだ。


「大丈夫、あの人の行きそうな所なんて、あんまりないわ。つい最近行ってきた北の方の……ああ、カレンに見せたいって言っていた場所があったわ」


 エルフが、それをドラゴンの言葉のわからない彼女にそのまま伝える。それを聞いて、カレンは何かを求めているような切ないような、泣きたいような表情をした。


「そんな場所が……トレアン」


 銀白色の癒し手は自分の体の傷をその力で治しながら続けた。ドラゴンはどんな言葉も解する種族だった。


「それか、レファントの森から飛んで十四日間かかる北の海。いえ、昼も夜もずっと飛べば……五日かからないかもしれないわ。最後に、その海から西南西に九日……こっちも、昼も夜も関係なく行けば三日か四日で着くわね、ドラゴンの里、ラライの紅色の町の……跡があるわ」


「ラライ……ですか」


 火術士はオーガスタの言ったこと全てを伝え終えてから、セナイが何かを思い出すように言った。


「どうしたの?」


「いえ……ただ、あそこには沢山のラライの民が残っている筈です、消えていないのならば、今もきっと」


 つまり、とエルフは続ける。周囲の人々はがたがたと協力して動き出していた。


「トレアンは、間違いなくジアロディス=クロウとアミリアの子孫……私のそれではありません。あのような姿をとれるのはレフィエールの始祖とそれに連なる直系の第一子だけ、そして双子の片方である例外の、クロウの第一子だけ……アミリアは流石にその血が四分の一しか残っていなかったのですが、トレアンが古代竜に通ずるということは再び血が濃くなっているという証です。因みにここに集うレファントの人は、実は私の子孫なんですよ、皆さん。アミリアと私の間にあった術の力は打ち消されて、私の長い寿命の血も妻のわずかな竜の力で縮められてしまいましたけど。そこにいくらか人間も混じってきましたしね。そして、ラライの地です。あそこは、私達エルフの間に伝わっている伝説によると、始祖が竜の力を授かったとされる地……何処へ向かっているかわからない彼がそこへ行けば、その竜の血がますますラライの地に残る人々の力により、強くなるでしょう。竜の姿をとっている今は尚更です。彼が貴女に危害を及ぼさないとは限りませんが、万が一攻撃されるならば……今日みたいなことでは済みませんよ。間違いなく、貴女は……」


 彼はその先をあえて言わなかったし、言わなくても相手はわかっていた。カレンはすかさず言った。


「……それでも、行くわ」


 セナイはしばし黙って彼女を見つめるが、やがて柔らかな表情でそうですか、と言った。


「ならば、私から渡さなければいけないものが幾つかあるので、やはり二日ほど待って下さい。もしラライの地に行くのならば必要なものです……オーガスタの話を聞いていたら、北の海から西南西にゆっくり九日なので、案外このヒューロア・ラライナの町から歩いて二十日そこらで大丈夫かもしれませんね」


「に、二十日も? その間にトレアンに何かあったら……」


 火術士がそれを聞き、愕然とした時だった。


「わたしが、一緒に行く」


 黒髪に黒い瞳のラインラントの少女が、いつの間にかそこに立っていた。


 その場の人々は動きを止め、皆少女に注目した。瞳の色はドラゴン使いではなく、また頬に微かにあるうろこが人間でもないことを表している。疑いの視線に気付き、シラクサは自分の体から光を放って今いるドラゴンのうちで最も小さな一頭となった。


 戦いの時には誰も気にしていなかったのだろう、カレンとセナイ以外が息を呑み、誰かがやっぱりヒュムノドラゴン、と言う。何でもかんでもヒュムノと先頭につけて人間に近いことを表したがる町の人々にとって、それはちょうどいい呼称だった。この世界に出てきて百二十日しか経っていないラインラントの黒いドラゴンは、今度はドラゴン達の言葉で言う。


「わたしは、カレンさんに着いて、一緒に行く。一人ぐらいなら、乗せて飛べる。それに、頑張って行けばトレアンに会えるんでしょ? わたしは、トレアンに会いたい。ずっと一緒にいてくれたトレアンに会いたい。ねえ、母さん」


 その中にいたテレジアが唸った。我が子を心配するのは人であってもドラゴンであっても同じだった。


「カレンさんが歩いて一人で行くのは危ない。わたしが着いて行きたい」


「……あなたはちゃんとカレンを守ることが出来るかしら、シラクサ? 己の持つ力さえまだはっきりとわかってもいないのに」


「わたしは、母さんや他の皆と違って、カレンさんと話が出来る。それに……」


 ラインラントの仔ドラゴンは一歩も引かなかった。ただ、彼女はトレアンに会いたくて、カレンに着いて行きたくて言った。


「わたし、納得出来ない。トレアンが、生きてる皆を選ばなかったから」


「……ねえ、シラクサ?」


 火術士は何を話しているのかわからないということもあって、不安でシラクサを見上げた。ドラゴンとしてはまだ細い首に手を伸ばすと、鋭さの見られない幼い瞳が覗き込んでくる。つるりとした黒いそれは優しく煌いた。


「飛べるよ。わたしは、ちゃんと飛べるの!」


 一瞬で人の姿に戻ったヒュムノドラゴンは、強く宣言した。







 ただ、何も考えずにひたすら飛んだ。


 もう一度だけあの場所を見たいと思ったが、やめた。余計に色々なことを思い出して悲しくなってしまうだろう。あの崩れた町なら、誰も来ない。生きているものを見るのが苦しくて、そして自分がこの手に抱えているのは弟だった。


 あの滝は生きていた。咲き誇る花が愛しい人を思い出させた。水に映る空は何処までも広がっていた。自分はあの時とても幸せだった。幸せだったことを思い出すと悲しくなって、彼は吼えた。それだけで空に雲が沸き、凄まじい勢いで雨が降った。


 眠らずに星の中を飛んだ。届かない光が、また悲しくさせて、また彼は吼えた。


 夜明けと逆の方向に飛んだ。寒い方へ飛んだ。今から行く場所は約束の地かもしれなかった。何も考えたくなかったのに、気が付いたら何かを考えていた。そしてそれは吼えても消えてくれない悲しみを次々と生み出しては、消していった。


 だから、紅の石の崩れかけた柱が見えた時、ほっとした。彼らが歌っているのが聞こえる。


 還ろう。自分が在るべき場所は、ここだ。


 ここで静かに消えていこう。


 ラライの人々は静かに、下へ降りてくる自分を見上げていた。風に吹かれて揺れることのないその服を見ると、何故か安心した。


 還ってきたのね、とあの女が言う。彼はそれに首を垂れることを返事とした。


 本当にいいの、と問われる。構わない、と何も考えずに言う。


 優しく弟をそこに横たえ、ドラゴンは吼えた。ふわ、と体に触れるのはそこにいる人々の手で、それを感じられたことが唯一のなぐさめだった。


 森に、その慟哭が響き渡る。動物達はその方向に耳を傾け、そしてその頭を垂れてしばし動きを止める。


 ラライの地は夕暮れの紅の光に包まれようとしていた。







 二日間の間に、セナイは彼自身の転移の術でカレンを何とエルフの住む地へといざなった。


 落ち着いた色合いの、美しい模様の入った石の大きな建築物に彼女は驚かされた。その割にエルフの人数は少なく、建物の中にある泉と木々の傍に九人ほどが固まって喋っているぐらいしか見られなかった。


 長い布を体に巻くように着てありとあらゆる宝石を手や首に飾っている彼らの、その耳はやはり長く尖っていて、そして人間の火術士を見れば物珍しそうにこう言うのだ。


「おや、人間とは。またセルナイエスは物好きなものだなあ。結構な時を、また何処へ行っていたんだい?」


 セルナイエス、と別の名で呼ばれた彼は、仲間に向かって呆れた溜め息をつきながら答える。


「よして下さいよ、カレンには別の人がいますから! それに私はもうそっちの方面は当分お腹一杯です! そんなことより久し振りですけど、薬師のアスクレピアが何処にいるか知りません? カリオポス」

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